俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

094.血縁がなくとも繋がる関係

 俺と同じ教室で、隣の席のクラスメイト、水無月桜の実態。さらに言うならば彼女の別の顔、職業的姿編集者&作家を知っている人物には限りがある。


 担当である俺を除けば、校内には新聞部員兼イラストレーターである神無月茜や元担当編集者である掛依真珠ぐらいしか水無月桜が編集者であることを知らないはず。


 外部の人間、言うならば校外で知っている人物はそれこそ小説に関わる人であるだろうし、つまりは校内の生徒であり、小説に全く関りが無い人間ーー由井香という人物が如月桜という名前を知っているはずがない。


 それにもしかしたら俺の別名までもが既知であるとしたら……


 俺のペンネームを部室で、パソコンの画面を見て初めて知ったというのは芝居だったのか?


 だとしたら何の意味があって知らないフリをしたのだろうか。




 自室に籠りながら自分のデスクを目の前にし、椅子に腰を下ろす。そして両手に水無月から渡された辞書のような本を乗せ、天井を眺める。


 まさにを仰いでいるといったところか。


 由井先輩が突如現れて姿を消した後、水無月はそのまま自宅へと直行した。水無月家はメインストリートに面するような立地であるから、まぁ俺の家に寄る必要も無かったわけで、そのまま帰宅したというわけだ。


 ということで一人になった俺はそのまま通ってきた道を辿るようにして自宅へと帰還し、両親の帰りを待つことなく一人でカップラーメンを食して、夕飯を済ました。


 というのも両親そろって残業があるそうで、自分で好きなものを食べて、と母親からの連絡もあり、結局俺が選んだのはお湯を沸かすだけで食べることが出来てまあまあ腹を満たせるカップラーメンだったのだ。


 そういえばあたかも家出のように家を飛び出た妹の時雨は、俺が帰宅する前に自宅に戻っていた。しかし妹は妹で自室にこもりきりのようだったので、俺は帰ってきた、とも伝えず、そのまま夕飯を済ませたのだった。




ーー由井先輩が知っていたのは一体何故だろうかーー




 まったく気になって眠れやしない、とどこでもよく小耳に挟む聞く常套句のようであるが、この場合まったく気になって読めやしない、だ。


 掌に伝わるブックカバーの感触、ページの厚み、背表紙の素材の触り心地とやらを身に沁みながら感じ取る。


 『自作の小説が出版されるまで~序章~』


 さすがに序破急と三篇に分かれていることには驚いたが、何よりもその後が印象深すぎる。残像効果って言ったっけ、確か視界に存在していた色を消すと少しだけ補色で色塗られた残像が映るって話、まさに今の状況だと由井先輩がそれだ。忘れようとも視界から消した由井先輩が逆に消えない、どこか自分で変容させた先輩だが。


 俺がここまで考え悩んでいるということは、それ以上に水無月も頭を悩めているのだろう。確たる証拠はどこにも無いのだが、先輩に自分のペンネームを呼ばれたときに見せたあっけらかんとしたあの表情から察せば、申し分ない証拠でもある。


 天を見上げながら、本を開きもせずに何もせず、ぼうっと呆けていると部屋の扉辺りに物音が聞こえた。が、すぐに足音は早々と遠ざかっていった。


 どうしても部屋が二階だということもあり、床に何か物を置いた音がして、振動もこちらにも響いたので、俺は気になってしょうがなかった。


 扉に耳を密着させ、音や振動が無いことと人気が無いこと(これ大事)を確認してから扉を開くと、ポツンとさぞ遠慮がちに床に直に置いてあった。


 器である。


 それもホワイトクリーム、野菜をふんだんに使ったクリームシチューが入っている。


 さらに言うと器のみではなくそれを乗せるトレーもあった。多分、器が熱くなってしまったからだろう、側面をそっと触れると熱エネルギーが俺の指先からどっと流れ込んできた。


 まさに出来立て、作り立てであった。


 器のすぐそばにスプーンが置かれ、その下にナプキンが敷いてあると思いきや、よく見ると罫線が書き込まれている紙、メモ帳だった。 


 俺はトレーからメモ用紙を取り上げ、二つに折られた用紙を広げると、小さい文字で、書かれていた。


『お昼は、ごめん。なんかその場の勢いでさ。だからこれはそのお返し』


 なんと、生徒会長らしい行い。これでは今度あったとき、俺から先に謝ろうとしていたのに、もう出来ないじゃないか。


『p.s.インスタント麺ばかり食べていると栄養が偏るから』


 なるほど、余計なお世話だ。


 俺は胸の底で感謝しつつ、スプーンで人さじスープをすくい口に入れる。


 うまい。


 言葉も出ない旨さとはこのことだと、これまで以上に手作りの料理の味に心を打たれる。




 それから俺は心を落ち着かせ部屋に戻り、栞が閉じられたページを再度開いたのだった。

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