ゴブリンロード

水鳥天

第74話 交渉


 ユウトは何も答えられない。思いもしなかった方向から不意打ちのような質問だった。脳はフル回転でその意味と質問の意味を解釈しようと努める。呼吸も忘れ体は硬直していた。

「どうしたんだい?そんなに答えることの難しい問いかねぇ」

 ジヴァは真っすぐな視線でユウトに投げかけてくる。ユウトは判断ができないでいた。

 ユウトがもともとこの世界で生きていた者でないとある程度の確信を持っている上での質問だろうということはユウトもわかっている。ただこのジヴァという人物に対してその特殊なユウトの出自を知られてしまうというリスクの底が見えないでいた。

「オレが異世界の住人であると考える根拠は何だ?」
「ふむ、やはりそうか。まぁ質問に答えよう。

 お前さんは今、二つの異なる方式で意思を伝えている。一つは声帯で空気を震わせる声、もう一つは魔力による意思の送信だ。同時に行えること自体は難しくない。先ほどのセブルもやっていたことだ。ただお前さんの場合、言語で伝える内容と魔力によって伝える内容に齟齬が見られる。

 ただの人がゴブリンの体へ意思や記憶を移されたのなら魔力で意志を同時に伝えたとしても違いはないだろう。だがお前さんから魔力によって伝えられる意思は口で伝えられるものよりもっと細やかに違う。

 私でも知らない言語体系。異世界からの来訪者という突拍子もない発想だができないと言い切れない。

 お前さんにも思い当たる節があるだろう。この世界でなぜ平然と言葉が通じるのか。それ原因はその過剰に高性能へ改良されたゴブリンの体が自然と翻訳してくれているからさ」

 ジヴァの話を聞いてユウトは初めて自身がこれまでにやってきた会話の脳内の過程を俯瞰し外側から思い起こす。あまりに自然に行われる脳内変換を初めて知覚した。そしてこれまでそのことに気づかなかった自身の鈍感さに嘆き驚く。今更ジヴァに異世界からやってきたものであるという事実を否定する気力もわかずユウトは天井を仰いで大きくため息をついて話し始めた。

「そうだ。オレはこの世界の生まれじゃない。もっとこことは違う場所で生活を送っていたただの人だ。どうしてこうなったのか想像もつかないよ。それでどうする?オレを解剖でもするか?」

 ジヴァはユウトの様子を見てこれまでのやり取りの中でもっとも嬉しそうに表情が明るい。

「ハハハッ、いい開き直りじゃないか、ユウト。
 事実もはっきりしたことだしここからは提案だよ。解剖なんて無粋なことはしないさ。
 私の興味はその記憶だ。私には生物の記憶を読み取り、保存し、閲覧する技術を持っている。その能力を使ってお前さんの持つ異世界の記憶を複製させて欲しいのさ」
「わからないな。ジヴァほどの知識を持っていてどうしてオレの知識を欲しがる。元の世界においてオレは何の技術も持たないただの一般人だったんだぞ」

 ふとユウトは後悔だけが残る前の世界のことを思い起こされ重ねて気が沈む

「わかってないのはお前さんのほうさ。世界が変われば前提が変わる。当たり前も既成概念も全てが違う世界で積み上げられる思想、技術はとても興味深い。新たな発想、着想は新鮮で面白さにあふれている。
 お前さんは気づいていないのさ。私の視点だからこそ見えてくる特別がある。だからお前さんの口伝ではなく記憶の写しが必要なのさ」

 ジヴァは前のめりで声色豊かに語る。それはまるで甘いお菓子を前にして我慢する子供のようだった。

 逆にユウトの精神は自身への反省の裏返しで落ち着きを取り戻し、さらにいつもより図々しさを得ている。この瞬間においてジヴァよりも冷静になっていた。

「その提案。受けるための対価を要求したい」
「ほぅ、それはなんだい?」

 聞き返すジヴァから一泊溜めて、ユウトは答える。

「ジヴァがオレの記憶から何かを得る度、オレへの貸しを蓄積させることだ」

 ユウトの要求を聞いたジヴァはそれまでの浮ついた様子が瞬時に消え去り反り返る大きな背もたれの椅子へ体を預けて足を組んで考え込む。口に手を当て真剣な表情で目を伏せた。

 ユウトにとって大一番の交渉。手のひらの上で弄ばれたことへの復讐、意趣返し。もちろんその意味はジヴァに伝わっているはずだった。断られてしまえばそれまで、自身の状況を悪化させてしまう可能性も十分にある。しかしそれを実行させるほどにこの屋敷に入ってからのユウトの精神、肉体は揺さぶられすぎていた。

 ジヴァが考え込んでからの静寂はどれほど続いたのかユウトはわからない。疲労と緊張のなかで時間の感覚も曖昧になりつつあった。

「いいだろう。その要求を呑もうじゃないか」

 ジヴァはゆっくりと立ち上がりはっきりと見下す意図を持って口の端を吊り上げながらユウトを見る。その表情にユウトは一瞬、感情の発露を見た。

「準備をする。そこで待ってな。
 見くびった私の落ち度かね。私もまだまだ若輩者だな」

 表情はすぐに戻り歩きだすジヴァは流し目に自嘲しながらそうユウトへ告げ、部屋の奥へと消えていく。ジヴァの後姿を見送って、脱力した身体が椅子から落ちそうになるのを慌てて踏みとどまった。

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