きみのとなり

佳川鈴奈

10.すれ違う時間Ⅳ~海斗~ -嵩継-



「望月、悪い。
 オレ、医局に居るから」


今日のERパーティーリーダーをしている望月雄飛に、
自分の所在先を告げて処置室を後にする。


このところ忙しすぎて、まともに休める時間がない。


それはオレだけでなく聖也さんにも言えることで、そんなオレたちをフォローしようと、
まだ研修の身でありながら氷室や早城を中心に若杉知成【わかすぎ ともなり】や蓮井史也【はすい ふみや】も
協力的に応援に入ってくれていた。


連日の徹夜でボロ雑巾のようにクタクタとなった重い体は、
暫らく疲労感ゆえの高揚が体を支配していたが、やがてそれも沈下していく。


少しでも休息を得られる場所を求めて医局へ戻ると、
珈琲をカップに注いでソファーへと座り込む。




まだ休んでられない。



一向に、この病院のやり方に馴染もうとしない神島の問題も残ってる。


ここ鷹宮と違って、院長の親友の病院は専門医体制。

だが、今までいた病院のように専門分野以外は診療しないスタイルをとられると、
迷惑を被るのは被るのは看護師や技師たちだ。


神島にも早く鷹宮のやり方を叩き込まないといけない。


そうは思いながらも、あの代議士のお坊ちゃんと来たら
『自分が優秀で派遣された』と自信たっぷりに思い込んでやがる。


多分、あっちでもていのいい厄介払いが出来たと今頃喜んでんだろうよ。



っと何度めかの毒づきをするものの、気なんて紛れもしねぇ。


ハードなローテ-ションと勤務体制の中で必死に探し回る飛翔と由貴を裏切るかのように、
勇人はあの日以来まだ所在すらはっきりしない。



倒れた千尋の方も三日ほど休んで体は回復したものの、
行方不明になった大海を探しまわるのに時間を費やしている。


時折、病院にも顔を出すものの勇人の話題には一言も触れず、
オレたちと視線を合わせる前に何処かへと出掛けて行く。



お前らいい加減にしろよ……ったくガキがっ。


現在の状況を辿るように珈琲を飲みながら、
整頓していくうちにオレの意識は引きずられて行く。



『ねぇ、嵩兄ちゃん。
 氷夢華は嵩兄ちゃんのお嫁さんになるの』

『氷夢華、嵩継は俺のものだよ。
 だからお前にはあげない』

『いじわるぅ~海兄ちゃんなんて大嫌い。
 嵩兄ちゃん、海兄ちゃんメッてしてよ。
 氷夢華のお願い……』




おいおいっ。
何てモノ見るんだよ。


オレは……。




『嵩継、こっちにおいで。

 お隣の橘高さんの家の氷夢華ちゃんよ。
 
 嵩継とは六歳年下のお嬢さんだけど、ちゃんと可愛がってあげるんだよ』



まだ氷夢華が幼い間にお袋からそう紹介された少女。


それが……氷夢華で……当事は口数が少ない大人しいヤツだった。



何処に行くにもオレの後をちょこまかついて来るヤツで、
血の繋がりなんてないくせに『たか兄、たか兄』って……やべえぇまだ氷夢華の問題も残ってっぞ……オレ……。



ふいに何かが、体にかけられるのに気がついて眠っていたことに気がつき慌てて体を起す。




「嵩継さん、寝てていいですよ。

 俺も今日は帰宅しません。
 神威にも連絡しました」


そう言ったヤツは飛翔。



「そう言うわけにはいかないだろ。
 由貴、キツメの珈琲くれるかっ」


オレが医局のソファーでウトウトしてる間に、
医局には若杉・蓮井・飛翔・氷室の四人が顔を出していた。


誰かがかけてくれた毛布を畳むとオレは、
まだ起ききらない脳を覚醒させるために医局の奥にある洗面室の水道水で顔を洗う。


冷たい水を顔に浴びるたびに少しずつ意識が覚醒していく。



戻って来たときには、
由貴がすでに珈琲をしたくしていて。


それを口にしながら状況を把握する。



「早城、勇人の方は?」


早城は黙って首を横に振る。



「今日は時雨にも手伝って貰いました。

 ですが勇の居場所ははっきりしなくて先月の初め頃、勇が入り浸りになっていたバーは見つけたのですが、
 そのバーにも先月の中頃からは来なくなったみたいで、それ以降の所在がはっきりしていません」


警察の情報網使ってもその程度かよ。


オレ自身もケアセンターでそいつの母親を預かっているために、
何度も顔を合わせたことがある金城時雨を思い出しながら心の中で毒づく。



「そうか。マジ勇人のヤツも何処に行ってんだかな。
 んで千尋が保護したい柳宮の方は?」


「今日、そっちの方は俺が行ってきましたが報告できるものはありません」


若杉が間髪いれずに答える。


「上手くいかねぇな。
 蓮井、神島の方はどうだ?」


「どうもこうもありません。
  あの人と同じ職場に居たら看護師や技師たちが病気退職間近かも知れないですよ」


「おいおいっ、お前。
 んな怖いこと……さらっと言うなや」


「ですが、安田さん俺も思います。
 院長も何故あんな奴を代わりに入れたのか」


「それを言うなって飛翔」



それを言うなって……それはオレも散々思ってんだからよ。



「とりあえず若杉と蓮井は自宅帰って寝るか仮眠室で寝て来い。
 今の鷹宮には倒れても休ませてやれるほど人材はいない」


「それ言うなら嵩継さんでしょ」


「おいおいっ早城、お前も言うようになったな。
 オレもちと裏で休んでくるわ」


珈琲を飲み干してソファーを立ち上がったところに入るホットライン。


「すいません。

 交通事故による頭部挫傷の疑いがある患者と心停止の患者が二台到着します。
 急変患者の対応に追われて人数が足りません」


看護師が医局に飛び込んでくる。


「俺、頭部挫傷の方行きます」

「僕も手伝うよ。知成」



若杉と蓮井が早々に医局を飛び出していく。


「早城っ!!」

「わかってます」

「安田さん、私も行きます」

「氷室は次に備えてくれ。
 こう言う時に限ってホットラインは止まらん」

「はい」



悪いな、氷室……妃彩ちゃんのところに帰してやれなくて。



一瞬、氷室と共に生活している元ケアセンターに入居していた、
車椅子の少女・春宮妃彩【はるみや ひめあ】を思い浮かべる。


徐々に鷹宮へと近づいてくるサイレンの音が聴覚を刺激する。
オレも慌てて準備を整えて医局を飛び出す。



「嵩継さん、俺だけでいいですよ」

「バカ言えっ。オレも行く」

「そうですか」



早城も後を追いかけるように医局を飛び出し俺を追い抜いて早々に処置室に入る。
すでに先に到着した頭部挫傷の患者の処置は聖也さんと若杉たちの手によって始められている。

続いて到着した患者の移送用担架が救急車より運び出されると
早城は素早く乗っかって心マ【心臓マッサージ】を交代して引き継ぐ。


看護師たちも相手が早城と知ってか、いつも以上に神経を張り巡らせているようだ。
コイツと来たら使い物にならんと一度判断すると、それ以降は相手にしなくなるからなぁ。



「嵩継君、今日も帰ってなかったのね」


飛翔のサポートに入ろうとしたオレに背後から聞きなれた声がかかる。


「総師長こそ」

「早城先生一人でも大丈夫そうね。
 春はどうなるかと心配したけど、研修の遅れも取り戻して今では少しずつ頭角を見せてきたわね」


「まだまだですよ。
 アイツは……」

「雄矢先生に比べたら?それとも嵩継君に比べたら?」



総師長は処置中の早城たちを見つめながら呟く。



「今回は早城先生に任せて少し私の部屋にいらっしゃいな」



総師長はオレの返事を聞くまでもなく、
近くにいた看護師にオレと自分の所在地を告げて総師長室に向かう。




何時まで経っても叶わんなぁ。
雄矢先生と同じ魅力を感じるこの人には……。




早城の声が響く処置室に背を向けて、
オレは総師長室へと向かう。


部屋の明かりをつけて水谷さんがすすめるままにソファーに腰を下ろす。


オレの体重を受けて革張りのソファーがズシリと沈み込む。


「嵩継君、少しは休んでるの?」

「休んでますよ。
 時間を見つけて」

「自宅には?」

「そこまでは……」

「……そう……」


緑茶を入れながらオレに話かける水谷さん。



オレが、この病院で逆らえないリストNO.1を誇るこの水谷さんとは、
研修医の頃からの付き合いである意味、この病院に来てからの母親的存在。


この人に何かを言われるとお袋に説教されてるみたいで懐かしい。



「はい、どうぞ」


コトンっと音を立ててテーブルに置かれる湯呑み。
何時からか、この部屋に常備されてるオレ専用の湯呑みだ。

いびつな形がアジを醸し出す、この湯呑は水谷さんがはじめて作った手作りだ

湯呑みに入れられたお茶を少し口に含むと、ホッとした。



「嵩継君、ちゃんと見てるわよ。
 貴方が頑張ってくれてるの。
  
 雄矢先生のフォローも、坊ちゃま二人のフォローも嵩継君が頑張ってくれてるから何とかなってるのよね」


「大丈夫ですよ。

 あいつらが戻ってくるまで、まだ踏ん張れますよ。
 オレがいますから」


「そうね。嵩継君が居てくれると安心ね。

 だけど私が言いたいのは違うのよ。
 嵩継君が頑張ってくれているのは伝わるわよ。

 だけど貴方の気負い過ぎる癖が心配なの」



気負いすぎる癖……確か前にも海斗の時に指摘されたことがあった。

自分でも気がつかないほど無意識に気負う癖があるらしいオレは
水谷さんに指摘されるまで気がつくはずもなく……。




「また気がついてなかったのね。

  ったく、このまま嵩継君まで倒れてしまったら、
 それこそ誰が鷹宮を支えるのかしら。

 もう少し、信じてあげなさい。

 早城先生や氷室先生、若杉先生や蓮井先生たちを。
 最近は頼もしくなってきてるでしょ」


「えぇ、あいつらは……此処にきて随分成長しました」



あいつらの実力が伸びているのも身近で感じている。


「だったら……ね、もう少し肩の力をお抜きなさい。

 上に立つものが力みすぎていると下のものは仕事がやりにくいものなのよ。

 どんな時でも上のものは下のものに、ゆとりを与えてあげられる存在でなくてはいけないの。
 
 雄矢さんはそれが上手い人なの。
 もう少し雄矢先生のように下の子に任せる力量も必要ね。

 それはゆくゆく、勇ちゃんにも千尋君にも学んで貰わないといけないけど、
 まずは嵩継君からね。

 貴方は二人のお兄ちゃんなんでしょう?」



鷹宮の母。


誰もが感じる水谷さんは遠慮なくズバっと物申してくれる。


千尋や勇人の場合はこの人にオムツ交換までお世話になってたってんだから、
逆らえるわけもないかっ。


研修医時代から世話になってるオレですらこの様だしな。



「ねぇ、嵩継君。

 千尋君もそうだけど貴方も周囲が見えなくなってないかしら?
 ちゃんと自分の心に聞いてみなさいよ」



流石、水谷さん。
何もかもお見通しですかっ。



話題が話題で気まずさを感じ、
とりあえず深入りされる前に先手を試みる。



「勇人のことですが……」

「勇ちゃん見つかったの?」

「残念ながら、まだ見つけるには至ってません。

  けど今日、氷室の知り合いの金城さんが調べて勇人が先月の初め頃、
 入り浸っていたバーをみつけたようです」

「……そう……。
 勇ちゃん、家に帰ってこないでずっとバーにいたのね」


総師長はその事実を一つずつ整頓し、
自身に言い聞かせるように小さな声で反復する。



「その後、そのバーからも姿を消し足取りが掴めていません。
 千尋の方も柳宮君が保護出来ないままに一ヵ月過ぎてしまいました」

「嵩継くんも今年は出津君を振り返る時間もなかったわね」

「海斗は此処に居ますから」

「そうね。
 出津君のお母様から出津君の御遺骨で出来たエターナルペンダントを託されたのだったわね」

「えぇ。

 こいつの命日もバタバタして終わりそうです。
 けど今は勝手出来ませんし、落ち着いたら後で詫びいれて許して貰いますよ」

「その時は橘高さんと一緒にかしら……」


水谷さんの言葉に思わず飲みかけのお茶を噴出しそうになる。




……墓穴った……。




「アイツは大丈夫ですよ。

 とりあえず今の状態が落ち着いたら話し合います。
 水谷さんはそれを伝えたかったんでしょ」


オレの言葉に水谷さんは柔らかに微笑む。


ふいに総師長室の電話が鳴り水谷さんは素早く手に取ると何かを聞き取って受話器を置く。
それと同時に聞こえ出す救急車のサイレン。



こんな夜に限って何台も来やがるっ。
流石のアイツらも参るだろう。




「総師長、オレ行きます」

「安田先生、私もサポートに付きますよ」



その瞬間、水谷さんから母のような甘さは掻き消えオレの心も引き締まる。


「お願いします。
 総師長」
    

慌てて総師長室と飛び出して処置室に飛び込む。





また休み損ねたなー。


だが今は多少の無理も仕方がない。


この暗闇の時間よ……今は少しでも早く明けてくれ。



患者の受け入れ態勢を整えながら、
ふと戦闘服の下、直肌に触れる海斗を感じる。





悪い……海斗、今は妹のこと頼むわ。
オレは、此処を支えなきゃなんねぇ。



今日も慌しい夜が始まる。
何時終わるかもわからない終わらない夜が……。

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