幸福戦争
3、なぜ君は生きる?
僕は元来孤独だった。
母は僕を産み落とした代わりにあの世へ移り、父は母が死んだと分かった瞬間に僕を愛すことは無くなった。母を愛すことには嘘偽りなど毛頭無いと言い切れるほど仲睦まじい夫妻との評判だったらしい。そのためなのか、母が他界したのは生まれてきた僕が原因だと言われた。
「お前なんていなければな」
僕が物心ついた時に嫌というほど聞かされた言葉だった。
記憶のない罪を擦り付けられたようだった。僕は生まれた時から罪を被らなくてはならない宿命にあるのだと悲嘆し絶望した。
「やーーい。親ごろしーー」
多人数制度の中で行う教育は嫌いだった。先生が黒板の前で偉そうに話を進める時間は数少ない安楽のひとときでそれが終わるアラームが鳴るということは僕にとって地獄の始まりだった。
「なんでお前なんかが生きてんの?」
「死んで償えよ」
ヘッドホンで耳を塞いでも聞こえてくるクラスメイトの声はヒトのそれじゃないようでもっと悪魔の使いに似た声だった。何で生きているのか?そんなことを聞かれたって僕に分かるはずもない問いを何度も、そう何度も問い質された。
だから生きるのが嫌になった僕はいつも屋上に走った。立ち入り禁止の表示を無視し、鍵がかかっていない小窓から体をすり抜けさせて侵入。そして人ひとり分ほどの柵の手すりを掴み我が身を投げようとする。
頭を少しずつ地上の方へと傾かせ唾を呑み込む。汗が異常なぐらい流れているのが気持ち悪い。
生身の人間がここから落下したらきっと……と何度も考えるうちに上半身は柵外から飛び込むような姿勢になるのだが、その時僕の頭に過る。
「あなたを生んでよかった」
それは父の棚を漁っていたときに零れ落ちた音声データだった。母が死ぬ間際に遺したもの。
僕を恨んでいる父がそれを何度も再生し涙を流している姿を忘れたことは一度もなかった。それはまあ大切そうに胸の内で見守るようにしているという現実を僕自身は信じられなかったけれど。愛の反対は憎悪ではないということが目に見えた瞬間だった。
そして、その声を聴くたびに僕の決心は砕かれたのだ。
浮いている下半身からゆっくりと戻し、地に足を着ける。不思議と生きた心地はしない。この一連の動作を休み時間のうちに時間が余る分だけ繰り返す、そんな日々を送っていた矢先に現れたのだ。
「こんにちは。ささきくん」
全身の重みをコンクリートに任せて仰向けになる僕を上から覗く少女がそこにいた。つぶらな瞳と短髪の髪型がマッチし幼げな雰囲気を醸し出す彼女。
「何しているの?」
そうやって僕の行動を聞いてきては腹を抱えて笑うということを毎日のように繰り返し、いつの日か習慣のようになった。
「結局のところさ、君のその消えたいって感情はさ」
けど、笑うということは決して嘲笑うという意味ではないようだった。
「君がやさしいってことなんじゃないかな」
小学教育を受けていた恋愛という感情すら理解していない幼き年の僕。
けれど、漸く僕を理解してくれた他人を守りたい、そんな感情が生まれた瞬間だった。
彼女、真崎トレアは僕と同じ年、つまり同学年の立場だった。彼女も幼少期に両親を交通事故で亡くし義母に引き取られた、要は僕と同じ境遇の存在で分かり合うことが出来る唯一の人だった。
「ねえ、君はさ私と似たようなところがあるよね」
「同じ境遇ってこと?」
「ちがう、ちがう。君と私が根源から似てるってことよ」
僕らは身をかがめ屋上からの眺めにふける。彼女の言葉は小学生のそれとは違和感があって知識が無い僕にとってはその違和感にしか成り得なかった。
「性格、言動、感情の動向とかね。成り立ちが似てるからかな」
「生きてきた境遇とその人の人間性が似通うって話はあまり聞いたことはないけどなーー」
違和感だけれど、内容を把握するのは難しいけれど、それでも彼女が僕を非難しているようには聞こえなかった。なにせ、
「でも、そうね。そんなの他人の話だし、私たちは私たち。イレギュラーなんてすぐに創れるものね」
僕を見つめて納得する彼女を見ると変な安心感が芽生えたのだから。
そんな僕の中に新しい感情が芽吹いた時に更なる風が吹いたのだった。
「ねえっ、いつもここで話しているけどさ。たまには外で会わない?」
僕よりも年上のような彼女の言動に気負いしないようにと威勢よく返事をしたけれど、
「ああ、いいよ」
外見からでは何も変化なんてないと誇れるけれど、内側の僕はそんな大層なこと出来るはずがなかった。
そして当日、集合場所に出向いた僕を待ち構えてたのは絶望という、一言のみだった。
僕が向かった時刻、僕と彼女の故郷は赤熱の炎に包まれたのだ。運よく隣町が集合場所だったものの、彼女とは連絡手段すら持ちえない僕は安否すら確認出来なかった。
小学校に戻ればわかるのではないかと考えたのだけれど、その場所さえも燃やされ灰に化したようだった。
行く当てもなく放浪していた僕は当然食糧を買う財源も底をつき野垂死にする時だった。
温かみも、温もりも感じない、冷たく冷徹な腕と胸で抱えられた。その時の人物の顔や表情はよく覚えている。
『なんて人間みたいな顔』
孤独で貧弱で息絶えそうな僕をまるで割れ物に触れるように抱きかかえた彼は、僕のこれからの恩師となるミスター・レンだったのだ。
その後の僕はというと壁に包まれた完全立法地帯東京において情報を得るばかりだった。
僕の生まれ故郷はどうなったのか、何人死んだのか、何故火の海と化したのか。
けれど、得られる答えはいつも「無」で些細なヒントさえも摘まれていた。人生の殆どを削られた僕だったけれどその場所で過ごすうちに自分の人生の塗り替えをしていくようで少しずつ記憶を失っていった。
そして記憶を取り戻した今、僕はやっとのことで生きる意味を見出せた。
恩師の背中姿を追うことか? そうじゃない。
この国を守ることか? それでもない。
欲求のためか? そうだ。
何故、欲求などという無粋なものから現れるのか?
愚かな人間だからこそ、『誰かを守りたい』って感情が生まれるんだよ。
母は僕を産み落とした代わりにあの世へ移り、父は母が死んだと分かった瞬間に僕を愛すことは無くなった。母を愛すことには嘘偽りなど毛頭無いと言い切れるほど仲睦まじい夫妻との評判だったらしい。そのためなのか、母が他界したのは生まれてきた僕が原因だと言われた。
「お前なんていなければな」
僕が物心ついた時に嫌というほど聞かされた言葉だった。
記憶のない罪を擦り付けられたようだった。僕は生まれた時から罪を被らなくてはならない宿命にあるのだと悲嘆し絶望した。
「やーーい。親ごろしーー」
多人数制度の中で行う教育は嫌いだった。先生が黒板の前で偉そうに話を進める時間は数少ない安楽のひとときでそれが終わるアラームが鳴るということは僕にとって地獄の始まりだった。
「なんでお前なんかが生きてんの?」
「死んで償えよ」
ヘッドホンで耳を塞いでも聞こえてくるクラスメイトの声はヒトのそれじゃないようでもっと悪魔の使いに似た声だった。何で生きているのか?そんなことを聞かれたって僕に分かるはずもない問いを何度も、そう何度も問い質された。
だから生きるのが嫌になった僕はいつも屋上に走った。立ち入り禁止の表示を無視し、鍵がかかっていない小窓から体をすり抜けさせて侵入。そして人ひとり分ほどの柵の手すりを掴み我が身を投げようとする。
頭を少しずつ地上の方へと傾かせ唾を呑み込む。汗が異常なぐらい流れているのが気持ち悪い。
生身の人間がここから落下したらきっと……と何度も考えるうちに上半身は柵外から飛び込むような姿勢になるのだが、その時僕の頭に過る。
「あなたを生んでよかった」
それは父の棚を漁っていたときに零れ落ちた音声データだった。母が死ぬ間際に遺したもの。
僕を恨んでいる父がそれを何度も再生し涙を流している姿を忘れたことは一度もなかった。それはまあ大切そうに胸の内で見守るようにしているという現実を僕自身は信じられなかったけれど。愛の反対は憎悪ではないということが目に見えた瞬間だった。
そして、その声を聴くたびに僕の決心は砕かれたのだ。
浮いている下半身からゆっくりと戻し、地に足を着ける。不思議と生きた心地はしない。この一連の動作を休み時間のうちに時間が余る分だけ繰り返す、そんな日々を送っていた矢先に現れたのだ。
「こんにちは。ささきくん」
全身の重みをコンクリートに任せて仰向けになる僕を上から覗く少女がそこにいた。つぶらな瞳と短髪の髪型がマッチし幼げな雰囲気を醸し出す彼女。
「何しているの?」
そうやって僕の行動を聞いてきては腹を抱えて笑うということを毎日のように繰り返し、いつの日か習慣のようになった。
「結局のところさ、君のその消えたいって感情はさ」
けど、笑うということは決して嘲笑うという意味ではないようだった。
「君がやさしいってことなんじゃないかな」
小学教育を受けていた恋愛という感情すら理解していない幼き年の僕。
けれど、漸く僕を理解してくれた他人を守りたい、そんな感情が生まれた瞬間だった。
彼女、真崎トレアは僕と同じ年、つまり同学年の立場だった。彼女も幼少期に両親を交通事故で亡くし義母に引き取られた、要は僕と同じ境遇の存在で分かり合うことが出来る唯一の人だった。
「ねえ、君はさ私と似たようなところがあるよね」
「同じ境遇ってこと?」
「ちがう、ちがう。君と私が根源から似てるってことよ」
僕らは身をかがめ屋上からの眺めにふける。彼女の言葉は小学生のそれとは違和感があって知識が無い僕にとってはその違和感にしか成り得なかった。
「性格、言動、感情の動向とかね。成り立ちが似てるからかな」
「生きてきた境遇とその人の人間性が似通うって話はあまり聞いたことはないけどなーー」
違和感だけれど、内容を把握するのは難しいけれど、それでも彼女が僕を非難しているようには聞こえなかった。なにせ、
「でも、そうね。そんなの他人の話だし、私たちは私たち。イレギュラーなんてすぐに創れるものね」
僕を見つめて納得する彼女を見ると変な安心感が芽生えたのだから。
そんな僕の中に新しい感情が芽吹いた時に更なる風が吹いたのだった。
「ねえっ、いつもここで話しているけどさ。たまには外で会わない?」
僕よりも年上のような彼女の言動に気負いしないようにと威勢よく返事をしたけれど、
「ああ、いいよ」
外見からでは何も変化なんてないと誇れるけれど、内側の僕はそんな大層なこと出来るはずがなかった。
そして当日、集合場所に出向いた僕を待ち構えてたのは絶望という、一言のみだった。
僕が向かった時刻、僕と彼女の故郷は赤熱の炎に包まれたのだ。運よく隣町が集合場所だったものの、彼女とは連絡手段すら持ちえない僕は安否すら確認出来なかった。
小学校に戻ればわかるのではないかと考えたのだけれど、その場所さえも燃やされ灰に化したようだった。
行く当てもなく放浪していた僕は当然食糧を買う財源も底をつき野垂死にする時だった。
温かみも、温もりも感じない、冷たく冷徹な腕と胸で抱えられた。その時の人物の顔や表情はよく覚えている。
『なんて人間みたいな顔』
孤独で貧弱で息絶えそうな僕をまるで割れ物に触れるように抱きかかえた彼は、僕のこれからの恩師となるミスター・レンだったのだ。
その後の僕はというと壁に包まれた完全立法地帯東京において情報を得るばかりだった。
僕の生まれ故郷はどうなったのか、何人死んだのか、何故火の海と化したのか。
けれど、得られる答えはいつも「無」で些細なヒントさえも摘まれていた。人生の殆どを削られた僕だったけれどその場所で過ごすうちに自分の人生の塗り替えをしていくようで少しずつ記憶を失っていった。
そして記憶を取り戻した今、僕はやっとのことで生きる意味を見出せた。
恩師の背中姿を追うことか? そうじゃない。
この国を守ることか? それでもない。
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