ゴブリンロード

水鳥天

第76話 選択


 ジヴァのいなくなった広間は静寂が広がっている。一人残されたユウトはつい先ほどまでのジヴァとのやり取りで疲れた頭脳を休ませようとぼうっとして思考するのをやめて呼吸、手先足先の感覚にだけ集中していた。

 そうしてどれほどの時間がたったかわからなかったがふと身体の変化がまた気になり始める。これまで過敏なほど強く感じていた光の強さ、周囲の音、肌感覚が角が取れたように和らいでいた。

 ジヴァが目の前からいなくなったことでその感覚の変化、違和感をより強く意識する。何があったのかとユウトは思考を巡らた。そしてユウトは指にはめられた指輪を眺める。もしかすると、と一つの考えが思い浮かんだ。性欲を抑える作用の持つこの魔術具の指輪は感覚機能もある程度制限する機能を持つのではないか、と思いいたる。その考えを証明するためユウトは指輪を掴みゆっくりと引き抜いていった。

 指関節の一つを抜けて指輪と皮膚との接触面積が少なくなった瞬間、それまで抑圧されていた全身の感覚が解き放たれたように鋭敏になるのをユウトは痛いほど実感する。全身に鳥肌が立ち瞳孔が絞られ一瞬部屋が暗くなったような錯覚に陥った。

 急激な変化にユウトは驚きまた指輪をはめ戻す。すると感覚はぼやけやすらぎが戻ってきた。

 ユウトは理解する。この指輪の効果が及ぶのは性欲を抑えると同時に装着者の感覚を鈍らす働きがある、ということを認識した。ただその効果がジヴァの悪意かというとそうとも感じられない。性欲という欲だけが独立したものではなく体の感覚との関係があるのだろうとユウトは予想した。

 しかしユウトは一つの問題を認識する。この指輪は確実に感覚を鈍らせることがはっきりした。これまで煩わしささへ感じていたこの体の鋭敏な知覚。それは少なからずユウト自身の助けとなりいくつかの困難を乗り越えるための要因になっていた。

 今後この世界を生き延びていくためにはこれからも必要な武器だとユウトは思う。ただ指輪をはめているときのこの安らぎの感覚と外した時の刺激の強い感覚とのギャップは激しかった。感覚の切り替えにかかる負担は重く咄嗟に順応できる気がしない。状況に応じて使い分けるという選択肢は現実的でないとユウトは判断した。

 そしてユウトは一人、選択を迫られる。

 理不尽な選択だとユウトは思う。望んで手に入れたものではないものを手放すかどうかで悩まされることに腹立たしくなった。時間もない。ジヴァが戻ってくるまでに決心しなければ、もう指輪を外すという選択肢を選ぶ勇気が持てなくなるとわかる。静かに指輪を見つめながらユウトの思考は出口を求めて加速し続けた。

 不安を隠して安らぎを得るか身体の暴走を手なずけながら戦い続けるか答えは出ない。加速し続けた思考は次第に疲れてその速度を落としてゆく。息切れを起こした思考は歩くようなゆっくりとしたペースにまで速度を落とした。

 ユウトは意図せず前の世界の記憶を掘り起こし始める。前の世界の自身に既視感を覚えた。忘れていた決断を迫られる瞬間、自身はどうだったかと。

 さらにこの世界に来てからのことを思い出す。どん底を意識した修練、工夫しろと言ったガラルド。野営地からの移動中、心配するセブルに何気なく語った自身の言葉。感謝してくれた大橋砦での人たち。さらにジヴァの誘惑で自らの性欲に正面から向き合ったこと。

 目線を落としじっと見つめていた指輪からユウトは目線を上げて椅子から立ち上がる。そして指輪のはめられた手を目線の位置まで持ち上げた。



 ジヴァはユウトをおいて部屋を出た後、人形たちを引き連れ別の部屋へに入り扉を閉める。その部屋の一角に歩みを進めて立ち止まり床へ手をかざす。すると床板の隙間から光が漏れてジヴァは手を下ろした。人形たちがせっせと一部の床板を外すとそこには下る階段が現れジヴァはそのまま降りていく。ジヴァの移動に呼応するように石壁に備え付けられた証明に明かりが灯って地下に広がる部屋が照らし出された。

 そこには布の掛けられた棚がいくつも並び、部屋の隅には大きさの異なる鉱物の結晶が並べられている。ジヴァは並んだ鉱石を眺めてそのうちの一つを注視した。

「このぐらいで事足りるかの」

 ジヴァについてきていた人形が並べられた鉱石の中で小型のものを数体で持ち上げ掲げる。そして人形たちは鉱石の運搬を開始した。

 数体の人形たちはそれぞれが補いながら鉱石を階段の上へと運び出していく。一人その様子を見ているジヴァは棚にかかる布がずれているのに気付いた。布がずれて棚の一番隅においてあるものに光が当たっている。それは大きな結晶の球体で透き通ったその中心は幾重にも重なったもやが星雲のように輝いていた。

 おもむろにジヴァは球体をのぞかせた棚に近づきうっすらと誇りのかぶった上面を手で撫でるように磨く。ほこりは落とされ滑らかな球面の上でジヴァの手は止まった。するとジヴァは目を伏せあごを引き物思いにふけるように制止し息だけが長く吐かれた。ほんのりと光を明滅させる球体。息を吐き切り数刻してジヴァはあごを上げて胸を張り空っぽになった肺へ鼻から空気を送り込んだ。

 そして吸い込んだ空気の余剰分を口から吐き出すと結晶の球体にはだけていた布を丁寧にかけ直す。人形たちが運び出した階段を上ってジヴァはその場を去った。それと同時に部屋の明かりは消え棚板が敷き直されると地下室には暗闇と静寂が戻った。

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