きみのとなり

佳川鈴奈

9.時任さんが遺した言葉 -嵩継-

「嵩継、ケアセンターの方はどうだ?」

病院のエントランスで、オレを呼び止める聞きなれた声。


「おはようございます。院長」

「おはよう嵩継」

「ケアセンターですけど、今、大学時代の同期の親父さんが居て、
 毎日、勉強させて頂いています」

「あぁ、時任夏生先生とは嵩継も繋がりがあったんだね」


繋がりって言うより、対面したのは今回が初めてなんですけど……。


「すい臓癌のステージ4Bだったか」

「はい」

「嵩継、時任先生にじっくりと勉強させて貰いなさい。
 お前は、もう少し命と向き合って内側に秘めた想いを、
 ご両親の為にも乗り越えなさい」


そういって静かに突き付けられた問題。


「院長、それ……」

「勇人も心配していたよ。
 ただ勇人が話したからじゃない。
 おまえを見ていたら私もわかるよ。

 私は今から会議に出ないといけない。
 暫く頼んだぞ」


そういって雄矢院長はオレの背中をバンと叩いて、
何処かへと出掛けて行った。

その後のオレは午前の外来をこなし13時近くにケアセンターを訪れたオレは、
入浴介助前の時任さんの桜の部屋へと向かった。


時任さんはベッドに体を預けたまま、
ピアノの音色を楽しんでいるみたいだった。


「こんにちは。
 時任さん、ピアノ好きなんですか?」

「あぁ、亡くなった家内の好きだった曲でね。
 つい手が聴いてしまうんだ」

「オレ、クラシックはさっぱりですけど綺麗な曲ですねー。
 聴きたいものを心のままに聴くのは大切だと思いますよ」

「あぁ、有難う」


そうやって、時任さんは再び目を閉じた。


目を閉じた時任さんの傍、体の状態を確認して、

「今日、夏海さんは?」

「夏海は仕事です」

「夏海さんの病院で受け入れてもらう選択肢はなかったんですか?」



ふいに、思った言葉をそのまま零してしまう。



「あっ、すいません。時任さんを受け入れるのが嫌なわけじゃなくて……」

「あぁ、別に気にしてないよ。
 
 夏海はもう医者じゃないんだよ。
 あれも君と同じで研修を受け入れて貰える病院がなくてね、
 私の関係者の病院に頼み込んで、研修はさせて貰ったものの医療事故を起こしてしまってね。

 あの子は医者ではないんだよ」 



そう時任さんはオレの知らなかった事実を教えてくれた。



「安田先生だったか……。
 夏海の同期の君には大学時代も多大な迷惑をかけてしまったね」

「いえっ。
 オレはオレの意のままに行動しただけで、その結果が研修先が見つからなくて送れることにはなりましたが、
 ちゃんと鷹宮院長に出逢いましたから。

 逆に言うと、あの時にあんなことをしていなければ、鷹宮院長に出逢えてなかったんだと思います。
 だからこそ、後悔はしていません」

「そうか……」



そういって時任さんは再び瞳を閉じてゆっくりと開く。



「私はね……私はもう充分に人生を楽しませてもらった。
 いつ、家内が迎えに来てもいいと思ってるんだ。

 ただ一つの気がかりは夏海のことだけだ。

 安田先生はご両親は?」





静かに問われたその言葉は多分何気ない問いに違い無いはずなのに、
オレにはその言葉が強く突き刺さる。



「オレが小学生の時に父を、高校生の時に母を亡くしました」


どれだけ受け入れがたくても、その事実は変わらない。


「あぁ、そうだったのか。
 それはすまなかったね。

 ご両親の死を糧にして医の道へ?」



そう問われた質問に対しては、
多分、両親の死のことなんて後付けだろう。




医者になったら食いっぱぐれがないと思ったから、
必死になって資格を取った。


研修をさせて初めてもらってようやく一人前として認められ始めた頃から、
両親の死について、いろいろと思うようになった。




「親父とおふくろの死を、現実ではわかっていても多分、受け止めきれてないんですよ。
 だから、そんな立派なもんじゃないです。

 父が亡くなったのは小学校で、まだガキだったオレはそんなにその時のこと覚えてないんですよ。
 ただ親父は凄く苦しんで死んだんです。

 おふくろは、高三の卒業式の前に肺炎で他界しました。 
 オレは体調崩してることにも気づかずに、おふくろが倒れて病院に運び込まれたときには、
 手遅れでした」


そう……おふくろの心臓は停止を表す、真っすぐな線だけどモニターには映し出されていた。



「それは大変だったね。

 ご両親の死は安田先生にとって大変な時間になったけれど、
 その時間があるから、今の安田先生へと繋がっていたんだね。

 君はいい医者になれるよ。
 そんな君をご両親も誇りに思っているだろうね。

 安田先生も、そろそろ自分自身を許してあげたらどうかな?

 それに……君みたいな人が夏海と結婚してくれたら私も安心なんだけどね」


時任さんが弱音のように零した言葉。
だけどその言葉には答えられない。


「申し訳ありません。

 オレにはすでに結婚を誓った相手が居ますから、
 時任さんの想いには答えられません」


はっきりと頭を下げて告げた。



「あぁ、すまなかった。
 気にしないでくれ。娘のことになると、つい弱気になってしまうんだ。
 夏海を一人、残していくのが心配でね。

 これから旅立つ老人のたわ言だと思って聞き流してくれ」


そう言うと、再び時任さんは口を閉ざした。



「時任さん、入浴の時間ですよ。
  気持ちよくなりましょうか?」



そういって桜の部屋にボランティアの人と介護スタッフが4人ほど姿を見せる。




それを合図にするように、オレは本館へと戻って仕事を続けた。



時任さんの状態が悪化したのは、それから2日後のことだった。

39度の熱が続き、呼吸が荒くなり、血圧が70前後をさ迷った後、
眠る様にして息を引き取った。



最愛の娘である時任の手を息を引き取るまで、ぎゅっと握りしめながら旅立った。




時任さんが遺してくれた言葉が、
オレの心を優しく包み込んでくれた。





なぁ……親父、おふくろ、そろそろ許して欲しいって頼んだら、
ムシが良すぎるか?



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