全ての魔法を極めた勇者が魔王学園の保健室で働くワケ
月の司祭
「……ん? この魔力は……」
学園の端にある第2演習場に向かう道すがら、俺は馴染みのある魔力を感じて立ち止まった。
しかし、集中して感覚を研ぎ澄ませると、厳密には違う魔力だと分かる。
どうやら、その魔力の持ち主は、目の前の脇道を進んだ先にある、教会に居るようだ。
これは、もしや……。
「……お邪魔しま〜す」
極力、物音を立てないよう、慎重に扉を開けて、中の様子を伺う。
特に畏まる必要もないんだけど、教会の厳かな雰囲気に当てられて、自然と及び腰になってしまった。
しかし、別に強面の神父に睨まれるような事もなく、あっさりと目的の人物を発見する。
まぁ、そもそも教会の中には、一人分の魔力しか感じないのだが。
「へぇ……」
その少女は、祭壇の上に鎮座する女神像に向かって膝を折り、真摯に祈りを捧げていた。
色とりどりのステンドグラスを透過した光に照らされ、彼女の銀髪も鮮やかに彩られている。
個人的に、神頼みは好まないけど、こうして人が無心に祈る姿は、素直に美しいと思った。
とりわけ、己の力に執着しがちな魔族だからこそ余計に、そう感じるのかもしれない。
「……時間」
ポツリと溢れた言葉は酷く小さく、静寂に包まれた教会の中ですら、殆ど聞き取れない。
しかし、声量の割には、凛と響いていて、まるで鈴の音のようだ。
そして、ゆっくりと立ち上がり、スカートの裾を払って、こちらに振り返った彼女は、特に驚いた様子もなく、蒼い双眸で俺を見つめる。
あれだけ熱心に祈っていた癖に、俺の存在には気付いてたのか。
「悪いな、珍しかったものだから、ついジッと眺めちまって」
「……気にしてない。貴方も……お祈り?」
どうやら、独り言だから声が小さかった訳ではなく、この声量が彼女のデフォルトらしいな。
とはいえ、やはり耳に心地よく響く声質なので、この距離なら聞き取りに支障はない。
「いいや? 見覚えのある魔力を感じたからな。それで気になっただけだ」
「……そう。……貴方が、シルク?」
「あぁ、そうだけど……。今の遣り取りだけで良く分かったな? ヴェノから聞いてたのか?」
そう、この子の魔力は、ヴェノのそれに瓜二つだったのだ。
ただし、母親の血が混じっているためか、少しだけ変質している。
と言っても、魔王の血が強過ぎて、一見しただけでは見分けが付かないけどな。
「……強い人が帰ってきたって聞いた。……私でも勝てないって言われた」
「だ、大丈夫だって! ほら、お前は魔王より更に幼く見えるし、まだまだ成長期って事だろ? その歳で、それだけの魔力を持ってるなら、そのうち俺なんて追い抜けるって!」
少し落ち込んだように肩を落とす少女に、慌ててフォローを入れる俺。
なんだか、か弱い小動物を虐めたような、いたたまれなさを感じたのだ。
「……ホント? ……私、成長期?」
「あぁ、ホントだ! まだまだ強くなるさ!」
「……まだ背も伸びる?」
「おうとも! 将来はモデル体型の美人さんだ!」
「……おっぱいも大きくなる?」
「もちろん! 将来はバインバインだ!」
……あれ?
「……おぉ。……バインバイン」
今まで眠たげに細められていた瞳が僅かに見開かれ、少女は心なしか嬉しそうに胸を触る。
つい反射的に、バッ! と後ろを振り返る俺。
……よし、誰も居ないな。
危ない、危ない、この子に乗せられて、相当ヤバイことを口走ってたな。
こんな場面を警備員にでも見られてたら大変な事になってたぞ。
まったく……俺に幼女趣味は無いというのに。
「そ、それにしても。強い人って情報だけで、よく俺に気付いたな?」
未だに胸をふにふにと触っている少女を止めるため、さっさと次の話題を提供する。
すると、彼女は狙い通り手を止めて、コクリと頷いた。
「……見覚えのある魔力を感じたって言った。……でも、私は魔力を抑えてたし、貴方が立ち止まった場所は、ここから少し離れてた」
……俺が何処で魔力を感知したかも気付いてたのか。
そして、その距離から自分の微弱な魔力を感じ取れるなら、父の言ってた強い人だと結論付けた訳だ。
それにしても、お祈りに意識を集中しながら、そこまで周囲の状況を把握できるって末恐ろしいな。
こりゃあ、追い抜かれるってのも、お世辞じゃ済まないかもな。
「俺なんて、一つの事に集中すると、すぐ周りが見えなくなるのに。お前は凄いな」
俺としては、心からの称賛だったけど、少女は何故か複雑そうに俯いた。
「……私は魔王の娘。……だから出来て当然」
まるで、自分自身に言い聞かせ、戒めるような口調だった。
誰かに、そう教えられたのか、はたまた過去にトラウマでもあるのか。
どちらにしろ、その言葉を肯定する気には、なれなかった。
「う〜ん、そんな事ないんじゃないか? 魔王の娘だからって、最初から何でも完璧に熟せる訳じゃないだろ? こうして出来るようになったのは、お前が努力したからじゃないか?」
俺が疑問の形を取って、やんわりと否定すると、少女は俯いた顔を上げて、ポカンとしていた。
「……そんなこと、初めて言われた。……他の皆は、魔王の娘なら出来て当たり前だって言う。……だから、そうでなくちゃいけないと……強くならなきゃいけないと、そう思っていた」
確かに、魔法の才能は遺伝による所が大きい。
たまに突然変異したような天賦の才を授かる者も居るけど、そんなのは基本的に例外だ。
だけど、どちらの場合でも、魔法の才は大きければ大きいほど枯れやすいという性質がある。
魔法の名門一家に生まれ、幼い頃から英才教育を受けながらも、慢心から鍛錬を怠り、衰退していった元神童など腐るほど見てきた。
人は1日休むと取り戻すのに3日は掛かるというが、魔法という分野は、それが更に顕著なのだ。
才能に胡座をかいたまま、強くなれるほど、魔法の世界は甘くない。
かくいう俺も、衰えるのが怖くて、毎朝の自主トレが欠かせないしな。
「“強くならなきゃいけない”なんて、そんな責任は背負わなくて良い。お前は、お前の願いを叶えるために、前に進めば良いんだ」
その結果、この子が歌姫になりたいと願ったなら、その夢を目指せばいい。
革命派と争う事を考えたら、明らかに戦力の損失だけど、強いからという理由で戦いを望まない者に剣を握らせる過ちは、もうウンザリだ。
こればかりは、たとえ魔王と対立しても譲れない。
守りたいものがあるなら、自分の命を懸けて、自分の手で守るべきなんだから。
まぁ、あの魔王なら笑って許してくれそうだけどな。
「……ん」
俺の言葉を、どう受け止めたのか分からないけど、少女はコクリと頷いた。
そして、トコトコと寄ってきて、俺の鳩尾に頭突きしてくる。
「おふっ。……急にどうした?」
「……」
無言のまま、グリグリと頭を押し付けてくる少女。
それに合わせて、魔王譲りのアホ毛が目の前でピョコピョコと跳ねて自己主張する。
とはいえ、俺にアホ毛と話す技能などなく、どうしたら良いのか分からないので、取り敢えず頭を撫でてみる。
すると、『……おぉ〜』という、くぐもった声が聞こえてきて、グリグリが止まった。
常に眠たそうに細められた蒼い瞳と、ピクリとも動かない表情から、冷たい印象を抱いてたけど、意外と人懐っこい……のか?
「……ありがと」
「お、おう。どういたしまして?」
何を思って頭突きして、何を思って止めたのか全く分からなかったけど、とにかく満足したらしい。
「……行かなきゃ」
そして、その小さな身体が魔法陣の光に包まれる。
これは……転移の魔法か。
「あっ、ちょっと、その前に。名前を教えてくれないか?」
今の今まで聞きそびれていた少女の名前。
なんだかんだで、ヴェノからも、ルクスリアからも聞いて無いんだよな。
「……ルミナリエ。……あと【月の司祭】とも呼ばれたりする。……待ってるから」
そう言って、ルミナリエは光に飲まれて消えていった。
月の司祭、か……。
確かに、さっきの祈りは、いかにも敬虔な信徒って雰囲気だったもんな。
でも、月って事は、夜も教会に来て祈ってるのか?
そこまで熱心に祈る理由って……。
『待ってるから』
……ん?
ルミナリエの言葉を思い出し、何かを忘れているような感覚に囚われる。
そして、何気なく懐中時計を取り出して、時間を確認した瞬間、顔から血の気が引いた。
「って、入学試験の5分前じゃねぇかぁぁぁ!?」
元勇者、初出勤にして初遅刻の危機到来!
学園の端にある第2演習場に向かう道すがら、俺は馴染みのある魔力を感じて立ち止まった。
しかし、集中して感覚を研ぎ澄ませると、厳密には違う魔力だと分かる。
どうやら、その魔力の持ち主は、目の前の脇道を進んだ先にある、教会に居るようだ。
これは、もしや……。
「……お邪魔しま〜す」
極力、物音を立てないよう、慎重に扉を開けて、中の様子を伺う。
特に畏まる必要もないんだけど、教会の厳かな雰囲気に当てられて、自然と及び腰になってしまった。
しかし、別に強面の神父に睨まれるような事もなく、あっさりと目的の人物を発見する。
まぁ、そもそも教会の中には、一人分の魔力しか感じないのだが。
「へぇ……」
その少女は、祭壇の上に鎮座する女神像に向かって膝を折り、真摯に祈りを捧げていた。
色とりどりのステンドグラスを透過した光に照らされ、彼女の銀髪も鮮やかに彩られている。
個人的に、神頼みは好まないけど、こうして人が無心に祈る姿は、素直に美しいと思った。
とりわけ、己の力に執着しがちな魔族だからこそ余計に、そう感じるのかもしれない。
「……時間」
ポツリと溢れた言葉は酷く小さく、静寂に包まれた教会の中ですら、殆ど聞き取れない。
しかし、声量の割には、凛と響いていて、まるで鈴の音のようだ。
そして、ゆっくりと立ち上がり、スカートの裾を払って、こちらに振り返った彼女は、特に驚いた様子もなく、蒼い双眸で俺を見つめる。
あれだけ熱心に祈っていた癖に、俺の存在には気付いてたのか。
「悪いな、珍しかったものだから、ついジッと眺めちまって」
「……気にしてない。貴方も……お祈り?」
どうやら、独り言だから声が小さかった訳ではなく、この声量が彼女のデフォルトらしいな。
とはいえ、やはり耳に心地よく響く声質なので、この距離なら聞き取りに支障はない。
「いいや? 見覚えのある魔力を感じたからな。それで気になっただけだ」
「……そう。……貴方が、シルク?」
「あぁ、そうだけど……。今の遣り取りだけで良く分かったな? ヴェノから聞いてたのか?」
そう、この子の魔力は、ヴェノのそれに瓜二つだったのだ。
ただし、母親の血が混じっているためか、少しだけ変質している。
と言っても、魔王の血が強過ぎて、一見しただけでは見分けが付かないけどな。
「……強い人が帰ってきたって聞いた。……私でも勝てないって言われた」
「だ、大丈夫だって! ほら、お前は魔王より更に幼く見えるし、まだまだ成長期って事だろ? その歳で、それだけの魔力を持ってるなら、そのうち俺なんて追い抜けるって!」
少し落ち込んだように肩を落とす少女に、慌ててフォローを入れる俺。
なんだか、か弱い小動物を虐めたような、いたたまれなさを感じたのだ。
「……ホント? ……私、成長期?」
「あぁ、ホントだ! まだまだ強くなるさ!」
「……まだ背も伸びる?」
「おうとも! 将来はモデル体型の美人さんだ!」
「……おっぱいも大きくなる?」
「もちろん! 将来はバインバインだ!」
……あれ?
「……おぉ。……バインバイン」
今まで眠たげに細められていた瞳が僅かに見開かれ、少女は心なしか嬉しそうに胸を触る。
つい反射的に、バッ! と後ろを振り返る俺。
……よし、誰も居ないな。
危ない、危ない、この子に乗せられて、相当ヤバイことを口走ってたな。
こんな場面を警備員にでも見られてたら大変な事になってたぞ。
まったく……俺に幼女趣味は無いというのに。
「そ、それにしても。強い人って情報だけで、よく俺に気付いたな?」
未だに胸をふにふにと触っている少女を止めるため、さっさと次の話題を提供する。
すると、彼女は狙い通り手を止めて、コクリと頷いた。
「……見覚えのある魔力を感じたって言った。……でも、私は魔力を抑えてたし、貴方が立ち止まった場所は、ここから少し離れてた」
……俺が何処で魔力を感知したかも気付いてたのか。
そして、その距離から自分の微弱な魔力を感じ取れるなら、父の言ってた強い人だと結論付けた訳だ。
それにしても、お祈りに意識を集中しながら、そこまで周囲の状況を把握できるって末恐ろしいな。
こりゃあ、追い抜かれるってのも、お世辞じゃ済まないかもな。
「俺なんて、一つの事に集中すると、すぐ周りが見えなくなるのに。お前は凄いな」
俺としては、心からの称賛だったけど、少女は何故か複雑そうに俯いた。
「……私は魔王の娘。……だから出来て当然」
まるで、自分自身に言い聞かせ、戒めるような口調だった。
誰かに、そう教えられたのか、はたまた過去にトラウマでもあるのか。
どちらにしろ、その言葉を肯定する気には、なれなかった。
「う〜ん、そんな事ないんじゃないか? 魔王の娘だからって、最初から何でも完璧に熟せる訳じゃないだろ? こうして出来るようになったのは、お前が努力したからじゃないか?」
俺が疑問の形を取って、やんわりと否定すると、少女は俯いた顔を上げて、ポカンとしていた。
「……そんなこと、初めて言われた。……他の皆は、魔王の娘なら出来て当たり前だって言う。……だから、そうでなくちゃいけないと……強くならなきゃいけないと、そう思っていた」
確かに、魔法の才能は遺伝による所が大きい。
たまに突然変異したような天賦の才を授かる者も居るけど、そんなのは基本的に例外だ。
だけど、どちらの場合でも、魔法の才は大きければ大きいほど枯れやすいという性質がある。
魔法の名門一家に生まれ、幼い頃から英才教育を受けながらも、慢心から鍛錬を怠り、衰退していった元神童など腐るほど見てきた。
人は1日休むと取り戻すのに3日は掛かるというが、魔法という分野は、それが更に顕著なのだ。
才能に胡座をかいたまま、強くなれるほど、魔法の世界は甘くない。
かくいう俺も、衰えるのが怖くて、毎朝の自主トレが欠かせないしな。
「“強くならなきゃいけない”なんて、そんな責任は背負わなくて良い。お前は、お前の願いを叶えるために、前に進めば良いんだ」
その結果、この子が歌姫になりたいと願ったなら、その夢を目指せばいい。
革命派と争う事を考えたら、明らかに戦力の損失だけど、強いからという理由で戦いを望まない者に剣を握らせる過ちは、もうウンザリだ。
こればかりは、たとえ魔王と対立しても譲れない。
守りたいものがあるなら、自分の命を懸けて、自分の手で守るべきなんだから。
まぁ、あの魔王なら笑って許してくれそうだけどな。
「……ん」
俺の言葉を、どう受け止めたのか分からないけど、少女はコクリと頷いた。
そして、トコトコと寄ってきて、俺の鳩尾に頭突きしてくる。
「おふっ。……急にどうした?」
「……」
無言のまま、グリグリと頭を押し付けてくる少女。
それに合わせて、魔王譲りのアホ毛が目の前でピョコピョコと跳ねて自己主張する。
とはいえ、俺にアホ毛と話す技能などなく、どうしたら良いのか分からないので、取り敢えず頭を撫でてみる。
すると、『……おぉ〜』という、くぐもった声が聞こえてきて、グリグリが止まった。
常に眠たそうに細められた蒼い瞳と、ピクリとも動かない表情から、冷たい印象を抱いてたけど、意外と人懐っこい……のか?
「……ありがと」
「お、おう。どういたしまして?」
何を思って頭突きして、何を思って止めたのか全く分からなかったけど、とにかく満足したらしい。
「……行かなきゃ」
そして、その小さな身体が魔法陣の光に包まれる。
これは……転移の魔法か。
「あっ、ちょっと、その前に。名前を教えてくれないか?」
今の今まで聞きそびれていた少女の名前。
なんだかんだで、ヴェノからも、ルクスリアからも聞いて無いんだよな。
「……ルミナリエ。……あと【月の司祭】とも呼ばれたりする。……待ってるから」
そう言って、ルミナリエは光に飲まれて消えていった。
月の司祭、か……。
確かに、さっきの祈りは、いかにも敬虔な信徒って雰囲気だったもんな。
でも、月って事は、夜も教会に来て祈ってるのか?
そこまで熱心に祈る理由って……。
『待ってるから』
……ん?
ルミナリエの言葉を思い出し、何かを忘れているような感覚に囚われる。
そして、何気なく懐中時計を取り出して、時間を確認した瞬間、顔から血の気が引いた。
「って、入学試験の5分前じゃねぇかぁぁぁ!?」
元勇者、初出勤にして初遅刻の危機到来!
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