黄昏に揺蕩う灯火

雫音\u3000凜

序章



 蝋燭に、短い吐息を吹きかける。

 紅い炎はほんの一瞬だけ、揺らめき、蕩揺い。

 そして、辺りは闇に還る。

 あたしの仕事は、そんな、簡単なこと。

 

 

 不意に首筋に触れた鎖鎌が、驚くほど冷たかった。どれほどの時間が経ったのだろう。息を殺して、気配を消して。少女は、狭くて暗くて埃っぽい屋敷の天井裏に、かえるのような格好で這いつくばっていた。音を立てないように手を伸ばし、ずり落ちてきた鎖鎌を背負い直す。

 この仕事は、もう手慣れたものだった。こうして何刻もの間じっと待ち続けることも、全く苦にならない。

 つい、と襖の開く音がして、ほんの少しだけ身を強張らせる。この屋敷の主はまだ若く、精悍な面差しをしていた。御頭から聞くところによればこの男、大層頭が切れ、また剣の腕も群を抜いているという。それ故に、この国の領主、葛城様の目に留まってしまった。今後力を付けるであろう邪魔者は、早いうちに摘み取ってしまおうというお考えなのだ。

 まぁ、そんなこと、あたしには何の関係もないけれど。

 彼女が何刻も前から潜んでいるのは、この男の寝室。もう随分と夜も更けていた。男も疲れているのか、部屋に入ると早々に夜着に着替え、布団に横になる。

 しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。天井板を少しずらし、よくよく様子を見る。男はすっかり寝入っているように見えた。少女は左の袂に手を突っ込むやいなや、滑るような仕草で苦無を放つ。

 一、二、三、四。

 どうっという鈍い音が立て続けに四度続いた。鉄の切っ先は確実に狙った場所を捉えた様子である。

「うっ、ぐぁっ!」

 小さな隙間から身を滑らすようにして枕元に降り立つと、苦無によって両手両足を畳に縫いつけられた男は、突然の出来事と痛みに歪んだ顔をしていた。しかし、瞳の輝きはまだ失われていない。

「私怨はないけど、これがあたしの仕事だから」

 髷を掴み、その頭を持ち上げる。そのとき、左頬に生温い感覚が伝った。

「……ふぅん」

 一寸遅れて、感じる焼けるような痛み。頬に伝う血を無造作に拭い、鎖鎌を手に取った。

「はっ。このようなこと、避けては通れぬと、わかっていたさ」

 男は赤黒く染まった腕で、少女の放った苦無を握っていた。自分の腕に刺さった刃を、自分自身で引き抜き、さらにそれを獲物にして向かってくるとは。さすが、葛城様が目を付けるだけのことはあるな、と少女は思う。

「しかし……、こんな小娘一人を寄越すとは。私も随分と嘗められたものだな」

「それは、あたしを殺して初めて口にできる台詞でしょう」

 男は痛みを堪えた表情を浮かべながらも、常備してあったらしい脇差を構えた。ああ、これは事が長引いて、面倒なことになるかもしれないな、と少女が思ったとき。

よく知った匂いを感じて、ほんの一瞬、意識を部屋の襖に向ける。そして誰にもわからないぐらい微かに、呆れと怒りの入り混じった表情を浮かべた。

小さく舌を打ってから男に対峙すると、背負っていた鎖鎌を手に取る。

「寝首をかけばよいものを、真っ向から向かってくるとは。実に酔狂な娘だな」

 相手が手負いだろうが、関係のないこと。男の言葉をまともに聞くことはなく、本来投げるはずの武器を持って、真っ向から斬りかかった。

「もう、終わりにしましょう」

 傷ついた両手で握る刀にしては、驚くほど力が籠もっていた。しかし、彼女が押し負けることは、あるわけがない。そのまま男を組み敷くと、鎌を片腕で持ったまま、再び男の頭を掴む。

「っ、貴……様、何奴だ……?」

 軽い仕草で男の持つ刀を弾き飛ばす少女。その顔は、まるで能面のように色を失っていた。心に蓋をしたかのような表情で、淡々と言葉を紡ぐ。

「那妓の里。鏡花忍軍が上忍、名は灯と申す者」

 少女の言葉に、男は瞠目する。

「忍、だと? 伝承に聞く異能の集団が、まさか、実在していたのか?」

「そうよ。そしてその存在は、これからも伝承で在り続けるの」

 そのためにも、あたしの名前を、あたしたち忍の存在を知った者は、必ずこの手で屠る。

男の二の句を待つことなく、灯は振りかざした鎌で、その首を、まるで花を摘むかのように軽く、刎ね飛ばした。


 どれだけ慣れた仕事でも、何度経験しても、この瞬間だけは苦手だ。感情を押し殺し、素早く確実に、首を落とす。その手に残る感触は、突然鮮明に思い出され、彼女を苦しめることもある。

人の命の灯火を吹き消すことが、彼女の仕事だった。

「灯さん、本日はこれで結構です。相変わらず鮮やかな腕前でした。さぁ、早く上がりましょう」

 あかり。与えられた名前は、自ら煌々と光を放つものを意味する。
 でも、そんな自分は、他の命の灯火を消すことで生きている。
 この仕事が嫌だなんて、そんなことは言えない。それでも、随分と皮肉なものだと、思うことだけは許してほしい。

「ささ、灯殿。見張りの者などが訪れるかもしれません。即刻立ち去りましょう」

 肩を叩かれ、ゆっくりと振り返る。

「焦らずとも平気よ。桐、白蓮。今日も検分、御苦労様」

 灯はため息を吐きながら答えた。天井裏の狭い空間で、灯の後ろにずっと控えていた二人。実際に暗殺を行うのは上忍の灯で、彼女より下の階級、中忍である二人は灯の任務の遂行を確認する検分役である。息を顰め、身を折ってただただ待っていることは、細身の白蓮は兎も角、体格の良い桐には随分骨の折れることだろう。

「じゃあ、帰りましょう。桐、身体は大丈夫?」

「はっ。お心遣い痛み入ります。軽い足の痺れ故、灯殿の心配には及びません」

 そう、と、桐の言葉に頷いた灯は、身を翻して軽く跳躍する。

「少し疲れた。早く休みたいから、一刻で帰るわ。遅れたら置いて行くからね」

「一刻、ですか? それはさすがに無理難題では ︎」

 狼狽した様子の桐の言葉はまともに聞かず、天井裏へ戻った灯は音もなく駆け出した。自分たちより幾つも年下の華奢な少女に後れを取らぬよう、二人の男も同じように静かにその後を追った。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く