きみのとなり

佳川鈴奈

7.時任親子と過ごす時間 -嵩継-


時任さんがケアセンターに来て一週間が過ぎた。

悪液室によって低下した時任さんの筋力は少しずつ彼のクオリティオブライフを奪っていた。

それでもベッドの上から移動できないにも関わらず桜の部屋は彼の人柄もあるのか、
毎日ボランティアに訪れる人たちで賑わっていて、訪れるといつも笑い声が響いていた。


「おはようございます」

「あぁ、おはようございます。
 検温、先にしておきましょうか?」


ケアセンターでの朝の検温は病棟のように決められた時間ではなく、
患者さんの起きているタイミングで行われる。


「はいっ、お願いします」


そう言うとオレは一度部屋を出て、詰所から体温計を手にして再び訪れる。


「夏海さんは?」

「夏海は帰らせました。
 っと言っても住み慣れた自宅も今はありませんし、
 小さな古いアパートですけど……」


そう言うと時任さんは何かを思いつめる様に黙り込んでしまった。


「時任さんの病室は、夏海さんがおられなくてもいつも賑やかですよね。
 この場所に来てお友達が増えましたか?」


沈黙が苦手なオレは別の話題を試みる。


「あぁ、有難いですね。
 でも嬉しい反面、複雑なんですよ」

「嬉しいのに複雑とは?」

「私を訪ねて来てくださるのは昔の患者さんなんですよ。
 患者さんには、弱ってる姿はあまり見られたくないですよね。

 それに……こんな体でも少しでも医者として過ごしたくなる」


そう筋力の低下から小さくしか出せない声で少し笑顔を見せる。


時任さんが今まで力を尽くしてきて信頼関係があったからこそ、
噂でもなんでも時任さんの病気を知って、わざわざ鷹宮のケアセンターへと訪ねて来てくれる元患者さんたち。


少しでも医者として過ごしたくなるって言う時任さんの言葉は、
寂しそうにも感じられたけど、そんな風に最期の瞬間まで慕って貰えたらどれだけいいだろうか?



オレをそうやって慕ってくれる存在は……果たしているのだろうか?


そんなことを漠然と考えてしまった。



「あっ、体温計頂いていきますね。
 それじゃ、今日も沢山の方と触れ合ってお過ごしくださいね」


そう言葉を残してオレは他の患者さんの部屋にも足を運んで、
その後は本館のへと移動する。

本館の医局へと入ろうとすると、扉から久しぶりに氷夢華の姿を見た。


「あっ、おはよう。嵩継。
 今日、朝ご飯作りすぎちゃったから机に置いといたよ。

 仕事、お疲れ様。倒れないように頑張ってね」


ふぇ?
嵩継?ってお前……今、オレのこと名前で呼んだか?


いつも、兄貴・兄貴ってオレのことを呼んでは、
無理難題突き付けるアイツが、兄貴じゃなくてオレを呼び捨てにして前を通過していく。



そんなアイツの後姿を追いかけるように視線を動かす。



アイツ……いつの間に髪型変えたんだよ。


この間まで真っすぐなストレートヘアだったアイツは、
今は緩く髪の毛の毛先を巻いて、柔らかな雰囲気を醸し出してた。


ストレートの鋭い感じも良かったが、
巻いてるアイツも可愛いな。


似合ってんじゃねぇか……。


視界から消えたアイツを見送って、オレは医局の中へと入っていく。



自分のデスクに向かうと、アイツが差し入れてくれた朝ご飯を食べ始める。



「安田さん、朝から愛妻弁当いいですよねー。
 それに橘高さん綺麗になりましたよねー」

「そうですねー。
 橘高さん、髪型変えてから雰囲気変わりましたよね。
 看護師の滝山が狙ってましたね」


出勤してきた望月が、若杉の会話に加わる様に追い打ちをかける。
思わずむせ返るオレは、慌ててお茶を飲み干して必死に動揺を落ち着かせようとする。



確かに……暫く見ないうちに、アイツは綺麗になったよ。

いい女がますます、いい女になっちまったら、
どうやって理性保てばいんだよ。


幾ら親公認の同棲って言ったって結婚式の前に、オレの子供はらましちまったら問題だろ。
アイツの両親からの心証も悪くなっちまうじゃねぇか。


だけど……こうやって、こいつらにこうやって冷やかされるのも、まんざらじゃねぇ。


その度に、アイツの存在をオレの中で強く感じる。


アイツと再会してなかったら、オレの時間はこんなにも充実してなかったかも知れない。


午前中の外来、午後からの病棟まわりと手術を終えて夕方再びケアセンターへと顔を出す。


ケアセンター内には、今も何人かのボランティアの人と、患者さんの家族の人が、
リクエストの思い思いの食事を囲んで、それぞれの時間を過ごしていた。


順番に顔を出して、時任さんの居る桜の部屋へと足を運ぶ。


ノックをして部屋のドアを開けると、時任がオレを迎え入れる。



「嵩継君」


慌ててベッドの近くへ向かうと苦痛に顔をゆがめる時任さんが視界に入る。


「時任さん、大丈夫ですか?
 腹水抜きましょうね」


そう声をかけてから、腹水を抜くための処置を始める。


腹腔にたまった水は痛みや嘔吐の原因でもあり、
食事もとりづらくなることから、栄養失調に陥りやすい。

その為、腹水を抜くのだが抜きすぎるとまた体力が低下してしまう。


体力の低下を防ぐために抜いた腹水をろ過して、
栄養成分のみを残して再び治療用の腹水を点滴ポンプを使って体へと戻す。


先ほどまでパンパンに膨らんでいたお腹は処置によって少し通常に戻って、
時任さんは、そのまま薬の効果もあって眠りについた。



「時任さん、お疲れさまでした。
 ゆっくり休んでくださいね」



声をかけてそのまま桜の部屋を後にすると、
オレの後を追うように、時任がオレの後を追いかけてきた。



「嵩継君、有難う。
 父の苦痛を取り除いてくれて……」

「私はやっぱり治療をしないなんて今も受け入れることは出来ないけど、
 だけど私じゃ何も出来ないし……。

 でも……あのまま自宅にいても、病院で化学療法を続けてても、
 父が苦しむだけで、父の時折見せる笑顔は見られなかったとも、最近は思えるの。

 家族が最後に見る姿が、苦しんでる姿だけって言うのも辛すぎるものね」




家族が最後に見る姿。

それが苦しんでる姿だけだったのは、オレのガキの頃の記憶。


沢山の機械を繋げられて、苦しみながら旅立った幼い日の親父。
そして……同じように、たかが肺炎で回復もせずに逝ってしまった……おふくろ。




そうだな……。

オレが思い出せる親父はいつも苦しそうだったし、
オレが思い出せる、おふくろはいつもしんどそうだったし、不安そうな顔をしていた。



笑ってる顔なんて、今となっては思い出すことも出来ない。



そんなオレが、ケアセンターの責任者なんてやってていいのかな?


ふとそんな風に思えた。


その日は病院のレストランで、時任とお礼という名の食事を食べて、
ケアセンターへととどまった。


何時急変してもおかしくない患者さんがいるから。



その夜、一ヶ月満たない時間を過ごした時任さんよりも後に入居した患者さんの旅立ちを見送り、
朝を迎えた。



早朝から桜の部屋を訪ねると、帰らなかったのか時任も、父親の掛布団をめくって
ゆっくりと足を掌でさすっていた。



「おはよう。時任」

「あっ、おはよう。嵩継君」



挨拶だけして、そのまま時任さんの状態を確認すると、
そのまま時任の傍へと行く。


「マッサージか……」

「うん。
 こんなことしか、今の私には父に出来ないから」


そう言うと、時任は皮膚を傷つけないように、
ゆっくりとした動きで、掌で何度も何度も細くなった足をさすっていた。





思わずアイツがマッサージしている足の逆側を、
オレもマッサージさせて貰う。





そうだよな……。


あの頃のガキのオレも、
これだったら親父にすること出来たんだよな。




このマッサージは医療資格がなくても、
この手があれば……手だけがあれば出来たんだよなー。




時任さんにやりながら心の中で、
幼き日の記憶に残る親父へと置き換えていく。




時任親子と過ごす時間はオレが今も忘れてしまっていた、
親父との時間をゆっくりと思い出させてくれた。

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