〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

32.They tells true facts and no mistakes

 ***


 突如出現したエモーショナー、二人のどちらにも傷を付けなければ僕の勝利。彼から言い渡された課題だけれど、挑まずにはいられなかった。彼自身にアドバンテージがあるなかで僕がそれを否定する。そうすれば納得する可能性も見えてくると思ったからだ。


 emoⅠ:相手を落とし、成り上がることこそ正義


 emoⅡ:協調こそが全世界の恒久的平和に繋がる


「さあ、やってみたまえ。彼らの時間軸は恐ろしいほどに狂っている。それはさながら、時計の短針が長針の如く回転するかのように」


 僕は二人に近づく。怖いくらいに感情が真っ暗な闇で覆われているようだ。


「表情を視認してからどんなことを考えているのか判断するのは勧めない。さっきも言ったろう、彼らの中では一秒は一時間と同程度に時が進むんだ」


 彼らにどんな言葉をかければよいのだろうか。そもそも、言葉をかけることが出来るのだろうか。


「それだと、僕が二人に話しかけることは出来るのか?目まぐるしく時間が進むのなら、僕の言葉を聞き入れる余地がそもそもないんじゃないのか」


 フッ、と吹くように笑った。不敵に嘲笑うが如く。


「争い事は止まってくれと言えば止まってくれるのか?泣いて喚いて懇願でもすれば止まると?」


「笑わせないでくれ。そんなことで済むのならとっくにしているさ」


 完全に彼の掌の上だ。だけど…………そんなこと知ってたことじゃないか。


「わかった。ならやってやる」


「ほう…………」


 手段は分からない。いや、きっと明確な方法などこの世には存在しないのだろう。当事者がどう思うのかとか、時の運も絡んでくるのだろう。


 だからって、全てを神様に委ねようとするのは無責任だ。


「先に進めば、彼らの主張が直に流れ込んでくるだろう」


 一歩、足を踏み入れる。相対する二人のエモーショナーの輪に入ろうとした時、視界の端々から暗闇が広がった。それはまるで光が無い宇宙のようで恐怖が一気に押し寄せてきた。


『争い?終わらないわけがないだろう!!人間というのは他者を貶めなければ生きていくことは不可能。だから動物を殺し、それを糧として生きてきたのだ』


『そんなの支離滅裂じゃないか!!同じ人同士で争うなんて無駄でしかない。確かに、僕らは動物、植物を狩って採ってきた。けど、それが同士討ちをしていい理由になんてならない!!』


 二人の人間がそれぞれ向かい合いながら話し合っている。顔は靄がかけられている。どんな人相なのか、外見からは分からないようになっていた。


『なら、どうして人は戦争を起こしてきた?食糧が、資源が、金がないからか?そんな経済的な問題だけではないとなぜ分からない!?』


「だからって他人を排斥するのか?」


 僕からの問いに考えるまでもなかったのか、即答した。


『するさ。お前は自分の家族が略奪者に奪われようとするとき、何もしないでただ見ているだけなのか?』


『自分の守りたいものを守ろうとして何が悪い』


 ああ。僕は勘違いをしていたのだろう。この人は争わなければ幸せは降りてこないと、そう信じているんだ。だからきっと、争いたいとは


 自分の大切なものが失われようとするとき、人間は時に獣と化す。だけど、成りたくてなっているわけじゃないんだ。


『………………悪い』


 相対するもう一人の人間は声を挙げた。


『守ろうとして相手を傷つけ、傷つけられた相手は怨み、傷つけようとする。そんなもの終わらない連鎖を繰り返すだけじゃないか!!』


 この人もまた正論を述べているだけなんだ。守るために攻撃する。なら攻撃された相手はどうなるのか、と。


『ならお前は相手の為に、見ず知らずの他人の為に、死ねるというのか?』


 黙り込む二人。お互い、間違ったことは言っていないんだ。正論が正論を壊す、まさに言葉通りの様子だった。


「僕は……君たちの二人のどちらか一方が悪だと決めつけることは出来ない……けど……」


「誰かを傷つける行為は許されざる行為なんだ」


 一方が声を荒らげる。僕は悲しかった。思考回路を意図的に操作されているという現実がこの場にあるということが。


『他人と優劣をつけるのが人間だ。そこに精神的な傷害、物理的な痛みがあるということがなぜ理解できない!!』


 怒りは人の間で伝染してしまう。これでは何の解決策にもなっていない。だからといって僕は彼らに何といえるだろうか。世界を救う英雄でも、救済者でもないのに、僕なんかたかが一般人に何が出来るんだ。


『優劣が生まれるのは仕方ない。だけど、それを補填し合うのが僕たち人間の営みであるはずだ』


『ハッ、だから綺麗ごとで片づけるんじゃねえって言ってんだよ』


 足場が崩れていくような気がした。コーヒーに入れた角砂糖が形を無くしていくかのように、ボロボロと何もかも透明に化す。今までの話から「意味」が徐々に剥がされていく感覚。


 言葉を借りるなら、家族を守るために他人を傷つけたのに、自分の手を汚したのに、帰ったら家族の姿は何処にもない。そんな類だ。


『僕は君とは話が合わない』


『そんなこと鼻っから承知だ』


 彼らは互いにナイフを構える。やっぱり僕には重荷だったんだ。彼のように争いを終結させる具体的な手段を持ってはいない。抽象的な概念だけ、それもほぼ理想論に近しいもの。


 だが……僕はここで止まるわけにいかないはずだ。


 レンニクシミ、ミユ。僕はどうしてこの場所に来たのか思い出せ。そして、そのために犠牲にしたものの大きさを身に染みて実感させろ。


 咄嗟に彼ら二人の間に入り込む。自分の体をねじ込み、そして。ナイフの矛先を


『な!?』


『え………』


 ホログラムで出来ているとはいえ、痛覚は未だに顕在しているためか、脇腹のあたりが痛む。左右どちらともに刺さったからか、もう下腹部全体が熱湯をかけられたかのような熱さを感じる。


「これでいいんだ……これで」


 痛くて気がどうにかなっちゃいそうだ。この世界に来て刺されるのは二度目だ。しかも今度ばかりは二本。一本でも刺されたら気を失ってしまうほどの痛みを感じるのに、ただ「痛い」というだけの今が不思議でならなかった。


 けれど。


「あはは……視界が狭くなってきちゃった」


 光が無い宇宙のようだったこの場所はもう見えない。何もかも。


 ここで終わるのだろうか。気を失って、彼の……僕の思い通りになってしまうのだろうか。


ーー私が勝利した場合、それを確認した瞬間、この世界に生きる人全ての感情を一色単にするーー


 そんなこと、他人が他人の想いを操るなど、絶対にあってはならないはずだ。それなのに……………


『ああ。あってはならないことだ』


 不意にどこからか声が聞こえた。聞いたことのある声。笑っているわけじゃないのに、不敵な笑みを想像させる人相。


『ここからはボクがかたをつけよう。今まで持ちこたえてくれたんだ、それ相応のことをしなくてはね』


 そう言うと、僕の下腹部から痛みが消失した。何事もない腹部が僕の体に残されたのだ。


 声主の存在が離れるような感覚と同時に、夢から醒めるような心地で意識は元に戻されたのだった。



「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く