〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic
21.Finding the hope in darkness
***B
暗い夜道だ。長くて、細くて、足元はおぼつかない。照らされている街灯は一、二本しかなくて先は真っ暗。これは、トンネルじゃない……空を見上げれば星空を覆うほどの曇天が映し出されている。
コンクリート、ビル、屋上。
「『全て見覚えのある光景だった』と感じているのかな?」
暗闇が覆う夜空の中から落ちてきたのは流れ星でも隕石でもなく。
「あんたは確か…………マスノマディック、だったか」
人間によく似た何か。
「よく覚えていてくれたね、ボクのような端くれの存在を。いくら多面的であるとはいえ、こうして現界するのは一個人。印象深いとはとても言えないからね」
「それと…………ボクのことを人間と別物に見るとは、やはり君は特別だ。彼とは別の意味で面白い」
僕を見て笑っている。神様が気の流れで産み出した僕ら、人間を見て弄んでいるように。上等生物が下等生物を見下すような眼差しで。
「その心情は解せないな。ボクは上から目線をしているわけじゃない。それに、優劣は君らの特権だろう?いきなりこちらに押し付けられても困るよ」
「なら、どうして僕を見て面白いだなんて言うんだ。まるで劇場でも鑑賞するみたいに僕の人生を覗きこんで。それにここはどこなんだ?周りは何もない、ミユも………レンだっていない」
ミユにとって思い出深い場所に来たとき。僕は背後からナイフを刺された。そして、その持ち主は。
「まさしくレンだった。そうじゃないのかい?カイトくん」
痛みのあまり下腹部を抱えて倒れこんでしまったけれど、それでも刺した本人の顔はよく覚えている。
「それは間違いない。刺した後に声をかけたのもレンだった…………だけど」
「だけど?」
「レンは本意だったのかな」
確かに僕を刺して立ち去ろうとしたとき、享楽に浸ったような顔をしていた。感情の赴くままに欲求にされるがままに、意思すら消えかけていた。
けれど。
「悲しそうだった。横たわってて、意識も薄れていたけど。レンは、彼は心の底からしたかったようには見えなかった」
「君の言いたいことはこうだ。彼は言っていることとやっていることが矛盾している。支離滅裂な論理だと」
「……………………それとは別のような気がする」
「別とは?」と目の前の白衣の男は聞いてくる。いかにも研究員らしき風貌。知りたがりの塊。
「心のなかではやりたくないって思ってるのに、体が勝手に動いてしまう感じかな。一度回されたぜんまいは回転してもとに戻らない限り、エネルギーは消えない。それと同じ」
「なるほど。予め組まれたプログラムによって動かされてしまっている操り人形……か。わかった。ならば逆にボクから聞きたい」
「もし、彼が第三者の人間の所為で動かされているとしたら……君はどうする?」
体が意図的に操作される。そんなものロボットと変わらない。あれをやれ、これをやれ、殺人、窃盗だって容易く行う。モラルなど摘み取られたモノ。
「僕は…………許さない。誰だろうと。たとえそれが善のためにしているのだとしても、僕はレンを、たった一人の人間を利用するなんてことは絶対に許さない」
「またまた威勢がいいね、君は。独特な感性と感情の持ち主だ。それに免じて一つアドバイスをあげよう」
街灯が一つ消え、もう灯りはたった一本しかない。
「彼は利用されている。そして君は彼を救うべきだ。身体的じゃなく精神的にね」
真っ暗な視界が今度は一気に開かれ、辺りが見渡せるほどの明るさに包まれる。指に触れる冷たい鉄柵。生暖かい陽気に吹かれる風。下を見れば行き交う人の群れと、車の数々。
「ここは…………」
「街頭なんかじゃない。いや街頭だとしてもそれを見下ろす高台だね。そして君が知っている心象風景。君しか知らない心残り」
「どうしてこの場所を?」
ここはかつて僕が飛び降りた場所。つまり前世において人生を諦めたようなところでもある。上司に、部下に、妻に、見捨てられた僕を迎え入れた人生の終結場。
「だから、ボクは具体的なことは知らないんだ。何がここで起きたのか、終わったのか、それとも始まったのか。ボクは一人ではないのだからね」
「それで、どうしてこの場所が現れたのかというと君がこの場に念が残っているから」
「念…………だって?」
「ああ。何かしなければならないこと。逆もあるかもしれない、してはならなかったこと。その類いが、後悔がここに残っているってことだ」
後悔はしてるさ。自殺なんてことをしでかしたんだ。他人に最後まで迷惑をかけて…………
「だからだ」
「後悔をしているのなら、君はまだ覚えておくべきなのさ。この場所を。そして」
「レン…………いや彼に今一度話を聞いた方がいい」
屋上の景色が変わろうとしている。いつの間にか倒れこんでいて、隣には見慣れた少女の姿。
「あんたは、マスノマディックはそんなことを伝えるために僕の記憶を探ったのか?」
「そんなこと、か。まぁ、どちらでもいい。そうさ。君に思い出させるためにしたまでのことさ」
不意に笑みを浮かべた彼、マスノマディックは空中にふわりと浮かぶとそのまま風に流される紙のようにぼけて消えていった。代わりに目に映ったのは涙ながらに訴えるミユの姿で。
何より、心が暖かくて堪らなかった。
 
***
「もう大丈夫なわけ!?あれだけ、穴が開いたってくらい喚いてたのに」
「知らないうちに僕ってば暴れてたんだ……ん。でももう平気、ちょっと傷口に塩を塗ったぐらいだから痛いのは少し程度だよ」
「平気じゃないでしょ!!痛いのに、さらに痛いことしてどうすんの。ほらっ、お腹見せて。いいから」
上半身をコンクリートの地面から引き離す。あれだけ出ていた流血もどこにも見当たらない。ジャムを盛大に溢した光景。何よりも僕の下腹部から出ていたものがすっかり消えていたのだ。
あぐらをかき、ふらふらと体を揺らしているとミユは僕の両肩を押さえつけた。
「何が起きたの?いきなり倒れこんで悶えて……レンはどうしたの?」
「もうここにはいないよ。彼は」
頬が冷たい。無機質の地面と密着していたからだ。たとえ屋上だとはいえホログラムで気温湿度を管理されているはずなのに、冷え切っている床。不思議でならなかった。
「そう……なのね」
そしてミユはレンが事の首謀者だと勘付いたのか、納得した表情を見せた。ほっとしているのか、それとも心配しているのか、僕には人の感情を読み取ることなんて出来なかったけれど、見放しているようには見えなかった。それだけは言える。
「ねえミユ。一つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
だからこそ。ミユにしか訊けなかったのだと思う。他人に質問して答えを得る、答えに似た回答を得ることは決して恥ずべき行為ではないのだけど。信用している人物からの助言が僕は欲しかったのだ、この事実を知っていて、少なくとも一緒に生活をしてきた人だから。
「救いなんて要らない、そう言っている人がさ。窮地に立たされている時、手を差し伸べてあげる?」
「助けられる人と助けられない人がいる。この世界にはその二つがあるってどこかの本で読んだわ。だからすべての人を救うことなんて出来ない、出来るのは救う人が救うと決めた人間だけだって」
ミユは僕の両目を、瞳をじっと睨んだ。これ以上に無いほど辛辣な目で。
「救いが要らないって言ってるのなら、しない。昔の私ならそうしていたわ。だってそうじゃない。他に誰かが助けて欲しいって願っている人がいるのに、その人たちを無視するなんてさ」
「レンは………」
「でも!!」
「さっきもあんたが言いかけてたけど、レンさんはたぶん……そんな単純な話じゃないんだと思う。そういうことだよね?お兄ちゃん」
そっと両肩に置いていた掌を放す。ミユは僕を一瞥してから立ち上がると声を挙げた。
「ここでずっと立ち尽くしてていいの?それとも、まだレンさんのこと引っ張ってるわけ?」
床に腰を付けている僕目掛けて指を差すミユ。
「悩んでいるのならさっさと行きなさいよ」
不意に笑いが込み上げてしまう。お腹の中心部から口まで突き抜けていくような疾走感。ひしひしとまだ下腹部が痛むけれど、もう痛みの元凶は見当たらない。今一度、腹筋に力を入れ、体を起こしてやると足腰に痺れが生まれた。
力いっぱい足を踏み込むとようやく独りでに立つことが出来た。
僕の目先、少し下を俯くと少女の姿が映る。
「君はやっぱり大人っぽいね」
「ふんっ、そりゃそうよ、大人ですから」
視線を逸らし、踏ん反り返る少女。本当だ。僕は兄じゃなくてこれじゃあ弟だ。
「あ………でも、さっき僕座ってたんだから、立ち尽くす、はないよね?どうせだったら座りつくすでしょ?」
「ううう、うっさい!!はやく行けっ!!」
そんな怒号に浸される中、僕は屋上の出入り口に逃げるように駆け込んでいった。
ミユ。やっぱり僕よりもしっかりしている子。階段を降りる度、僕はそう何度も思い返すのだった。
暗い夜道だ。長くて、細くて、足元はおぼつかない。照らされている街灯は一、二本しかなくて先は真っ暗。これは、トンネルじゃない……空を見上げれば星空を覆うほどの曇天が映し出されている。
コンクリート、ビル、屋上。
「『全て見覚えのある光景だった』と感じているのかな?」
暗闇が覆う夜空の中から落ちてきたのは流れ星でも隕石でもなく。
「あんたは確か…………マスノマディック、だったか」
人間によく似た何か。
「よく覚えていてくれたね、ボクのような端くれの存在を。いくら多面的であるとはいえ、こうして現界するのは一個人。印象深いとはとても言えないからね」
「それと…………ボクのことを人間と別物に見るとは、やはり君は特別だ。彼とは別の意味で面白い」
僕を見て笑っている。神様が気の流れで産み出した僕ら、人間を見て弄んでいるように。上等生物が下等生物を見下すような眼差しで。
「その心情は解せないな。ボクは上から目線をしているわけじゃない。それに、優劣は君らの特権だろう?いきなりこちらに押し付けられても困るよ」
「なら、どうして僕を見て面白いだなんて言うんだ。まるで劇場でも鑑賞するみたいに僕の人生を覗きこんで。それにここはどこなんだ?周りは何もない、ミユも………レンだっていない」
ミユにとって思い出深い場所に来たとき。僕は背後からナイフを刺された。そして、その持ち主は。
「まさしくレンだった。そうじゃないのかい?カイトくん」
痛みのあまり下腹部を抱えて倒れこんでしまったけれど、それでも刺した本人の顔はよく覚えている。
「それは間違いない。刺した後に声をかけたのもレンだった…………だけど」
「だけど?」
「レンは本意だったのかな」
確かに僕を刺して立ち去ろうとしたとき、享楽に浸ったような顔をしていた。感情の赴くままに欲求にされるがままに、意思すら消えかけていた。
けれど。
「悲しそうだった。横たわってて、意識も薄れていたけど。レンは、彼は心の底からしたかったようには見えなかった」
「君の言いたいことはこうだ。彼は言っていることとやっていることが矛盾している。支離滅裂な論理だと」
「……………………それとは別のような気がする」
「別とは?」と目の前の白衣の男は聞いてくる。いかにも研究員らしき風貌。知りたがりの塊。
「心のなかではやりたくないって思ってるのに、体が勝手に動いてしまう感じかな。一度回されたぜんまいは回転してもとに戻らない限り、エネルギーは消えない。それと同じ」
「なるほど。予め組まれたプログラムによって動かされてしまっている操り人形……か。わかった。ならば逆にボクから聞きたい」
「もし、彼が第三者の人間の所為で動かされているとしたら……君はどうする?」
体が意図的に操作される。そんなものロボットと変わらない。あれをやれ、これをやれ、殺人、窃盗だって容易く行う。モラルなど摘み取られたモノ。
「僕は…………許さない。誰だろうと。たとえそれが善のためにしているのだとしても、僕はレンを、たった一人の人間を利用するなんてことは絶対に許さない」
「またまた威勢がいいね、君は。独特な感性と感情の持ち主だ。それに免じて一つアドバイスをあげよう」
街灯が一つ消え、もう灯りはたった一本しかない。
「彼は利用されている。そして君は彼を救うべきだ。身体的じゃなく精神的にね」
真っ暗な視界が今度は一気に開かれ、辺りが見渡せるほどの明るさに包まれる。指に触れる冷たい鉄柵。生暖かい陽気に吹かれる風。下を見れば行き交う人の群れと、車の数々。
「ここは…………」
「街頭なんかじゃない。いや街頭だとしてもそれを見下ろす高台だね。そして君が知っている心象風景。君しか知らない心残り」
「どうしてこの場所を?」
ここはかつて僕が飛び降りた場所。つまり前世において人生を諦めたようなところでもある。上司に、部下に、妻に、見捨てられた僕を迎え入れた人生の終結場。
「だから、ボクは具体的なことは知らないんだ。何がここで起きたのか、終わったのか、それとも始まったのか。ボクは一人ではないのだからね」
「それで、どうしてこの場所が現れたのかというと君がこの場に念が残っているから」
「念…………だって?」
「ああ。何かしなければならないこと。逆もあるかもしれない、してはならなかったこと。その類いが、後悔がここに残っているってことだ」
後悔はしてるさ。自殺なんてことをしでかしたんだ。他人に最後まで迷惑をかけて…………
「だからだ」
「後悔をしているのなら、君はまだ覚えておくべきなのさ。この場所を。そして」
「レン…………いや彼に今一度話を聞いた方がいい」
屋上の景色が変わろうとしている。いつの間にか倒れこんでいて、隣には見慣れた少女の姿。
「あんたは、マスノマディックはそんなことを伝えるために僕の記憶を探ったのか?」
「そんなこと、か。まぁ、どちらでもいい。そうさ。君に思い出させるためにしたまでのことさ」
不意に笑みを浮かべた彼、マスノマディックは空中にふわりと浮かぶとそのまま風に流される紙のようにぼけて消えていった。代わりに目に映ったのは涙ながらに訴えるミユの姿で。
何より、心が暖かくて堪らなかった。
 
***
「もう大丈夫なわけ!?あれだけ、穴が開いたってくらい喚いてたのに」
「知らないうちに僕ってば暴れてたんだ……ん。でももう平気、ちょっと傷口に塩を塗ったぐらいだから痛いのは少し程度だよ」
「平気じゃないでしょ!!痛いのに、さらに痛いことしてどうすんの。ほらっ、お腹見せて。いいから」
上半身をコンクリートの地面から引き離す。あれだけ出ていた流血もどこにも見当たらない。ジャムを盛大に溢した光景。何よりも僕の下腹部から出ていたものがすっかり消えていたのだ。
あぐらをかき、ふらふらと体を揺らしているとミユは僕の両肩を押さえつけた。
「何が起きたの?いきなり倒れこんで悶えて……レンはどうしたの?」
「もうここにはいないよ。彼は」
頬が冷たい。無機質の地面と密着していたからだ。たとえ屋上だとはいえホログラムで気温湿度を管理されているはずなのに、冷え切っている床。不思議でならなかった。
「そう……なのね」
そしてミユはレンが事の首謀者だと勘付いたのか、納得した表情を見せた。ほっとしているのか、それとも心配しているのか、僕には人の感情を読み取ることなんて出来なかったけれど、見放しているようには見えなかった。それだけは言える。
「ねえミユ。一つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
だからこそ。ミユにしか訊けなかったのだと思う。他人に質問して答えを得る、答えに似た回答を得ることは決して恥ずべき行為ではないのだけど。信用している人物からの助言が僕は欲しかったのだ、この事実を知っていて、少なくとも一緒に生活をしてきた人だから。
「救いなんて要らない、そう言っている人がさ。窮地に立たされている時、手を差し伸べてあげる?」
「助けられる人と助けられない人がいる。この世界にはその二つがあるってどこかの本で読んだわ。だからすべての人を救うことなんて出来ない、出来るのは救う人が救うと決めた人間だけだって」
ミユは僕の両目を、瞳をじっと睨んだ。これ以上に無いほど辛辣な目で。
「救いが要らないって言ってるのなら、しない。昔の私ならそうしていたわ。だってそうじゃない。他に誰かが助けて欲しいって願っている人がいるのに、その人たちを無視するなんてさ」
「レンは………」
「でも!!」
「さっきもあんたが言いかけてたけど、レンさんはたぶん……そんな単純な話じゃないんだと思う。そういうことだよね?お兄ちゃん」
そっと両肩に置いていた掌を放す。ミユは僕を一瞥してから立ち上がると声を挙げた。
「ここでずっと立ち尽くしてていいの?それとも、まだレンさんのこと引っ張ってるわけ?」
床に腰を付けている僕目掛けて指を差すミユ。
「悩んでいるのならさっさと行きなさいよ」
不意に笑いが込み上げてしまう。お腹の中心部から口まで突き抜けていくような疾走感。ひしひしとまだ下腹部が痛むけれど、もう痛みの元凶は見当たらない。今一度、腹筋に力を入れ、体を起こしてやると足腰に痺れが生まれた。
力いっぱい足を踏み込むとようやく独りでに立つことが出来た。
僕の目先、少し下を俯くと少女の姿が映る。
「君はやっぱり大人っぽいね」
「ふんっ、そりゃそうよ、大人ですから」
視線を逸らし、踏ん反り返る少女。本当だ。僕は兄じゃなくてこれじゃあ弟だ。
「あ………でも、さっき僕座ってたんだから、立ち尽くす、はないよね?どうせだったら座りつくすでしょ?」
「ううう、うっさい!!はやく行けっ!!」
そんな怒号に浸される中、僕は屋上の出入り口に逃げるように駆け込んでいった。
ミユ。やっぱり僕よりもしっかりしている子。階段を降りる度、僕はそう何度も思い返すのだった。
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
4
-
-
440
-
-
1
-
-
2
-
-
124
-
-
22803
-
-
3087
-
-
104
-
-
93
コメント