僕の彼
– 初桜と花吹雪 − 3
職員室から教室までにある廊下の窓からは、きれいな桜並木が見える。
4月の上旬にもなると桜は散り始めていた。
「週末に雨が降るらしいから今週中にお花見しないとな。ゆっくり酒飲みたいよな?」
「先生、僕未成年なのでお酒は飲めないです。あと、オハナミってなんですか?」
僕は人に何かを教えることが好きだ。
教えるという行為はこれまでに起きたことや知りえたことを
ほんの短時間で伝えることであると思う。
例えば、百年近くかけて数学者が作り上げた公式を1時間の授業で説明するように、
長い年月をかけたことでもあっという間に教えられる。
その時教えられている側のほとんどは、
その公式にどんな歴史が刻まれているのかは考えもしないだろうが、
その公式は彼らの中へと溶け込んでいく。
そして、永遠に彼らの中に生き続ける。
僕はそうやって彼らの中に溶け込んで永遠を植え付ける
瞬間が好きで教師になったんだと思う。
彼にお花見の話をしながらそう感じていた。
僕が説明をしている間、彼の眼差しは何かを跳ね返しているようで、
眼差しがどこかまぶしく感じた。
「っま、百聞は一見にしかずだな。時間があればお花見しような。
お酒が飲めないのは残念だけど。」
「そうですね。でも、お花見もいいんですけど教室ってどこですかね?」
教室を通り過ぎてしまうほど、彼にお花見についてを教えることに夢中になってしまっていた。
そして、教室のドアの前へと向かう途中、これからの一年のことを考えだしてしまい急に緊張感に襲われてしまった。
僕の緊張はいつもどこからともなくやってくる。
余計なこと考えては一人で緊張をしてしまうのは、自信のなさの現れなのだろうと思う。
そして、いよいよ教室のドアに手をかけようとすると、
緊張のせいで指先が震えていたのが分かった。
これから先の様々なことを考えてしまい、
鼓動が高鳴っていき簡単には消えててくれない。
その時ふと、ドアの窓ガラスに目をやると、そこには彼が写っていた。
彼も不安そうに唇を一文字に強く結んでいた。
その後ろにはきれいに桜の花びらが舞い散り、僕と彼、そして舞い散る桜。
それぞれが異なる物体であった。
全体像を見ていた僕はそっと彼の方に視線が向くと彼の視線が間接的に繋がった。
このドアのガラス窓に映る柔らかい情景が一枚の絵画のようで、
絡み合った視線が僕の心を穏やかにしていた。
永遠にこの世界の中にいたいと思って、ドアにかけた手が止まっていた。
彼はどう思っているのだろうか?
そんなことを考えていても時が前に進む瞬間というのはいつだって衝撃的である。
僕たちの時間を激しいベルの音が壊した。
そして、僕は驚いたせいか教室のドアを勢いよく乱暴に開いた。
クラス中に激しく叩きつけられたようなドアの音が鳴り響き、
視線は一瞬にして僕らの方へと向けられた。
「ビビったー」
「先生、脅かさないでくださいよー」
「ゴメン、ゴメン手が滑っちゃってさ」
誰も僕の心の中に起きたことには気づいていないだろう、
おそらく僕の心に入り込んできた彼も。
ゆっくりと教団に向かいに着席するように生徒たちを促す中で、
教室の中の視線は僕以外のドアの向こう側に向いていた。
きっと彼は不安な思いでいるのだろうと彼に目を向けると
少し肩に力が入って口固く閉じたままであった。
「早速だが、まずは新しい生徒を紹介します。初瀬川、こっちへ」
彼からの強いまなざしが僕に向けられ、真っすぐに僕のもとへと彼が向かって来た。
窓から春の風が入り込みサラサラと彼のきれいな髪なびかせていた。
クラス中を強いまなざしのまま見回し、
少し緊張のせいか肩に力が入ったままその強い眼差しと共に自己紹介を始めた。
「初瀬川天(はつせがわ たかし)です。
日本の高校は初めてでわからないことばかりなので宜しくお願いします。」
軽く会釈をし、柔らかく微笑んでいるよに見えたが強い眼差しのまま、僕に目を向けた。
少しだけあどけなさが残る彼が助けを求めているように感じて、
無性に心をかき乱された僕は、慌てそうになっている自分を落ち着かせながら、
彼を視界から外し空いている席を指差した。
「初瀬川の席はあそこの空いている席な」
軽く頷いた彼は僕に背中を向けながら、
生徒たちの並木道をゆっくりと歩いて一番後ろ席に着いた。
となりの席の山中が席に着いた彼を見た後にゆっくりと視線を僕に向けて
また彼へと戻した。
「困ったことがあったらなんでも聞いてね、よろしく」
生徒たちに目を配ると、
これからの初々しさや何も疑わずにいる素直さが感じられる表情をしている。
その中で、彼だけは素数のような存在に感じた。
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