バツ×ばつ×バツ【上】
【初仕事!姉妹編】第五話 姉妹
午前二時。
まだ日も昇らない時間だ。これから俺の降魔師としての初仕事が待っているわけなのだが、実感が沸かない。
降魔家業について知ったのは昨日の今日。降魔というのは霊媒師みたいなものだとしか知らされていない。
眠たい目をこすって起きた後、昨日渡された依頼の紙を見た。
《午前三時三十分、東雲公園前にて》
紙切れには寂しく待ち合わせ場所だけが書き込まれている。
東雲公園はここからさほど遠くない。歩いて十数分で着く場所だ。今朝食を済ませて家を出ても余裕ができる。
正直行きたくなかったが、俺の名前で請けたというのだから責任者は恐らく俺という事になっているのだろう。依頼を請けた(という事になっている)責任者がドタキャンすれば、榊野陽介の名前に傷が付く可能性がある。それだけじゃない、代々続いている家業というのだから、榊野家の家にも傷が付く事にもなり兼ねないのでは? 責任は重大だ。
俺は不安を胸に、仕方なく部屋着から着替え階段を降りた。
一階へ降りると居間から爺やが顔を出して笑顔で迎える。
「おはようございます。朝餉ができていますよ」
俺は顔を洗ってから、食卓へ着いた。千代助も起きており、一緒に朝食を食べたいとせがむので缶詰を出してやる。
「なあ爺や。この紙切れには待ち合わせ場所しか書いてないけど、依頼の詳細は?」
朝餉を口にしながら俺は爺やに訊ねた。
「依頼人の妹様が悪霊に憑かれ、困っていると伺っております。詳細は会ってみなければわかりませんが、除霊が妥当でしょうな」
「除霊? まさか、俺が?」
生まれついた霊視の力で幽霊や妖怪を視る目はある。会話くらいならできる。けど、これまで除霊、幽霊を消した経験は皆無だ。
「時が来れば解りますよ、坊ちゃん」
俺の問いに爺やはいつもの優しい笑みを浮かべてそう答えたが、不安で仕方ない。
爺やは俺が生まれる前から親父の補佐役として仕事をこなしていたベテランだ。必要な時には教えてくれるだろうと信じたい。というより、教えてくれなければ困る。
そうして朝餉を食べ終えた俺は、重い腰を上げて爺やと共に東雲公園へ向かうのであった。
                                ◆◇◆◇◆
薄暗い住宅街を歩き、約束の東雲公園前へ到着する。
公園の前には爺やと俺の二人だけで、まだ依頼人の姿はない。公園の中は静けさと不気味さを醸し出していた。
約束の三時三十分丁度、依頼人と思われる二十代くらいの若い女性が駆け足でやって来た。薄暗く人気のない時間に一人で外を歩せるのが憚られるくらいの、ボブヘアーの清楚系美人だ。
よく見ると、彼女の両手には革の手袋がはめられていた。袖なしシャツに手袋、見た目に違和感がある。
彼女は俺達の前に立つと、爺やのほうを向いて言った。
「降魔師の、榊野さんですか?」
「戸丸様ですね? こちらがご依頼を請け負いました、榊野陽介です。私は補佐役の社大文字と申します。この度はよろしくお願い致します」
爺やは丁寧に名乗った。ならって俺も「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。依頼を請けてくださって、ありがとうございます」
戸丸さんは顔を上げると、俺を数秒まじまじと見つめ無邪気な笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。お若いからてっきり助手のかたかと早とちりしてしまって」
どうやら戸丸さんは、爺やが依頼を請け負った人物だと思い込んでいたようだ。
「いえ、気にしないでください」
爺やと違って正真正銘の素人なのだから仕方がない。しかし美人を前に「今回が初仕事です」とも言えないし、下手をやらかしたらと思うと余計に緊張して体が強張る。
「でも良かった。もう手がつけられなくって困っていたんです」
「妹様はご自宅に?」
「はい。家まで案内します」
戸丸さんの先導で住宅街を縫うように歩く。道すがら、戸丸さんは事情を詳しく話してくれた。
彼女のフルネームは戸丸芽衣。芽衣さんは普段、出版関係の仕事に従事しており、今回悪霊に憑かれているという妹の雅美さんは中学三年生。両親は半年ほど海外に出張しており、近所に住む伯母夫妻に面倒を見てもらいながら姉妹で暮らしているそうだ。
「両親は今日、帰国が決まっているんです。お昼には着くというので、その前に解決できれば良いのですが」
悪霊に憑かれた妹をそのまま両親と対面させるわけにはいかない。芽衣さんはそう言った。できる事なら叶えてあげたい。依頼人が芽衣さんのような美人なら初めての仕事だって俄然(がぜん)やる気が湧くというものだ。
「妹さんの状態は?」
芽衣さんは表情を暗く落として答えた。
「それが……獣のように唸ったり、ほえたり、暴れて手がつけられないんです。触ろうとすると噛まれて酷いですし」
芽衣さんは街灯の下で着けていた手袋を外し、包帯を巻いた痛々しい手の甲を見せた。ところどころ血が滲んでしまっている。
「この傷はいつのものですか」
爺やは芽衣さんの手を覗き込んで訊ねた。
「もう一週間ほど経ちます。でも血が止まらなくて、ずっとこんな状態なんです」
「包帯を解いていただけますかな」
芽衣さんは爺やに言われ、手の包帯を取る。露わになった手の甲の傷は思ったより浅く、一週間と経たない内に治りかけてもおかしくない程度に見えた。
「もしや、雅美さんは霊に憑かれたのではなく……」
爺やは傷を見て、呟いた。
「え?」
爺やの呟きに芽衣さんは首を傾げる。
「いえ、雅美さんと対面する事が先決ですな。念のため、この軟膏をお使いください」
爺やは鞄から軟膏の入った容器を取り出して芽衣さんに渡した。野生の薬草を使った傷の治癒を促す薬だと爺やは説明する。
俺も何度かこの薬には世話になった覚えがある。悪霊に噛みつかれたり、引っ掻かれた時に爺やはこの軟膏を寄越した。恐らく、芽衣さんの手の甲の傷もそういった類の傷だと判断したのだろう。
気を取り直して歩き、街灯を二つ越えた先で芽衣さんは足を止めた。
「ここです、着きました」
芽衣さんに案内され着いた先は、どこにでもある閑静な住宅街の有り触れた二階建ての一軒家。
異様なのは、うめき声や激しく壁を叩く音が聞こえているという点だ。
苦情が入れられた事もあるのだろう、芽衣さんは家の前にさしかかった途端、申し訳なさそうに俯き、玄関の前へ足を運んだ。
「どうぞ、お入りください」
芽衣さんは自宅の扉を開き内玄関の明かりを点け、爺やと俺を家の中へ招いた。
二階から人とも獣ともつかないうめき声が聞こえ、硝子でも打ち付けるような騒音が響いている。
「あれが、雅美です。雅美が暴れているんです」
「二階におられるのですか」
「部屋に縛りつけているんです。かわいそうだけど、私じゃ手に負えなくて……」
芽衣さんの目から、涙がこぼれ落ちる。
「まずは、経緯をお聞かせ願えますかな」
爺やは芽衣さんに優しく声を掛ける。芽衣さんは一度階段の上を心配そうに見やってから、話し始めた。
「あれは――夏休みが始まったばかりの頃です。雅美は友人と肝試しに行くと言って、深夜に防風林のそばに建つ廃屋へ出かけて行ったんです。曰く付きだと言われていて、面白がって肝試しへ行く人が絶えない場所で……私はその日、生憎と仕事があって廃屋の話は聞いてたけれど、まさか行くなんて思っていなくて」
私が気を付けていれば、あの時止めていれば、と芽衣さんは頭を抱えた。
「芽衣さんのせいじゃないですよ。そんなに自分を責めないでください」
俺はそう声を掛けたが、芽衣さんは激しく頭を横に振り強く否定した。
「雅美が出掛ける前、私は家に居たんです。少しでも雅美が出て行く音に気付いて止めていれば、こんな事にはならなかった……! 雅美が肝試しへ出かけた翌日、雅美と一緒だった子から連絡があって捜索願いを出して、それからすぐ見つかったんですが、その時にはもう獣のような目をして私の言葉すらわからない様子で。出掛ければ通りすがりの人に噛み付こうとしたり、吠えたりひどくて。ご近所さんから〝憑き物〟じゃないかと言われて、名のある霊能者にお祓いを頼んだのですが、結局効果がなくて……」
芽衣さんは悔しそうに、ぎゅっと手のひらを固く握りしめる。
「それで私共に依頼を」
「そうです。いつも面倒を見てくれている伯母が紹介してくれました。降魔師なら確かだと。どうか、雅美を元に戻して下さい! 日に日に狂暴になって、今は……今では、棚に雅美を縛り付けて身動きを封じるしか、私にはできないんです!」
芽衣さんの静かな叫びは、俺の耳に痺れを残した。芽衣さんは今にも泣きそうな勢いで息を荒くしている。
「わかりました。ここから先は、私共が引き受けます。引き続きご案内を頼んでもよろしいでしょうか」
爺やはソファから立ち上がり、雅美さんの居る部屋への案内を頼んだ。芽衣さんは「お願いします」と頭を下げて俺と爺やを二階へ案内する。
階段を一段一段上る度、俺に雅美さんを救える力はあるんだろうか? そんな不安が心を支配していく。
「大丈夫です、坊ちゃんならできます」
不安が表情に出ていたのか、爺やは笑顔を作って俺に言った。
そもそも爺やが無理矢理俺の初仕事として受けた依頼だ。爺やに励まされてもなんだか腑に落ちない。と、こっそり口を尖がらせる。
戸丸家二階の造りは至ってありふれた構造となっており、廊下を挟んで三部屋あるようだ。廊下の突き当りにある部屋には真新しい錠前がつけられていた。そこに雅美さんが居るのが窺える。早く解放しろと言わんばかりに、俺達の足音が近づくにつれ唸り声と暴れる音が激しくなる。
芽衣さんはドアをノックし「雅美、入るよ」と一声かけてから錠前を外し、ゆっくりとドアを開いて部屋に足を踏み入れた。俺と爺やも芽衣さんに続いて入る。
薄暗い部屋の中に、少女が棚に縄で縛り付けられている様子が浮かび上がる。彼女の眼は人のものではない光を帯び、その口からは犬のような唸り声を漏らしている。
「雅美、まさみ。私よ、お姉ちゃんよ。わからない?」
少女は姉の呼びかけに応えるように大きく口を開けて牙を剥く。その姿はもはや、人間には見えなかった。
まだ日も昇らない時間だ。これから俺の降魔師としての初仕事が待っているわけなのだが、実感が沸かない。
降魔家業について知ったのは昨日の今日。降魔というのは霊媒師みたいなものだとしか知らされていない。
眠たい目をこすって起きた後、昨日渡された依頼の紙を見た。
《午前三時三十分、東雲公園前にて》
紙切れには寂しく待ち合わせ場所だけが書き込まれている。
東雲公園はここからさほど遠くない。歩いて十数分で着く場所だ。今朝食を済ませて家を出ても余裕ができる。
正直行きたくなかったが、俺の名前で請けたというのだから責任者は恐らく俺という事になっているのだろう。依頼を請けた(という事になっている)責任者がドタキャンすれば、榊野陽介の名前に傷が付く可能性がある。それだけじゃない、代々続いている家業というのだから、榊野家の家にも傷が付く事にもなり兼ねないのでは? 責任は重大だ。
俺は不安を胸に、仕方なく部屋着から着替え階段を降りた。
一階へ降りると居間から爺やが顔を出して笑顔で迎える。
「おはようございます。朝餉ができていますよ」
俺は顔を洗ってから、食卓へ着いた。千代助も起きており、一緒に朝食を食べたいとせがむので缶詰を出してやる。
「なあ爺や。この紙切れには待ち合わせ場所しか書いてないけど、依頼の詳細は?」
朝餉を口にしながら俺は爺やに訊ねた。
「依頼人の妹様が悪霊に憑かれ、困っていると伺っております。詳細は会ってみなければわかりませんが、除霊が妥当でしょうな」
「除霊? まさか、俺が?」
生まれついた霊視の力で幽霊や妖怪を視る目はある。会話くらいならできる。けど、これまで除霊、幽霊を消した経験は皆無だ。
「時が来れば解りますよ、坊ちゃん」
俺の問いに爺やはいつもの優しい笑みを浮かべてそう答えたが、不安で仕方ない。
爺やは俺が生まれる前から親父の補佐役として仕事をこなしていたベテランだ。必要な時には教えてくれるだろうと信じたい。というより、教えてくれなければ困る。
そうして朝餉を食べ終えた俺は、重い腰を上げて爺やと共に東雲公園へ向かうのであった。
                                ◆◇◆◇◆
薄暗い住宅街を歩き、約束の東雲公園前へ到着する。
公園の前には爺やと俺の二人だけで、まだ依頼人の姿はない。公園の中は静けさと不気味さを醸し出していた。
約束の三時三十分丁度、依頼人と思われる二十代くらいの若い女性が駆け足でやって来た。薄暗く人気のない時間に一人で外を歩せるのが憚られるくらいの、ボブヘアーの清楚系美人だ。
よく見ると、彼女の両手には革の手袋がはめられていた。袖なしシャツに手袋、見た目に違和感がある。
彼女は俺達の前に立つと、爺やのほうを向いて言った。
「降魔師の、榊野さんですか?」
「戸丸様ですね? こちらがご依頼を請け負いました、榊野陽介です。私は補佐役の社大文字と申します。この度はよろしくお願い致します」
爺やは丁寧に名乗った。ならって俺も「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。依頼を請けてくださって、ありがとうございます」
戸丸さんは顔を上げると、俺を数秒まじまじと見つめ無邪気な笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。お若いからてっきり助手のかたかと早とちりしてしまって」
どうやら戸丸さんは、爺やが依頼を請け負った人物だと思い込んでいたようだ。
「いえ、気にしないでください」
爺やと違って正真正銘の素人なのだから仕方がない。しかし美人を前に「今回が初仕事です」とも言えないし、下手をやらかしたらと思うと余計に緊張して体が強張る。
「でも良かった。もう手がつけられなくって困っていたんです」
「妹様はご自宅に?」
「はい。家まで案内します」
戸丸さんの先導で住宅街を縫うように歩く。道すがら、戸丸さんは事情を詳しく話してくれた。
彼女のフルネームは戸丸芽衣。芽衣さんは普段、出版関係の仕事に従事しており、今回悪霊に憑かれているという妹の雅美さんは中学三年生。両親は半年ほど海外に出張しており、近所に住む伯母夫妻に面倒を見てもらいながら姉妹で暮らしているそうだ。
「両親は今日、帰国が決まっているんです。お昼には着くというので、その前に解決できれば良いのですが」
悪霊に憑かれた妹をそのまま両親と対面させるわけにはいかない。芽衣さんはそう言った。できる事なら叶えてあげたい。依頼人が芽衣さんのような美人なら初めての仕事だって俄然(がぜん)やる気が湧くというものだ。
「妹さんの状態は?」
芽衣さんは表情を暗く落として答えた。
「それが……獣のように唸ったり、ほえたり、暴れて手がつけられないんです。触ろうとすると噛まれて酷いですし」
芽衣さんは街灯の下で着けていた手袋を外し、包帯を巻いた痛々しい手の甲を見せた。ところどころ血が滲んでしまっている。
「この傷はいつのものですか」
爺やは芽衣さんの手を覗き込んで訊ねた。
「もう一週間ほど経ちます。でも血が止まらなくて、ずっとこんな状態なんです」
「包帯を解いていただけますかな」
芽衣さんは爺やに言われ、手の包帯を取る。露わになった手の甲の傷は思ったより浅く、一週間と経たない内に治りかけてもおかしくない程度に見えた。
「もしや、雅美さんは霊に憑かれたのではなく……」
爺やは傷を見て、呟いた。
「え?」
爺やの呟きに芽衣さんは首を傾げる。
「いえ、雅美さんと対面する事が先決ですな。念のため、この軟膏をお使いください」
爺やは鞄から軟膏の入った容器を取り出して芽衣さんに渡した。野生の薬草を使った傷の治癒を促す薬だと爺やは説明する。
俺も何度かこの薬には世話になった覚えがある。悪霊に噛みつかれたり、引っ掻かれた時に爺やはこの軟膏を寄越した。恐らく、芽衣さんの手の甲の傷もそういった類の傷だと判断したのだろう。
気を取り直して歩き、街灯を二つ越えた先で芽衣さんは足を止めた。
「ここです、着きました」
芽衣さんに案内され着いた先は、どこにでもある閑静な住宅街の有り触れた二階建ての一軒家。
異様なのは、うめき声や激しく壁を叩く音が聞こえているという点だ。
苦情が入れられた事もあるのだろう、芽衣さんは家の前にさしかかった途端、申し訳なさそうに俯き、玄関の前へ足を運んだ。
「どうぞ、お入りください」
芽衣さんは自宅の扉を開き内玄関の明かりを点け、爺やと俺を家の中へ招いた。
二階から人とも獣ともつかないうめき声が聞こえ、硝子でも打ち付けるような騒音が響いている。
「あれが、雅美です。雅美が暴れているんです」
「二階におられるのですか」
「部屋に縛りつけているんです。かわいそうだけど、私じゃ手に負えなくて……」
芽衣さんの目から、涙がこぼれ落ちる。
「まずは、経緯をお聞かせ願えますかな」
爺やは芽衣さんに優しく声を掛ける。芽衣さんは一度階段の上を心配そうに見やってから、話し始めた。
「あれは――夏休みが始まったばかりの頃です。雅美は友人と肝試しに行くと言って、深夜に防風林のそばに建つ廃屋へ出かけて行ったんです。曰く付きだと言われていて、面白がって肝試しへ行く人が絶えない場所で……私はその日、生憎と仕事があって廃屋の話は聞いてたけれど、まさか行くなんて思っていなくて」
私が気を付けていれば、あの時止めていれば、と芽衣さんは頭を抱えた。
「芽衣さんのせいじゃないですよ。そんなに自分を責めないでください」
俺はそう声を掛けたが、芽衣さんは激しく頭を横に振り強く否定した。
「雅美が出掛ける前、私は家に居たんです。少しでも雅美が出て行く音に気付いて止めていれば、こんな事にはならなかった……! 雅美が肝試しへ出かけた翌日、雅美と一緒だった子から連絡があって捜索願いを出して、それからすぐ見つかったんですが、その時にはもう獣のような目をして私の言葉すらわからない様子で。出掛ければ通りすがりの人に噛み付こうとしたり、吠えたりひどくて。ご近所さんから〝憑き物〟じゃないかと言われて、名のある霊能者にお祓いを頼んだのですが、結局効果がなくて……」
芽衣さんは悔しそうに、ぎゅっと手のひらを固く握りしめる。
「それで私共に依頼を」
「そうです。いつも面倒を見てくれている伯母が紹介してくれました。降魔師なら確かだと。どうか、雅美を元に戻して下さい! 日に日に狂暴になって、今は……今では、棚に雅美を縛り付けて身動きを封じるしか、私にはできないんです!」
芽衣さんの静かな叫びは、俺の耳に痺れを残した。芽衣さんは今にも泣きそうな勢いで息を荒くしている。
「わかりました。ここから先は、私共が引き受けます。引き続きご案内を頼んでもよろしいでしょうか」
爺やはソファから立ち上がり、雅美さんの居る部屋への案内を頼んだ。芽衣さんは「お願いします」と頭を下げて俺と爺やを二階へ案内する。
階段を一段一段上る度、俺に雅美さんを救える力はあるんだろうか? そんな不安が心を支配していく。
「大丈夫です、坊ちゃんならできます」
不安が表情に出ていたのか、爺やは笑顔を作って俺に言った。
そもそも爺やが無理矢理俺の初仕事として受けた依頼だ。爺やに励まされてもなんだか腑に落ちない。と、こっそり口を尖がらせる。
戸丸家二階の造りは至ってありふれた構造となっており、廊下を挟んで三部屋あるようだ。廊下の突き当りにある部屋には真新しい錠前がつけられていた。そこに雅美さんが居るのが窺える。早く解放しろと言わんばかりに、俺達の足音が近づくにつれ唸り声と暴れる音が激しくなる。
芽衣さんはドアをノックし「雅美、入るよ」と一声かけてから錠前を外し、ゆっくりとドアを開いて部屋に足を踏み入れた。俺と爺やも芽衣さんに続いて入る。
薄暗い部屋の中に、少女が棚に縄で縛り付けられている様子が浮かび上がる。彼女の眼は人のものではない光を帯び、その口からは犬のような唸り声を漏らしている。
「雅美、まさみ。私よ、お姉ちゃんよ。わからない?」
少女は姉の呼びかけに応えるように大きく口を開けて牙を剥く。その姿はもはや、人間には見えなかった。
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