Me262, ドイツ・ジェット戦闘機奮戦す。
Operation 9 戦線の膠着
日本がウラジオストク襲撃作戦を実行した十月以前、九月は太平洋も大西洋も荒れて戦いどころではなかった。特に西太平洋は台風が多発して米軍も活動が鈍りがちであった。一方、大西洋は天候もよい日があったので、ドイツ軍はそのような日に、英国の拠点爆撃と通商破壊を継続実施していた。
九月が明けて十月、カール・デーニッツは、日本のパナマ攻略とウラジオストク襲撃が成功裏に終わったのを見て、バトル・オブ・ブリテンの終結宣言を発表した。さらに、十月十日、日本と共同で英国に対する半ば強引とも思える降伏勧告を通知した。つまり、これ以上戦闘を続けるのなら、都市部への戦略爆撃と上陸作戦を実施すると。
デーニッツはとても英国が降伏を受け入れるとは考えていなかった。しかし、タイミング的にはウラジオストク襲撃で精神的打撃を受けているソ連に圧力をかける絶好のチャンスだった。ソ連は東西に軍を割かなければならなくなっている。しかし、一方でソ連軍は重戦車IS2の本格的量産に成功しつつあるという情報が伝わっており、これが東部戦線に大挙押し寄せたらおしまいだ。その前になんとかせねば。ここは駆け引きだ、とデーニッツはおもった。今頃、スターリンは焦っているに違いない。
ソ連のIS2は強力な装甲を誇り、ドイツ軍の88ミリ対空兼対戦車砲による攻撃一発ではとてもではないが破壊できない。圧倒的な数に対し、上空のMe262ZからのV0攻撃も思うようにはならない。IS2は傾斜甲板を装備し、重戦車にしてはそれなりの機動力もある。火力も強力だ。対してドイツ軍のティーガー、パンターはトランスミッションに問題があり、機動性が悪い。スターリンは東部戦線で鹵獲したティーガーを使わないよう布告を出しているほどだ。ソ連のIS2を相手にドイツが進撃を無理に進めれば、122mm砲で木っ端みじんにされる恐れさえある。唯一、歩兵用ロケットのパンツァー・ファウストが有効だが、歩兵を戦車に近接させる危険が生じる。最終防衛線である後方歩兵部隊が崩壊すれば、せっかくはるか遠方に押し返した戦線をまたもとに戻されてしまう。
英国では日独共同の無線通報を聞き、チャーチルは渋い顔で葉巻をふかしていた。「英国がこんな脅しに屈服するとでもおもっているのか、この馬鹿ども」悪態をつきながらも、通商破壊作戦、軍艦損傷によりほぼ制海権、制空権がなくなっている。物資不足で生産も低調だ。いずれは何らかの決断をしなければならない。一層、いらいらとして葉巻は灰となっていった。
日本はウラジオストク攻撃後、防空と防海に特化し、中国大陸南部との資源輸送シーレーン防衛、さらに南洋の石油地帯との細い資源輸送回廊をかろうじて維持している。マリアナ沖海戦で海軍の主力機動部隊が無力化された日本は、潜水艦隊を増強して、輸送船団を防衛しMe262Zにより制空権を維持している。大和や信濃があろうと、米艦隊相手では無力にひとしい。危うい防衛ではあるが、日本は航空機と潜水艦の強力な性能だけでなんとかしようとしている。
米軍はフィリピン、マリアナから北上することはできず、足止めを食らっていた。おまけに硫黄島が使えないためにP51の有効活用が難しく、B29の救出にも事欠いている。硫黄島に日本軍が上陸することはなかったが、周囲の制空、制海権は日本に握られ、数少ない防衛部隊のみが硫黄島に残留している。その防衛部隊も、残留日本兵のゲリラ作戦に悩まされている。
以上のように日独、英米戦争は目論見どおり膠着状態に持ち込むことができている。問題はソ連軍だ。さてと、とデーニッツは考える。英米を焚きつけてソ連軍との分離を図ることはできまいか。ソ連軍は決してベルリンに進軍するまでは、戦闘をやめるはずがない。犠牲者1000万の重みがかかっている。
あのスターリンのことだ、どれほどの追加犠牲者を出しても構わないと思っているに違いない。東部戦線は非常に苦しい状態が続いており、日本軍が東側から襲うかもしれない、という驚異だけがソ連の物量を二分させているから維持できているようなものだ。
ソ連に対しては日独協力で戦線を張るしかないだろう。そのためにはジェット戦闘機、戦略爆撃機を更に量産しなければならない。デーニッツと首脳部は連日の議論の中で、どのようにしてソ連に戦争をあきらめてもらうかを考えていた。
戦闘は膠着していた。その間、ドイツ空軍は英国上空で宣伝ビラをばらまいて、大衆扇動活動に励んだ。「ドイツはすでに新型爆弾を開発し、いつでも主要都市を壊滅させることができる」「爆撃機による都市殲滅作戦を決行する予定である」などといった内容であった。ドイツは原爆をもっておらず、また都市殲滅作戦などする気もなかったのではあるが、英国市民に動揺が広がった。チャーチルはこれを抑えるのに何度も演説を繰り返すことになった。
一方、日本は中国の国民、共産どちらの政府にも肩入れせず、満州からソ連軍に向かって散発的かつ嫌がらせ的なゲリラ攻撃を繰り返した。攻撃よりは防御という日本の姿勢はますます強まり、いまや専守防衛的な立場を貫いていた。むろん、日本近海の米艦船に対しては潜水艦による集中攻撃によって、近接を抑止した。B29はほとんど来襲しなくなった。
デーニッツは次なる作戦を十月中旬に実行することにした。つまり、ジェット戦略爆撃機によってソ連の工場群とシベリア鉄道を徹底破壊し、日本まで飛行する。日本で給油したのちにまたドイツに向かって爆撃をしながら帰る。直接東部戦線でソ連と戦うのは不利だと考えた彼は後方輸送路と生産拠点を壊滅させようとたくらんだ。
さらに陸軍将校と協力し、ゲーリングは西進するソ連戦車に対しての戦術として重戦車の弱点である脚部をV0で狙い撃ちにして、行動不能にさせるという作戦を立案した。重戦車は上部に重量のある砲塔と装甲があり、脚部を攻撃されると頓挫して修理も困難を極める。脚部を破壊された戦車は単なる孤立砲塔となる。いくら装甲が素晴らしくても動けなければ戦闘継続はできない。動けない戦車は放置しておけばよい。乗員はやがて脱出せざるを得なくなる。
この作戦の結果、ソ連軍の攻撃は抑制された。しかし、相変わらずソ連は無理やり物量戦に出て、重戦車を動員しつづけた。このため、ドイツ陸軍が打って出ることもできない状態が続いた。
九月が明けて十月、カール・デーニッツは、日本のパナマ攻略とウラジオストク襲撃が成功裏に終わったのを見て、バトル・オブ・ブリテンの終結宣言を発表した。さらに、十月十日、日本と共同で英国に対する半ば強引とも思える降伏勧告を通知した。つまり、これ以上戦闘を続けるのなら、都市部への戦略爆撃と上陸作戦を実施すると。
デーニッツはとても英国が降伏を受け入れるとは考えていなかった。しかし、タイミング的にはウラジオストク襲撃で精神的打撃を受けているソ連に圧力をかける絶好のチャンスだった。ソ連は東西に軍を割かなければならなくなっている。しかし、一方でソ連軍は重戦車IS2の本格的量産に成功しつつあるという情報が伝わっており、これが東部戦線に大挙押し寄せたらおしまいだ。その前になんとかせねば。ここは駆け引きだ、とデーニッツはおもった。今頃、スターリンは焦っているに違いない。
ソ連のIS2は強力な装甲を誇り、ドイツ軍の88ミリ対空兼対戦車砲による攻撃一発ではとてもではないが破壊できない。圧倒的な数に対し、上空のMe262ZからのV0攻撃も思うようにはならない。IS2は傾斜甲板を装備し、重戦車にしてはそれなりの機動力もある。火力も強力だ。対してドイツ軍のティーガー、パンターはトランスミッションに問題があり、機動性が悪い。スターリンは東部戦線で鹵獲したティーガーを使わないよう布告を出しているほどだ。ソ連のIS2を相手にドイツが進撃を無理に進めれば、122mm砲で木っ端みじんにされる恐れさえある。唯一、歩兵用ロケットのパンツァー・ファウストが有効だが、歩兵を戦車に近接させる危険が生じる。最終防衛線である後方歩兵部隊が崩壊すれば、せっかくはるか遠方に押し返した戦線をまたもとに戻されてしまう。
英国では日独共同の無線通報を聞き、チャーチルは渋い顔で葉巻をふかしていた。「英国がこんな脅しに屈服するとでもおもっているのか、この馬鹿ども」悪態をつきながらも、通商破壊作戦、軍艦損傷によりほぼ制海権、制空権がなくなっている。物資不足で生産も低調だ。いずれは何らかの決断をしなければならない。一層、いらいらとして葉巻は灰となっていった。
日本はウラジオストク攻撃後、防空と防海に特化し、中国大陸南部との資源輸送シーレーン防衛、さらに南洋の石油地帯との細い資源輸送回廊をかろうじて維持している。マリアナ沖海戦で海軍の主力機動部隊が無力化された日本は、潜水艦隊を増強して、輸送船団を防衛しMe262Zにより制空権を維持している。大和や信濃があろうと、米艦隊相手では無力にひとしい。危うい防衛ではあるが、日本は航空機と潜水艦の強力な性能だけでなんとかしようとしている。
米軍はフィリピン、マリアナから北上することはできず、足止めを食らっていた。おまけに硫黄島が使えないためにP51の有効活用が難しく、B29の救出にも事欠いている。硫黄島に日本軍が上陸することはなかったが、周囲の制空、制海権は日本に握られ、数少ない防衛部隊のみが硫黄島に残留している。その防衛部隊も、残留日本兵のゲリラ作戦に悩まされている。
以上のように日独、英米戦争は目論見どおり膠着状態に持ち込むことができている。問題はソ連軍だ。さてと、とデーニッツは考える。英米を焚きつけてソ連軍との分離を図ることはできまいか。ソ連軍は決してベルリンに進軍するまでは、戦闘をやめるはずがない。犠牲者1000万の重みがかかっている。
あのスターリンのことだ、どれほどの追加犠牲者を出しても構わないと思っているに違いない。東部戦線は非常に苦しい状態が続いており、日本軍が東側から襲うかもしれない、という驚異だけがソ連の物量を二分させているから維持できているようなものだ。
ソ連に対しては日独協力で戦線を張るしかないだろう。そのためにはジェット戦闘機、戦略爆撃機を更に量産しなければならない。デーニッツと首脳部は連日の議論の中で、どのようにしてソ連に戦争をあきらめてもらうかを考えていた。
戦闘は膠着していた。その間、ドイツ空軍は英国上空で宣伝ビラをばらまいて、大衆扇動活動に励んだ。「ドイツはすでに新型爆弾を開発し、いつでも主要都市を壊滅させることができる」「爆撃機による都市殲滅作戦を決行する予定である」などといった内容であった。ドイツは原爆をもっておらず、また都市殲滅作戦などする気もなかったのではあるが、英国市民に動揺が広がった。チャーチルはこれを抑えるのに何度も演説を繰り返すことになった。
一方、日本は中国の国民、共産どちらの政府にも肩入れせず、満州からソ連軍に向かって散発的かつ嫌がらせ的なゲリラ攻撃を繰り返した。攻撃よりは防御という日本の姿勢はますます強まり、いまや専守防衛的な立場を貫いていた。むろん、日本近海の米艦船に対しては潜水艦による集中攻撃によって、近接を抑止した。B29はほとんど来襲しなくなった。
デーニッツは次なる作戦を十月中旬に実行することにした。つまり、ジェット戦略爆撃機によってソ連の工場群とシベリア鉄道を徹底破壊し、日本まで飛行する。日本で給油したのちにまたドイツに向かって爆撃をしながら帰る。直接東部戦線でソ連と戦うのは不利だと考えた彼は後方輸送路と生産拠点を壊滅させようとたくらんだ。
さらに陸軍将校と協力し、ゲーリングは西進するソ連戦車に対しての戦術として重戦車の弱点である脚部をV0で狙い撃ちにして、行動不能にさせるという作戦を立案した。重戦車は上部に重量のある砲塔と装甲があり、脚部を攻撃されると頓挫して修理も困難を極める。脚部を破壊された戦車は単なる孤立砲塔となる。いくら装甲が素晴らしくても動けなければ戦闘継続はできない。動けない戦車は放置しておけばよい。乗員はやがて脱出せざるを得なくなる。
この作戦の結果、ソ連軍の攻撃は抑制された。しかし、相変わらずソ連は無理やり物量戦に出て、重戦車を動員しつづけた。このため、ドイツ陸軍が打って出ることもできない状態が続いた。
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