神様のいないセカイ(Novel Version)

Pt.Cracker

EX【盲目の少女】暗闇に見た光

 ダミアン皇帝の婚礼の日、エドの街に皇帝が到着した直後に反乱軍が動き、暴動に続き強制労働者たちが逃亡するという事態が発生した。
 少女は皇帝の婚礼という祝祭を自宅で祝っていたが、逃亡中の少年ミカと出会い、大人たちが彼女に隠してきた真実を知る。
 少女イオは少年を逃すために、父の振り下ろした剣の刀身を頭部に受けてしまった。刃は当たらなかったものの、頭部への重い一撃は頭蓋骨を折り、反乱軍とナセルトゥール軍との交戦により街の医療従事者は出払っていたため、すぐに治療を受けることはできなかった。
 意識を失った少女が目を覚ましたのは、皇帝ダミアンが反乱軍により崩御したと伝わり国中は慌ただしくなり始めた頃だ。
 暗闇の中、ここがどこなのか判断するのに時間はかかったが、昼間で、自分がふかふかの布団の上であることや周囲の人の気配から、自宅ではなく、診療所にいるくらいは分かった。
 診療所の責任者という女性医師は優しくイオが失明してしまったこと、そして恐らくは二度と視力が戻らないと説明した。
 これまで見ていた色とりどりの世界を見られなくなってしまったことに絶望感じたが、周囲の励ましもあって暗い気持ちは数日で止んだ。
 しかしすぐ立ち直れた一番の理由は、周囲の励ましよりも、少年をかばったことを後悔していなかったからだ。視力を失ったのは、自分が初めて他人のために行動した勲章だと思えたからだ。

 気持ちがようやく落ち着き、慣れない視界にも違和感がなくなってきた頃。
 布団の上で窓から流れ込む風の音や匂いを静かに感じ取っていると、室内の方から懐かしい匂いが鼻をくすぐる。近くに椅子が置かれ、誰かが座る。
 ……父のカーティスだ。
 意識を失ってから今までの数日、カーティスの取り乱し様を見た医師は面会謝絶としていたため、これが久々の再会となる。
 父の暫しの沈黙に、思い詰めた様子が窺える。

「お父さん?」

 このままでは、黙って帰ってしまう雰囲気もあり、イオから声をかけた。動作の音から、背を伸ばしたり屈んだりと緊張しているようだったが、父はようやく口を開いた。

「……イオ、本当にすまないことをした。目が、見えないんだって?」

 いつも堂々としていた父の久々の声は、どこか泣いてしまいそうなほど震えていた。精一杯、優しく答えようとイオは穏やかな口調を心がける。

「わたしは大丈夫よ、お父さん。目は見えないけれど、こうしてお父さんとおしゃべりできるし、体のほうはなんともないもの」

「あの少年にも、謝らなくてはならないな……」

 ミカのことだ。

「無事でいるといいな」

 皇帝亡き今、皇帝の忠臣たちは反乱軍によって処刑され、父のような衛兵を含め皇帝に仕えていた者たちは解散させられたという。
 医師から聞いた話では、ミカのような強制労働にあっていた人々は保護され、施設で最低限の衣食住が用意されたのだとか。街に残っていたら、ミカも施設の中にいるかもしれない。

「お父さん、時間があれば、保護された人たちの施設に行ってミカを探してきて。わたしからも謝りたいの」

「ああ。もちろんだ」

 父の温かな両手がイオの小さな手を包み込む。

「イオ」

「なあに?」

 ぎゅっと手のひらを力強く握られる。その父の両手はまるで祈るように組まれていた。

「私は、愚かだった。イオには幸せな世界だけを見せてやればいいと、沢山のことを隠してきた。母さんのこともそうだ」

「えっ? お母さんのこと?」

「母さんが死んでしまったのは、事故なんかじゃない。私が皇帝に逆らったせいで、殺されたんだ」

『きみはわからないから、笑っていられるんだ!』

 イオはミカの言葉を思い出す。
 国の略奪についても、強制労働者のことも、母の死の真実でさえ、何ひとつ知らなかったのだ。何も知らず、彼らが過酷な日々を送る中、自分の楽しみだけを求めて近所の子供と遊び、食事を頬張り、贅沢な生活をしていた。
 まだ子供とはいえ、知っていたら、もっと別の考え方があったのではないか、ミカを助けてあげられたのではないか。
 それでも、今の父を責める気にはなれなかった。父は昔から真面目で正義感が強く、家族思いだった。母も生前、父のそんなところが自慢だと誇らしげに言っていた。父は父なりに、家族の幸せを考えてくれていた。そして、父も被害者であったのだ。
 どんなに願っても、後悔しても、過ぎてしまったことは、起こってしまったことは覆せない。

「……お父さん、教えてくれてありがとう」

 きっと父も苦しんだはずだ。イオは父の両手を握り返した。

「もう、皇帝はいない。怯える必要もなくなった。退院したら、二人でゆっくり過ごそう。父さんは、仕事を探さないといけないが、前よりは一緒にいられる時間があるから」

「うん」

 父と一緒にいられると知って、イオは嬉しかった。それと同時に、自分が盲目であることが父にとって生活の中で障害にならないかという不安も抱いていた。



                            △▼△▼△▼



 イオが診療所から退院する日。
 父娘は医師に礼を述べ、建物を後にしようとしたところだ。

「お嬢さんの退院、おめでとうございます」

 入り口に一人の青年が立ち、淡い黄色の花の可愛らしい花束を差し出す。

「あなたは……! その折はありがとうございました!」

 青年に対する父の様子にイオが首を傾げていると、父は青年から受け取った花束をイオの両手に渡し、青年を紹介した。

「イオ、この人はお前を助けてくれた恩人なんだ。あの時、騒動でどこも医師が出払ってしまっていたが、彼、ガッサンさんが迅速にこの診療所へ案内してくれたから、適切な処置を受けることが出来たんだよ」

 ガッサンという青年は首を横に振った。

「や、医師が出払っていたのも元々はジブンたち反乱軍のせいだったんす。一般人が困ってるのに、無視するわけにはいきませんっしたから。当たり前のことをしたまでです」

 イオの中で反乱軍というと、以前は聞こえが悪かったが、母の死の真相、そしてミカという少年のことを知った今は反乱軍は恐ろしい皇帝から国を救ってくれたヒーローのようにすら思える。
 丁寧に話そうとする中、癖なのかどうしても砕けた言い方になってしまうガッサンのしゃべり方に親しみがわき、イオは緊張を解いて笑った。

「助けてくれて、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 イオの差し出した片手にガッサンは応じ、握手を交す。

「お嬢さんの目が不自由なことで生活に不便があったら、何でも言ってください。診療所の責任者はジブンの姉なんで、少しは融通できると思うっす」

「ありがとうございます。本当に何と言っていいか……」

 ガッサンの手厚い心遣いに、父は涙でも流しそうな声を出していた。以前に比べ、随分と涙もろくなってしまったようだが、イオはそんな父も好きになれそうだと嬉しく思ってしまう。

「あっ、忘れるとこだったっす!」

 ガッサンは急に何やら思い出した様子で腰に下げていた布製の鞄の中をまさぐり、一通の封筒を取り出す。

「実は、ジオ様からカーティス殿に言付けを預かってます。念のためと、この封筒に入ってる書面にもしたためてありますんで、ジブンの説明が足りないかもしれないんで後で確認してください」

 ガッサンは封筒をカーティスに渡す。

「なんと、ジオ様が?!」

 カーティスは驚いて飛び退いてしまいそうな声を出した。父の驚き様に、イオもびっくりしてしまう。
 ジオ、というのは、反乱軍の指導者の名前だ。現在、皇帝がいなくなったナセルトゥールを立て直すために代表として奔走し、巧みな交渉により他国からの侵攻を防ぎ、たった一週間で十の国に新体制への協力を得たという噂が立っている時の人である。
 その出生は亡き皇帝ダミアンの異母弟にあたり、正真正銘の王族だ。新ナセルトゥール皇帝になるのではと強い支持を集めている。

「カーティス殿がナセルトゥール軍エド支部、衛兵隊士官であったことを受け、その知識と経験を活かし新ナセルトゥールの体制に配備する防衛軍のため、指導者としてご協力いただきたい……とのことです。無理強いはしないそうですから、考えてみてください。ジブンも防衛軍の一人としてお願いします」

「それは、とても有り難い申し出だが……」

 イオは父の視線を感じ、首を振った。

「お父さん、わたしなら大丈夫よ。お仕事のお誘いなんでしょう」

 イオは父の足かせになってしまうのが嫌だった。生活するためには、お金が必要だ。そのためには働かなくてはならないし、イオの受けた傷や盲目について医師の説明では定期的に後遺症がないか通院しなくてはならず、もちろん通院も無料でできるものではない。
 父は蓄えがあるから大丈夫と言ったが、貧しいわけではなくとも働かなければ底を尽きてしまう。
 それに父は、仕事人間である。家にいるより、仕事をしている時間のほうが生き生きとしていることを、イオは知っていた。

「しかし、イオ」

「新しい国の偉い人からお父さんに頼みたいって、すごいことでしょ?」

「答えはすぐじゃなくても良いんで、決まったら宮殿の守衛まで今お渡しした封筒を見せてください。ジブンか、ジオ様が話しを聞きますんで」

「……わ、わかった。前向きに考えていると伝えてください」

「はい! それではジブンはこれで失礼します。お嬢さんも、カーティス殿もお元気で」

 ガッサンが頭を下げ、去って行く。去り際に、手を振っていたかもしれない。

「わたし、目が不自由でもきちんと自分で生活できるようにがんばるから、お父さんは自分のやりたいことをやってね」

 ガッサンが去った後だからこそ、念を押して父に伝える。

「ありがとう、イオ。だが、そんなに父さんに気を遣うことはないんだよ。わがままだって言っていい。まだ、お前は幼いんだから」

「わたしだって、すぐ大人になるんだから」

「ははは、そうだな。ふふ、それじゃあ、帰ろうか」

「うん!」

 父の温かい手のひらがイオの手を引き、二人は家までの道のりをゆっくりと歩いて行く。
 母が生きていた頃の優しい父が戻ってきたようで、イオは嬉しかった。



 ――その後、皇帝亡き後のナセルトゥールの新体制により人々は不安を抱いていたが、新体制が国民に受け入れられるまでにそれほど時間は要さなかった。ナセルトゥールの法律改正や治安の強化により、指導者ジオを支持する声は次第に大きくなって行く。
 しかし、指導者ジオが王族であるために、王制継続派と共和制派と国内の勢力を二分にしてしまう。
 そして数年後の、イオとカーティスはというと。
 カーティスは軍の士官であった知識を活かし、防衛軍の力になると決意し、若い兵士たちに教鞭を振るうことになり、イオはミカを探して施設を訪ねていたのを切っ掛けに院長の提案で孤児院で子供の面倒を見る仕事に就いた。
 あれからナセルトゥール中の施設という施設の話を寄せ集めたが、結局ミカの生存を確認できなかった。
 ただ無事であってほしいと祈る日々の中、彼女は銀細工のスカラベのペンダントを身につけた、アルシャムスの傭兵の噂を聞くことになるのだった。

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