けれど、僕は君のいない(いる)世界を望む

薪槻暁

だから、僕は君のいない世界を望む

 視界がうっすらと広がり、真っ白な天井が見える。どうやら仰向けになって寝ているようだ。起き上がろうと体を上半身に力を入れると、不思議と簡単にはうまくいかなかった。両手だけが少し浮き上がったような気がしたけれど、頭から胸までの胴体はあまり動こうとはしないし、言葉に表すなら重かったに尽きる。


 けど、それ以外の視覚や聴覚、触覚などの感覚はどれ一つも欠けておらず、隣に誰か座っているのが見えた、聴こえた。


「う・・・・うぅ。やっと・・やっとトモが起きてくれた・・」


 泣き崩れる少女、いや女性が隣で座っていた。


 パイプ椅子に座り込み、俯きながら涙を流す女性は、俺は見慣れているけれど、彼女としてはそうではないようで。


 「よがっだぁぁ本当によかっだ」と涙に呑まれつつ、喜びを露わにしていた。


 俺は徐々に冴えてきた頭をさらに回転させて言った。


「病室は静かにしろよ。彩花」


 泣きじゃくるのを止めない彼女を隣に俺はふと笑みを溢し、深い安堵に包まれたのだった。










 結局、あの日、あの千葉がトラックに轢かれる光景はただの幻想だったらしい。


 俺としては信じられない話だけれど、これこそ、また夢物語に迷い込んでしまったのかもしれないと思ってしまいそうだけれど。今回ばかりは現実にようやく戻ってこれたようだった。


「まさか、トモってばトラックに轢かれないように私に突っ込んでくるんだもん」


 「いきなりばーーんって」と言いながらフラフラと歩き回る千葉。


 今、俺は人生が分岐した、その発端となった道を歩いている。目の前でトラックが彼女を押しつぶすかのように通過した光景は今もまだ、少し覚えているけれど、それでも段々と曖昧になってきている。


 季節は冬を過ぎ、春を迎える頃。俺は長らくどうやら病院のベッドで寝ていたようだった。


「でも、もしトモがぶつかってくれなかったら、私はここにいないかもね」


 そう笑いながら言いつつ、俺は「冗談じゃねーよ」と本音を言う。


 トラックに轢かれそうになった千葉に思わず俺は体当たりしていったようで、弾かれた千葉はそのおかげで九死に一生を得たらしい。トラックは何も衝突することなく、そのまま通過したらしいのだけれど、俺は体当たりした反動で、頭部を地面に叩きつけてしまったようだった。


 実体験を話せるほど記憶が鮮明ではないし、むしろ俺がそんな行動にそもそも走ったのかとさえ思ってしまうけれど、トラックのあの一件があるということは現実なのだろう。


「そういや、イルミネーションは覚えているか?」


「なにそれ?もしかして私への嫌がらせーー?クリスマスから正月まで看病していた私の身のことも考えてよね」


「あ、いやごめん。そういうことじゃない」


「てことはまさか寝ている時に夢の中でそういうことをしたってわけぇ?」


 「だったら許さないよ?」と上目遣いに聞いてくる千葉から思わず視線を逸らしてしまう。


 他でもない。お前だよ。


「だから違うって。ただの思い違いだ」


 けれど、嘘をついた。これは彼女の問題じゃない、俺自身の問題だ。一見すると一人で問題を抱え込んでいるようで、いつか一杯になって溢れてしまうかもしれない。


 だが、その心配はないはずだ。


 今、いや、俺があの決断をした時、その問題は解決したはずだ。


 たとえ一人になっても、俺は生き続ける。


 非情に、感情が無いように、白状に見えるけれど、


 俺は絶対に生きることを止めない。


「なあ、ちょっと寄りたいところがあるんだけどいいか?」


「どこに行くの?」


「いや、とあるペットショップに行きたいんだけどさ」


「ねえ、退院早々、初デートがペットショップってどういうことよーー。もしかして私達で一緒にペットを飼いたいとか?いいよぉ、新しい家族の一員を増やすってことだね」


「いや、ただ観に行くだけだよ」


「なんでさぁーー!!」




 ふと周囲の木々を見つめると、取り残されたイルミネーションが仄かに点灯している。


 冬も終わり、もう新学期が始まる時期だけれど、俺は彩花の隣にこれからも居続けたいと思う。


 別れも来るのは承知の上だ。それが来るのはもちろん怖い。いつ来るのか、来てしまうのか、おびえながら生活をする日も来るかもしれない。


 けれど。


「おーーーーい!!早くしないと先いっちゃうよーー?」


 たとえ、愛する人が、傍からいなくなってしまったとしても、それでも俺は彼女を追わずにこの世界に残り続けるだろう。


 それは、が唯一俺に残してくれた願いでもあるのだから。


 俺は一歩、また歩みを進める。


「分かってるよ。今行く」


 そう言いながら、俺は、手を振る彩花のもとへ向かった。












 あの二匹の猫を見に行くと。


 そこには「家族が決まりました」というシールが二枚貼られていたのだった。

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