なかむら先生の怪しい歴史授業 ~人生残酷物語~ (注) 残酷描写はありません。
第4話 少年よリスクを正しく認識せよ!
結局、僕の研究テーマ「近代天皇と軍隊」は変わらなかった。最悪なことに廣瀬さんと中村教授に後から呼び出されて、『とりあえず、これ以外の研究プラン出してみて♡』と言われただけだった。こころなしか中村先生の首元が赤く染まっていたような気がするがそれは見なかったことにしよう。しかし、気になったのは廣瀬さんの反論だ。ここ数日間、信長の戦闘頻度の高さが高い成長につながったとか、信長の機動力が成功のカギだったとか、信長の成長率を競合から眺めると成長の目標値がガラッと変わるといったいわゆる信長上げの話が続いてきた。が、廣瀬さんは若干それに異議があったようだ。
なんとなくそれが引っ掛かっていた僕だが、確認の機会はすぐにやってきた。廣瀬さんとのランチタイムだ!廣瀬さんは異常に小さな弁当箱を物足りなさそうに削っている。そんな、廣瀬さんの偏った人格を体現しているような有様をよそに、僕は気になっていたことを聞いてみた。
「まあ、当たり前の話だけどさ。失敗って結構いろいろなものを失くす原因になるのよね。
自分の時間・お金とかならましだけどさ。周囲からの期待・信頼・協力、、、いろいろね。でもやっぱり何かを成し遂げるには失敗という道は避けられないわけだけどさ。」ゆっくりとため息をしながら、廣瀬さんは自分の机をごそごそあさって書類を取り出してきた。
「これは、信長謀反にあったタイミングね。」
~ 尾張統一戦~
1552年  山口教継親子謀反、赤塚の戦い
1558年  織田信行謀反、誅殺
~ 足利義明を奉じて上洛(1568年)~
1569年  高槻城主 入江春景が謀反
1570年  浅井長政謀反(朝倉討伐中)
1570年 三好三人衆との戦いの最中、和睦を反故にして本願寺が攻撃してくる。
1572年  三好義継・松永久秀らが共謀して反乱
1572年 岩村城開城、信長の叔母は武田へ寝返る
1573年 足利義昭反抗 
1576年 波多野秀治が叛旗をひるがえす
1577年  松永秀久謀反
1578年 (3月)別所長治謀反 (10月)荒木村重謀反
1580年 本能寺の変にて倒れる
こんな感じなわけよ。」
「なんか上洛してから毎年反乱されているような・・・。」
「そうね。上洛戦い後に絞って情報を追加してみましょう。」
「
1568年 足利義昭を擁した上洛戦
1569年  高槻城主 入江春景が謀反
1570年  浅井長政謀反 ★敗戦★
1570年 和睦を反故にして本願寺が攻撃してくる。三好氏攻撃中のこと。
1571年 伊勢長島攻略失敗 ★敗戦★
1572年  三好義継・松永久秀らが共謀して反乱:第一次信長包囲網中
1572年 岩村城開城、信長の叔母は武田へ寝返る。信長は翌年、奪還に失敗した。
1573年 武田信玄 西進途中で死去。
1573年 伊勢長島攻略失敗 ★敗戦★
1573年 足利義昭反抗 ⇒ 鎮圧
1574年  長島の戦い ⇒鎮圧
1575年 長篠の戦い ⇒ 鎮圧
1576年 上杉謙信が対抗姿勢を明らかに。
1576年 波多野秀治が叛旗をひるがえす:第三次信長包囲網中
1576年 第一次木津川の戦い ★敗戦★
1577年  松永秀久謀反
1577年 手取川の戦い ★
1578年 (3月)別所長治謀反 (10月)荒木村重謀反
1582年 武田氏滅亡
1582年 本能寺の変にて倒れる
こんな感じね。」
「戦っている最中に後ろから刺されるとか、大負けがあった直後に必ずだれかが離反してるイメージですね。」
「そうなのよ。戦っている最中に隙を突かれて襲われるとか、負けるたびに誰かが反逆したり和平が反故にされたりしてるわけ。そのたびに、周囲の味方に被害が出て重臣が死んだり馬廻りが死んだり...、もちろん信長は徹底して鎮圧するので、反乱した側が蓄えた人的資源や経済的な価値は蒸発していくのね。すごい損失よ。この時代で数万死ぬんだからね。日本の総人口が1200万人くらいの頃よ。いまに換算すると数十万死んでることになるわね...。」
「それは...。」
「よく、負けても死なないから挑戦しろっていう人いる。それはそうだと思うわ。挑戦はいい。負けても裸一貫になるという覚悟も大事。だけど、何を失うか向き合ったうえで戦わないと敗北は過酷に襲い掛かって来るわけよ。」
ふっと、就活に失敗した先輩のことが頭をよぎる。なんとなく居心地悪そうに就活浪人している先輩。やはり同期は何となく先輩のことを見下しているようにも見える。何よりも、一年余計に大学にいる時間とお金のロスは大きい。別に授業料も安くはないのだ。そう。失敗は「痛いこと」なのだ。
その時、「いい話ししてるねー。君、廣瀬の助手が似合ってるよ。」中村教授がにこにこ笑って話に入り込んできた。
「ああ、別に博士とれるって意味じゃないよ。助教とかでもなくて、研究補助員どまりって意味ね。」と笑って去っていく中村教授。この人本当に性格悪いな。
もちろん侮辱された屈辱をかみしめて、この後ESめっちゃがんばっちゃったことは言うまでもない。
なんとなくそれが引っ掛かっていた僕だが、確認の機会はすぐにやってきた。廣瀬さんとのランチタイムだ!廣瀬さんは異常に小さな弁当箱を物足りなさそうに削っている。そんな、廣瀬さんの偏った人格を体現しているような有様をよそに、僕は気になっていたことを聞いてみた。
「まあ、当たり前の話だけどさ。失敗って結構いろいろなものを失くす原因になるのよね。
自分の時間・お金とかならましだけどさ。周囲からの期待・信頼・協力、、、いろいろね。でもやっぱり何かを成し遂げるには失敗という道は避けられないわけだけどさ。」ゆっくりとため息をしながら、廣瀬さんは自分の机をごそごそあさって書類を取り出してきた。
「これは、信長謀反にあったタイミングね。」
~ 尾張統一戦~
1552年  山口教継親子謀反、赤塚の戦い
1558年  織田信行謀反、誅殺
~ 足利義明を奉じて上洛(1568年)~
1569年  高槻城主 入江春景が謀反
1570年  浅井長政謀反(朝倉討伐中)
1570年 三好三人衆との戦いの最中、和睦を反故にして本願寺が攻撃してくる。
1572年  三好義継・松永久秀らが共謀して反乱
1572年 岩村城開城、信長の叔母は武田へ寝返る
1573年 足利義昭反抗 
1576年 波多野秀治が叛旗をひるがえす
1577年  松永秀久謀反
1578年 (3月)別所長治謀反 (10月)荒木村重謀反
1580年 本能寺の変にて倒れる
こんな感じなわけよ。」
「なんか上洛してから毎年反乱されているような・・・。」
「そうね。上洛戦い後に絞って情報を追加してみましょう。」
「
1568年 足利義昭を擁した上洛戦
1569年  高槻城主 入江春景が謀反
1570年  浅井長政謀反 ★敗戦★
1570年 和睦を反故にして本願寺が攻撃してくる。三好氏攻撃中のこと。
1571年 伊勢長島攻略失敗 ★敗戦★
1572年  三好義継・松永久秀らが共謀して反乱:第一次信長包囲網中
1572年 岩村城開城、信長の叔母は武田へ寝返る。信長は翌年、奪還に失敗した。
1573年 武田信玄 西進途中で死去。
1573年 伊勢長島攻略失敗 ★敗戦★
1573年 足利義昭反抗 ⇒ 鎮圧
1574年  長島の戦い ⇒鎮圧
1575年 長篠の戦い ⇒ 鎮圧
1576年 上杉謙信が対抗姿勢を明らかに。
1576年 波多野秀治が叛旗をひるがえす:第三次信長包囲網中
1576年 第一次木津川の戦い ★敗戦★
1577年  松永秀久謀反
1577年 手取川の戦い ★
1578年 (3月)別所長治謀反 (10月)荒木村重謀反
1582年 武田氏滅亡
1582年 本能寺の変にて倒れる
こんな感じね。」
「戦っている最中に後ろから刺されるとか、大負けがあった直後に必ずだれかが離反してるイメージですね。」
「そうなのよ。戦っている最中に隙を突かれて襲われるとか、負けるたびに誰かが反逆したり和平が反故にされたりしてるわけ。そのたびに、周囲の味方に被害が出て重臣が死んだり馬廻りが死んだり...、もちろん信長は徹底して鎮圧するので、反乱した側が蓄えた人的資源や経済的な価値は蒸発していくのね。すごい損失よ。この時代で数万死ぬんだからね。日本の総人口が1200万人くらいの頃よ。いまに換算すると数十万死んでることになるわね...。」
「それは...。」
「よく、負けても死なないから挑戦しろっていう人いる。それはそうだと思うわ。挑戦はいい。負けても裸一貫になるという覚悟も大事。だけど、何を失うか向き合ったうえで戦わないと敗北は過酷に襲い掛かって来るわけよ。」
ふっと、就活に失敗した先輩のことが頭をよぎる。なんとなく居心地悪そうに就活浪人している先輩。やはり同期は何となく先輩のことを見下しているようにも見える。何よりも、一年余計に大学にいる時間とお金のロスは大きい。別に授業料も安くはないのだ。そう。失敗は「痛いこと」なのだ。
その時、「いい話ししてるねー。君、廣瀬の助手が似合ってるよ。」中村教授がにこにこ笑って話に入り込んできた。
「ああ、別に博士とれるって意味じゃないよ。助教とかでもなくて、研究補助員どまりって意味ね。」と笑って去っていく中村教授。この人本当に性格悪いな。
もちろん侮辱された屈辱をかみしめて、この後ESめっちゃがんばっちゃったことは言うまでもない。
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