這い上がる者たちへ

ムラハ

水島吾朗

僕の両親は僕が小さかったころから共働きだった。
 祖父母も、僕が生まれてくるずっと前に亡くなっており、僕の知る世界は沢山の書物とベビーシッターのお姉さんだけだった。
 物心がつくと、僕はいつも部屋に篭り貪るように本を読む。俗に言う乱読ということだと、小学生の時に知った。
 当然、得体の知れない奴がいれば小学生なら虐めたくなるのは、必然だ。
 とはいえ、それ自体は全然怖くはなかった。当時のことを振り返ると、蓄えに蓄えた知識に酔っており低脳な人間は弱いものいじめをすることしか能がないと本気で思っていた。今では、黒歴史だ。
 そんな僕は自然と人と関わりたくない一心で、ネットの中にある高校に進学した。
 それ以来、人とはほとんど話したことがない。


 さっき、人とはほとんど話したことがないと言ったが、例外はある。
 誰にだって、例外と呼ぶべき事柄はあるのだと僕は常日頃から思う。
「暇じゃー」
 そう言って、寝転がるのは、茶色に染めた頭の木山智だった。
「じゃあ、学校行けば良いだろ」
 相変わらず、木山には友達が少ない。一応補足しておくと、こいつは不登校だ。理由は聞いてないが、大した理由ではないのだろう。
「だってさあ学校なんて行っても良いことひとつもないじゃん!彼女が出来たら別だけどさ」
 もうこのやりとりも今日で五回目だ。適当に流しながら、パソコンにレポートをタイピングし終え、送信する。
「これでレポート終わりっと」
「なあ、ネットで授業受けられるのって楽しいか」
 そう、木山が聞いてくる。不登校に言われたくはないが、気分転換がてら丁度いいだろう。
「別に、普通だよ。いや、むしろ面倒臭い。ノート取った後にそれをレポートで提出しなきゃいけないからなあ」
「へえ」
 聞いてきた割には、興味無さそうに寝転がる。そして、
「ここに永久に住みたい」
「なら家賃払え」
「やだ」
「ダメ男になりそうだな」
 相変わらずの図々しい奴だ。
「えー、いいじゃん養ってくれよー」
「働かざるもの食うべからず」
 僕の返答が面白くなかったのか、木山から予想外に、
「ちぇっ、お前はいいよな。いつも家で過ごせて」
「よくない!!」
 ほとんど、反射的に怒鳴った。我ながら大人げない、痛いところを突かれたからってこうも怒鳴っていては、あいつらと同じだ。
「・・・なんか悪りぃ」
「・・・・・こっちこそ、熱くなりすぎた」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 きっ気不味い。
 と木山が気を利かせようとしたのだろう。
「あっアイス買ってくるか?」
 いや、今冬だぞ!?
「こんな寒い時期にか?」
「そっそうだよな、じゃあ野菜炒めでも」
「僕は野菜が苦手だ」
「そっそうだったっけ」
「うん」
 これ、狙ってるなマジで。
 でも、
「・・・ぷっ」
 こいつのそういうところは、素直にいい奴なんだって思う。ちょっとおかしくなってきた。
「ってなんだよ」
「なんでもない、気にすんな」
 空気は読めない奴だが、根は優しいんだよな。
「暇だからゲームしようぜ」
「ああ」
 密室にむさ苦しい男が二人、黙っているというのも気持ち悪いのでその提案に乗った。

「うわっ、やばっ!」
 ゲームに夢中になってたら、時計の針は午後六時を回っていた。
 そう言えば、こいつは制服だ。冬だということもあり、この時間でも暗い。何より補導される可能性がある。
「それじゃあ、そろそろ帰るわ!」
 そうだとわかっていても、やはり一人は寂しい。こんな奴でも、いたらいたでそれなりに楽しいのに。
「ああ、また・・・な」
 またなと玄関の扉が閉まる。ガチャリという音が、さっきまで賑やかだった室内に空虚に響く。
 溜息が自然に溢れた。この後はパソコンで、小説を書くことぐらいしかすることがない。
「・・・コーラでも飲も」
 キッチンに向かうと、携帯から着信音が鳴る。コミュニケーションアプリを開いて、確認すると家族のグループから今夜は帰れそうにないというメッセージだった。
「・・・・・・んだよ」
 今日はあの二人の誕生日で、密かにプレゼントとケーキをネットで注文していた。
 父は外科医で、母は看護婦。忙しいのはわかっている。だが無性に腹が立つ。言葉通り、腹が立って背中から内臓が飛び出そうだ。
「・・・クソッ」
 携帯を置いて、冷蔵庫からコーラを取り出そうとする。が。
「・・・・・・ねえじゃん」
 先週箱買いしたコーラが、あっという間に無くなっていた。
 そう言えば、木山がよく飲んでいたのは確かコーラだった。どうやら冷蔵庫に入れていたコーラを飲んでいたらしい。
 今度コーラ代請求してやると心に誓うが、そんなことを違ってもコーラが冷蔵庫にワープしてくるわけでもなし。
「・・・ここからコンビニ遠いんだよな」
 仕方なく、久方ぶりにダッフルコートに袖を通した。

 玄関の扉を開けると、隙間から冷え込んだ風に包まれる。
「意外と寒いな」
 しばらく、買い物はネットで済ましていたため外には出るのは何ヶ月ぶりだ。それにダッフルコートでも寒いと感じるのだから、相当冷え込んでいる筈だ。
 早くコーラを買って、そそくさと帰ろう。
 しばらく、歩いていくと賑やかな街並みが僕を照らし出す。すすきのはたしか、夜の街として有名だったはずだ(歌舞伎町には負けるが)。
 だからだろう。この街はやたらとチンピラが多い。前にチンピラに絡まれたことがある。その時に木山がチンピラを追っ払ってくれた。今思えばあれはチンピラがチンピラに絡んだだけだったが。
 それでも結果的に助けてもらったことに変わりはない。お礼くらいしようと言ったら、
「じゃあ平日中に、お前の家で遊ばせてくれ」
 と要求された。
 ・・・・・・普通は、気にするなとか、お礼はいらないとかいうと思うがそれを期待したところで無駄だと思った。まあ、僕も寂しさが紛れて結果オーライなので構わない。
 そんな物思いに更けっていると、
 通行人の肩にぶつかった。
 肩がぶつかる行為は、都会ではよくあることだ。それが、札幌でも変わらない。昭和なら、絡まれるがこのご時世にいるといえばチンピラだけだ。
 当然謝らないし、気にも留めない。
 だが、ぶつかった相手が突然転んだのだ。かなり豪快に、それこそ鈍い音が聞こえるくらい。
 えっ?僕の所為?
 通行人達も、驚いてその相手を見ている。その相手は老人だった。傍に細長い杖が落ちており、白髪の長い髪が地面の雪と同化していて意外にわかりづらかった。服装は裾が長めのコートを羽織っていた。
 というか、冷静に観察している場合か!?
「あっ、あの大丈夫ですか!?」
「・・・ん?そこにいるのは誰だ」
 一応は無事みたいだ。僕はある意味無事ではないが。
「とりあえず、立てますか?」
「心配は不要だ。少年、それよりも私の周りに落ちているものをポケットに入れてはくれないか」
「はっ、はい」
 言われた通り、辺りを見渡すと先程の杖と携帯が落ちていた。
 念のため、携帯の電源を入れてみると画面からブルーライトが照らされる。無事のようだ。
 そのまま、老人のポケットに突っ込む。
「ああ、ありがとう。少年は優しいな」
「いえ、元々僕がぶつかってしまったのが原因ですし」
「? そうか?」
 と老人は首を傾げている。
「えっと、僕がぶつかったから転んだんじゃないんですか?」
「ぶつかった、私が?」
 どうやらこの老人は、ボケているようだ。
「とにかく、無事ならよかったです」
 この場から去ろうと、歩き出す。
「待ちたまえ、少年」
 そう、老人に呼び止められ立ち止まる。まさか慰謝料とか請求されるのだろうか。だとしたら面倒だ。逃げ出すことを決めていると、
「私は目が見えないんだ」
「えっ?」
 目が、見えない?
「それ故に、付き添い人とはぐれてしまってな。慰謝料がわりに付き合え」
「・・・要は迷子ですか?」
「いかにも」
 ・・・・・・いい年こいて迷子かよ。
 僕だって色々あるんだ。小説の執筆とか執筆とか執筆とか。
 というか執筆しかないのか。それに、慰謝料を請求されたがお金じゃないだけマシだろう。
「・・・具体的にはどうしろと?」
「私の話に付き合うだけでいい。それだけで、チャラにしてやる」
 ・・・まあ、話に付き合う程度なら別にいいか。
「ああ、わかったよ。それで、外で話すのか?」
「どこでもかまわん。任せる」
「人任せだな、やけに」
「室外だろうが室内だろうが変わらん。私には光がないからな」
 杖を手に取り床を叩く。確か、これで地面を把握していると、テレビで見た記憶がある。
 普通は喫茶店などで話すが、生憎コーラを箱買いした所為で残金は心許ない。老人に奢って貰うという手もなくもないが、請求された側が奢れというのもおかしな話だ。
 となると、
「地下歩行空間に、ベンチがあった筈だ。そこで話そう」
 そう言って老人のコートの裾を引っ張って、出入り口に向かった。

 地下歩行空間に出ると、寒さは和らいでいた。
「にしても、こんなに騒がしかったか?」
 気の所為かわからないが、いつもより人が多いような気がした。
「どうかしたのか?少年」
「いや、大したことじゃない」
 近くのベンチに案内して、席に着かせる。
「で、話って何を話せばいいんだ?」
「ふむ」
 と老人は顎を摩り、
「今日は何をしていた?」
 そんなことを言い出した。
「何をしていた、って言っても・・・レポートを提出して、あとはあいつとゲームして」
「ほう、勤勉だとは関心」
 ・・・別に勤勉と言うほど、勉強しているわけではないけど。
「私はいつも空を見ている」
「空って、そもそも目が見えないんじゃ見えないだろ」
「空を見ることは出来る。盲目でも」
「詭弁だよ。人間の脳の演算能力の内八割が視覚に占められているんだ。それだけ重要なんだよ、視覚は」
「出来る。大切なのは心の持ち様、それさえあれば空を見ることは容易だ」
 ・・・この人、怪しい宗教の人?教祖か?
「そうですかそうですか確かに心の持ち様ですねそれではもうそろそろ」
「待ちたまえ少年」
 くっ、ちゃっかりコートの裾を掴まれてる。
「私は無宗教だ」
「いや、絶対嘘だろ。明らかに怪しいじゃん、言ってることもおかしいし」
「おかしくはない。当たり前のことを言っている」
「言ってないから!絶対おかしいよあんた!」
 振り解こうとするが、裾を持つ握力が予想以上に強い。
「なんなら慰謝料を請求しようか?」
 うっ、痛いところを。
「どうした?少年、席に着いたらどうだ?」
「・・・覚えてろよ、クソジジイ」
「何か言ったかね?」
 仕方なく、席に着く。大体、話題もないのに此処にいても暇なだけだ。
「将来の夢はないのか」
 と、見かねたのか(実際には見えてないが)話題を振ってきた。
「将来の夢、ね」
 そういえば僕は特に夢とか、先のことを考えた事があまりなかった。
「何かあるだろう。それともなにもないのか?」
 その言葉は、なんだか胸に刺さった気がした。まるで、お前は空っぽなのかと責められている、気がする。だからだろう、無性に血液が頭に回った。
「馬鹿にするなよ、僕にだってなにか」
 なにかある。きっと、・・・きっと・・・・・・。
「どうした、少年」
「うるさい!何か、僕には何か・・・・・・」
 ・・・・・・あれ?
 何か、あったっけ?将来の夢とか、希望とか、あったっけ?
 あるのは、・・・寂しさと、広い心、
 それだけだった。
 何もなくて、
 空っぽで、
 虚しい。
「・・・はは」
 ここまでくると笑えてきた。
「どうした、少年」
「なあ、僕には何もなかったよ。何にもなくて・・・空っぽで・・・」
 僕はどんな思い上がりをしていたんだろう。
「馬鹿みたいだよな、今思えば。時間は沢山あった。やれることは沢山あった筈なのに、なにもしてこなかったんだ!」
 僕にはなにかある、そう心のどこかで信じていた。そして惰性を謳歌してきた。なんだよそれ。それじゃあまるで僕は人形じゃないか。
 綿の入っていない、出来損ないの可愛くない役立たずじゃないか。
「それなら探せばいい、やりたいことを」
「はっ?」
 なんだよそれ、馬鹿にしてるのか?
「無理だよ、今更」
「無理ではない」
 なんだよこいつは!
「無理なんだよ!遅すぎたんだよ、僕にはなにも」
「諦めるな」
「あんたに!」
 ああ、今僕は、
「あんたになにがわかるんだよ・・・」
 最低なことを言った。
 本当、自分で自分が嫌になる。何もないくせに、文句だけは言える。
「おい、そこのジジイとガキ」
「なーに騒いでんですか?えっ?」
「マジで恥ずかスィー!」
 そこに、いかにもなチンピラ集団が僕達を囲んでいた。
「あっ、すいません」
 僕は老人を連れて出ようとすると、一人の少し太った体格の男が道を塞ぎ、
「待てよ、ガキ。迷惑料って知ってるよな?」
「ここに金置いてけよ、財布ごとな」
 典型的なカツアゲだった。
「いや、でも」
「口答えするのかな?生憎、今俺達は茶髪の髪の奴にボコられて気分最悪なわけ、わかるよね?」
「てめえに選ぶ権利はねえ!とっとと出すもん出せよ!」
 そのまま突き飛ばされ、尻餅を突く。
 今日は本当に最悪だ。変な老人に絡まれるわ、チンピラに絡まれるわ、箱買いしたコーラを呑み切られるわで。
 でも一番の最悪は、
「僕だよな・・・」
 空っぽだと言われ、その通りだと認識してしまった。
「少年」
 と呼ばれ、
「私にはお前の気持ちがわからない」
 そう、はっきりと言われた。
「えっ」
「私も大きな過ちをたくさん積み重ねてきたが、少年のとは趣旨が違う。だから私にはわからないが、これだけは言える」
 老人は僕の方を見て、
「それでも進め」
 その言葉には、重くて力強く響いた。
「その先が地獄だろうと、絶望しかなかろうとそれでも進め。少年のいう中身というのは、いつかは埋まる」
「埋まるわけが」
「埋まる。私がそうだったようにな」
 その言葉には、なんの根拠もないのに説得力を感じた。まるで、
 絶望を思い知ったことがあるように、
 地獄を潜り抜けてきたかのように、
 どん底から今も尚、這い上がっているかのような、
「おいおい、さっきから何無視しちゃってんですかあんたら!」
 一人のチンピラが拳を振り上げる。殴られる!
 そして、
 振り上げた拳を腹に抱えて悶絶していた。
「えっ」
 いや、意味がわからない。殴られそうになったのはわかる。でも、殴ろうとした側が悶絶するって。
「おおっふ・・・てめえ・・・・・・何しやが」
「ああ、何しやがるクソジジイ!」
 横を見ると、確かにあの老人が立っていた。
 というか、どうやってあの男を?
「それにな、中身がないということはこれから先、たくさん吸収できるということでもある。だから胸を張れ、少年。まだまだ成長できるということを誇れ」
 そう言って老人は一歩踏み出したかと思えば、残りのチンピラを薙ぎ倒していった。
 その老人の姿はどこか精錬されていて、綺麗でカッコいいと思った。彼の人生はどんなものだったんだろう。そんなことが頭に過った。あの老人は何者なんだろう。どうやって生まれて、どんな環境で育ったんだろう。
「僕はあなたの物語を描きたい」
 ふと、口に出していた。別に恥ずかしさはない。
 老人は振り返って、
「ああ、楽しみにしている」
 そう言い、口角が上がった。
「あ、いたいた。何してたんですかこんな所で!」
 そこに学校の制服を着た女の子が、老人に駆け足で近寄る、
「うわ、なんですかこの人達」
「酔っ払いだ。酒に呑まれたんだろう」
 さらりと嘘を吐く老人。
「へえ?そんなことより行くよ。スーパーのタイムセールが終わっちゃうから早く!」
「はいはい、それでは少年、またな」
「何してんの行くよ!」
 とグイグイ引っ張る女の子に着いて行く老人を見て、微笑ましい光景だと笑みが溢れる。
 僕もコンビニに行こうとすると、
「あの」
 と先程の女の子に声を掛けられ、
「うちの爺ちゃんがお世話になりました」
 そう言い残して、あの老人に駆け足で戻っていった。
 その姿はどこか、懐かしく、切ない気持ちになった。



 玄関に入ると、靴が二足多かった。
 もしかしてと思い、靴を脱いでリビングに入るとそこにはスーツ姿の父さんと母さんが二つのホールケーキを食卓に置いている最中だった。
「父さん・・・母さん」
「吾郎。ただいま」
 ぎこちなく、父さんが言うのに目頭が熱くなって何かが溢れた。
「えっちょ、吾郎!?大丈夫か!」
「たっ大変、えっと救急車呼ばないと」
「いや、ここは心臓マッサージかなにか」
 あまりの慌てように、噴き出す。それを見た父さんと母さんは、口を開けている。
「大丈夫。大丈夫だから」
 僕は精一杯笑った。
 そのあと、二人に誕生日プレゼントを渡し一緒にバースデーケーキを食べた。思えば何年ぶりだろう。家族三人で誕生日を祝ったのは。この瞬間が、誕生日でもないのに僕は幸せだった。



 後日談。というか後年談。
 あれからどれだけ経っただろう。僕はもうおじさんと言われる歳だが、相変わらずギリギリの生活だ。
 締め切りとパソコンに向かい合って戦う日々が若い頃は新鮮だったが、今では苦しくてみっともなく作家にしがみついている様に見えるだろう。実際その通りだ。
 僕は作家に固執している。そうでもしないと生きてはいけないから。それにいくら苦しくて辛くても、僕は望んで作家になったことは後悔したことはなかった。僕が作家になりたいと両親に打ち明けたのは確か、高校生の桜が舞う時期だった。二人は反対しなかった。その代わりに、一つの条件があった。
「せめて大学に行きなさい。作家になったら辞めてもいいから」
 そう言われて、僕は大学に入った。もちろん文学部に。今思えば、作家になれなかった時の保険として入らせたのだと三十路に入ってやっと気づいた。今では、大学で文法を学び、それを活かして作家になったのだから皮肉な話だ。
「それにしても、元気かな」
 あの老人のことが頭を過ぎる。あれ以来一度も会っておらず、それどころか名前も知らなかった。取材をしたかったのだが、連絡先も知らない相手に連絡を取る方法を僕は知らない。
「描きたかったな。あの人の本」
 一度、あの人の人生を想像して描こうとした事がある。物語としては悪くなかったが、どこか携帯にジャラジャラとストラップを沢山付けている様な、胡散臭さが滲み出ている気がした。
「一体あの人は何者だったんだろう・・・」
 少なくとも善い人ではなかった。人の痛いところを見透かしてくるし、図々しいし。
 でも、人間味のある人だった。多分僕は知りたいんだろう。あの人がどう生きて、どういう過ちを犯して、
 どうやって前へ進んでいるのかを学びたいんだろう。
「・・・・・・さて」
 思い出に老けっているほど、僕は暇じゃない。早く原稿を書かねば。
 パソコンに向き合い、キーボードを打とうとするとチャイムが鳴り響く。
 席から立ち、玄関に向かうと若い男の配達員が立っていた。
 扉を開ける。
「郵便です」
 そこからはつまらないやりとりを行い、郵便物を受け取るとそれは手紙だった。
「差出人は」
 裏を見ると、そこには意外にも木山智からだった。
「木山?」
 なんだって手紙なんて寄越すんだろう。ネットが普及している時代に手紙なんて。
 とりあえず中を見る。そこには。
『結婚したZE☆』
 裏には茶髪頭の木山と黒髪の似合う美人な女性が浅草寺をバックに、ピースサインをしていた写真がプリントアウトされていた。
「お前にはもったいないくらいの美人じゃないか」
 それに礼儀正しいのか、無礼なのかどっちだよ。
 緩みそうになる頬を堪えながら、本棚からレターセットを取り出した。
(了)

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