神様のいないセカイ(Novel Version)

Pt.Cracker

Episode2 血塗られた手(2/2)

 見張りの休憩所は、鉱山の少し険しい道を通った先にあった。エラ・シムーの砦のひとつとなったシェバの崖があり景色は拓ける。丁度、ここから隣国を展望できるため、普段はここに見張りを立たせているのだろう。

「さあ、この中だ。労働部屋よりは話しやすいだろう?」

 休憩所のドアを開けると、中には母イマーンの姿があり、ミカは感動のあまりに目を見開いた。

「……ミカ!」

 イマーンも同じ気持ちだった。ミカの姿を見て、すぐさま駆け寄った。二人は久々の再会を喜び、抱き合う。

「母さん!」

「ミカ……無事で良かった…………」

 手は日焼けでシミだらけになり、随分と痩せてしまっていたが、確かに母だ。ミカもまた、母から見れば痩せこけ、変わってしまったかもしれない。
 母の目尻に涙が浮かぶのを見て、ミカは久し振りの母に甘えたい気持ちになった。
 ファヒムは外の様子を窺ってから、そっと小屋のドアを閉め、イマーンに向き直った。

「考えてくれましたか? イマーンさん」

「…………」

 彼の一言で母から笑顔が消え、急に不安が襲い来る。

「母さん?」

 母はうつむき、暗い面持ちで床を見つめる。

「あの、三人で話って……」

 嫌な予感がした。母の安否ばかりを気にして、当の母親を目前に、他のことまでは警戒していなかったのだ。

「私は君のお母さんに 結婚を申し込んだが……彼女は 君の意見を聞きたいと、答えを出してくれなくてね。君の意見を聞かせてほしいんだ。私とお母さんが結婚すれば、君も、お母さんも、労働をしなくてもいいし、寝床や食事にも困らなくなる。身の安全も 私が保障する。良い話だろう?」

 まるで悪徳なセールスだ、と思った。
 エラ・シムーを奪い、嘲笑しておきながら、エラ・シムーでも信心深い母を奪おうとしている。まさか、母はこの男の求婚に応じたのだろうかと、ミカは母を見た。

「ミカ……私は、ミカをこれ以上苦しませたくない。ミカが一言、いいよって言ったら──お母さんは、ファヒム中佐と 結婚してもいいと考えてるの」

 そう答える母の表情は暗かった。この男との結婚は、望んでいないのだ。しかし、イマーンは断れば自分だけではなく、息子であるミカも酷い目に遭わされると考えたのだろう。
 母はミカの無事を思い「いいよ」という答えを待っているようだった。

「そんな、それって……それじゃ、父さんは? 父さんはどうなるの?!」

 エラ・シムーでは、一度婚姻を結べば、四女神の許可なく心を離すことは許されない。信心深い母が女神を、そして父を裏切ろうとしていることに、ミカはこれまでに経験したことのない焦燥感、憤り、もどかしい気持ちでいっぱいになっていた。

「ボクデン氏のことだね?」

 ファヒム中佐は、人の良さそうな笑みを浮かべて二人に近付いた。

「残酷だが、君のお父さんは戦争中に亡くなってしまったんだ。彼女と結婚すれば、私が新しく君のお父さんになる。イマーンも、君も、私が守ると約束しよう」

 紳士的な物腰でミカに視線を合わせて言ったが、ミカはその笑顔、その態度が演技であることを悟っていた。

「……嫌だ。ぼくの父さんは一人だよ」

 母は、困惑してミカを見た。ミカは震える母の手を両手で握り締め、必死に訴えかける。

「母さん、言ってたよね? 自慢の父さんだって。神様の前で、一生を誓った人だって……! あれはウソだったの? 母さんはもう、父さんを愛してないの?!」

「ミカ…………」

 ミカの後ろにいるファヒムはまだ笑みを浮かべていたが、顔中が引きつって、今にも怒りを浮かべそうだった。
 逆らえばどうなるかわかっているのかと、高圧的な眼差しをイマーンに向けてきた。
 自分の膝元で泣きじゃくるミカを見て、イマーンは決意した。

「…………いいえ、お母さんは今もお父さんを愛しているわ」

 優しい眼差しで、ミカの頭を撫で、肩を抱き、愛情を表現する。
 そしてイマーンはファヒムの目を見て、はっきりと答えた。

「もし、ボクデンが死んでしまったのだとしても、私はずっと彼を愛しています」

「それは、私の求婚を〝断る〟ととらえても良いのですか?」

「……はい」

 ――沈黙が流れた。
 ファヒムの肩が揺れる。

「……っく、くくく。馬鹿な。一時の気の迷い、ですよね?」

 まだ猶予ゆうよをやろう、と、男の狂気を帯びた眼差しは語っていた。
 母子はお互いを見やって、大きく頷いた。

「ぼくは、どんなに辛くても構わない。ぼくたちの家を奪った人に、母さんは渡さない!」

「夫を、息子を、神を裏切るわけにはいきません」

 ファヒムは紳士的な演技を止め、ズカズカと足音を立てて入り口の近くに移動し、見張り用の剣に手をかけた。

「……神様、ね。それなら……こちらにも 考えがあります」

 すら、と刀身の抜かれる音が部屋の空気を凍り付かせる。

「知っていますか……? 私の国の神の教えに、〝手に入らないものは壊してしまえ〟という信条があるんですよ……!!!」

 ファヒムは剣の刃を、ミカの首目がけて振った!

「やめてーーーッ!」

 イマーンは叫んだ。
 ミカは一瞬の出来事に、何が起きたか理解できなかった。目の前がふさがれ、暖かいものが腕や頬をぬらす。
 床にどさりと重いものが落ち、血飛沫を浴びたファヒムの姿が目の前に現れる。

「ミ、カ……どう、か、生き、て……」

 喉の奥からようやくひねり出した、か細く震えた声が床から聞こえ、視線を落とす。
 母が自分の身代わりになって斬られたのだと、ようやく気付き、恐怖と悲しみで涙があふれ、動悸が止まらなくなる。
 ファヒムは驚いた表情で真っ赤に染まっていくイマーンを見下ろしていたが、ははは、と笑ってミカを見据えた。

「異教徒と、分かち合えると思ったのが間違いだった。残念だよ」

 剣の切っ先を振るい、付着した血を払う。

「子供一人じゃ可哀想だからな……せめてもの情けだ。お前も、すぐに親のところへ 送ってやる」

 再び、ファヒムの構えた剣の切っ先はミカをとらえていた。

(怖い……!!!)

 入り口はファヒムの後ろにある。ミカの近くにあるものは、机と椅子。倒れた母のが二人をへだて、ファヒムの行動を制限しているため、投げつけられるものがあれば隙を生み出せるかもしれないと、ミカは他に適した物がないか見回す。
 今、動かせるのは椅子しかない。

「そう怯えなくても、すぐ終わらせてやるから安心しろ。ガキの一匹や二匹、慣れたものだ。ギャーギャーわめかれても、余計に腹が立つしな」

 ファヒムはじわじわと距離を詰めてくる。入り口から離れてくれたら、椅子を投げつけて、怯んだ内に逃げる。頭に図を思い描き、片手で椅子の背もたれを持つ。

(……今なら……!)

 ファヒムが剣を振り上げた拍子に、ミカは椅子を持ち上げて投げ飛ばした!

「うわっ?!」

 椅子に剣を取られ、体勢を崩す。その隙にミカは入り口へ駆け出した!
 このまま逃げようと急いでドアを開けようとするが、鍵がかかっているのか開かない。固く握った拳で激しくドアを叩き付け、助けを呼ぶ。

「誰か! 誰か……っ!!! 助けて! ここから出して!!!」

 ファヒムは椅子の背もたれに絡まった剣を抜き、ミカに向き直った。

「残念だったな。今、外には誰もいない。いや……正確には、いたとしてもお前の声など、誰も聞きはしない。死んだ神の国の人間は、死んだも同じだからなあ!!!」

 ファヒムはミカの喉元を目がけて、剣の先で突く。ミカは足下に落ちていたランプをとっさに拾い、ひと突きを免れた。

「違う! 神様は、死んでなんかいない!!!」

 次の一撃が繰り出される前に、ミカは目をつむり、ランプを力強く投げつけた。この抵抗が無駄であったのなら、次の瞬間に首が飛ぶだろうと覚悟していた。
 が、ランプのガラスが砕け、金属がぶつかり合う激しい音の直後に聞こえたのは、ファヒム、その男の断末魔の叫びだった。
 ランプがファヒムの兜に命中し、ガラスの破片が顔面に深く突き刺さったのだ。
 沈黙の間、床の上で苦しそうに痙攣けいれんを続けていたその男の体は、いつしか動かなくなっていた……
 ミカははっとして、動かなくなったファヒム中佐にゆっくりと近付いた。

「ぼくが、やったの……?」

 息をする様子はなく、肌もさっきより青ざめている。

「そうだ……母さん……!!!」

 部屋の奥で倒れている母の元へ駆け寄る。床は母から流れ出た血でぬれていたが、構わずに近付いた。

「母さん! 母さん……!」

 母の肌は青ざめ、冷たかった。呼吸をする音もない。

「嘘って言ってよ!!! 目を覚ましてよ……!!! 母さん!!!」

 何度呼びかけても、優しい母の声を聞くことは叶わない。ようやく母の死を理解した時だった。外側からドアを叩く音が聞こえた。

「おい! そこにいるのは、ミカか? 俺だ、イツハークだ! すごい音がしたが……何があった? 大丈夫か?!」

「イツハークさん?!」

 ミカはドアに駆け寄り、もう一度ドアの鍵を確認する。少し複雑な造りをしていたが、冷静に時間をかければ解けるものだった。

「うっ………これは…………」

 ドアを開け、部屋の中を目の当たりにしたイツハークは絶句した。
 部屋は血のにおいが充満し、軍人と捕虜の女性の死体が転がっているのだ。ただ事ではないと、誰が見てもわかる状況だ。

「一体、何があった?」

 ミカはイツハークの問いに、答えようとしなかった。イツハークは溜め息をついて、励ますように肩を優しく叩いた。

「……言いたくないなら、それでいい。俺は、サーマからミカが中佐に連れてかれたって言われてな。こっそり仕事場から抜け出して、様子を見にきたんだ……」

「サーマが……?」

 友人の名を口にしたのは効果的だった。ミカは、ようやくそこで現実を見つめることができた気がした。
 イツハークはまじまじと死体を見て、眉間にしわを寄せ、自分の顎髭あごひげを触る。

「だが、こりゃマズいぞ。ファヒム中佐は、ここのお偉いさんだ。事故であれ、病気であれ、死んだとあっちゃ大騒ぎになる」

「ぼく……」

 誰に謝っても、殺人は許される行為じゃない。ミカは罪の意識に押し潰されそうだった。

「そんなカオすんな。とりあえず、死体を隠そう」

 イツハークが言うには、小屋の先にある渓谷に死体を落としてしまえば、滅多なことでは確認できないということだった。
 小屋の周囲には、ファヒムが人払いしていたのか人気はなく、バレずに死体を運ぶには都合が良かった。



 イツハークは中佐の死体を崖から投げた後、ミカの母イマーンの遺体を担ぎ、崖の上から下に流れる渓谷へ落とした。
 墓穴を掘る時間が得られないため、イツハークもミカの母の遺体をどうするか悩んでくれていたが、ミカはこれ以上イツハークに面倒をかけられないと、渓谷へ落とす選択をしたのだ。

「これで、しばらくは大丈夫だろ……安心するには早いが、なにもしないよりは、マシってもんだ」

 遺体を処分した後、ミカの中ではまた、自分の手で人を殺してしまったことの罪悪感が渦巻いていた。

「……ぼく、人を……」

「…………。母ちゃんのことは、気の毒だったな……中佐が死んだのは、事故だ。あいつがお前の母ちゃんを殺して……そんで、お前のことも殺そうとした。正当防衛だろ。こんな世の中だ。生きるためには、しょうがねぇ」

「ぼくが、母さんの結婚を許してたら、こんなことにならなかったのかな……」

 母に、いつまでも父のことを愛していてほしいと、わがままを言わなければ、今も母は隣で微笑んでくれたかもしれない――誰も傷つかずに済んだかもしれない――そう思うと、後悔せずにはいられなかった。

「バカ、過ぎたことだろ。未来なんざ、誰もわかんねぇんだ。中佐や、母ちゃんは死んじまったけど、お前は今、生きてる。この先どんなにツラくても、悲しくても──俺らは死ぬまで生きるしかねぇ」

「…………」

「……だぁ~っ! めんどくせぇな!!!」

 イツハークはミカの頭に手のひらを置き、髪をぐしゃぐしゃにした。

「長い間、監視の目から抜けてると、不審がられる。さっさと戻るぞ!!!」

 ――戻る最中、ミカは始終《神様》について思いを巡らせていた。
 これまで両親や隣人たちと共に信じてきた、平和を尊ぶエラ・シムーの神々と、ファヒム中佐の言っていた、力が全てと説くナセルトゥールの神々。
 この世界には、まだ知らぬ教えを信じ、守る人々がいるのかもしれない。そして、その人たちは、自分の信じている神様が正しいと言うのだろう。

(それでもぼくは、誰かを不幸にすることが正しいとは思わない……)

 しかし、エラ・シムーの神々は、長い間、平和をもたらしたが、両親を救ってはくれなかったのだ。神々の前で誓った約束を守るために、母は命を落とした。それは、不幸ではなかったのか?

 これから何を信じ、何を希望に生きてゆけというのだろう……

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