〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

18.The little girl

***A


 今日は考えたくもないことが幾度も起きてしまった。トライアンドエラーなんてもんじゃない。ただひたすらにエラーばかりだった。言葉に意味がある?意味があったとしても俺に使う場面など一度も来ないはずだ。MBT、言葉すら使わなくとも他人に情報を伝える手段があるのだから。


 あの一般人……俺が見てきた人間とは違和感があった。容姿、性格ではない。MBTを利用していないからでもなさそうだ。


 俺は52233272。そう作られたはずだ。そして俺に干渉することが出来るのはMBTを操作するドクター、エモーショナーしかいない。


「ならばあの男はいったい何者なんだ?」


 脳裏に焼き付けた星を像としてそのまま映写する。やはりホログラムだ。実体はない虚像。腹の底が煮え返される要因の一つ。


「ちっ……調子を狂わされるな」


 俺は熱いコンクリートをどうにかして冷ますように、気を落ち着かせ仮睡に入った。




 ***B




 鈍く温かな光に照らされて僕は目を覚ました。カーテンの間から差し込む微妙な陽光は直接僕の左頬の辺りを反射させている。あまりの眩しさゆえに掌で光を遮ると、窓の向こうは見事な朝焼けだった。


 アメジストに似た紫赤色の雲海。夕焼けよりも橙色が色褪せたような空。まだ光が十分に満たされていないのか、都市を覆うビル群はしんとしている。


「あれ、もう起きたの?」


 ソファから体を起こし声がした背後を振り向く。


「そんなところに立って何してるの、ミユ?」


 僕はキッチンで、エプロン姿のミユに問う。今思えばミユが何をしているのかなんて聞くまでもない問いだった。


「朝早く起きてキッチンにいるこの状況を見て、何も思い浮かばないわけ?」


「あーー朝ごはんか」


「まだ目覚めてないようだからアドバイスしてあげる。い、ま、す、ぐ、シャワー浴びてきなさい!!」


 何がなんだかわからなかった。朝が早かったもので頭が付いていかなかったのが原因だ。僕はミユの言うとおりに玄関の方へ向かった。


 シャワールームがどこかなんて教えてもらったことは一度としてなかったけれど前世では玄関からすぐ近くにあることが多かったし、実際ここでもその通りだった。前日に蛇口から水が出てくるホログラムを見た場所。つまりは玄関を入ってすぐの右に抜けた廊下、その最端。


 鏡に水道と洗面台があって対面するようにシャワールームがある。シャワールームへの扉は隔てるようにあるけれど、ホロで出来ているのか、中の状態はさっぱり外からは分からないようになっていた。


 しかし、扉の中央部に「ENTER」という文字が表記されていたので、僕は着ているチェックのシャツ、真っ黒のジョガーパンツ(今思えばこの世界に来て自分が何を着ていたのかを初めて知ったような気がする)を籠のような入れ物に投げ捨てシャワールームに入ることにした。


 入り方がいまいち分からなかったけれど「ENTER」の文字のところに手を当てると勝手に扉が開いた。


「あ……まだ先に失礼している最中なのですが、もしかして待ちきれませんでしたか」


「え、ちょっとまって」


 シャワールームにはすでにレンさんがいたのだ。


 脳内パニック。第一議論開始。まずどうして中に人がいるのだろうか。


「俺、もうすこしで終わるんであとちょっとだけ待ってくれませんか?あ、でもその格好だと外にいるのは…………」


 なんでレンさんと鉢合わせしているんだ僕!!いやだって「ENTER」って書いてあったから入ったまでだし、それに入れと言ったのは他でもないミユじゃないか。一度、レンに「お邪魔してすいません」とお辞儀をすると、一目散にキッチンへと戻る。


 この状況を作り出したのは、あえてシャワールームに行かせようとしたのは。


「ちょっっとまて、よくも僕を嵌めたな!!寝ぼけているのをいいことにあまりにも非道だぞ!!」


「はあ?私が何をしたって……うえぇっ!!そ、そんなもん見せつけてくんじゃないわよ!!」


「え?僕が何かしたのか?」


 そう言って改めて僕自身の姿を見ると。真っ裸だった。一糸纏わず、アダムが身に着けたようなイチジクの葉っぱもなく、全てをあからさまに露見させていた。なるほど、これが露出狂の胸中ということか。自分を曝け出す、着ているもの全てを投げうって生きる。THE爽快感の塊だ。


「ああ、なるほど…………」


 だから思わず納得して声が出てしまった。


「なるほどじゃないわよ!!このド変態、破廉恥、非人間!!」


 ミユは僕の姿を目にすると一気に顔を赤くし、手元にあったフライパンを僕の顔面へと投げつけ、見事クリーンヒット。そして僕の意識は徐々に遠のき、キッチン脇で裸のまま倒れこんでしまった。


 何とも恥辱な状況、前世よりも手厳しい世界だ、と僕は思うと、意識が完全に消失したのだった。




 ***B




「何も金属の塊を投げつけなくても………ミユってやっぱり傍若無人って言われたりするでしょ」


「私が傍若無人ならあんたは変態塵屑ってとこね。女性の目の前で裸体を晒すなんて……むしろこの程度で済んだことを感謝してほしいぐらいだわ」


「初めて聞いた四字熟語だし、しかも今まで聞いてきた中でTOP3を競うほどの暴言だよそれ」


 相変わらず痛みはまだとれない。食事中だというのに前頭葉のあたりが叩かれているような痛みがするのは止めて欲しい。折角の料理の味に集中できない。


「そんなに触らなくても平気、傷なんてつけてないんだから。フライパンだってホログラムなんだからぶつかった衝撃だけしかあなたに与えてない。いつか忘れてるわよ」


 モグモグと目の前の料理、だし巻き卵に手を付けるミユ。


 僕らは今、朝食の真っ最中だ。ソファに座り中央のローテーブルに置かれた大皿から自分の分を取るようにしている。僕とミユ、レンで顔を合わせるようにして座っている。


「そ、それはありがとう。にしても、ミユ。どうして料理なんてしたんだい?食事なら作られてるのがあるじゃないか」


 料理なら昨日マーケットで購入したものがまだ余っている。段ボール箱が玄関に数箱置いてあったのだ。


「う、うっさいわね!!そんなの人の勝手でしょ。自分がやりたいことを誰かに指図されてやらなきゃならない道理があるわけ!?」


「朝から怒らなくてもーー。短気なのは女の子の目指す理想像からかけ離れちゃうぞ」


「あんたに指摘される筋合いはない!!」


 そんな僕とミユをなだめるようにレンが「どうどう」と仲介者としての立ち位置を示す。


「今は食事中だからさ。せっかくミユさんが作ってくれたんだ、えっと…………」


 まずい。僕の名前をミユからまだ教えてもらっていない。前世の僕の名前を言ったところで支離滅裂な発言になってしまうだろうし。というわけで僕は隣に座っているミユに助けを乞うた。


「カイトよ……海に渡るって意味のカイト……本当は自分で思い出してほしかったんだけど」


 僕はカイトというミユの兄らしい。自分の名前のはずなのだけれど、やっぱり身に覚えがない。ミユには申し訳ないのだけれど、自分からは思い出すどころか覚えたこともない名前だった。


「カイト君」


 レンはそんな僕を気にかけてくれたのか、料理に話題を逸らしてくれた。


「あ、ああそうだね。っというかこれって僕が昨日作った料理じゃないの!?」


 だし巻き卵で思い出した。朝食で出されている料理の殆どが僕が昨日、用意、調理したものだった。


 昔の頃、料理に嵌まったことがあったので簡単なものぐらいという感じで作ったのだ。丁度、前日はマーケットに寄ったため、そこで食材を調達したのもそのためだ。


 ならどうして前日の料理と同じだというのに違うと分かったのか。何もミユがエプロン姿でキッチンに立っていたからなんて陳腐な理由ではない。


 卵料理は所々焦げていてフライパンに引っ付いてしまったのか、剥がれているものがあり、リンゴは皮向きが少し雑になっている。要するに手荒さが目立ったからだ。


「これなんて、もう炭みたいじゃないか?卵の黄身の部分が太陽の黒点みたいになってるよ?」


「無駄口叩くなら食べるなぁ!!っもういいよ。私は料理が下手です、そうです。すみませんでしたーー」


 僕が指摘したために投げやりになってしまった。今にも僕が指した目玉焼きを捨てようとしている。


「まってまって、その皿を捨てるのはまだ早いよ」


 そう言って、ミユが手に取った皿をひょいと横からかっさらった。そして僕は黒く染まった料理を一口で頬張る。


「え……なにしてんの、あんた……」


「何って……ふぐふぐっ。君が作った料理を食べただけじゃないか」


「そんなもの食べても美味しいわけ……」


「なかったよ」


 僕は即答した。


「ならなんで食べるんだよ!!失敗した料理なんて口にしても体を壊すだけじゃない」


「美味しくない。けど僕が食べたいと思ったから食べたまでだよ。君がせっかく作ってくれたんだ。たとえ味がよくなくっても僕はそれを食べたいと思う、だからそうしたまでさ」


「うう…………」


 ミユはそのままソファに戻る。


「だからつまりさ、感謝してるってことだよ。ミユ?」


 料理をすれば誰しも傷一つくらいつけるはずだ。だが、ミユにはそれがない。掌や指にも、火傷、切り傷の跡が綺麗さっぱりないのだ。


 僕も前日調理したけれど、それもホログラムだった。包丁、まな板、鍋、火源もそうだ。だから傷はつかず痛みにしか成り得ない。


 要するにミユは痛みだけ味わいながら調理をしたのだ。


「ありがとう、ミユ」


 10歳程の少女が僕の隣で瞳に涙を浮かべる。感情を表に、分かりやすく露わにする年端も行かない少女。この時ばかりは今一度そう思ったのだった。

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