俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

099.悠々(not)自適に現れる俯瞰者

 どうして俺はこんな偉そうなことばかり話すのだろうか。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、とかの有名な思想家は語ったそうだ。まさに平等社会、全ての人が格差に見舞われない生活。そうすれば、もしかしたらこの世の争いも消せるのかもしれないが、争いが絶え間なく続くこの現実を見る限り、それは拡大解釈というものなのだろう。


 だから結果的に、そう、彼が言いたかった本当の真意であるかのように、その話には続きがある。


ーー賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり。ーー


 平等であるならば自分と他人との違いは、皆無だ。差異が生まれるからこそ平等が消え失せてしまう、ただそれは人間にとって避けられないこと、それを彼は言いたかったのだ。


 ただ平等であり続けるのは不可能、叶わぬ願い。だからこそ、彼はどうすれば他人よりも優劣の優に近づくことが出来るのか、それを説いたというわけだ。


 つまりというか、要するに彼ではなく俺が、俺自身が言いたいのは勉強はそれが通じるということだ。ただ暗記し、それを使ってテストを解き、獲得した点数で他人との優劣をつけるからだ。


 俺はそんなものクソくらえだと思った。


 ふざけるな、と自分でも誰にも伝わるはずがないと分かっている愚言を吐き散らかした。


 なぜこんなことをするのか、役に立つはずがないと。


 確かに自分の点数の低さに愚かにも恨みがましく、自分を卑下するかのように嫌な気でならなかったこともあったのだろう。点数が高いだけで世間的評価が上がるのが俺には胸糞悪かったのだ。高くもなく低くもない自分の位置がより他人からの注目が浴びないことを助長させていることに苛立ちを感じていたのだ。




 だから俺は、テストの点数のことなど自分には関りが無いと分かっているし、未だにその思いは変わらない。


 何せクリエイターにとって必要なのは創造力とであるのだから。










 絵画ブースである二階の展示物も見終えた俺と茜は一階に降りた。そして、そのまま売店に直行することになった。茜が入館直後に提案してきた、一方が一方の為に何かを買う、いわゆるプレゼント交換をするために。


 女子に贈り物をすることなんて一体何年ぶりだ、と俺は思いつつすぐさま、文房具コーナーへと立ち寄った。ヘアゴムのような身に着けるものも実用的で良いのではないか、と頭を過ったがそれではまるでここに来た意味が別であるような気がしてならなかったので、無難に誰でも使えるようなユニセックス的な文具に落ち着いたのである。


 そこで、俺は一本のボールペンを選び美術館の外で彼女の買い物を待つことにした。


 一体どんなものを買ってくるのか、はてさて何かと期待してしまっている俺がここにいた。自分はペン1本だけだというのに、他人に期待しているのはいささか卑怯であるような気がしたし、金銭的というかそのものの価値という観点からしても等しくないならばこれまた面倒なことのような気がしたのでそれ以上思い悩むのは止めることにした。


 シンキングタイム、ストップである。


 同時に神無月茜もエントランスから出てきた……と思った。


 思った。それはつまり神無月茜自身ではなかったということだ。


 俺よりも低身長で、この前会ったばかりの人物。俺を何度も先輩呼ばわりする先輩。ペンネームが早苗月亮であることを知っていて、不本意かもしれないが俺と水無月桜との関係を破綻へと導こうとした触れがたい人間ーー由井香だ。


「あっれーー。早苗月先輩じゃないですかぁーーセンパイッ」


 突如俺の腕は引きちぎられるほどの腕力で引っ張られた、のでよろけてしまった。さらに、その影響からか、俺の体……ではなく顔は、かの触れ難いと評した人物の豊満な胸に自ら突っ込んでいた。


 一応言っておくが身長は低いくせに上半身だけは発達がいいのだ、いやけしからん(冗談ではなく本気で、というかそのせいで離れないのだし)。


「先輩じゃないって言ってるだろーが!!っていったいいたい、放して下さい、先輩」


 なんだか矛盾しているような物言いではあるがここまで複雑化させているのは他でもないこの由井香だ。


「いやだねーー、離すもんですかい。だって先輩は先輩のモノなんですからねぇ」


 不気味な笑みと声を漏らしつつ、俺は必死に縄とばかりのしがらみなる腕を剥がそうと試みるが失敗、全く微動だにしない。胸がぶつかりそうで強引に解こうとは今までしてこなかったが、まさかこれほどまでの力があるとは思いもしなかった。


 「ぐぬぬ」とあたかも警戒心が強い犬のような声を漏らしながら固く縛られている腕を剥がそうとする。


 しかし、時すでに遅し。


「何してんの、マガト?」


 片手に手提げを持ちながら呆然とこちらを眺めていたのは神無月茜だった。だが、そういえば茜と由井とは会ったことが、出くわしたことがない間柄であるにしろ、俺がどうして水無月桜と決裂してしまったのかその原因を知っている。つまり茜はこの先輩と呼ぶあたかも本当の後輩のように見える先輩の存在をすでに知っているのだ。




「こいつが由井香だ。俺にいつも抱き着こうとする、面倒で厄介な先輩だ」


「そーうでーすっ!私が先輩を尊敬する由井かおりでーす!!って先輩も面倒だなんて、そんなごむたいな~~。そんなことばかり言ってると嫌われちゃいますよ?」


「お前に……先輩に嫌われるのならそれはそれで嬉しい結果ですがね……」


「ひっどーーいっ!!だったら猶更強く抱きしめるよ、ほらギュッツと果汁100パーセントーー!!」




 まさか拒絶したつもりの言葉が触媒となるとは。さらに両腕に力を入れさせてしまう結果になり、なんだか蛇に巻かれている感じだ。獲物をしとめる時に呼吸を出来なくするように。




「ギブギブギブ‼‼センパイ、これじゃあ、俺の体がもたないですから、どうか力を込めるのだけは勘弁してくださいって、いてえ!!」


「うーーん、そこまで嫌がるのなら抱きしめるのはやめるよ」


「ほら」と先輩が言った瞬間体は完全に解放され、俺は咄嗟にその場から距離を取っていた茜のもとへと戻った。
 

「だいじょうぶ?なんか見てたところすごく痛そうだったけど」


 俺は少量の不安とともに多量の心の余裕が生まれた。体の具合を心配してれたこともあるが、それ以上に俺自身を水無月の時のように疑いを持たないでくれたことにだ。


「あ、ああ一応平気だ。ったく、もう何度目になるんだろうな」


 高校で、しかも周りにクラスメイトやら同学年の奴らがいる前で抱きつかれた時は本当に焦った。まるでギャルゲーを実際に主人公になってプレイしていたかのようだったが、今更ながら考えてみるとこれ以上にないほど信じられない光景だったんだろう。しかも先輩なのに後輩キャラを演じていたとなるとギャップを越えた何かに見えただろうし。そう、男だと思っていたら実は女だったーーなんてぐらいに。


「むぅ……なんだか私が被疑者でセンパイが被害者みたいじゃないですかあ。それって酷くないーー?」


「酷くない!!被害者面していると思っているんでしょうが、俺はれっきとした被害を被った人間ですから」


 腕組をしながら不満そうに眺めてくる自称後輩気取りの先輩、由井香。俺に抱き着いてくるのは普段通りだとして納得するとしてーーいやするのもどうかと思うが、それよりも何十倍にも知りたいことが少なくとも俺にはあった。




「で、どうしてこの場所に先輩がいるんですか?まさか、たまたまここで会ったが偶然のコト、なんて言いませんよね?」


「たまたまここで会ったが百年目ーー」


「まんま同じなんですけど……というかその言葉って誰か憎んでいる人を見つけた時の喜びを表すものですよね、理にかなっているとは思えないんですけど」




 なんともここで蘊蓄うんちくを披露したところで何の解決策となっていないと思いつつ、それを感じ取ったのか、それとも見ていられないと自分から会話に入り込んだのか、知らないが、神無月茜は自分から切り出していた。


「そういう話じゃなくって、どうして由井先輩がこんな場所にいるんです?」


 真っすぐに由井を見据える眼差しを横から見ていた俺は、どうしても申し訳なさで一杯になってしまった。どこか抜けている、なんて思ってしまった自分を叱責したい気持ちと、それが出来ない哀れさに、悲しみを抱いていた。


 して、この屈折も曲折もしない視線を浴びた先輩は、肩の荷を下ろすように、溜息を少量吐くと、神無月に近づき。


 耳元で囁いた。


 俺には絶対に聞こえないという声量が、自信に満ち溢れさせた笑顔がそれを物語っているようで、この時、本当の由井香という人物の姿を直視したように感じられた。表裏一体との言葉があるように後輩と自称していても、明らかにしない隠された内面を内包することなど考えれば容易であるのに、ここまでリアルに感じ取ってしまうとは。


 由井は神無月の耳元を横目に通り去ると、背後にいた俺には何一つ囁くことなく、目配せするだけで、


「じゃあ、また会おうねーーセンパイっ」


 と風のように悠々と挨拶文句だけを残して立ち去ってしまった。

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