犯人達の工作

ノベルバユーザー458535

使蛇う~つかう~

 今日、私は事務所に来ていた。別に料理をつくりにきたわけではない。なんと、あの自称・安楽椅子探偵にしてニートの小室に外に行くと言い出したのだ。こんなことは私が助手になってから初めてである。どんな風の吹き回しだろうと思っていたが、事務所に到着して理由がわかった。事務所に桂家がいることから考えると、おそらく妹想いの兄なのだろう。桂家が外に出たいと言い出したに違いない。
「んで、どこに行くんだ?」
「私はファミリーレストランでまずは食べたいよ」
「仁はどこに行くか、希望はあるか?」
「特にはないです」
「そうか...。なら、近くのファミレスに行こう」
 小室は棚から車の鍵をつかんで事務所を出た。
「井草さん。実家はどこなの?」
「あ、ええ。実家は千葉県の山奥の三笠(みかさ)村っていうところにあります。三笠村で唯一、温泉のある民宿です」
「そうなんだ。三笠村ってどんなところ?」
「空気が澄んでて綺麗なところですね」
「私、行ってみたいな」
「小室さんと初めて出会った場所なんです」
「そこで知り合って、助手になったの?」
「命を救ってくれたんです」
「命を?」
 その時、小室が事務所に入ってきた。
「お前ら、車に乗れ」
 皆が車に乗り込み、小室が運転席に座って発車した。

「お客様、何名様でしょうか?」
「三人だ」
「かしこまりました」
 店員は私達を窓側の奥の席に案内した。
「さあて、ゲームしようか? 負けた奴が今日の食事代を払うんだ」
「えっ! 小室さん持ちじゃないんですか?」
「当たり前だ」
「おにいちゃん、ゲームって何するの?」
「簡単だ。相手を観察して職業を当てるんだ」
「それ、小室さんの特技じゃないですか」
「ああ。超得意だ」
 小室は今ファミレスにいる全員に目を向けた。そして、五分して目を閉じながら話した。
「ここにいる奴ら全員の職業を推理した。それでわかったが、同業者がいる」
「同業者?」
「探偵だ。まあ、調査しているのは浮気だがな」
「なんでそこまで...」
「見りゃわかんだろ?」
「わかりません」
「探偵はあいつだ」
 小室は右手の指で示した。
「探偵...。何でわかたっんですか?」
「見てみろ、あの探偵の手元。本を読んでいると見せかけて、手鏡で後ろの様子をうかがっているだろ?」
「はい」
「探偵が見ている席にいる人物はぽっちゃりした女性一人とガリガリの男性一人がいる。その女の方の指を見ろ」
「指、ですか?」
「ああ」
「何もわかりません」
「なんだ、わかんないのか? 左手の薬指の根元と左手の人差し指に絆創膏(ばんそうこう)が貼られているが、薬指に貼られている絆創膏をよく見ろ」
「ちょっと、膨らんでますね」
「そう。絆創膏の下には結婚指輪がある」
「何で隠しているんですか?」
「相手の男が浮気相手だからだ。だが、女は結婚していることを伝えていないんだろう」
「では、何で結婚指輪を外さないんですか?」
「おそらく、結婚する前は痩せていたが、結婚指輪をはめてから太ったんだろう。それで、指輪が外せなくなったんだ」
「なるほど」
 小室はすました顔で煙草を出した。それを一本口にくわえると、店員が近づいてきた。
「お客様、喫煙はお控えください」
「...おう」
 小室は煙草をケースに戻した。
「私にも出来る話しをしようよー」
「...そうだな、だがゲームは職業当てるだけだからな」
「なら、ゲーム内容を変えませんか?」
「どんなのに変えるんだ?」
「そうですね...トランプゲームしましょう」
「んじゃ、ババ抜きしよう」
「......小室さんなら、ポーカーやると思っていました」
「ああ、ポーカーか。ルール知んない」
「おにいちゃんは昔っから覚えるのは苦手なのよね」
「そうなんですね」
 三人は料理を注文してから、トランプでポーカーを始めた。
「くっ! またこの俺が負けるだと」
「ワンペアじゃ勝ってませんよ。せめて、ポーカーフェイスで駆け引きくらいはしないと」
「ポーカーフェイス?」
「顔に表情を出さないってことです」

「私、フォーカードよ!」
「僕はフルハウス」
「私はフルハウス」
「おい、仁。役が同じのが出たらどうするんだよ」
「カードの順位は同じですし、スートが高い方が価値です」
「カードの順位? スート?」
「A、K、Q、J、10、9、8、7、6、5、4、3、2がカードの順位で、スペード、ハート、ダイヤ、クローバーがスートの順位です。スートで、小室さんが勝っています」
「おお! 初めて勝ったぞ」
 小室はため息をついた。
「もうそろそろ、ファミレス出ない? 私、眠くなっちゃった」
「そうか...。ちょっと待ってろ。車を表に回してから会計するから」
「わかった」
 小室はファミレスを出た。それから十分しても帰ってこない。
「桂家さん。私、小室さんのスマホの電話番号知らないんで、電話かけてもらっていいですか?」
「いいわよ。あっ! スマホを貸すよ」
 桂家は自分のスマホを井草に渡した。
「あ、ありがとうございます」
 スマホをいじって、小室に電話をかけた。
「もしもし、小室さん?」
「なんだ、仁か?」
「どうして遅いんですか?」
「ああ、ちょっとな......車の鍵を落としたから探してんだ」
「なるほど」
「忙しいから切るぞ」
「ええ」
 電話を切って、スマホを桂家に渡した。
「ありがとうございます」
「いいのよ。それより、来週空いてる日はある?」
「いつでも空いてますよ」
「なら、来週の土曜日に一緒にどこか行かない?」
「良いですね。土曜日なら事務所も休日に出来るから小室さんも行けますね」
「あ、あのさ...おにいちゃんとじゃなくて私と二人で行かない?」
「ふ、二人で?」
「うん...」
 その時、浮気調査をしていた探偵が叫んだ。
「お、おいっ! 向かいのビルで...!」
 なんだ? 桂家ちゃんと楽しく話していたのに...。と思ってビルに顔を向けてみると、人が倒れていた。そして、死んでいるらしかった。
 ファミレスは大騒ぎである。ここは身分を証すべきか悩んだが、突然同業者の探偵が叫んだ。
「俺は霧島探偵事務所の峯岸一也(みねぎしかずや)だ。訳あって仕事中だが、殺人も解決したことがある。俺がビルにいく」
 ここまで言われたら、手を上げるしかない。私は手を上げた。
「小室探偵事務所の小室錠家の助手・井草仁です。私達はプライベートです」
「同業者か。気づかなかったよ。小室探偵事務所って、密室殺人専門の偏屈な?」
「偶然、扱う事件に密室殺人が多いだけです。それより、本当に私達が探偵だと気づかなかったんですか? 私達はあなたが探偵だと知っていました」
「はったりだ」
「では、こちらにきてください。説明します」
 峯岸は浮気調査をしていた相手を横目に井草に近づいた。
「浮気調査ですよね? 調べているのは。鏡越しに見ていた女の人は絆創膏で結婚指輪を隠しています。太って抜けなくなったんでしょう。そして、結婚指輪を隠して男と会うということは浮気ですね?」
「正解だ」
 峯岸は驚いていた。
 私には勝算があった。こちらの方が格上のだと峯岸にわからせるためだ。
「そちらのお嬢ちゃんは?」
「私は井草さんが助手をする小室錠家の妹の小室桂家です」
「よろしく。さて、あのビルに行ってみよう」
 私達三人は隣りのビルに向かった。ビルの下には係員がいたから、事情を説明して身分を証した。係員は急いで上に行った。
 死んでいた階はおそらく二階。これで密室殺人だったら、プライベートですら縁を切れないようだ。
「ここが二階で現在使われている部屋です」
 係員がパスワードを打ち込んで、ロックが解除された。中に入ると、人が倒れていた。息はなく、脈は止まり、心臓は動いていなかった。
 窓ははめ殺しだ。係員に頼んで入室記録を確かめたが、倒れている男が入ってから出た記録はなかった。また、その他の出口無し。そして、死体のそばには死んでいるまだらの蛇が一匹...。このシチュエーションはサー・アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵・シャーロック・ホームズの第一作目の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』に掲載されている『まだらの紐』ではないだろうか。
 まだらの紐とは、ホームズシリーズで唯一の密室殺人でそのトリックは通気孔の穴から蛇を入れて毒殺するというものである。しかし、まだらの紐は実現不可能だ。なぜなら、犯人のロイロット博士はミルクを餌にして毒蛇を手なずけ、口笛の音で蛇を操っていたことになっている。しかし、実際にはミルクを餌とする蛇は確認されていないこと、蛇は耳が聞こえないため口笛の音で蛇を操ることは不可能であること、また実際の蛇は紐を伝って上り下りすることもできなかったり、蛇を金庫の中に隠して飼っていたことになっているが、実際は生きている動物を金庫の中に入れ扉を閉めると窒息死するからだ。
 そういう矛盾点の解釈の仕方で納得したのは松岡圭祐(まつおかけいすけ)の『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』だ。まだらの紐を題材にしているわけでなく、正典(コナン・ドイルの書いたホームズシリーズ)の矛盾点の謎を題材にしている作品だ。この本ではライヘン・バッハの滝でモリアーティ教授と落ちたその後を描いている、パスティーシュ作品だ。なんと、ホームズが日本に来て大津事件の謎を解決するのだ。
 さて。松岡圭祐の解釈では

「ロイロットという男は、笛とミルクで蛇を操れる気になっていた。実際には通気孔をくぐらせようと頭から押し込んだのだろうし、ロイロットの部屋は飼っている動物のせいで湿っぽく室内も暗くしていたから、蛇もねぐらを求めて戻ってくるのが常だった。そんな蛇を支配下に置いていると錯覚したからこそ、油断してみずから毒牙にかかったのだ」

 となっている。これは作中ではホームズ自身が説明している。
「顎が硬直し始めていますね。すると、死後一時間程度。蛇もすでに死んでいます。そして、死体の足首には蛇の噛み跡があります」
 私は小室から教わった探偵術の知識をありったけ使って、検死をした。
「この遺体は毒殺だとわかりますね。誰か、警察に連絡してください。警視庁捜査一課警部安田道史刑事を呼んでください。面識があって急遽(きゅうきょ)捜査できますから」
 峯岸が携帯電話で警察に連絡した。三十分後、このビルに安田が到着した。
「どうも、安田だ。ここに井草君と桂家ちゃんがいると聞いたが...」
「安田さん! 私はここです。それより、急ぎの仕事をお願いします。この蛇の歯に塗られた毒を調べるために鑑識に回してください」
「なんで、蛇の歯なんだ?」
「まだら模様で頭がひし形。これはまだらの紐に登場する蛇と同じ特徴で、これはクサリヘビ科です。クサリヘビ科の蛇の毒は出血毒で、噛まれると傷口が大きく腫れ上がり、被害者は死亡するまでに数時間から数日にわたって激痛に苦しむんです。つまり、即効性はありません。噛まれた後で、遺体は部屋から出る余裕、または毒を解毒する余裕がありました。ですが、状況から考えると噛まれてすぐに倒れています。つまり、蛇の歯に即効性の毒が塗られていた可能性があります」
「なるほど、わかった」
 安田が蛇を鑑識に渡した。
 ここで断言するが、遺体が倒れていた部屋は外部から侵入不可能。また、出ることすら出来ない。つまり、密室殺人だった。しかも、状況がまだらの紐という不可解な事件だ。
 安田が蛇を鑑識に回すと、早速現場を調べ始めた。
「井草君。ここはロックされていたんだな?」
「ええ」
「密室か...。このビルの一階二階三階はある会社のフロアで、遺体もその会社員で間違いないと思うよ」
「あの、安田さん」
「なんだ?」
「即効性の毒が蛇の歯に塗られていたとしたら、蛇もすぐに死にますよね?」
「そうだろうな」
「なら、歯に毒が塗られていた状態で蛇は遺体には噛みつけませんよね?」
「そうだろうな」
「なら......この人は──」
「自殺の可能性が高い。ただ、蛇の体内から解毒剤が見つからなかったらの話しだがな」
「見つかるはずです。犯人はいますよ。それより、蛇が侵入出来そうな程度の穴はこの部屋にはありましたか?」
「井草君の言う『まだらの紐』と同様に隣りの部屋と通気孔で繋がっていた」
「隣りの部屋は何ですか?」
「この部屋と同じく会議室だ。だが、隣りの会議室はこの会議室と違って電子ロックは付いていなかった。つまり、誰がいつ入室したかわからない。犯人に繋がる証拠は少ない」
「なるほど」
「小室君はどこにいるんだね」
「車を出しています」
「まったく...」
 次は遺体の持ち物を観察した。服はスーツ。バックには重要そうな書類が詰まっていた。他には財布や携帯電話、眼鏡ケースまで見つかった。
 発見した遺体の財布を開けて、身分がわかるものを探した。車の免許証はないから、電車で来ているのか近くに住んでいるのだろう。
 中に入っていたお金は合計で五万八千円。少し豪華すぎる。
 尚も遺体を調べていると、身分がわかるものが出てきた。この会社の社員証のようだ。
「安田さん。遺体はこの会社の社員で松方修(まつかたおさむ)さんです」
「身分が証明できたな」
「ですが、不思議です」
「何がだ?」
「なぜ、まだらの紐と類似した事件を起こしたんでしょう」
「そりゃ...わからんな」
「ですよね。それにわざわざ蛇を使った毒殺じゃなくても、『刺毒(さ)す』事件のような方法でも密室殺人は可能性ですし...」
「確かにそうだな...。『騙死(だま)す』事件とかも意外と楽に密室殺人が行えるな」
「ええ。...即効性の毒が何かわかりましたか?」
「唐突だな。まだだ」
「そうですか...」
「ただ、腕のある鑑識を知っていて、そいつに回したからもうすぐだろ」
 四十分経って、安田の携帯電話が鳴った。
「もしもし? 本当か? さすがだな、田治見(たじみ)君は」
 安田は電話を切ってから話し始めた。
「蛇の歯に塗られていた即効性の毒の正体は『アニコチン』。トリカブトの根などから採取できる毒らしい」
「体内からは何か検出されましたか?」
「現在しらべているようだが、解毒剤は確実にないそうだよ。つまり、自殺で決まりだ」
「ほ、本当に自殺なんでしょうか?」
「今更何を...?」
「これは殺人です」
「そうか。まあ、いい。警察側は自殺で処理する。殺人だとわかってからトリックと犯人までわかってからなら話しは聞いてやるよ」
 安田は部下の刑事と一緒に本庁に戻った。残ったのは下っ端の刑事数人だ。
「井草さん、どうするの?」
 桂家ちゃんが聞いてきた。正直、どうすればいいか全然わからなかった。助手程度の限界はすくだ。なら、小室に電話して聞いた方がいいだろう。なにせ、小室は安楽椅子探偵という名で通っているからな。
「うん。これから小室さんに連絡して聞いてみるつもりですね。私じゃこれ以上は...」
「じゃあ、携帯電話を貸すわね」
「ありがとう」
「うん、大丈夫だよ」
 桂家ちゃんから携帯電話を受け取って、小室に電話をした。しかし、小室には繋がらなかった。
「あれ?」
「もしかして、おにいちゃんに電話繋がらない?」
「そうみたいです...」
「あら」
「なら、小室さんが電話を掛けてくるまで捜査しますか」
「いいじゃない」
 私は通気孔が繋がっている隣りの会議室に入った。桂家ちゃんも着いてきた。会議室といってもこちらは二人用で狭かった。通気孔の周辺を調べれば、蛇のうろこの一枚二枚出てくるかと思って探し始めた。結局、なかった。
 さて、次は何をすればいいんだ。......! アニコチンの作用を遅らせる方法は他に何かないか。その時、桂家ちゃんの携帯電話が鳴った。
「井草さん、おにいちゃんよ」
「ありがとう。...もしもし」
「もしもし、小室だ」
「あ、小室さん。助けてください」
「どうしたんだ」
「偶然、密室殺人に遭遇しました」
「まじか」
「私だけでは解決できないので...」
「なら、話してみろ」
「まだらの紐と類似した密室殺人事件です。遺体の松方修さんの横にまだらの蛇・クサリヘビ科の蛇が死んでいました。松方さんの足には蛇の噛み跡がありましたが、クサリヘビ科は即効性の毒ではないと聞いたので蛇の歯に即効性の毒が塗られていると推理しました。そして、アニコチンが塗られていることがわかりました。ですが、蛇の体内に解毒剤はなく、自殺である可能性が高いそうです」
「その密室内には蛇が通れるくらいの外部に繋がる穴はないか?」
「あります。隣りの部屋に通じていました」
「なるほど。簡単な事件じゃないか。安田警部に替わってくれ。トリックはわかった」
「本当ですか!」
「ああ」
 小室の声には自信が感じられた。
 私は小室の言うとおりに安田に桂家ちゃんの携帯電話を渡した。それから一分と経たずに安田は私に携帯電話を返し、捜査を再開した。
「小室さん?」
「なんだ、仁」
「トリックはどんなもの何ですか?」
「そうだな...言おうか言わないか。まあ、俺がそっち向かうから、その時にでも説明する」
「わ、わかりました」
 小室はそのまま電話を切った。
 安田は鑑識を一人捕まえて、何かを伝えていた。その後で電話をした。
「田治見君! アニコチンの他に蛇の体内から探してくれ」
「まだらの蛇、ですか?」
「ああ、そうだ。頼むよ」
「わかりました」
 電話は切れた。
「井草君」
「何ですか?」
「小室君の話しを聞いて、これは殺人事件だとわかった」
「はい」
「だから、まずはクサリヘビを最近購入したこの会社の社員を探そう」
「今は夜ですよ」
「なら、あと五時間で朝の七時だ。待とうじゃないか」

 現在の時刻は六時。そろそろ起きて会社に行かなくては...。
「ふあぁ...!」
 起き上がってすぐにあくびをした。それから洗面所に向かって顔を洗って眠気を覚ました。歯ブラシを取ると、歯を磨き始める。
 社会人になって五年目の今年。大学に二浪してまで入って、遊ぶために大学院に行った。勉強は好きじゃない。というか、嫌いだ。
 五年前はそこそこの会社には入社しようと思って『株式会社 千葉県高西不動産(ちばけんたかにしふどうさん)』の面接を受けた。それから合格したが、入社当日にブラック企業だと知った。先輩は俺に仕事を押しつけてくるし、部下は俺より仕事が出来る。そんなところでも松方先輩だけは優しかった。わかりやすく指導をしてくれて...。だが、俺は昨日死のうと決意して、松方先輩にだけは伝えようとした。だけど、何時間待っても松方先輩は現れなかった。おそらく、先輩は俺に見切りをつけたのだろう。松方先輩にすら見捨てられた。でも、会社には行かなくてはならない。一応、いつでも会社を辞められるように退職願を三枚は懐(ふところ)に忍ばせていた。
「行くか」
 会社へは徒歩で通える距離だった。といっても、三十分はかかるが、なまった足腰を鍛えるにはいい運動だ。
 目の前を学生が通った。懐(なつ)かしいな。中学校を思い出す。確か、あの頃は社会人に憧(あこが)れていた。今じゃ落ちこぼれだ。どうして俺の人生はこうなったんだろう。
 ──そろそろ会社だ。社員証を出しておかなくては。カバンをあさって社員証を出すと、首にかけた。それからちょっと進むと、いつもとは違う警備の奴らがいた。胸元には『POLICE(ポリス)』とある。警察だな。何があったんだろう。
 警察官の前に立って社員証を見せた。
「あの、千葉県高西不動産の西河原竜哉(にしがわらたつや)ですが、何かあったんですか?」
「松方修さんをご存じですか?」
「ご存じも何も、親しくしてくれた優しい先輩です」
「松方修を知っているんだな?」
「それは、よく知っています」
 すると、警察官は無線を出した。
「安田警部。松方修をよく知る人物が来ました。どうします?」
「連れてこい」
「了解」
 無線を切ると、警察官は俺の腕をつかんで二階まで連れて行った。
「俺は警視庁捜査一課の安田だ。松方修を知っているのか? 名前は?」
「西河原竜哉です。それより、松方先輩がどうかしたんですか?」
「ああ。大変酷だが、伝えなくてはならないな。......松方修は昨日、死んだ」
「は、はあ?」
 俺の体は一瞬にして床に倒れた。安田と名乗る男は俺を抱きかかえた。
「松方修は死んだ。しかも、密室殺人だ!」
 まさか、身近な人が密室内で死ぬとは。ドラマとか小説の世界でしかあり得ないと思っていたのに......。
「ま、松方先輩は今どこに!?」
「あっちだ」
 俺は全力で走った。警察官を押しのけて走った。すると、シートが被せられたものがあった。急いでシートを取った。シートの下には青くなった松方先輩の顔があったのだ。
「松方先輩! 松方先輩!」
 俺はただ、叫ぶことしか出来なかった。唯一の優しかった先輩はもうこの世にはいないという現実から逃げるために...。
 俺が松方先輩を見て絶句していると、誰かが話しかけてきた。
「あの、すみません」
「...」
「あ、答えなくても大丈夫です。私は小室探偵事務所の井草仁」
「あぁ...俺は竜哉」
「では、竜哉さん」
「は、はい」
「松方修さんはトリカブト毒のアニコチンにより死にました。何か心当たりはありますか?」
「な、ないっす」
「なるほど」
 井草と名乗る人物は顎に手を当てていた。そして、ある人物にそのことを伝えると、そいつが俺のところに来た。
「僕は私立探偵の小室錠家だ。あんた、昨日クサリヘビを会社に持ち込んだろ?」
「!」
「そして歯にはアニコチンを塗っていた」
「!」
「推理してやるよ。あんたは死にたかったんだ。そして、コナン・ドイルの『まだらの紐』を知った。そして、まだらの紐と特徴が同じクサリヘビを購入した。だが、購入してからクサリヘビは出血毒だと理解したんだろ?」
「!」
「顔に出てるぞ」
 こいつは俺が松方先輩を殺したと疑っている。だが、俺は殺していない。クサリヘビは購入した。だが、今もカバンに入っている。
 カバンにあるか確認しよう。
「ない!」
 蛇がいない!
「あんたはクサリヘビに噛まれても即効性がないとわかってから、山に行って自生しているトリカブトを取った」
「!」
「クサリヘビの歯にはトリカブトから抽出したアニコチンを塗ったんだ。そして、昨日クサリヘビを会社に持ってきた。そして、死ぬことを松方修に伝えるために小っこい方の会議室で待った。だが、松方修に伝言ミスしたんだ。大きい方の会議室に松方修が来ていた。あんたはクサリヘビを逃がしたが気づかず、隣りの会議室にいた松方修をクサリヘビが噛んだ」
「確かにそうかもしれない。だけどさっき警察官から聞いた。クサリヘビは死んでいたんだろ? アニコチンは即効性の毒だ。クサリヘビの体内にアニコチンを入れても、クサリヘビはすぐに死ぬから松方先輩を噛むことは出来ない」
「そう。お前はクサリヘビに噛まれて死にたかったんだ。だが、アニコチンにをクサリヘビの歯に塗れば、先にクサリヘビが死ぬことを知っていた。だから、テトロドトキシンもクサリヘビの体内に入れたんだ」
「何のことだ!」
「トリカブト保険金殺人事件だ。あの殺人事件のアリバイトリックはこうだ。アニコチンとテトロドトキシンを少しずつ調合したらアニコチンの毒性を少し遅らせられるんだ。つまり、蛇の体内にはアニコチンとテトロドトキシンを入れた。歯にはアニコチンを塗った。これでクサリヘビはすぐには死なない」
「!」
「話せ。あんたが自殺するために用意したクサリヘビが松方修を殺した」
 もう、ここまでだ。
「俺は人生が嫌になって、自殺方法を考えた。そこでまだらの紐に出会った。すぐにクサリヘビを購入した。だが、即効性の毒じゃないことを知ったんだ。それからトリカブト保険金殺人事件のトリックを知ったから、自生しているトリカブトを取って、業者からフグも購入した。そして、二つを調合して実験に実験を重ねた。結果、完璧に出来た。早速クサリヘビに調合したやつを注射した。歯にはアニコチンを塗った。そして、会社に持っていった。そして、会議室で松方先輩を待ったんだ。だが、その間にクサリヘビが松方先輩を噛んで、それからクサリヘビも死んだとは...。
 俺の自宅を調べてくれ。毒の抽出に使った器具とか実験に用いたネズミがいる」
「わかった。安田警部!」
 俺が自殺するために行ったことが松方先輩を殺すことになったとは...。
 気づいていた。松方先輩の死体を見たときに、俺のクサリヘビが殺したんじゃないかって。
「西河原竜哉! 逮捕する」
「はい」
 俺は安田に身を任せた。

 あれから、西河原竜哉の自宅から器具やネズミ、トリカブトとフグがあった。これが決め手となって西河原竜哉は逮捕。
 小室は現場に来てすぐにトリックを私に話してくれた。それから、安田の部下がクサリヘビを最近購入したこの会社の社員を探して、西河原竜哉に辿り着いた。
「小室さんはすごいですね」
「あれくらいは普通だ。安楽椅子探偵として、聞いただけでトリックくらいは理解しないと」
「私は現場にいたのに気づきませんでした」
「なあに。慣れれば簡単だよ」
 小室は事務所でまたインスタントコーヒーを飲んでいた。
「まったく...。安田警部はまたお礼をしてこない。そろそろインスタントコーヒーもなくなるんだが」
「なら、私が買ってきますよ」
「悪いから大丈夫だよ」
「いつも、小室さんにはお世話になっていますし、命の恩人ですよ」
 すると、桂家ちゃんは反応した。
「ねぇ、おにいちゃん。井草さんの命の恩人ってどういうこと? 私、気になる」
「なら、仁と一緒に買い物に行けよ。ほら、仁。桂家に話してみろよ」
「わ、わかりました」
「じゃあ、井草さん。買い物に行きましょう?」
「は、はい!」
 私は桂家ちゃんと一緒に事務所を出ると、手をつないで歩き出した。緊張で手汗が出るが、インスタントコーヒーが売っているショッピングモールまでは徒歩十分だ。手を離すわけにはいかないから、手汗を出さないようにした。桂家ちゃんの手は柔らかいんだな。

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