Not Time Leap and...

薪槻暁

Not Time Leap and...

 もし僕がその本を手にしていなかったのならば、今僕は生きていないのだろう。




  A real book is not one that we read, but one that reads us.




 殺風景、と言うのだろうか。殺伐とした荒野にそびえる一軒の本屋はあたかも己が辺りを砂塵と化した爆心地だと偏見を持たれても拒むことはおろか認めるしか手段は無いのだと断言できる。動き回る生物やそこにあるだけの地球上の物質もなく、無機質でカーボンは絶対に使用されていないであろう宇宙船に似たそれが地球上でいう本屋であることに気付いたのは店内に足を踏み入れてからだった。


 店の外装は人間界で用いられる美辞麗句では表現することは不可能、ただ無機質なつくりで虚無が無尽蔵に積み重ねられた、無の象徴に見えた。シンボル、と言いたいところだったがそれもどうしてだろう、似合わない。


 店内に赴いたのだが店には誰一人店員はおらず、樅ノ木もみのきの密やかな樹木の芳香が店内に澄み渡っている。自動ドアだった扉はすでに閉まっていて一度扉から離れて近づいても、開くことは一度たりとも無かった。


 入口から奥に進むと突き当りの壁があるが、


 一面に敷かれた幾つもの背表紙が目に焼き付かれるほど押し詰められた本棚、新たな本をしまうスペースはここにあらず、とも言いたいのか目の前の僕に迫ってくるような気がした。私を、僕を、自分を、というように僕に開かせるように主張、いや脅迫してくる彼らには目もくれず、一冊の本を僕は手にした。


 「*******」


 本のタイトルは戦後の墨塗りのように消されているわけでも表紙を千切りにされているわけでもなかった。だが確かなのは一つ、だった。


 タイトルが書いてある箇所だけが透明になりあとは何の変哲もなく文が書いてあるだけ、どんな言葉で書かれているのか判断も付かないその本は誰かに読まれた本、所謂中古本であることだけは確かなのだが、それ以上僕には何も分からない。一体どんな内容なのか、いつ書かれたのかすら見当が付かなかったのだ。


 しかしその中に一枚の断片紙が挟まれていた。罫線や柄が書かれても描かれてもいないそれは印象深いとも心残りが容易いとも言えるような代物ではないが、何百枚もある冊子に紛れ込んだ一枚が雀の涙のようにも見えた。


 長い間空気にさらされて酸化した金属、風化した岩石のように純白だっただろう断片紙も今では薄茶色く砂浜のように色づいていた。


 一枚の紙がどうして挟まされていたのか、奇妙に感じたわけではない、まさに夢のように当たり前だと思いながら折りたたまれていた断片紙を開くと宝箱の在処の地図や誰かが得をするような暗号が書かれていたわけでもなかった。


 「公転が逆行する」


 一言、僕が理解したのだからきっと日本語だったのだろう。美しいとも汚れているとも言い表せない文字がそこにはあった。




 そして、どこか懐かしく心が落ち着いた僕はまるで澄み渡る青空を頭上に、芝生の上で吹くささやかな風と軽やかな花の香りとともに意識が遠ざかった。




 1960年月12月23日


 今日も僕は昨日へと戻る。




 単調に、淡々と課せられた使命を果たすような軽くあしらえる言葉に聞こえるのかもしれないが、僕は過去へと回帰していることは確かである。タイムトラベルのように別の時代に飛ぶこともなく、現実とは違う理想郷に引き籠もることもない。半現実と現実を混合した、ビーカーの中の油と水のような世界。ガラス棒でかき混ぜれば一定時間混ざり続けるが徐々に二つに分離する。それが現実と過去の二つになったということである。


 けれど、普通に生きていては昨日へと戻ることは出来ても明日へと戻ることは出来なかった。何もせず過ぎ去る毎日を見届けていくと同時に10日が9日になり、8月が7月に移っていった。


「T、俺の時計知らないか?」


 僕の数少ない内のひとりである友人は無粋な顎髭と縦横無尽に生えてお世辞としても整っているとはいえない髪である容姿。しかし外見と対を成すかのように人情柄が僕よりも数倍善良な人物。ところで「T」というのは僕の名前の頭文字で、そのまま渾名、本名とはかけ離れた僕の別称となったわけである。


「ここには……無いね」


 手探りまさぐりで机の中の引き出しに手を差し込むと一冊の本しか入っていない、だがこれといって違和感ではない、これは僕が入れた本なのだから。


 何処へ行ってしまったのか、自分の時計が神隠しにあったように彼は眉間に皺を寄せてから昨日、部室に置き忘れてしまったかもしれないと僕だけに伝言をしてから教室を出ていった。






 ここは逆還暦初巡目。僕が過ごした現代、2020年からは実に60年離れていることになり今では1960年代を切ろうとしている。だが記憶も現在に至るまでのものは何一つ溢れ落とすことなく、未だに昨日のように覚えている。知識も習慣も同様に身についたこの体からは簡単に離れることはなかった。


 普段のように廃れたから自宅に戻ると何一つ変わらぬ家屋、僕の自宅は堂々とたたずんでいる。


「あら、Tくん。お帰りなさい」


 はい、と隣人である人相のよいおばさんに挨拶をすると玄関へと向かう。いつ如何なる時も周りの人間は僕を恨むことなく同時代に生きる住民のように見てくれた。それはこの時代に来てもなお有難くも悲しいことの一つだった。


 この時代の生活様式はコンクリートやらプラスチックを徐々に使い始めた頃で生活用品も建造物も新しくも綻びがあった。その中でただ僕の自宅だけは何一つ逆行してから変化せず、ガルバリウム鋼板の屋根と外壁を兼ね備えていた。


 部屋の中も同じく代わり映えが無かった、食器類の自動洗浄機や自動感知型冷房兼暖房機、解像度も変化が無いテレビ、スマートフォン、眼鏡付随型小型デバイス……といわゆるが結集した製品は消えることは無かった。


 防水、防塵が完璧なリュックサックをカーペットの上に投げ捨てると毛玉が詰まったソファに体重を預ける。60年間移り変わりゆく他人に合わせることも時間と共に慣れさせてくれるだろうと思っていた僕が馬鹿だった。




 天井を茫然と眺めていると玄関から手の甲の硬い部分、つまりは骨の部分で金属をたたく音が聞こえた。擬音で表現するならばコツン、といったところだ。


 未来でいうインターホンを押した誰かの元へと、僕は遅い足取りで向かい、ドアに手をかけると目の前には先程話した友人が立っていた。


「よっ、T。昨日言った通り遊びに来たんだけど今日は取り込み中だったか?」


「大丈夫、今は母さんは出かけてて家を留守にしているから、夜中にならない程度なら平気」


 カード50枚は入りそうな金属で作られたケースを掲げると、


「またこれをやりに来たぜ、T。今日こそは何度目の正直かは分からんが勝利を俺にもたらす」


 とぐしゃぐしゃになった髪をさらに無造作にかき乱すと玄関で靴を脱ぎ始めた。










「ねえ、変なことない?何か変わった、とか、いつもと違うなって違和感とかさ」


 手持ちのカードを相手に見せないようにじっと下を見つめながら僕は訊く。


「ん、またその話か?悪いが変化らしいことなんて何一つないな」


 彼は自分の陣地に積み重ねたカードから一枚抜き取り、声をあっと漏らす。


「ちくしょう、またハズレかよ、ついてねーな。ほらお前のターンだ」


 自分のターンになった僕は二度目の的外れを引き当てないようにと念を押しながら彼と同じように自分が積み重ねたカードから一枚取る。


 SSレアカード、つまり勝敗が決定したことと同意義だ。


「ごめん、僕の勝ちだ」


 「なんだよーー、また俺は勝てないってのかよ」と非難する彼は僕を見て、


「やっぱTはつええな、マジで勝てる予感がしねーよ」


 と降参したかのように手持ちのカードをカーペットに振り撒いた。


 勝負が決した僕は彼に一つ疑問を投げかける、これも習慣の一環だったからだ。


「庭に変化とかない?今までと違う花が咲いているとかさ」


「お、今度はガーベラを植えているな、前にはなかったように思うが、違うか?」


 僕は正解、と口では答えるが心の中では不正解とつぶやくと手元にあるスマートフォンに着信が入る、内容は母さんが早帰りのようだ。


「なんだ?今日はもう帰った方が良い感じか?」


 そうみたいだね、と返すと広げられたカードを一つの束に纏め上げて金属のケースに仕舞い込むと、即座に彼は、


「じゃあ、また今度な。突然邪魔して悪かった」


 そそくさとシューズに足を入れて玄関を出ていく彼の姿に僕は今一度問うことにした。


「ねえ、そのケースって何が入ってるの?」


 彼は僕の言動に戸惑いつつも仕方なく応じると木箱を開いた。


「面子にきまってるだろ?今さっき俺と勝負したじゃないか、どっちが多くひっくり返せるかって」


 自宅から出た彼はそう言うと僕に「それじゃぁな」と言葉を残すとそのまま走り去っていった。


 やはり今日も気付かなったようだ、僕の家の中の記憶も物も何もかもすり替えられている。いやもとはと言えばすりかえたのは。最初から彼が持ってきたのは木箱で中身も面子だったのだ。記憶も僕が家に入らせたことで僕の時代のものを植え付けたのだろう。どういうわけか、僕の家の玄関は止まった現在いまと、過ぎ去る現在かこの境界線らしい。


 彼が見えなくなるまで庭で佇んでいると母さんが帰ってきたようだ。


「どうしたのT?今日は何かあったの?」


「何でもない、ただテストの点数が少し悪かっただけだよ」


「それは残念……でも次頑張れば平気よ」


 次……とはいつのことを言っているのだろうか。このやり取りをすでに何千回としているが気付く気配も全くない。母さんは過ぎ去っていく記憶も残らず、ただ終わらない時(2020年)の記憶が残り続けている。だが、それは自宅内に入ればの話だ、僕の友人と同じように自宅から、玄関から出てれば過去の記憶が植え付けられる。今立っている庭から数歩動けば、僕も母さんも他人となってしまう。


 リビングへと戻った僕はそのまま今日の終わりを迎えた。




 1960年12月22日




 過去へ戻ることが日常的になった僕はいつしか明日を昨日だと思い込むようになっていた。就寝すると過去へ戻るという体験をし始めた当初は焦燥感に駆られるというか、何か大切なものを失っていくように思えてならなかった。まるで母親から貰った小遣いを穴が開いたポケットに突っ込むように、大切な何かも徐々に落ちていった。


 そんな中、過去ではなく未来に向かう方法はただ一つだけ存在した。それは夢の中であの本屋に行くこと。何もかも無機質で人が創ったように見えないそこに行くということだけが、僕に残された唯一の救い、だがそれさえも叶わぬ願いに成り果てたのだった。僕は60年間変わらない自室で目覚めたのだ。


 重たくも軽くもない頭を起こすとそのまま身支度を整え高校へと向かうことにした。




 高校へは有難たいことに徒歩10分圏内だった。登校途中で段々事に建造物の塗装が新品になったり、閉ざされていたシャッターが開き始めることにも慣れていたが、一つだけが僕の前に立ちはだかった。


「つれない顔してるじゃないか、と……いきなりだが明日お前の家に行ってもいいか?」 


 物理的に。


「本当にいきなりでショッキングだけど……いいよ」 


 まだ覚醒していない脳をフル回転させようと記憶を巡らす。僕が時間が経過しても慣れないもの、それはだ。過去へ戻るということはすなわち知らないうちに決めた約束事を守らなくてはならないとういことがどんなに辛いものか。


「よし、じゃあ早速持っていく面子を揃えておくから覚悟しておけ」


 僕は曖昧な返事をすると彼は教室へと走り去っていった。




 今はいい。けれど時間が経つと仲が良くも悪くも傾くことなく霧のように消えていくことが痛かった。走り去った彼の姿が視界から遠ざかっていくように記憶もまた遠くへと離れていくことが。彼はいつか僕のことを忘れ、そして全くの他人となってしまう。そんな恐怖を抱えながら日々生きてきた。


 翌日、登校するたびに美しくなる高校の教室、技術のみが古びていく中で僕は自分の机に座る。机の上にバッグから一冊だけ本を取り出すとそのまま栞が挟まるページを開く。


 you have lost time.


  but it with you...come along with..


 mine own thought he educate real......




 それ以上は先が読めないまま文字の部分が空白と化していた。実際にこの本を手にしたのはいつ頃だったか、もう僕の記憶を漁ったところで何も出てくる気配もなかった。誰もこの本を知っている者はいない。けれど紙一ページに収まるこの三行だけが今日まで読めることが可能だった。


 一文字も消えることも増えることもなく残り続けた僕は意味もなく手元に置くことにしている。どうしてか、何の理由があるのかも分からないままに。


 椅子と机に全体重を任せた僕はそのまま引き連られるように深い眠りへと落ちていった。




 目覚めた先は教室ではなかった。荒み、風によって舞い上がる塵が辺りを包む大地、そこにただ一つだけ人間ではない、が創った建造物が目の前にあった。久しぶりに見たに入るとやはり本棚がによって埋まっている。我先と本達が僕に読むことを誘ってくるが見て見ぬふりをするとやはり一冊だけ目に留まった。


 タイトルが抜き取られた本、開いても読めない文字が書かれたページの中、後半の数ページに挟まれた断片紙を開く。


「return or remain」


 うっすらと書かれた手書きの文字、僕はここで決めなくてはならない。


 ズボンの右ポケットから電子デバイスを手に取ると、




『re:turn』




 送信ボタンを親指で押すと無数の本達が自身の棚から一気に落下していく。落下して頭に衝突し本によって押しつぶされる恐怖もないまま僕は目を瞑るとどこからか声が聞こえた。


「……め…………とう。……も……て……こ……たね」


 静けさに包まれたところで目を開けるとぼやけた視界が落ち着くまで焦点を正面に合わせると。


 そこには一人の少女が立っていた。


 白色のローブを身に纏う少女は顔がよく見えない、だが、一つだけ違和感がある。


「君は……いったい誰……だ?」


 一つだけ確かな記憶、僕がここにいてどこか安心していた理由。


 少女は確かに僕の前で微笑み、そしてこう言うのだった。


「おかえりなさい」


 視界が闇へと移り変わるとまるで現実に呼び起こされたかのように現代へと戻った。








 2020年12月21日




 電気が走ることで鳴り響く心電図のモニターが左手に見える。これは一体誰のものなのか、少しだけ考えを膨らませただけで僕の頭は記憶のオーバーフローを起こした。それでも両手両足に脳から信号を与えてやると微弱ながら動かすことが出来た。


 よかった。


 それは僕の声ではなかった。


 目線を声がする方、左手に寄せると頬一杯に涙を伝らせた母が僕を見つめていた。何かを失うかもしれなかった恐怖から解放されたように胸を撫で下ろし、そっと声を漏らしていたのだ。


「本当によかった……」


 西暦2020年、スマートフォンやウェアラブル端末が台頭しIT産業は世界一を誇る日本産業国。ハイテクノロジーでは他国に引けを取らないこの国は、いまや新しい記憶没入型デバイスの確立に成功させた。


 それを今さっき体験したばかりだというのに、もう僕の頭の中からは全て消えている。


「母さん、僕ってどんな本を手にしたの?」


 夢の中に入り込むということはすなわちことと何ひとつ変わらない。


「……日記よ、私は60歳だからちょうどあなたは60年前の記憶を目にしたの」


 丸テーブルの上に置いてあったロケットペンダント記憶没入型デバイスを手に取り、緩やかに開くと敷き詰められていたはずのヘリクリサムの花弁がそこから忽然と姿を消していた。


 現代の科学進歩の恩恵なのか、それとも事故なのか分からないままだが、


 僕はようやく明日へと歩み始めたようだ。

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