俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

092.凄然たるリアリティ

 午後5時を迎えた頃合いに図書館を後にすることにした俺や水無月はさっき来た道をそのまま戻る形で歩いていた。辺りは活気があった商店街こそシャッター街と化していて、どこか物寂しさもありつつ。夕方というのも黄昏時であるのと同意義なような気がしていて、つまりは俺は感傷に浸っていたのである。


 初夏なので日没までは程遠いが。


 それでも時計の針は俺から見て短針が真下を指そうと必死になっているし、それに良い子のみんなは帰りましょう、なんて防災無線も流れているわけで、ムードやら幕引きが演出されていると言っても過言ではないだろう。




「まずそれを読んでから話を始めるから、今日中には半分以上読み進めることね」




 雰囲気をぶち壊した。まさにムードブレイカー。




「はいはい、そんなことは言われなくても予想していたっての。……だが、執筆は同時並行にさせてもらうぞ?」


「当たり前よ、少しでも疎かにすれば続きを書けなくなるのは……いうまでもないわよね」




 言うまでもない。そう言い切れる、いや、俺が分かっているだろうと断言できるのはきっと水無月も経験しているからなのだろう。


 執筆のブランク。物語を構成していく上で重要視される一つ。


 例えばの話だ、今日は用事があるから止めて明日また続きを書こう、と決心したとしても、結果はすでに決まっている。書かない、の一択だ。


 明日やろうは馬鹿野郎というように、言葉その通りである。


 もし出来ないのなら少しでも用事の合間にでも書き進めるべき、書けないのなら考え続けろ、とストーリーから離れることはまるで禁忌であるかのように。


 小説家はいつ、いかなる時も、物語にことが必要不可欠であるのだ。




「ああ、言われなくとも嫌程体験したつもりだ。今回の図書館だってフレッシュな記憶があるうちに書いておきたいしな、やることはやる」


「そう、ならよかったわ。じゃあ、〆切は明後日までということで」


「そいつは今回の図書館のシーンのことか?なんだったら今日中に終わらせて送ることも出来るが?」




 珍しく〆切に一日猶予があることに違和感を感じていた、どうしたってあの水無月桜こと如月桜がハードなスケジュールを立てるのが得手ではなかっただろうか。そも、母が水無月雅美という高校の理事長であるし、厳格な姿しか頭に浮かばなかったのだ。


 だから、水無月が示した〆切という言葉が別の意味を指していることにはそこまで驚くには至らなかった。




「違うわよ、の話」




 肩に提げていた俺のトートバッグを指差す。バッグの中には……あの本しかない。




「この本を明後日までに読めってのか?本気か?」


「大本気マジ、よ」




 水無月桜は俺の単調な問いにシリアス顔で答える。どうやら嘘はつく予定ではないらしい。




「おっかしいだろっ!!この分厚い辞書みたいな本をたった一日で読めと?しかも序章って書いてあるし、もしかして……」




 笑みを溢すことなく、さして怒る様子もなく、単に真剣に水無月は答えた。 




「破章、急章とあるわ全三篇、まとめて大方2000ページほどあるわね」




 2000ページというのが分かりづらいようなので、もっと簡単に要約するならば本の厚さを全て積み重ねて測ってみると10センチ弱である。


 つまり、そんな中国の歴史書を読み漁るような文学少年にならなくてならないということでもある。


 だる。


 それに、どうして巻数を舞楽やら能楽の形式で表現しているんだよ。まるで単語をどっかで知ってすぐ使いたくなってしまった中学生みたいじゃないか。




「序破急って覚えた単語をすぐに使いたがる中学生みたいだな」


「当時書いたのはたしか中学生頃だったかしら?」


「予想通りだった!?」




 驚きだよこの人。流行とか、略語とか、世間で騒がれることには疎そうに見えるのに、見えないところで取り入れているとか。しかも会話の最中に使わず出版物のタイトルに使うとか、常人ならざる人だよ。


 いや、今までで驚かされた言葉ランキング上位5位にはランクインする可能性があるぞ(俺による個人的主観から)


 来た道をそのまま戻るように歩いているので、横目に個人経営の本屋を見つつ、


「ならこの本は中学の頃に出版したってのか?」


 と俺は称賛するような気持ちで聞いた。そりゃそうだ、中学の頃から小説を書いてそれを出版していること自体、天才と称されても過言ではないだろうと考えたのだ。


 しかし、彼女の言葉は冷たかった。酷く現実味を帯びていて、それでいて辛辣だった。




「もし年幼い頃から出版した、ということを優れていると思うのなら考え直した方が良いわよ」


「出版したいなら自費出版すればいい話よ。あの時の私は……商業出版だったけれど……」




 俺には……到底理解できないと思った。理解出来るラインに。彼女はそのラインに立ち、そして現実を味わい、俺の編集者として、一人の商業作家としている。




「だから……『出版』をゴールとしないことね」




 ゆえにそのこと現実を知るのはもっと先の話のことになる。




 ああ、と半信半疑な返答をすると、不意に未だ聞いていない重要な案件について思い出した。


 真っ先に聞かなくては、知らなくてはならない案件。現在進行形、執筆中の原稿の〆切が一体いつ頃なのかと聞いたとき。


 彼女の意外性溢れる回答に俺は翻弄されることになるとは思いもしなかったのである。

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