這い上がる者たちへ

ムラハ

島崎遥香

 島崎春香

 中学生の頃だった。
 大好きだった母さんが、交通事故で死んだ。
 母さんは、私達家族にとって大黒柱のようで、
 母さんは元気の源で、
 母さんは優しさの源で、
 とても言い表せない、大切な人だった。
 だからなんだろう。
 私達家族が壊れたのは。

 父さんは、いつも焼酎を煽っている。瓶を一日三本も飲み干す。
 家はいつもお酒の匂いと、煙草のヤニ臭い匂いで充満していた。
「おい、春香ぁ、酒買ってこい」
「父さん」
「酒だ酒、さっさと買って来い」
「父さん!」
 思わず怒鳴った。もう、限界だった。
「毎日毎日お酒お酒って、いい加減働いてよ!」
「あっ?てめえ、俺に指図する気か?」
「違うよ父さん!もう、母さんは・・・・・・居ないんだよ」
 父さんは、壊れていた。
「ねえ、もういいでしょ?十分でしょ?」
「うるせえんだよ!」
 と、灰皿が飛んできた。あたりはしなかったが、飛び散った灰が肌に付いて熱かった。
「母さん母さん母さんって、てめえ、親がいなきゃ何も出来ねえのか?あっ!」
「・・・違うよ、母さんに」
「やかましいんじゃボケが!?」
 お腹が蹴られた。息が詰まり、力が抜ける。
「お前、は、過去に、囚われ、過ぎなんだ、よ!」
 何回も何回も何回も何回も何回も、お腹を蹴られた。
 痛かった。親に蹴られて、もう終わりだと思った。
「しかし、よく見るとお前も成長したなぁ」
「えっ」
 意味が、わからなかった。なんで今。
「お前の体はさぁ!なんの価値もないんだよ!!ゴミは本来掃除されるんだよなぁ、だけど俺がリサイクルしてやるよぉ!」
 と服を掴まれて、
 そのまま引き千切られた。
「おっ、いい体してるじゃねえか!たまんねえなぁ」
 
 家の中は、お酒の匂いと煙草の匂いとイカ臭い匂いが追加された。

 私の身体を蛇のように這う舌。
 身体の中にはムカデが毒液で私を犯されていく。
 気持ち悪い、吐いてしまいそうだ。でも、吐いたら吐いたでまたブタれる。
 耐えるんだ。こんなことはすぐに終わる。心を殺して過ぎ去るのを待つしかない。
 ようやく満足したのか、父さんはズボンを履いて、
「酒買って来い、いいか!焼酎だぞ!」
 と言って、キタカを渡された。

 街に出る。
 ネオンが灯る街でゴミのように溢れた人達が、私を追い抜いていく。
「・・・・・・みんな、死んじゃえばいいのに」
 今見る景色は、すべてがゴミに見える。きっとそれは真実で、誰もが知っている真実。
 私は不幸な女の子だ。親に蹴られ、犯され、すべてを失った。
「もう、いいや・・・」
「ねえ、そこのお嬢ちゃん」
 背後から、複数の若者に呼び止められた。
「俺らといいことしない?」
「楽しいことしようぜ、俺達と」
 あからさまな、ナンパだった。
 もう、このまま堕ちるところまで堕ちてもいいのかもしれない。
「そこのチミたち」
 とそこに茶髪で、中肉中背の制服を着た男が現れた。
「ああっ?なんだてめえ」
「そこの人困ってるじゃあないか、早く離してあげなさいよ」
「はあ?なに、正義の味方気取りですか?」
「うわっダセエ、マジだせえ!超ウケるんですけどー」
 見るからに雑魚フラグが立っている。
 そして、
「なんだその顔?舐めてんじゃねえぞこらあ!」
 若者の一人が茶髪頭に掴みかかる。するとその手を掴んで、握り締めていた。
「いってえええええええ!!!離せコラ!」
「てめ、何しやがんだ!」
 もう一人が彼をを殴ろうとするが、左手で止める。
「なっ」
「遅え!」
 掴んだままの若者を押して、もう一方の方に顔面パンチを見舞う。
 グシャッと不吉な音が響き倒れた。
「なってめえ、憶えてろよ!」
「一昨日来やがれってんだ」
 若者達はそそくさと逃げた。
「君、大丈夫かぁい?」
「はあ」
 そもそも、この男はどうして私を助けようとしているのだろう。格好は制服だが、少し着崩していてちょっとダサいし。
「母ちゃん・・・・・・ありがとう、俺はこの日のために生まれてきた!」
 ・・・下心が透けて見えるかのようだった。最早あのチンピラと大差ない。もう、いっそのことこの人に、
「連絡先を」 
「ここにいたのヒャい」
 瞬間、身体が凍った。その原因は路地裏から現れた父さんだった。かなり酔っているのか、足元がおぼつかない。
「春香、何してる。行くぞ」
 その言葉に抗えない。それもそうだ。私は怖い。父さんを裏切ったら、さらに酷い仕打ちを受けるだろう。下手をすれば殺される。
「じゃなくて、ちょっと待てやおい!」
 さすがに唐突過ぎて呆然としていた茶髪の男が呼び止めた。
「あっ、なんだよ春香の男か?」
「そうだったら嬉しいが違う!さっきそこの、春香ちゃんが絡まれていたところを助けたんですが」
 下心を隠す気がないのか父さんに食ってかかる。
「ああはいそりゃどうも、それえよりもお、俺、こいつの父親なんだけどさあ、何、ヤッたのか?」
「は?」
 人は所詮、打算で生きている。そんなことわかっていたはずなのに。
「いや、だからさあ。抱いたのかって」
 私はたまたま、その格好の標的だっただけで。
「なんなら、俺も混ぜてくれよ、良いだろ。俺の方がこいつと繋がってたんだからさあ」
 こんな、力が強いだけの獣こそが男だ。女は、男に搾取されるだけの存在に過ぎない。
「・・・・・おい」
 それなのに、
「言っていい冗談と悪い冗談があんだよ、いい歳こいてさあ」
 なんで、この人は怒ってくれているの?
「いや、マジにだよマジに。こいつったら酒買ってこいって御使いに出しても、別のもの買ってくるんだよ。こいつは肉便器以外に価値が」
 言い終える前に、
 男の拳が父さんの顔にめり込んだ。
「えっ」
 一瞬だった。それだけ、この人は喧嘩慣れしているんだろう。
 殴った本人も、誤作動を起こしたかのような表情だった。
「っつ、てめえ!」
 拙い、またブタれる!。
「逃げるぞ!」
 手を引かれて、地下歩行空間まで走っていた。
「まて、このクソ餓鬼がああああああ」
 必死に走っている。不思議だ、さっきまで、苦しかった胸が嘘みたいに痛くない。でも、このままだと、追いつかれる。
 撒けそうな場所は、・・・あった!
「こっち」
 手を引いて、地下鉄のホームに出た。
 偶然、キタカを二人とも持っており改札を抜けれた。ちょうど発進する直前の地下鉄が見えた。
「待てごらあ!ぶっ殺してやる」
 父さんの怒号が迫って来ている。
「行こう!」
 残り10m。
「ぶっ殺してやる!」
 残り3m。
「おおおおおおおおおおおおお!」
 残り。
『電車が発車致します』
 アナウンスと共に、乗り込み扉が閉まった。
「まて、このクソ餓鬼!コラこれ止めろ!」
 父さんの叫びも虚しく、地下鉄は発車した。
 心地良い揺れと、安堵感、疲れたのだろう、男の人は座り込んだ。彼は、どうして私を引っ張ったのだろう。なんで怒ってくれたんだろう?
 でも一番の疑問は、なんで私はこの人について行ったんだろう?さっきは下心で助けたのはわかる。でも、下心でここまでしないはずだ。
 でも、とりあえず声でも掛けておこう。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫!大丈夫すぎて踊れそうだ」
「踊らないでくださいね」
 この人、何言っているんだろう?面白いけど。
 すると、男の人も笑みを返す。
 この人を見ると、一見不良に見えるが、きっと優しい人なんだろうと感じる。
「・・・ってこのあとどうしよう」
 何やら頭を抱えている。今頃、自分のしでかしたことに気づいたらしい。私も人のことは言えないが。
「どうかしましたか?」
 だが、もう遅い。誘拐もどきで、家を飛び出したんだ。今更後には引けない。
「大丈夫、君は何も心配しなくて良いサア」
「はあ」
 どうやら何もこの後のことを考えていないようだ。
 ・・・大丈夫だろうかこの人。
「・・・・・・待てよ」
 何やら閃いたらしい。一体どんな案が浮かんだんだろう。
「札幌駅に着いた後に乗り換えよう」
 と提案してきた。金額には幾分かの余裕があるので問題ない。
「はい、わかりました」
 しかし、どんな案なんだろう。不安になってきた。

「はあっ」
 不安はあっさりと的中した。連れて来られたのは、彼の自宅だった。
 確かに、ホテルは未成年だけじゃ泊まれないし旅館も道理だ。理には適っているが、もう少しやりようはあったと思う。
「こんなこと言っても仕方ないか」
 一番の原因は私だ。なにせ意見を言わなかったからだ。
「この後、どうなるんだろう」
 見知らぬ男の人の家で、シャワーを済ませる。この行為はつまりそういうことだ。
「しっかりしなきゃ」
 浴室から出て、借りたジャージを着る。男物のせいか、ブカブカだったが、贅沢は言えない。
 それに、下心はあっても彼が助けに来なければ、酷い目にあっていたかもしれないのだ。
「・・・・・・お礼くらいしないと」
 そう決意して、彼の部屋に向かった。

 階段を登る段階で、心臓が破裂しそうだった。
 処女を失っているとはいえ、自分から行くのだ。なんだか気不味い。
「・・・怖くなってきた」
 でも、これはお礼だ。そう考えると、気が楽になった。そんなことを考えているうちに、彼の部屋の前に着いた。
「誰だよ、いやあ、今日の俺って冴えてる!天才だ俺!!とか言ったやつ!」
 何かよくわからないことを言っている。独り言が多い人なんだろうか、でもとりあえず聞いてみよう。
「誰もいってませんけど?」
 と答えると、彼が私の方を見て、
「もう上がったの?」
「ああ、はい」
 なんとなく立ち尽くすのもなんなので、ベッドの上に座る。それにしても、
「・・・・・・聞かないの?」
「なにが?」
 思っていたことを口走ってしまった!
「・・・・・・なんでもない」
 私何やっているの?馬鹿なの?ねえ!でも、言いかけてしまったからには何か話さないと。
 そこで、私の出生について話そう、うんそうしよう。
「中学生の頃」
 なんか、思ったより緊張してきた。
「お母さんが死んだんだ。すごい大好きだったんだ、父さんも・・・私も。そのせいなのかな、父さんがお金や煙草に手を出して、お医者さんからも控えるように言われても気にしない。ある時、見てられなくてお酒と煙草をやめてって言ったんだけど、そうしたら腹が立ったんだね、私ごときに言われたから」
 途中で顔を上げると、彼の表情は苦しそうだった。でも、なんで、苦しんでいるんだろう?
「殴られた。初めて殴られて、すごく痛かった。頬が腫れて、今度は下着を剥ぎ取られてそのまま」
「もういい!」
 いきなり怒鳴られて、
「あのクソ野郎!ぶっ殺してやる!」
「ダメ!」
 思わず肩を掴む。
「そんなことしてもあなたが犯罪者になってしまうだけ」
 それに私ごときのために犯罪を犯す必要はない。
「・・・」
 彼は冷静になってくれたのか、肩の力が抜ける。
「どうすればいいんだ!」
 考えろよ俺、なにかあるだろと呟いている。でもどうしてこんなにも親身になってくれるのだろう?
 下心だけで、ここまで人は動くんだろうか。
「警察、いや違う。確か、・・・えっと、じ・・・児童相談所だ!」
 えっ、なにそれ?
「児童相談所?」
「ほら、あるじゃん、CAPとかの」
「ああ、なるほど?」
 CAPって、帽子?なんで帽子なんだろう?
「というわけで、明日一緒に行こう」
 よくわからないが、ついていくと決めたんだ。
「わかった。それじゃあおやすみ」
「ああ、おやすみ」
 そのまま彼は部屋を出ようとしていた。え?
「ちょっと待って」
「ん?どした?」
 えっと、
「一緒に寝ないの?」
「え?」
 いや、ちょっと!
「一緒に、寝るんじゃないの?」
「・・・というと?」
 そこまで、言わせるき?そういうプレイの一種だろうか?まあ、彼に合わせよう。
「セックスしないの?」
 自分で合わせると言っておいてなんだが、顔が火照っている。
 彼は、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。そういう、プレイなら合わせようと決めたのだ。最後まで付き合おう。
「別に・・・・・・いいんだよ」
「別にって・・・いいのかよ」
 やっぱり、恥ずかしい。でも、
「いいよ」
 私は目蓋を閉じて顎を上げた。
 もう来てもいいよ。
 どうせ、初めてではないんだ。
 ぎこちない手つきで、ジャージを脱がされる。怖くはない。もう犯された体だ。そのはずなのに、
 頬に一滴の滴が伝った。自分でも、なんで泣いているのか、わからなかった。
「・・・・・・やっぱやめた」
「・・・え?」
 ・・・どういうこと?
「俺、ソファーで寝るわ。明日朝一で出よう」
 そのまま、彼は部屋から出て行った。
 ・・・なんで、途中でやめたんだろう。
 いや、その理由は分かっていた。鈍いにも程がある。
「・・・気を遣ってくれたんだ」
 いつも私はそうだ。
 犯されたあの日、抵抗できなかったのは確固たる自我がなかったからだ。為されるがままに行動して、現状がこれだ。
 母さんが死んで以来、私の中は空っぽだ。人形で、道化師だ。父さんが壊れたように、私も壊れていたんだ。
 絶望すら出来ず、
 希望を知らずに生きてきただけなんだ。
 でも、彼は私を助けてくれた。どうしようもない私を、
 空っぽの私を、彼は助けてくれたんだ。
 このまま、生きていても何も生まない私のことに親身になってくれた、唯一の人だ。
「・・・そうか、私彼のこと好きなんだ」
 案外、私は惚れっぽいのかもしれない。
 彼は、
 すけべで、
 言葉遣いが悪くて、
 でも、人一倍優しい、
 そんな人を好きになったんだ。
「・・・彼の名前、何て言うんだろう」
 彼のことを考えると胸が苦しくなった。でも不思議とその苦しさは、不快ではなかった。

 夢を見た。
 小さい頃、よく連れて行ってもらった公園で母さんと一緒に遊んでいた。
 無邪気に笑って、
 転んで泣いて、
 そんな時、いつも頭を撫でてくれた優しい手つき。
 その手つきを今でも覚えてる。

「・・・久しぶりに夢を見た」
 それだけ、安心していたんだろう。時計を見ると、まだ五時半だ。
 カーテンを開く。ちょうど、朝焼けが綺麗に見える時間だった。
 彼はいつも、この景色を見て今まで生きてきたんだろうか。その景色を共有出来ただけでも、嬉しい。
 それにしても、
「・・・どうしよう」
 朝早く起きても、どうすればいいのかわからない。
 ひとまず、身なりを整えよう

 階段を降りると茶色の髪の毛が見えた。
 どうやら彼は本当にソファーで寝ていたらしい。
 回り込んで彼の寝顔をなんとなく覗く。幼い子供のような寝顔で、同時に胸が締め付けられる。
 まだ未成年の、同い年の年齢の男の子に迷惑をかけていたんだと思い知らされる。
 どこか彼を白馬の王子と思っていたが、そんな人はこの世のどこにも存在しない。誰だって、打算で生きている。
 でも彼は、打算にしてはやり過ぎているし目的もただの下心。
 だけど、この人とならうまく付き合えるとも思う。と彼のお腹が鳴る。
「・・・お腹空かせているみたいだし、朝食でも作るか」
 それに私もお腹減ったしね。

 朝食が出来たので、彼を起こそうと思いソファーに向かう。
「朝ですよ、起きてください」
「・・・母ちゃん?」
「母ちゃん?」
 どうやら勘違いされているようだ。
 まあ、可愛らしいのでいいのだが。
 と、彼が目蓋を開けてようやく自分の状況に気がついた様子で、
「うわあ!?」
 典型的な驚きだった。ちょっと面白い。
「朝ですよ、起きてください」
「あっああ」
 盛り付けは済ませている。
 そう言えば、朝彼はコーヒーを飲むのだろうか。
「コーヒー飲みますか?」
「ああうん」
 そう言っていたので、棚を探しているとインスタントコーヒーを見つけたのでマグカップに入れお湯を注ぐ。
 と彼が何やら呟いている。
「? 何か言いました?」
「なんでもない」
 コーヒーを食卓に置いて、席に着く。
 でも、心配なことがあるとすれば男の子的に量が足りるかが心配だった。
 だけど今は謝らなきゃいけないことがある。
「昨日はすいませんでした」
「えっ」
 昨日、彼を困らせたのは私なのだから謝っておかないとダメだ。
「ああ、大丈夫、気にしてないよ」
「そうですか、・・・よかったです」
 気まずい沈黙が流れる。
 でも、彼が気にしてないということに安堵を覚える。
「俺、さ。苛められてたんだ」
「えっ」
 突然、どうしたんだろう。
「突然、なに話してんだって、思うかもしれないけど、聞いてくれ。演劇部だったんだけど、演技下手で。じゃあ裏方で、ってやっても全然駄目だった。入った理由が部長にお近づきになろうってことだからかね」
 彼は、苦しそうに話した。止めてあげたいけれど、この話だけは止めてはいけない気がした。
「何にもできない奴を苛めるっていうのは自然の摂理で、苛められ続けたんだ。でもある時、限界が来たのかな・・・俺、苛めてきた奴全員血祭りにあげてたんだよ。指まで骨折してたんだぜ?・・・それで俺は停学」
 笑えるよなと彼は呟く。
「でも苛めが発覚して、苛めてた奴らは全員転校、演劇部は廃部になったんだ。停学明けて、学校行こうとしたらさ、・・・・・・動けないんだよ。怖くてさ、まだ俺のことを苛める奴がいるんじゃないかって、・・・動けなかった」
 途中から、彼の目が潤んできている。
 辛い記憶を、
 悲しい記憶を、
 どん底から這い上がるように、彼は力強く言った。
「だけど、俺は変わる、たとえ苛められようがなんだろうが、俺は俺のために強くなる。夢のために学校にも通って卒業して、そんでもって楽しく暮らして、それで・・幸せになって、彼女の一人でもできたらいいな。なんて」
 ・・・・・・。
 その言葉は、
 その気持ちは、
 閉じていた心の鎖を断ち切る刃のように綺麗だった。
 無骨で、歪で醜くて、
 けどどこか美しく、儚かった。
「素敵だと思います」
 そんなことを口走っていた。
「いやいや、素敵だなんて・・・えっ?」
 自分でも驚いていた。こうも自分の気持ちを言えるなんて。
 でも、不思議と辛くはなかった。
「私も、見習いたいです。トラウマに負けないように、私も幸せになります」
 そうだ。私も変わるんだ。
 醜くても、
 泥臭くてもいい。
 私は私のために幸せになるんだ。
「・・・なんか変わったね」
 と彼が微笑む。私も不思議と口角が上がり、
「そうですかね」
 微笑み返した。
 と、そう言えば彼の名前を知らない。今更聞くのもあれだが、私を救ったヒーローの名前を知らないのは嫌だ。
「そういえば、名前、なんて言うんですか?」
 彼は思い出したように、
「俺は、木山智。いずれアカデミー賞を受賞する男」
 そう名乗った。木山智、私のヒーローの名前。
「木山智さん・・・覚えておきますね」
 この名前は一生忘れない。そう心に誓った。
 そして最後に疑問を口にした。
「ところで、木山さんはなんで私を助けてくれたんですか?」
「なんで、って言われても」
 正直なところ、わかってはいる。これはちょっとした悪戯だ。
「・・・言いたくない」
「そう、ですか」
 言ってくれなかったのは残念だが、彼の照れた顔を見れただけでもよしとしよう。
「早く食べましょう。冷めちゃいますから」
「あっああ」
 雰囲気を誤魔化すためにトーストに齧り付く。あの笑顔で味がわからなかった。
「・・・・・・どうでしょうか?」
「うん美味しいよ」
「よかったぁ」
 嬉しくて微笑んでしまう。この時が永遠に続けばいいのに・・・。


 後日談。
 木山さんは私を児童相談所に預けた(保育所に子供を預けたような言い方だが)。
 証拠がなければ、父を訴えることは出来ないと言われしばらくの間は児童相談所にいることになった。
 木山さんに会えないのは寂しかった。でも彼は今戦っているのだと、勝利を信じて待っていた。
 そして次の日。
「島崎さん、ちょっと話があるから相談室に来て」
 と相談員に呼び出され、席に着く。
「まずは落ち着いて聞いてほしい」
「? はい」
 私は落ち着いているが、相談員さんは落ち着いていない。
 その台詞をそっくりそのまま返してあげたかった。
「君のことを連れてきてくれた彼が、証拠を持ってきてくれたんだ」
「本当ですか!?」
 思わず机を叩きつけた。
「落ち着いて、落ち着いて」
「あっ、はい。すいません」
 でも彼が証拠を持ってきたというのは朗報だ。
 でもそれ相応のリスクは負った筈だ。
「・・・その、彼は無事ですか?」
「・・・残念ながら、体はボロボロだよ。出血が酷かったが、命に別状はないだけでも運はいい」
 彼が死んでいなくて、安心した。大怪我を負ったみたいだが。
「ただ、彼がしたことは世間的に見れば悪いことだ。学校も退学になる可能性もある」
「そんな!?だって彼は私を助けてくれたんですよ!」
「わかっている。だから落ち着いてくれ」
 そんな、彼は私を助けるために自分を犠牲にして退学になるなんて!!
「そこら辺は大丈夫だ。僕達がフォローしておくから退学だけはさせない。これは決定事項だからね」
「なら、よかったぁ」
 安心して力が抜ける。
「ここからが本題なんだが、春香さんを引き取りたいって言っている東京の親戚がいてね」
「えっ、東京ですか」
 ああ、と相談員さんは続けて、
「もちろん、拒否権はある。明日中には決めてほしい」
「行きます」
 即答した。相談員さんは戸惑って、
「えっと、いいのかい?北海道に残るって選択肢もあるけど」
「彼の近くにいると、私はダメになってしまうので」
 今回、彼を頼りにしたようにずるずると彼を頼り、依存してしまう。
 それだけはダメだ。
「私は彼のことが好きだから、次会った時に彼と・・・智と一緒に会いたいんです」
 それが私の答えで、彼に相談してもこう言うだろう。
 それぐらいで、私達は丁度いい。
「素敵な考えだね」
 相談員さんが笑う。
「はい!」
 私はもう、流されない。しっかりしたら、彼に会おう。そして告白しよう。
「あと、手紙書いていいですか?彼に」
「ああ、好きなだけ書きなさい」
 折角書くのだから、ずっと欲しがっていた連絡先でも書いておこう。
 彼にまた会えるように。
(了)

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