すばらしき世界のラグナロク

氷雨ユータ

平和そのもの

「…………ん~ああっ」

 目が覚めた。誰に起こされるでもなく、自動的に。何せこの小屋は日の出の角度まで考えて建設した自信作で、決まった時間になると天気が悪くない限り日が差すようになっている。昔の世界で言う所の目覚まし時計の様な役割を持っているのだ。


 ―――もう十年か。


 世界の終焉から逃げる為に僕達はこの世界で第二の人生を歩む事になった。最初はプレイヤー同士協力したこともあったけど、今は……どうだろう。他の人達はまだ協力しているのかな。とにかく平和に暮らしたかった僕は、御覧の通り隠居暮らしをしているけれど。

 サハル・シーカー。それがこの世界における僕の名前。

 改めて過ごす十年はとても濃密で、何もかもが新鮮で……昔の名前なんてすっかり忘れてしまった。少なくとも、あの世界よりは充実しているし、成功している。薄情と言われようとも構わない。家族の名前すらもう覚えていない。

 人は忘れる事で先へ進める。思い出とは旅の手荷物だ、と何処かのゲームで言われた事がある。重すぎれば前へ進む事が出来なくなるし、軽すぎれば旅がつまらないものになる、と。家族との思い出は素晴らしいものだが、いつまでも引き摺っていたら第二の人生なんて歩めない。僕はサハルであって、『    』じゃない。思い出す必要性も感じない。


 だって、そうだろう。


 家族は一度捨てた。他の何においても優先していきたいと願う人間がプレイヤーとなってこの世界で生きているんだ。顧みる様な人はとっくにあの世界で終焉を迎えているだろう。僕達を助けてくれた『神』みたいに。

 ベッドから降りて外へ出ると、木々の葉に緩和された温かい光が全身の気怠さを浄化してくれた。近くの川まで足を運んで顔を洗う。完璧に目が覚めた。今日も変わりなく、この世界は美しい。


 さあ、何をするも自由だ。今日は一体、何をしようか。


「買い出し……かな…………」

 長い長い独り暮らしが僕に独り言を垂れ流す悪い癖を作ってしまった。こんな変な癖がつくと分かっていたら気の合うプレイヤーの一人くらい誘ってルームシェアでも考えたんだけど、過ぎてしまったものはどうしようもない。

 さてと立ち上がった僕が見遣ったのは川の上流。僕が隠居暮らしをするこの場所は『リストクヌト大森林』。長寿調和の種族であるエルフが暮らす森だ。八年を費やして世界を見て回った僕に言わせれば、ここが一番落ち着ける場所だ。エルフは人間嫌いだから訪問者も来ないし、おまけに長寿で容姿の変化が緩やかだから目の保養にもなる(緑が多いという意味も含めて)。最高じゃないか。


 え? じゃあどうして僕は住めるのかって?


 種族が違う? 残念ながら人間だ。心内としてゲーム的に扱っているが、ここは紛れも無く僕達にとっての現実世界。パラメータもなければスキルも……いや、僕達プレイヤーには『神』から固有のスキルツリーが渡されているけれど可視化はされない。漠然と感じ取れるだけで、自分で弄れるものでもない。

 賄賂を積んだ? それも違う。そんなお金はない。財テクも知らない。

 職業の問題? それも違う。僕はフリーの鍛冶屋だ。固有オリジンスキルも日常生活では何の役にも立たない。


 結論はもっと単純で、コネクションだ。たまたま使える縁が生まれて、それを辿ってここで暮らす様になっただけだ。


 ―――それじゃ、外出の許可を貰いに行こうかな。








 


   







 川に沿ってのんびり歩いているtお、ようやく門が見えてきた。本来この門を通れるのは村の人間として認められた人物―――要するにエルフしか居ないのだが、僕の場合は首に手の甲に刻まれた刻印が通行証の代わりになっている。

「お疲れ様。村長に用があるんだけど、会える?」

 森の奥から足を運んでくる様な人間は俺しか居らず、今となっては門番もすっかり顔馴染みだ。人間が来たぞと身構えていた二人は直ぐに構えを解いて、いそいそと門を開けてくれた。

「村長は俺が呼んでくるからちょっとここで待っててくれないか?」

「ああ分かった」

 門番の片割れ―――シゥフェが足早に去っていくのを見送ると、僕は残ったもう片方ことルシに雑談話を持ち掛けた。

「やあ。最近何か変わった事とかあった?」

「ん。いやあ全く。平和そのもので欠伸が出ちまうよ。久しぶりに人間が来たと思ったら方向的にお前しか居ないし……刺激が欲しいなあ」

 エルフの男性は女性から見れば若々しいままの、言うなれば不老イケメンであり、プレイヤーの一人が猛烈に恋焦がれていたのを覚えている。耳が長い事をコンプレックスに持つ者もたまにいるらしいが、他の種族に言わせれば大した事のない問題だ。事実、ここ十年の間にエルフと他種族の婚姻率は上がっていて、遺伝子の問題からか何処の種族も全体的に長寿化している。

 逆に言ってしまうとエルフ同士の婚姻率は下がっている。この村が存在する理由は正にそこで、純粋なエルフの血筋を絶やさぬ為という訳だ。

「お見合いとかは来ないの?」

「お見合い? なんだそれは」

「なんかこう……結婚したい者同士が会ってお話ししてっていう……恋人探しの一環? なの……かな。僕だってした事ないんだから聞かないでよ」

「お前が言い出したんだろーが。まあでも、お前はいいよな。そういう必要性がなくて」

「あはは……まあ、嬉しくないと言えば嘘になるよね」



「おーい、サハルッ。会うってよ」



 シゥフェが息を切らしながら戻ってきた。十年間思っていた事だけれど、幾ら伝統として名前を濁らせないからって発音を複雑にするのは辞めて欲しいものだ。僕は面倒だからいつも彼をシフェと呼んでいる。愛称という名目で。

「ああ、有難う。所でシフェは何か変わった事とか聞いた?」

「ん、変わった事ぉ? そう言えば森全体の魔力が少し濃くなった気がするな」

「それは僕にはどうにも出来ないな。じゃ、ちょっと行ってくるよ」

「そういえば何の用事なんだ?」

「買い出しをしたいから外出許可をね。ほら…………分かるだろ?」

 わざわざ口にするのは恥ずかしい。門を潜ってまっすぐ村長の家に向かう俺を、道行く村人は快く迎えてくれた。


「おうサハルじゃねえか! どうだ? そろそろ馴染んできたか?」

「サハルおにーちゃん。あーそーぼッ」

「おうサハル。ちょっと修行に付き合ねえか? 俺の新技を見せてやるからよ!」


 魔力に敏感で長寿。植物や動物と会話出来る事も特徴と言って差し支えないが、何より種族感で幅が出るのは住居の建築様式だ。僕は諸事情で小屋に住んでいるけれど、本来エルフの住居は巨大な幹を持った木を掘って階段を取り付けて移動する縦に大きな住居―――前の世界で言えば、マンションみたいな感覚に近いかな。マンションは一人一室だけど、エルフの場合はマンション全体を家族で使ってる感じ。

「ああごめん。後で付き合うよ。買い出しがまだなんだ」

 そんなマンションの中でとりわけ大きな木を使っているのが村長だ。代々の村長が使ってきたとされる長い伝統と権威の象徴ともいえる。


 ―――さて、不思議には思わなかっただろうか。


 たかが買い出し如きで一々許可を得なければいけないのか、と。自由な様で不自由なだけじゃないかって。

 でもそれが契約。この森で住まわせてもらう代わりに、僕はこの血に骨を埋める事になった。手の甲にある刻印は通行証の代わりになるだけで実際のそれとは大きく違う。この刻印の真の意味とは―――





「お帰りなさい、旦那様……♪」

 婚約だ。

 僕はエルフの長と婚約している。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品