幸福戦争

薪槻暁

2、結末を迎えるもの、拒むもの

 見渡す限り黒海に埋め尽くされた国は、この塔のように軒並み高さがある建物がその中で生えているよう。


 人の気配というよりも人工物や、機械、いわゆる人間的なものと評せない物が蔓延している世界。地平線の彼方は如何なものかと予想するまでもないほどの絶望に包まれたこの場所から何を見出せば良いのか。時は既に遅しとはまさにこう言ったものだろうと笑えてきてしまうその自虐的な笑みも俺には痛みすら感じえなくなってしまった。




「俺は何故生きているんだろうな」




 アダージョ。悲壮と絶望、そして自分への失望に俺が生きる世界の時間が緩やかになっていく。脳内に移されるただ一人の少女はその小さくか弱い腕で担ぎ一本また一本と触れる弦から響きを創り出す。




 弦楽のためのアダージョ。




 彼女が最も好んで俺に何度も聴かせてくれた悲愴に満ちた曲。俺はどうしてこんな悲しみしか想起されない曲ばかり弾くのか不思議でたまらなかった。すると彼女は怪訝そうな目をした後に笑顔を見せ、




「だからいつも言っているでしょ。これは悲しさを意識して作曲していないのに悲しく思えちゃうところが好きだって」


「人ってさ、面白いよね。誰かががそれを悲しいと思うと私もそうなんじゃないかって思ってしまうの」


「けどそれは違うんだよ。人はやっぱ他人ひとで私は私だけ。何かを思うのも、感じるのも私しかいない。自分は他人と異なるって思うのはまた少し違うなって気がするけど、この曲を聴けば私自身がどう感じるか確認できるんだよ」


「だからお父さんもこの曲を聴いて。そうしたらたぶん……この曲を好きになるから」




 そう言って無邪気な微笑みを見せてくれた翌日のコンサートで彼女は死んだ。


 原因は反政府グループによるテロリズム。




 必死に守ってきた国によってわが娘は殺され、絶望に浸りながら自宅に戻ると散々荒らされた部屋に一人無残にも遺骸として残されていた。それは他でもない唯一人の最愛の妻だった。




 四人用のテーブル、家族で団欒を楽しむリビングのテーブルには紙片が置かれていた。それはわずかながらの命の灯で書かれた遺書で。




『最愛なる貴方へ


 どうか自分を強く持って生きて。それが私の、いや私たちの望みよ。』






 俺は独り取り残された部屋でひたすら悲しみを撒き散らすかの如く喚いた、叫んだ。


 どうして先に逝ってしまったのか、どうして俺を残したのか。どうして俺が生きてしまっているのか。




 自分が生きる意味、理由も消され、希望すらない絶望のみに埋め尽くされたこの国をどうして守らなくてはならないのか。俺はもうすでにエゴイズムに染まっていたのだろう。


 妻と娘のためにマスターを殺す、それすなわち国を崩壊させるということ。




「もう俺に生きる意味なんて存在しない」




 俺――オールド・セルナリーは警護人としての役目を終え、高くそびえる塔の屋上から身を投げようとしていた。














『ミッションコンプリート。暗殺は……終了しました』




 僕とケリーは中国当局中央支部特務長官の死亡を確認後、マザーに作戦終了の連絡をとった。


 僕たちが直接手を下さず内輪揉めで事が済んだのだが、どこか納得がいかないような感覚に追われたのは自然なことで。




「本当にこれでよかったのかな」




 僕はパートナーであるケリーに聞いた。




「良かったんだろうな。俺たちが介入しない分、奴ら自分達で解決したんだからよ。まあ俺たちが来たせいで触媒みたいな作用は起こしちまったんだろうが」




 彼は普段通りの少しばかり気が抜けた話し方で話し始めた。それが今の僕にとっては安心出来る唯一の居所でもあって。




「だが、今回ばかりは特別過ぎたなあ」


「特別って?作戦が?」




 暗殺というイレギュラーに特別と感じたのか僕は再度聞き直した。




「それもあるが……やっぱお前が感情的になったことの方が強いぜ。よっぽど感情に没入しちまったのかもな」




 ぐうの音も出ないとはこのことか……




 僕が沈黙を確固として採りながらいるとマザーからの受信が行われた。おそらく帰還準備地域のエリアマップを送ってきたのだろう。






 だが内容は全く違ったものだった。書かれていた内容、それは、




『作戦未遂行。国内機密データ類のアクセスキー、またはパーソナルデータを入手せよ』




 彼も自分のデバイスで送られた情報を確認し驚嘆の声を挙げた。




「んだよっ。まだ終わりじゃねーのかよ」




 僕達は冷静を取り戻し彼とともに現状況を確認しあう。




「この情報って誰かが所持しているんだよね」


「ああ、だが最も可能性のあるホシが死んだ」


「それなら次にその可能性が高いのは?」




 僕と彼と同時にある結論に至った時、その答えの主はとっくのとうに消えていた。




『あの警護人はどこだ?』
















 僕たちは周辺地域の生体反応データをマザーから受信すると、即座に彼の居場所をこの塔の屋上だと特定した。




「何か変じゃないか?」




 何か変、その違和感は僕も同じく抱いた。彼を示すマークが徐々に端の方へと移動している動きに生者としての気力が失いかけているように感じたのだ。




 最悪のケース、展開を読めた僕たちは互いに合図を送り階段へと一気に駆けた。




 一段、また一段とこれ以上に無いほどのスピードで登っていく。




 作戦を始める前にトレーニングを行ったのが功を制したのか、瞬く間に屋上へと辿り着くことが出来た。


 熱を帯びた自身の体から汗が噴き出してきたが、僕は不思議と気にもしなかった。それは目の前の重大さが物語っているためなのだろうか。


 階段を駆け上がった終着点にはドア一つ。しかしながらドアの窓枠から見えるのは一人の人間のみ。


 そこまではよかった。




「どうする?いきなり突入しても興奮させるだけだぞ」


「ゆっくり入ろう。そこから話合いを始めて決着をつける」




 屋上には男が安全柵を乗り越え、今にも命を投げ捨てようとしている状況だった。




「サスペンスドラマ見たいだな、おい」


「ジョークを言う状況じゃない。ほら、行くよ?」


「了解、了解っと」




 そうして僕たちは本当の意味での最後の作戦に挑むことになった。



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