幸福戦争

薪槻暁

3、延々と連なる現実

 一段、また一段と段を踏むごとに足音が響き渡る。大理石で造られたのだろうか、ここが地面の下であることを忘れてしまうほどの明るさを保つ壁。




「これじゃあ、あいつの思う壺じゃねえのか?」




 飾りっ気がなく淡々としている彼の口から出てくる言葉は僕を安堵に包み込む。




「うーん、それもあるんだけどね……何というか確率の問題というか選択の問題というか」




 無言のまま聞いているところ彼自身も苦悩しているのだろう。




「ただあの言葉を信じないよりも信じたほうが結果として高利益なんじゃないかってね」




 螺旋のように続く階段の先は視界には映らず、降りてみないと分からない。無限にひたすら続くこの迷宮には出口が無いように思われる。先へ、そのまた先へと降りる度に足元を見なくてはならない。まるでうつむきながら独り歩く孤独な少年のように。




『んーー、どこまで来たのかなあって見ればもうそこだったかあ』




 5分かけて螺旋を降り切った僕を待ち構えていたのは入っても40人しか収まり切れないような小部屋だった。まるで「教室」と似ている。


 けどさっきまでの大理石の壁とは違い、木製の壁とシックの壁紙によって包装された屋敷の一室のよう。仄かに灯る篝火かがりびの赤橙色が自然に夕焼けを呼び起こす。




『ああ、再来のデイトがこうもいとも簡単に迫るとはねえ……んんんんんん、なんと羨望っ、奇天烈っ、饗宴に至ることかっ』




 奇怪な声の音と共にその屋敷の主は現れると思いきや、そうではないらしい。




『はああ、君たちは私たちと同じ民なのになぜこうも高揚させるのだろうねええ』




 いや、そんなの僕だって分かるか。




『とまあ、とにもかくにもっ、この場にいらしてくれたんだからねえ。扉を開かないわけにはいかないよねえ』




 部屋には墨汁を垂らしたように黒一色の絨毯が敷かれ、真っ赤に彩られたレッドカーペットが部屋の中心部へと続きそこには机上に腕時計が置かれている。




『ではではっ、お近づきの印ということで私からプレゼントなるものをご用意しましたあ。机の上に置いてありますのでどうぞお受け取り下さいっ』




 二つある腕時計がその品なのだろう。時計を支える台座も置いているのが高価な一品だと強調させている。


 僕は今まで無言で追ってくれた相棒の思惑を探ろうと振り向いたのだが、そんな些細な心配事はむしろ余計なお世話のようだった。




「ここまで来たんだ。戻りたいなんて無粋なことは言わせないぜ」




 無邪気のようだけど子供のように見えない、そんな一部大人のような彼の笑顔に僕はもう一度励まされる。




『おお、帰ってしまうかとわたくし冷や汗をかいていましたが、、、いらしてくれるのですかあ、んんなんとまあ有難いことですねえ。感動っ、驚嘆っそして興奮っ。ああなんとこの世界は私を裏切っていないのですかっ』




 叫びにも聞こえる響きに僕は耳を疑いながら、真中の時計に触れる。




「これは……」


「なんじゃこりゃ……」




 同時に漏らす言葉の裏の真意には裏の答えがある。


 僕たちが見つけた時計、それはなるものではなかった。まるっきり別の異物で型も形質も異なっていた。


 机に置いてあるもの、それは二本の紐だった。




『さあさあ受け取ってくだされっ、そして騙されたと思ってそれを腕にくくってみようっ』




 仕方なく僕は声の主の言う通りに行動し、相棒もまた渋々それに応じた。


 一度結んでから再び結ぶ、念のため外れないようにきつく縛り付けておくのだ。僕とケリーが同時に結び終わると見計らったように語り始める声が聞こえてきた。




『ややっ、準備は整いましたなあ。腕に紐、そして君たちの……はい、全てが終了ということですねえ』


『少々目を瞑ってくださると嬉しいのですがねえ、平気ですかなあ?』




 僕とケリーは互いに頷き、そして瞼を閉じた。同時に暗闇に放り投げだされた感覚に落とし込まれる、悪寒と恐怖に包まれる自分の意識を消したくなるほどの悪夢。嫌というほど見てきた黒色しか無い瞼の裏側。僕は一つ出来心でその瞼を開けるが何も変化は起きていなかった。何一つ外的環境は変化せずに内側をこうも簡単に移り変わらせる彼らには僕ながらも屈服せざるを得ない。


 好奇心でも恐怖でもないある感情に迫られた僕は瞼を開けようとした時だった。




『開けたらダメだよ』




 一つ聞こえたささやかな注意。それはなんとなく今までの声主とは違っていたような気がする。




「すみませんっ」




 僕は突然の警告に咄嗟に言葉が出てしまったが、彼はそうではなかったようだ。




「どうした?」




 聞き覚えのある声は落ち着くようにも感じるけれど、今はその逆で心配の念の方が僕の胸を締め付けていた。それは誰か僕の大切な人を失うような悲哀な声でもないはずなのに。


 意外そうでも誰かがそれを当たり前だと、正論なのだと発言し主張すればその人の言葉に信用性が持たされるそんな風に。


 だから彼の言葉を聞いた時それを信じて良いのだろうかと悩んだのだけれど時間も限られていた。




『到着うーー。君たちの第二のワールド、新世界の具現化、神聖化。時から外された都だよおお』




 眼前に広げられた光景は水の都。またの名は時空の歪みと狭間から抜け出した理想郷。




 僕たちを招待し誘った主はそのまま僕たちの問いに答える。




『ここは架空の神話。心象の証、心の原点を結ぶ源のような場所。ロストシティだよっ』







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