バツ×ばつ×バツ【下】
【真の敵!魂を弄ぶ者編】第五十三話 協力
魂だけではなく、肉体までが別のものと融合している。
近江さんの主張に俺は頭を捻った。死人憑きとなった大橋夫人の様子を見ても別のものが肉体に融合している、という傾向は見られなかった。
「よく視るんだ」
近江さんの言葉に従い、俺は集中して死人憑きから感じられる気配を霊視してみる。
すると、ぼんやりと黒い塊のようなものが不気味に蠢く姿が視えてきた。その黒い塊は確かに大橋夫人の体を蝕み、半身は既に取り込まれていた。霊視の力の無い人から見れば、大橋夫人が倒れているだけにしか見えないだろう。映像に収めようと携帯のカメラを向けている小暮は怪訝に目を細めて液晶画面と現実とを睨んでいた。
近江さんは真っ黒でぶくぶくと粘着質な泡を立てて蠢いているそれへ近寄った。
「厄介だな。気配はひとつだと思ったけれど、こんな事をしていたなんて」
続いて、俺と司も無抵抗の霊体に近寄り観察してみる。
時折、黒い粘着質な泡の中にかつての生物だった面影がひとつならず、何十も浮かび上がる。言うならば、それぞれの体の一部をひとつの生物に仕立てて接合し、ひとつの存在になっている。頭は人、胴は蛇、腕は蛙、足は猫といった具合に……
「どういう――まさか、複数の霊を」
「そうだな。複数の霊体をうまいこと、継ぎはぎにしている。確かに尋常じゃないが、何であれ、消せばいいだけの話だろう」
司は死人憑きの前へ出て手を構える。近江さんと俺は邪魔にならないように、脇へ退けた。
この構えは以前、文角高校に現れた屋倉夏菜子の霊を消した時と同じ、《咒葬》という術だ。司は慣れた動作で咒葬を黒い姿目掛けて放った。
「なに……?」
放たれた術は命中し、ぶくぶくと蠢く黒い体を分断したが、分断されただけで消えてはいなかった。術を放った司自身も、その様子に戸惑いを隠せないようだ。咒葬は、霊体を消滅させる術のはずだ。
司はもう一度、咒葬の構えをとる。
黒い塊が放たれた術によって分断された瞬間、纏わりつく黒い塊の内側に大橋夫人の姿が覗き、俺は叫んだ。
「待ってくれ。大橋夫人の魂は、まだ取り込まれてない!」
「だからどうした」
司は構えを止めてくれたものの、顔色ひとつ変えずに言った。
「大橋夫人の魂ごと、消すつもりなのか」
「夫人の腹部を見てみろ。内臓が取り出されている。魂を救ったところで、生き返りはしない」
倒れている大橋夫人の胴体に目をやると、衣服に隠れてはいるが、異様に腹部が凹んでいるのがわかる。そして、消毒液や薬品、ハーブの独特な臭いがほのかに漂っている。この臭いは死人憑きの施術がされている証拠だ。山辺警部らの報告で聞いた死人憑きの特徴と一致している。
「時間が惜しい」
九字の呪縛に抵抗しようと、死人憑きの体は痙攣していた。再び死人憑きが動き出せば、再びあの瘴気の刃が襲ってくるかもしれない。司は死人憑きに向き直る。
確かに、大橋夫人は肉体的に死んでしまっている。魂が無事であったとしても、肉体に生物としての機能が備わっていなければ戻る事はできない。
でも、それでいいのか? 俺は、それでいいとは思わなかった。
「《浄眼》を使わせてくれないか」
俺にできるのは、この力しかない。その思いつきが、咄嗟に言葉として出た。呆れた表情で司は俺を見る。
「一掃が最良の手だ。それとも、さっきのように危険な目に遭いたいのか、お前は?」
「それは……」
司の頬に付いた傷と、ヒガシTV久遠の腕に深く刻まれた傷は、この死人憑きが放った瘴気の刃が人の肉を容易く切り刻む力があると主張していた。下手をすれば、人の命さえも軽く奪ってしまう。きっとそれは、今の俺の力では太刀打ちできない。
「陽介くん、大丈夫。僕も居る」
近江さんは穏やかに微笑んで、俺の不安を拭ってくれた。
「僕は〝浄眼を使う〟に賛成するよ。こいつには、君の咒葬は効かないだろう」
「…………」
司は近江さんの言葉にもお構いなしに無言で構え、再び咒葬の術を黒い塊に浴びせた。
だが、近江さんの言う通り、先程と同様にぶくぶくと膨らんだ姿が分裂するだけで、黒い塊は消えなかった。大橋夫人の霊魂も無事のようだ。
「なぜ、効かない?」
二度ならず、三度までも。司は眉間に皺を寄せた。
分断された黒い塊は次第に大橋夫人を呑み込んで再生を始める。これではいくら術を放ってもキリがない。
「単純に雑霊を融合させた存在というわけではない、という事かな。性質は通常の霊や妖かしとは異なるみたいだ。厄介なモノを死人憑きに使ったものだね」
死人憑きにかかっていた九字の効力は薄まり、呪縛に抗おうと体中を痙攣させていた死人憑きの腕はついに自由を手に入れ、近江さんの足首に掴みかかった。
その様子に、後ろで携帯電話のカメラを回していた小暮は小さな悲鳴を上げる。
「近江さん!」
俺が叫ぶより早く、近江さんは大橋夫人もとい、死人憑きの細い首を片手で掴み、素早くコートの内側から燃え盛るような緋色の羽根を取り出し、首筋に突き立てた。死人憑きの動きは止まり、近江さんは死人憑きの手から逃れた。
「羽根の力が続く限り、肉体の動きと瘴気は封じられる。陽介くん、今の内に浄眼で大橋夫人と雑霊を切り離すんだ」
緊張はしていたが、俺は頷いて黒い塊の前に立つ。
「司くん、言霊は使えるね」
「ええ」
司は不機嫌そうな低い声で答えた。
言霊というのは、吉凶、更には人を操る事さえできるという言葉に宿る魔力だと聞いた事がある。
言葉を発せるのなら誰でも簡単に扱える魔法。心がこもっていれば殊更に強い力を発揮する魔法だ。いわば、俺達は日常的に魔法を使っているようなもので、ふとした一言が大きな災いを呼んでしまう事も、逆に幸運を呼び寄せる事もある、古くから人類が持つ強力な術。
しかし、近江さんが社司にわざわざ言霊が使えるか訊ねたのは、俺が知っている範疇ではないのだろう。
「言霊で陽介くんのサポートをしてくれないかな」
司の眉間に皺が寄るのを見た。俺にとっても、こいつの協力の下で浄眼を使うなんて不本意だった。
「俺がこいつのサポートを?」
「うん。浄眼は一対一での効果が望まれる方法だけど、今回は雑霊を融合させたものと大橋夫人を相手にしなければいけない。 どんなに慣れた浄眼の使い手であっても命綱がなければ危険だ。陽介くんの意識が持って行かれそうになったら、言霊で支えてほしい。死人憑きの動きは僕が封じておくから、頼むよ」
近江さんが頼み込んでも、司は無言だった。不本意とはいえ、俺はこいつのサポートを受けたくないと駄々をこねるほど毛嫌いしているわけじゃない。初対面からずっと、こいつが一方的に俺を嫌ってるだけなんだ。
「そんなに危険なんですか。俺一人でやるわけにはいきませんか」
こうなったら一人でだってやってやる、という意気で近江さんに提案するが、近江さんは首を横に振った。
「駄目だよ。融合した霊体の存在がどんなものか判らない中で、一人で浄眼を使うのは危険すぎる。陽介くんを危険の渦中に放り込むわけにはいかない。司くんができないなら僕が代わりをするけれど、言霊なら社家の人間が適しているはずだよ。昔から社家が榊野家を支えてきたようにね」
社家と聞いて、司の反応が一変した。
爺やとの事といい、封魔刀の事といい、司は降魔師としての社家に拘りを持っているのだろう。
「司様。ここは彼らと協力しましょう。今は迷っている暇などありません」
司は渋っていたが、月影さんはもう一押しと諭す。彼女の言葉でようやく司は了承の色を見せた。
「仕方ない。降魔一族宗家、榊野家の浄眼がどんなものか見ておくのも悪くない」
「ありがとう、司くん」
司は俺の横に立って、動きを封じられた死人憑きを見下ろす。
「俺の気が変わらない内にやるんだな」
「ああ。じゃあ、頼む」
俺は近江さんや司らが見守る中、深く息をついて意識を集中させた。
視線を大橋夫人の体に纏わり付く黒い塊に落とし、意識をその中に潜り込ませる。暗い空間にいくつもの動物の体の部位が見え隠れする中、俺は大橋一江夫人の意識を探して奥へ奥へと進んで行った。
近江さんの主張に俺は頭を捻った。死人憑きとなった大橋夫人の様子を見ても別のものが肉体に融合している、という傾向は見られなかった。
「よく視るんだ」
近江さんの言葉に従い、俺は集中して死人憑きから感じられる気配を霊視してみる。
すると、ぼんやりと黒い塊のようなものが不気味に蠢く姿が視えてきた。その黒い塊は確かに大橋夫人の体を蝕み、半身は既に取り込まれていた。霊視の力の無い人から見れば、大橋夫人が倒れているだけにしか見えないだろう。映像に収めようと携帯のカメラを向けている小暮は怪訝に目を細めて液晶画面と現実とを睨んでいた。
近江さんは真っ黒でぶくぶくと粘着質な泡を立てて蠢いているそれへ近寄った。
「厄介だな。気配はひとつだと思ったけれど、こんな事をしていたなんて」
続いて、俺と司も無抵抗の霊体に近寄り観察してみる。
時折、黒い粘着質な泡の中にかつての生物だった面影がひとつならず、何十も浮かび上がる。言うならば、それぞれの体の一部をひとつの生物に仕立てて接合し、ひとつの存在になっている。頭は人、胴は蛇、腕は蛙、足は猫といった具合に……
「どういう――まさか、複数の霊を」
「そうだな。複数の霊体をうまいこと、継ぎはぎにしている。確かに尋常じゃないが、何であれ、消せばいいだけの話だろう」
司は死人憑きの前へ出て手を構える。近江さんと俺は邪魔にならないように、脇へ退けた。
この構えは以前、文角高校に現れた屋倉夏菜子の霊を消した時と同じ、《咒葬》という術だ。司は慣れた動作で咒葬を黒い姿目掛けて放った。
「なに……?」
放たれた術は命中し、ぶくぶくと蠢く黒い体を分断したが、分断されただけで消えてはいなかった。術を放った司自身も、その様子に戸惑いを隠せないようだ。咒葬は、霊体を消滅させる術のはずだ。
司はもう一度、咒葬の構えをとる。
黒い塊が放たれた術によって分断された瞬間、纏わりつく黒い塊の内側に大橋夫人の姿が覗き、俺は叫んだ。
「待ってくれ。大橋夫人の魂は、まだ取り込まれてない!」
「だからどうした」
司は構えを止めてくれたものの、顔色ひとつ変えずに言った。
「大橋夫人の魂ごと、消すつもりなのか」
「夫人の腹部を見てみろ。内臓が取り出されている。魂を救ったところで、生き返りはしない」
倒れている大橋夫人の胴体に目をやると、衣服に隠れてはいるが、異様に腹部が凹んでいるのがわかる。そして、消毒液や薬品、ハーブの独特な臭いがほのかに漂っている。この臭いは死人憑きの施術がされている証拠だ。山辺警部らの報告で聞いた死人憑きの特徴と一致している。
「時間が惜しい」
九字の呪縛に抵抗しようと、死人憑きの体は痙攣していた。再び死人憑きが動き出せば、再びあの瘴気の刃が襲ってくるかもしれない。司は死人憑きに向き直る。
確かに、大橋夫人は肉体的に死んでしまっている。魂が無事であったとしても、肉体に生物としての機能が備わっていなければ戻る事はできない。
でも、それでいいのか? 俺は、それでいいとは思わなかった。
「《浄眼》を使わせてくれないか」
俺にできるのは、この力しかない。その思いつきが、咄嗟に言葉として出た。呆れた表情で司は俺を見る。
「一掃が最良の手だ。それとも、さっきのように危険な目に遭いたいのか、お前は?」
「それは……」
司の頬に付いた傷と、ヒガシTV久遠の腕に深く刻まれた傷は、この死人憑きが放った瘴気の刃が人の肉を容易く切り刻む力があると主張していた。下手をすれば、人の命さえも軽く奪ってしまう。きっとそれは、今の俺の力では太刀打ちできない。
「陽介くん、大丈夫。僕も居る」
近江さんは穏やかに微笑んで、俺の不安を拭ってくれた。
「僕は〝浄眼を使う〟に賛成するよ。こいつには、君の咒葬は効かないだろう」
「…………」
司は近江さんの言葉にもお構いなしに無言で構え、再び咒葬の術を黒い塊に浴びせた。
だが、近江さんの言う通り、先程と同様にぶくぶくと膨らんだ姿が分裂するだけで、黒い塊は消えなかった。大橋夫人の霊魂も無事のようだ。
「なぜ、効かない?」
二度ならず、三度までも。司は眉間に皺を寄せた。
分断された黒い塊は次第に大橋夫人を呑み込んで再生を始める。これではいくら術を放ってもキリがない。
「単純に雑霊を融合させた存在というわけではない、という事かな。性質は通常の霊や妖かしとは異なるみたいだ。厄介なモノを死人憑きに使ったものだね」
死人憑きにかかっていた九字の効力は薄まり、呪縛に抗おうと体中を痙攣させていた死人憑きの腕はついに自由を手に入れ、近江さんの足首に掴みかかった。
その様子に、後ろで携帯電話のカメラを回していた小暮は小さな悲鳴を上げる。
「近江さん!」
俺が叫ぶより早く、近江さんは大橋夫人もとい、死人憑きの細い首を片手で掴み、素早くコートの内側から燃え盛るような緋色の羽根を取り出し、首筋に突き立てた。死人憑きの動きは止まり、近江さんは死人憑きの手から逃れた。
「羽根の力が続く限り、肉体の動きと瘴気は封じられる。陽介くん、今の内に浄眼で大橋夫人と雑霊を切り離すんだ」
緊張はしていたが、俺は頷いて黒い塊の前に立つ。
「司くん、言霊は使えるね」
「ええ」
司は不機嫌そうな低い声で答えた。
言霊というのは、吉凶、更には人を操る事さえできるという言葉に宿る魔力だと聞いた事がある。
言葉を発せるのなら誰でも簡単に扱える魔法。心がこもっていれば殊更に強い力を発揮する魔法だ。いわば、俺達は日常的に魔法を使っているようなもので、ふとした一言が大きな災いを呼んでしまう事も、逆に幸運を呼び寄せる事もある、古くから人類が持つ強力な術。
しかし、近江さんが社司にわざわざ言霊が使えるか訊ねたのは、俺が知っている範疇ではないのだろう。
「言霊で陽介くんのサポートをしてくれないかな」
司の眉間に皺が寄るのを見た。俺にとっても、こいつの協力の下で浄眼を使うなんて不本意だった。
「俺がこいつのサポートを?」
「うん。浄眼は一対一での効果が望まれる方法だけど、今回は雑霊を融合させたものと大橋夫人を相手にしなければいけない。 どんなに慣れた浄眼の使い手であっても命綱がなければ危険だ。陽介くんの意識が持って行かれそうになったら、言霊で支えてほしい。死人憑きの動きは僕が封じておくから、頼むよ」
近江さんが頼み込んでも、司は無言だった。不本意とはいえ、俺はこいつのサポートを受けたくないと駄々をこねるほど毛嫌いしているわけじゃない。初対面からずっと、こいつが一方的に俺を嫌ってるだけなんだ。
「そんなに危険なんですか。俺一人でやるわけにはいきませんか」
こうなったら一人でだってやってやる、という意気で近江さんに提案するが、近江さんは首を横に振った。
「駄目だよ。融合した霊体の存在がどんなものか判らない中で、一人で浄眼を使うのは危険すぎる。陽介くんを危険の渦中に放り込むわけにはいかない。司くんができないなら僕が代わりをするけれど、言霊なら社家の人間が適しているはずだよ。昔から社家が榊野家を支えてきたようにね」
社家と聞いて、司の反応が一変した。
爺やとの事といい、封魔刀の事といい、司は降魔師としての社家に拘りを持っているのだろう。
「司様。ここは彼らと協力しましょう。今は迷っている暇などありません」
司は渋っていたが、月影さんはもう一押しと諭す。彼女の言葉でようやく司は了承の色を見せた。
「仕方ない。降魔一族宗家、榊野家の浄眼がどんなものか見ておくのも悪くない」
「ありがとう、司くん」
司は俺の横に立って、動きを封じられた死人憑きを見下ろす。
「俺の気が変わらない内にやるんだな」
「ああ。じゃあ、頼む」
俺は近江さんや司らが見守る中、深く息をついて意識を集中させた。
視線を大橋夫人の体に纏わり付く黒い塊に落とし、意識をその中に潜り込ませる。暗い空間にいくつもの動物の体の部位が見え隠れする中、俺は大橋一江夫人の意識を探して奥へ奥へと進んで行った。
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