幸福戦争

薪槻暁

3、僕がここにいる理由

 都市部へと赴いた後の僕は部屋に閉じこもり外界からの情報をシャットアウトした。当時の僕にとって自分の居場所がそこしか無かったからなのかもしれないが、本を読んでいる時は心のどこかで落ち着けた。幾つも並ぶ活字に目を通し自分の言葉で、頭で想像する世界は心地が良いものだった。目を閉じればそこには僕が目指していた理想郷が現れ暮らしている住民が僕を呼ぶ。僕はゆっくりと歩み始めそのうちに早足となりいつのまにか駆け足となっている。けど、いつになったら向こう側に辿り着けるのか。それもそう足を動かしているのに体が前に進めないのだ。目の前に広がる光景は魅惑的で僕を高揚させたのだけれど一過性に過ぎなかった。


 やがて現実に苛まれた僕は目を覚まし、周りに目を向ける。


 空想で理想でしかない無数に広がった物語の原本は部屋のそこら中に散らかっている。




「僕も主人公になれたらな……」




 閉ざしているカーテンの隅から差す光のみが灯となっている部屋で無精ひげを伸ばし、襤褸布となった半袖シャツの僕。まるで悲劇の世界に巻き込まれたようで口角が上がった。


 己の自嘲を止めようと自己防衛が働いたのか、僕は気を紛らわせるために埃まみれのテレビを起動させる。


 時刻は日が傾き始めた夕方だったような気がする。その時は全国ニュースしか放映していなかった。


 刻一刻と過ぎ去る時の最中に動く世界情勢には殆ど興味が湧かなかった僕は『紛争地区で○○人が死亡』だとか、『テロ組織による大量虐殺』なんて報道は本当にどうでもよかった。自分とは無関係な人々が死のうが僕には何もメリットもデメリットさえも生じ得ない、僕には愛なんてものはそも存在していないようだった。




『15となる長男を残し両親は死亡。その他親戚と思われる人物とも連絡がつきません』




 とある街で、とある時間のことだったらしい。街は火ではなく黒い何かに覆われ建物は倒壊し街そのものが何かによって動かされているような光景だった。


 原因不明の洪水に見舞われ少なくとも街の7割の建造物は倒壊、人口の8割は死亡を確認。


 僕の手は自然と汗を噴き出したように湿り気を増し震えていた。報道側の考慮がされたためか音声は全て消され街並みが波によって失われる瞬間が刻々と映されていたのだけれど僕には耳から音が聞こえるなんてそんな無駄な媒介などしていなかった。生々しいうめき声と「痛い」という叫び声。助けを乞う弱弱しい声が段々と薄れていく街。それは本当の音声ではないのだけれど僕が体験した本当の音声でもあった。


 皮膚が焼け焦げているにも関わらず生き延びてしまった人、燃え盛る炎と煙の中で必死に生き延びようとする人。何の罪もない人々が地獄で罰を受けるような映像。


 僕はそんな阿鼻地獄のような光景を見るたび再び物語に閉じこもるように文字を読むのだけれど、それでも僕の足を掴むように人々が追ってくる。そんな日々を過ごしていた。




 僕の感情が佳境に至った時、よく目にしたのが架空の物語でもあったのだけれど「何かについて語った文章」はその中でも格別なものだった。誰かの考えを批評したり賛成したり自分の考えを産み出す一連の動作は嫌いじゃなかった。自分が生きる意味、他人を殺さない理由、ヒトが生まれた真の由来。そんな半ば哲学的な内容を理解するには難しいこともあったけれど愉しいものだった。長期間考察を続けたのちに得られる自前の結論は僕に生きる理由をもたらした一つの鍵でもあった。


 けど、一つだけ、ただ一つだけ分からないものがあった。




『幸せとは何か』




 こんな陳腐な問いに悩まされ何度も絶望に浸った。


 何を見ても、読んでも、聞いても。返ってくるものは『幸せを得るにはどうすればよいか』などというヒトの欲求の塊みたいなものばかりだったのだ。僕が知りたい概念そのものを答えてくれる情報源はそこにはなく、嫌気がさした僕はとうとう自ら投げ捨ててしまった。


 他人の手で理解が出来ないのなら、僕が僕自身の手で見出せばいいじゃないか。




 そんな基本的なことに漸く気付いた時僕はとある人物のナンバーを発信させ、




「もしもし……」




 弱気で貧弱な声に応じたのは彼。




「もしもし、ああササキか?」


「はい。そちらはレンさんでよろしいでしょうか……?」


「そうだ。何か用か?」




 僕が話したい人物にすぐに連絡がつながり一安心したのもつかの間。




「僕をあなたのもとで働かせてください」 




 「幸福」を探すためのエンジンにガソリンが注ぎ込まれた瞬間だった。

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