幸福戦争
3、過去と修正された現実
「伏せろっ」
咄嗟の判断というのは洗練され訓練を怠っていない者ほど下しやすいものだ。ちょっとした空気の淀みや光の違和感から自分の周囲で何が起こっているのか異変を察知する。ヒトは五感しか持たない者が殆どを占めるのだが、僕やこの男といった部類はそのさらに一つ別の感覚を持ち得る。経験則に基づくが、やはり直感的な要素の方が大きいそれは「勘」というものだ。よく刑事ドラマでこんな光景を見たことがあるだろう、「犯人はお前だ」と堂々と胸を張りながら名指しをするシーンだ。証拠不十分であってもその人物が犯人であるという理由なき確証があることに僕はいつも納得させてはくれなかった。冒頭に提示された謎を造った犯人を当てて大衆を清々しく感じさせることが目的である創作物。そんな一つの娯楽として、気晴らしとしての役割であるドラマというものの立ち位置が僕には結局理解できていない、今も。
「どこから爆発音が聞こえたの?」
彼ーー同チームで唯一のメンバー、僕が上に立ち指示を与えなくてはならないジョン・ケリーは僕を背中から突き倒し瓦礫の下に全身を埋める。
「たぶん……向こうからだ」
僕の背後を覆うようにして全体重を乗せながら顔の動きで合図を送った方向にあった建物。それは僕らがさっき探索していたデパートメントストアだった。
上から伸し掛かってくる重みよりも爆風で舞い上がった塵が喉の奥に入りそうになる方が辛く感じる。何も口に入れていないはずなのに噛み締める動作をするだけで「じゃりっ」という感触がある。呼吸法と謳われている方法で深呼吸をしながら同時に言葉も吐き出す。
「敵からの直接的干渉?それとも間接的、どちらだとも思う?」
本当はここで僕が周囲の状況を瞬時に理解して判断を下せばいいだけの話なのにそれが、それすら出来なかった。
けれど、彼はそんな回りくどい意志表明を知らないうちにかき消すようにくしゃくしゃにした笑顔で返答した。
「両方だな」
自信でコップが満たされ零れてしまうぐらいの表情。不思議と嫌気が差すような思いは浮き上がらなかったのが功を制したと言うべきか、僕は指導者としての位置に戻すように言った。
「それは勘だね、どうりでうやむやな答えなわけだ」
関りを持たないというのは感心を持たないということと同類だと心の底から思う。娯楽を楽しむために現実を知ろうとしないように僕はこの現状を受け入れることに嫌気が差す。直感という信用性が薄いものに命を賭さなくてはならないこの現実に。
「で、次はどうするんだい?」
何もない荒野と化した瓦礫の山に突っ伏しているのにも時間の問題だ。
「右前方のビル一階に潜り込む。あそこなら……これも憶測ってか多分の話だが……敵はいないような気がする」
どこからか湧いてくるように連続して案が浮かんでくる彼を見ると、どうして、誰のために自己犠牲しているのか理解しがたくなる。それでも自分だってきっと不特定多数の人間に恩恵をもたらしているのだと納得しなくてはならない。そうしないと生きていけないのだから。
「りょう……」
吐息とともに承諾しようとした刹那、弾丸が空を切る音が耳で響く。どうやら敵に僕たちの位置を把握されてしまったらしい。これでは作戦に支障がきたしてしまう、致命的なミスだ。だけど彼はそんな些細な事を気にしている装いはせずカウントを始めた。
「3,2,1……GO」
咄嗟の出来事で思考が追いつくよりも先に体が動いていた。よくこういった話を口にする人を見るが、実際に動いているところは見たことがない訳がようやく理解出来た気がする。
コンクリートが無造作に、無気力に粉々にされている地上をなるべく足取りが速い形で移動する。足場が悪いなという短絡的な感情というよりは無慈悲だななどとまるで世界の偉人にでもなったかのように傍観しながら目的地へと急いだ。
「っ到着っと、俺はオールオーケー。そっちは大丈夫だったか?」
一息できる最小限の安全地帯である廃ビルに籠り作戦を練り直す。これが作戦遂行の際の鉄則。彼は手持ちの小銃をリロードし弾詰まりが起きないか何やら「ガチャガチャ」音を立てている。対する僕は作戦を考え直しているわけでも、自分の武器の動作確認をしているわけでもなく、ただ驚きを隠せなかった。
『これも勘のおかげなのか?』
敵の位置、発砲された位置、敵が配置されていない位置と作戦の際に重要な要素がこの男には自分の情報として、手駒のように弄んでいる。
これが僕とケリーとが隊を組んだ事実上の初任務、南米大陸掃討作戦。
そして何故僕が「上」なのか疑問ばかり浮かんだ作戦でもあった。
ーー現在ーー
慣習や思想、宗教観などの人々が生み出す副産物というものは、その時代の風向き、人の意向によってピエロのように何から何まで変化を繰り返す。どうして人を殺めてはならないのかだってそうだ。誰かが人を殺してはならないから、無為に殺せば自分に非が咎められるからなんてありふれた言い訳がこの世には有り余っているぐらいだ。理由はいつでも代替が効けるしその結果がいつの日にも残る。今どうして僕という自分が存在しているのか、そういったアイデンティティさえもあの時こうしようと願ったからなんて嘘みたいなことを語って、つまり自分にそう言い聞かせているのだと最近になってようやく気付いた。
だが、これだけは変えようがなく事実である。
僕はサポートされる立場の為に「上」だったのだと。
確かに僕のような生意気で心強くない小心者には「上」には逆らえないだろう。僕は内心笑ってしまうのを誤魔化しながら緊急に仮設した会議室で今後の方針を固めるという形で自分を取り繕った。
「じゃあ始めようか、今後どういう形で生きていくか。スケールも広すぎのような気もするけどとりあえず僕たちの立ち位置を確認しよう」
机で四角形に囲んだ場。一人一つの机が用意され、メンバーは僕、ケリー、トレア、そしてテンプル騎士団国防官サミエル・アイネオラ。
厳粛な会議室ということもありそれなりの硬く重苦しい空気の中で事が進んでいくのかと思いきや唐突に予想も裏切られた。
「ねね、君とこの人っていつ仲直りしたの?」
喩えるなら川を遡上する鮭だ。滝のような上るにはいささか無理がある場所を強行突破する、天然さ。
「ついさっきだよ」
「そうだっけか、お前が頑なに拒絶してただけなんかと思ってたぜ」
過去の自分の出来事や流れのままに起こしてしまった行動にはどうやっても逆らいようがない事実として残ってしまう。「自分の居場所を見つけた」なんて幼少期の興味津々で子供のような理由には発言した自分の言葉を撤回したい。
「その話は置いておいて、先に話を進めよう。私的な文言をここで話し合うべきじゃない」
だから羞恥を50%、生真面目さを50%と胸で抱きながら話を続けた。
「今の各国勢力は三つに分離しています。一つはこの地下空洞に土地を有するテンプル騎士団直属の国。そして第二の国は中華人民国。第三が大日本国となっています」
「各国の政治的情勢はどうなっているかわかるかね?」
白髭を垂らした老人、国防官が訊いてきた。自国を守るための防衛材料を確保する為だろう、万国共通の思想で笑いそうになる。だがその笑みも心の内に微笑という形で留めて返答した。
「はい、まずは中華人民国からご説明します。この……」
語ろうとした刹那、横割するように重圧がかかった、いや年季が入った声音が聞こえた。
「少しいいか」
声主は先の老人だった。険悪な表情でこちらを見ている、どうやら不安しかないようだ。一国の行く末を一人の人間に押し付けるなど、下っ端の僕でも嫌程理解していたつもりなのだから、相当な重圧なのだろう。
「なぜそなたらは我が国の幇助をしてくださるのだ?」
用意していた答えを文面さえも変えずに応えた。
「それが僕の成すべきことだと、そう信じたいんでしょうね」
そう一言、呟くように、誰かに伝えるのではなく自分に言い聞かせるように口にした。
「では、僕の持論を語るのは置いておいて他国についてお話をします」
「中華人民国、現在のアジア圏における土地の多くを占領している国です。いわゆる格差社会が形成されており、主に労働階層と上層階級で住居も分離されています」
「どうして階層社会なんて出来るの?」
歴史の授業を教えている教師のような気分だ。とは言ってもこちらは生で体験している分、なぜそんなことに至ったのか、肌で理解できる優越感があって悪いものでもないが。
「経済力の差……じゃないんだ」
そこで僕以外の誰かが自分も同じく経験したと言わんばかりに主張し始めた。
「そうだ。ありゃあ根っから階層を造ってんだよ、お国の連中やら会社の社長やらな。自分の手下をコントロールするって感じか」
どうやら他国の現政治のやり方に興味が湧いたらしく、僕の目の前に座る白髪の老人は口を開けた。
「そのコントロールについて詳細を伺っても?」
今度は僕の体験記を語ることにした。
「信じ難いかもしれませんが人間が人形のように扱われているようだ、と言えば一番伝えやすい表現かもしれません」
「生まれた瞬間に階層は決定し、両親が経済力に引けを取らない者ならばヒトとして扱われる。そうでない親の場合、その逆になるだけのことです」
「それでは国民の権利というものが存在していないではないか、革命やデモ活動は起こらないのか?」
籠っていた国には他国の状況を過去のものすら知っていないことに悲嘆に感じる。僕は現実と理想を混ぜるなと、悟るように語った。
「そう出来ないような脳に仕立て上げるのです。人間は脳で動いているも同然なのですよ?」
常識を覆され納得していないのは感じ取ったがこれでは事が進む気がしないので次に話を移した。何せこの国について話をするために集まったのも同然なのだから。
「そして大日本国。国土は東アジアの島国のみ、北部と南部で大陸が併合しましたが今のところ国土を広げたという情報は流されていません。併合はあくまで名ばかりのものでロシアや韓国といった併合国は簡単に説明すれば植民地化されている国ということです」
「そういうこった、自国の住民に都合の悪い話はしないのさ」
ケリーの文句に違和感を抱いたのか、さらに眉間に皺を寄せながら言った。
「長期政権をもくろむためなのか?」
この時代、22世紀に突入した今ではもうそんな小癪な方法は消えたも同然、死んだ文化だった。
「とまあ、そんな感じだ。ま、住民もそれを知ったうえで生活していたようにも思えるがな」
「どういうことだ?」
「まだわからんか、ジイさん」
ピクリと眉を動かしたのが近くに座っていない僕にも気付けたのだ。だからこそ彼も気付いていないはずがないのだが、その口調のまま煽り始めた。
「自分の命こそ守れればそれでいいんだよ、他人が死んだってそれは自分じゃない。だから関係ねえって、そのまま見捨てるんだ」
「酷い、残酷だ、残忍だ、慈愛を理解していないてっか?そんなのはなっから欺瞞に過ぎないんだよ。虚言は皆が虚言だと言われちゃ反論出来ない、自分しか知らない真実をいくら語っても共感してくれる奴らがいないんなら弾圧されるだけだ」
「あそこはそういう国なんだよ」
生まれ故郷だから分かる、分かってしまう現実。己の安全と利便性を追求したことで失った犠牲は「ヒト」であることを諦めた。誰かの誰でもいい枠組みに組み込まれるだけの部品、その部分に逃げる手段が盛り込まれたのが僕だっただけの話だ。
それからはここに至った経緯やら遂行してきた作戦やら、大まかなことから細やかなことまで隅々に渡って自分の情報をさらけ出した。
「話は以上です。次回は今後の計画について話し合いたいと思います」
僕はその一言で会議を閉める、へりくだって話していない自身に不思議と驚愕する要素はなかった。
咄嗟の判断というのは洗練され訓練を怠っていない者ほど下しやすいものだ。ちょっとした空気の淀みや光の違和感から自分の周囲で何が起こっているのか異変を察知する。ヒトは五感しか持たない者が殆どを占めるのだが、僕やこの男といった部類はそのさらに一つ別の感覚を持ち得る。経験則に基づくが、やはり直感的な要素の方が大きいそれは「勘」というものだ。よく刑事ドラマでこんな光景を見たことがあるだろう、「犯人はお前だ」と堂々と胸を張りながら名指しをするシーンだ。証拠不十分であってもその人物が犯人であるという理由なき確証があることに僕はいつも納得させてはくれなかった。冒頭に提示された謎を造った犯人を当てて大衆を清々しく感じさせることが目的である創作物。そんな一つの娯楽として、気晴らしとしての役割であるドラマというものの立ち位置が僕には結局理解できていない、今も。
「どこから爆発音が聞こえたの?」
彼ーー同チームで唯一のメンバー、僕が上に立ち指示を与えなくてはならないジョン・ケリーは僕を背中から突き倒し瓦礫の下に全身を埋める。
「たぶん……向こうからだ」
僕の背後を覆うようにして全体重を乗せながら顔の動きで合図を送った方向にあった建物。それは僕らがさっき探索していたデパートメントストアだった。
上から伸し掛かってくる重みよりも爆風で舞い上がった塵が喉の奥に入りそうになる方が辛く感じる。何も口に入れていないはずなのに噛み締める動作をするだけで「じゃりっ」という感触がある。呼吸法と謳われている方法で深呼吸をしながら同時に言葉も吐き出す。
「敵からの直接的干渉?それとも間接的、どちらだとも思う?」
本当はここで僕が周囲の状況を瞬時に理解して判断を下せばいいだけの話なのにそれが、それすら出来なかった。
けれど、彼はそんな回りくどい意志表明を知らないうちにかき消すようにくしゃくしゃにした笑顔で返答した。
「両方だな」
自信でコップが満たされ零れてしまうぐらいの表情。不思議と嫌気が差すような思いは浮き上がらなかったのが功を制したと言うべきか、僕は指導者としての位置に戻すように言った。
「それは勘だね、どうりでうやむやな答えなわけだ」
関りを持たないというのは感心を持たないということと同類だと心の底から思う。娯楽を楽しむために現実を知ろうとしないように僕はこの現状を受け入れることに嫌気が差す。直感という信用性が薄いものに命を賭さなくてはならないこの現実に。
「で、次はどうするんだい?」
何もない荒野と化した瓦礫の山に突っ伏しているのにも時間の問題だ。
「右前方のビル一階に潜り込む。あそこなら……これも憶測ってか多分の話だが……敵はいないような気がする」
どこからか湧いてくるように連続して案が浮かんでくる彼を見ると、どうして、誰のために自己犠牲しているのか理解しがたくなる。それでも自分だってきっと不特定多数の人間に恩恵をもたらしているのだと納得しなくてはならない。そうしないと生きていけないのだから。
「りょう……」
吐息とともに承諾しようとした刹那、弾丸が空を切る音が耳で響く。どうやら敵に僕たちの位置を把握されてしまったらしい。これでは作戦に支障がきたしてしまう、致命的なミスだ。だけど彼はそんな些細な事を気にしている装いはせずカウントを始めた。
「3,2,1……GO」
咄嗟の出来事で思考が追いつくよりも先に体が動いていた。よくこういった話を口にする人を見るが、実際に動いているところは見たことがない訳がようやく理解出来た気がする。
コンクリートが無造作に、無気力に粉々にされている地上をなるべく足取りが速い形で移動する。足場が悪いなという短絡的な感情というよりは無慈悲だななどとまるで世界の偉人にでもなったかのように傍観しながら目的地へと急いだ。
「っ到着っと、俺はオールオーケー。そっちは大丈夫だったか?」
一息できる最小限の安全地帯である廃ビルに籠り作戦を練り直す。これが作戦遂行の際の鉄則。彼は手持ちの小銃をリロードし弾詰まりが起きないか何やら「ガチャガチャ」音を立てている。対する僕は作戦を考え直しているわけでも、自分の武器の動作確認をしているわけでもなく、ただ驚きを隠せなかった。
『これも勘のおかげなのか?』
敵の位置、発砲された位置、敵が配置されていない位置と作戦の際に重要な要素がこの男には自分の情報として、手駒のように弄んでいる。
これが僕とケリーとが隊を組んだ事実上の初任務、南米大陸掃討作戦。
そして何故僕が「上」なのか疑問ばかり浮かんだ作戦でもあった。
ーー現在ーー
慣習や思想、宗教観などの人々が生み出す副産物というものは、その時代の風向き、人の意向によってピエロのように何から何まで変化を繰り返す。どうして人を殺めてはならないのかだってそうだ。誰かが人を殺してはならないから、無為に殺せば自分に非が咎められるからなんてありふれた言い訳がこの世には有り余っているぐらいだ。理由はいつでも代替が効けるしその結果がいつの日にも残る。今どうして僕という自分が存在しているのか、そういったアイデンティティさえもあの時こうしようと願ったからなんて嘘みたいなことを語って、つまり自分にそう言い聞かせているのだと最近になってようやく気付いた。
だが、これだけは変えようがなく事実である。
僕はサポートされる立場の為に「上」だったのだと。
確かに僕のような生意気で心強くない小心者には「上」には逆らえないだろう。僕は内心笑ってしまうのを誤魔化しながら緊急に仮設した会議室で今後の方針を固めるという形で自分を取り繕った。
「じゃあ始めようか、今後どういう形で生きていくか。スケールも広すぎのような気もするけどとりあえず僕たちの立ち位置を確認しよう」
机で四角形に囲んだ場。一人一つの机が用意され、メンバーは僕、ケリー、トレア、そしてテンプル騎士団国防官サミエル・アイネオラ。
厳粛な会議室ということもありそれなりの硬く重苦しい空気の中で事が進んでいくのかと思いきや唐突に予想も裏切られた。
「ねね、君とこの人っていつ仲直りしたの?」
喩えるなら川を遡上する鮭だ。滝のような上るにはいささか無理がある場所を強行突破する、天然さ。
「ついさっきだよ」
「そうだっけか、お前が頑なに拒絶してただけなんかと思ってたぜ」
過去の自分の出来事や流れのままに起こしてしまった行動にはどうやっても逆らいようがない事実として残ってしまう。「自分の居場所を見つけた」なんて幼少期の興味津々で子供のような理由には発言した自分の言葉を撤回したい。
「その話は置いておいて、先に話を進めよう。私的な文言をここで話し合うべきじゃない」
だから羞恥を50%、生真面目さを50%と胸で抱きながら話を続けた。
「今の各国勢力は三つに分離しています。一つはこの地下空洞に土地を有するテンプル騎士団直属の国。そして第二の国は中華人民国。第三が大日本国となっています」
「各国の政治的情勢はどうなっているかわかるかね?」
白髭を垂らした老人、国防官が訊いてきた。自国を守るための防衛材料を確保する為だろう、万国共通の思想で笑いそうになる。だがその笑みも心の内に微笑という形で留めて返答した。
「はい、まずは中華人民国からご説明します。この……」
語ろうとした刹那、横割するように重圧がかかった、いや年季が入った声音が聞こえた。
「少しいいか」
声主は先の老人だった。険悪な表情でこちらを見ている、どうやら不安しかないようだ。一国の行く末を一人の人間に押し付けるなど、下っ端の僕でも嫌程理解していたつもりなのだから、相当な重圧なのだろう。
「なぜそなたらは我が国の幇助をしてくださるのだ?」
用意していた答えを文面さえも変えずに応えた。
「それが僕の成すべきことだと、そう信じたいんでしょうね」
そう一言、呟くように、誰かに伝えるのではなく自分に言い聞かせるように口にした。
「では、僕の持論を語るのは置いておいて他国についてお話をします」
「中華人民国、現在のアジア圏における土地の多くを占領している国です。いわゆる格差社会が形成されており、主に労働階層と上層階級で住居も分離されています」
「どうして階層社会なんて出来るの?」
歴史の授業を教えている教師のような気分だ。とは言ってもこちらは生で体験している分、なぜそんなことに至ったのか、肌で理解できる優越感があって悪いものでもないが。
「経済力の差……じゃないんだ」
そこで僕以外の誰かが自分も同じく経験したと言わんばかりに主張し始めた。
「そうだ。ありゃあ根っから階層を造ってんだよ、お国の連中やら会社の社長やらな。自分の手下をコントロールするって感じか」
どうやら他国の現政治のやり方に興味が湧いたらしく、僕の目の前に座る白髪の老人は口を開けた。
「そのコントロールについて詳細を伺っても?」
今度は僕の体験記を語ることにした。
「信じ難いかもしれませんが人間が人形のように扱われているようだ、と言えば一番伝えやすい表現かもしれません」
「生まれた瞬間に階層は決定し、両親が経済力に引けを取らない者ならばヒトとして扱われる。そうでない親の場合、その逆になるだけのことです」
「それでは国民の権利というものが存在していないではないか、革命やデモ活動は起こらないのか?」
籠っていた国には他国の状況を過去のものすら知っていないことに悲嘆に感じる。僕は現実と理想を混ぜるなと、悟るように語った。
「そう出来ないような脳に仕立て上げるのです。人間は脳で動いているも同然なのですよ?」
常識を覆され納得していないのは感じ取ったがこれでは事が進む気がしないので次に話を移した。何せこの国について話をするために集まったのも同然なのだから。
「そして大日本国。国土は東アジアの島国のみ、北部と南部で大陸が併合しましたが今のところ国土を広げたという情報は流されていません。併合はあくまで名ばかりのものでロシアや韓国といった併合国は簡単に説明すれば植民地化されている国ということです」
「そういうこった、自国の住民に都合の悪い話はしないのさ」
ケリーの文句に違和感を抱いたのか、さらに眉間に皺を寄せながら言った。
「長期政権をもくろむためなのか?」
この時代、22世紀に突入した今ではもうそんな小癪な方法は消えたも同然、死んだ文化だった。
「とまあ、そんな感じだ。ま、住民もそれを知ったうえで生活していたようにも思えるがな」
「どういうことだ?」
「まだわからんか、ジイさん」
ピクリと眉を動かしたのが近くに座っていない僕にも気付けたのだ。だからこそ彼も気付いていないはずがないのだが、その口調のまま煽り始めた。
「自分の命こそ守れればそれでいいんだよ、他人が死んだってそれは自分じゃない。だから関係ねえって、そのまま見捨てるんだ」
「酷い、残酷だ、残忍だ、慈愛を理解していないてっか?そんなのはなっから欺瞞に過ぎないんだよ。虚言は皆が虚言だと言われちゃ反論出来ない、自分しか知らない真実をいくら語っても共感してくれる奴らがいないんなら弾圧されるだけだ」
「あそこはそういう国なんだよ」
生まれ故郷だから分かる、分かってしまう現実。己の安全と利便性を追求したことで失った犠牲は「ヒト」であることを諦めた。誰かの誰でもいい枠組みに組み込まれるだけの部品、その部分に逃げる手段が盛り込まれたのが僕だっただけの話だ。
それからはここに至った経緯やら遂行してきた作戦やら、大まかなことから細やかなことまで隅々に渡って自分の情報をさらけ出した。
「話は以上です。次回は今後の計画について話し合いたいと思います」
僕はその一言で会議を閉める、へりくだって話していない自身に不思議と驚愕する要素はなかった。
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