俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。
083.現在まで溜めていた悩みと深奥 ~水無月桜~
閃光が一斉に散った夜に残ったのは残り香的な煙だけではなかった。
ここではあまり見られない本物の星空に加え……というよりも逆説的に、乗車率を大幅に超えた京浜東北線のような人混みしか残っていなかった。前者は珍しい光景に促されるというか、風流があるというか、とにもかくにも良い面で記憶に残りそうだが、後者は対を成すような面で脳に刻まれそうだ。
田園に囲まれた歩道に鈴虫の合唱祭が彩られて……なんて風情がある光景でも、某有名テーマパークの曲が流れる帰り道でもなく、人の、人による、人のための道であるかのような歩道。要するに、コンクリートで舗装されてもいない砂利道を歩いていたのだ。
「単に人混みが鬱陶しいと言えばいいのではないかしら?」
「いきなりメタ発言するのやめて欲しいんですけど……それとも何ですか、俺の考えていることがわかってしまうような超能力でも会得したんでしょうか」
「独り言を他人に聞こえないように言っても私には筒抜けよ」
「聖徳太子か、あんたは」
いきなり口答えしなくなった深青色の着物を身に纏った彼女(のふりをした編集者)。隣で歩く俺からあからさまに目線を外しているが、俺の言動に対して違和感というか見逃せないーーここでは聞き逃せないだが、何かがあったに違いない。
ま、もっとも他人が考えていることなんて何もせずに理解することなど俺にも到底不可能であるからして。そもそもそれを可能にする人間などいるのか、と思案しつつ隣にいたのだったと思い返した。
それでも俺には、メンタリストでも、超能力者でもない俺には彼女の見逃せない何かに気付くことが出来た。
繋いでいる掌に力が込められていることがもっともな解答だと、言っておくべきか。とにかく握られている俺の手が痛いと自覚していることが、見当が付いた最大の理由だ。だから俺は少量の申し訳なさと、大部分の謙遜を含蓄させて、言った。言ってやった。
「あーー悪い。桜な」
「気付くのが遅いのよ、あと0,1秒遅かったら飛び回る羽虫をはたき落としかねなかったわ」
恐怖の塊みたいな行為だな。
「それはリアルの方ですかね……それとも比喩……」
「比喩に決まっているじゃない、ここでもしリアルを叩いてしまったら私の顔が無くなるわ」
今こうやって恋人のフリをしているのは隣にいる編集者こと水無月桜の思案の為だ。自分が描く小説に実体験を取り入れるのはよくあること、むしろ取り入れる方が一般的だと言っても過言ではない。
想像でいくら書いたとしても味や匂いや光景を眺めた時の感動には限界がある。だからこそ、俺の右手は彼女と繋がったままなのだ、肌と肌の触れ合いを実感し言葉に掘り起こすために。
熱く、燃えるような掌と甲。人混みに紛れているのが余計に血液を沸騰させるかのようだ……いや違うな、この場合は体と体が密着しているからだろう。肩と肩、腕と腕が接着剤で固められたように離れないようで、俺の心臓は不覚ながら暴れだしていた。
「…………今日は……いえ今まで、その……ありがとう」
一言、人混みに紛れながらぽつりと溢した言葉。もう珍しくもなくなったその言葉に、俺は案の定、新鮮さを感じなかった。
「別に構わない、それにどうせ桜に招待されなかったら家でゴロゴロしていたしな、軽い運動にもなった」
「その話だけじゃないわよ、今までと言ったのが聞こえなかったしら」
それはつまり俺がアシスタントとして彼女の小説をサポートしなくてはならないことなのだろうか、あるいは編集者としての居場所に戻してくれたお礼なのだろうか。
しかし答えはどちらとも違っていた。
「新聞記事の話よ、あなたが一番最初に関わろうとした時に言ったじゃない。『この件とあちらの件は別物、けれど繋がっている複雑な関係』って」
「あなたの本が出版されるか否かは、新聞記事を作成出来るか否かで決まっていたの。これは私の母がそうすでに決めていたから」
「どういうことだ……?あの理事長が、高校の上層部の人間がどうして俺なんかの小説に関わることになるんだ?」
俺は驚きを隠し得なかった。それは高校の、桜の肉親である水無月雅美が俺と間接的に関わっていたという事実よりも、あまりの計画性とその運び様に呆気を取られるしかなかったからだ。
何を言おう、それはつまり俺が文芸部に入部することも、神無月茜が新聞部へと入部することも想定内であることに変わりはないのだから。
「私の母は……実は、編集長でもあるの、隠れながらね。表は高校の理事、裏では出版業界の一塁って二つの顔が」
「母は選考基準として『新聞』を利用したにすぎないの。あれを完成させなければあなたの本の出版も打ち切りの可能性もあったわ……一度も出版していないのに打ち切り、というのはどうかと思うけれど」
怖すぎる、水無月雅美という桜の母親はどこまで知っていて、どこまで知らないのか。いや知らないことなどもうすでに無いのかもしれないが。
だが、今俺が考えていることは別だった。
「それは恐ろしいことだな。もしあの時、そんな面倒事なんて引き受けません、って何もかも拒絶していたら今の俺はいないわけだ、ま、当たり前だが」
「そうね」
「なら逆にありがたく感謝するよ。そんな試練を俺に与えてくれて、とな」
歩みを進める俺の目線の先、視界に真っ先に入ろうとする彼女、まるで冗談でも言っているのかと思ったのか。
「あなた、迷惑だと思わなかったの……面倒事は最低限引き受けないことがあなたの……」
早口で話す珍しい姿に俺は少々微笑を溢すとどうやら彼女は気にくわなかったようだ。
「何よ、私は変なこと言ってないわよ。むしろおかしいのはあなたなのだから」
だからというか、つまりというか、要するに俺は彼女の慌てて喋りだす口調と、普段着慣れない着物姿に新鮮さを感じていたのだろう。
「よく考えてみろよ。もし桜の母親が俺に無理難題……そうだな、テストでオール100点を取れ、なんて到底不可能な試練を与えてきたら、俺だってやる気ゼロだ。どうやっても無理なんだからな」
「それに、よかった」
「何が」と水無月は下唇を噛み締めながら問いを突き詰めてくるのでさらりと今度は俺が受け流すように答える。
「今まで俺がしてきた、成してきたことが無駄じゃなかったってことを知れてさ」
「こうやって今ひとたび思い返してみると、行動理念が思いつかなかったもんで」
「ありがとな、桜」
まるで返事をそのまま返すように、言葉は同じように聞こえても、内包する意味は別だと主張するように俺は口を噤んでいる彼女へと、その言葉、いや礼を言う。
ポジティブ思考のようで現実的でもないし、論より証拠というよりか、証拠があっても論がそれについていけないように、俺の脳内は無茶苦茶になっている。理由があるから感情も付いてくるわけではないといったように、自分が何を考えているのかなんて自分自身のことなのにはっきりとしない。
行動理念に靄がかけられた、というのが今の俺の心情についての最適解であろう。
対して言われた本人は礼を返されたのが予想外だったのか、どこか恥ずかしさを隠すように、赤く火照らした頬を見せないように、視線を俺から逸らしていた。
continue....
ここではあまり見られない本物の星空に加え……というよりも逆説的に、乗車率を大幅に超えた京浜東北線のような人混みしか残っていなかった。前者は珍しい光景に促されるというか、風流があるというか、とにもかくにも良い面で記憶に残りそうだが、後者は対を成すような面で脳に刻まれそうだ。
田園に囲まれた歩道に鈴虫の合唱祭が彩られて……なんて風情がある光景でも、某有名テーマパークの曲が流れる帰り道でもなく、人の、人による、人のための道であるかのような歩道。要するに、コンクリートで舗装されてもいない砂利道を歩いていたのだ。
「単に人混みが鬱陶しいと言えばいいのではないかしら?」
「いきなりメタ発言するのやめて欲しいんですけど……それとも何ですか、俺の考えていることがわかってしまうような超能力でも会得したんでしょうか」
「独り言を他人に聞こえないように言っても私には筒抜けよ」
「聖徳太子か、あんたは」
いきなり口答えしなくなった深青色の着物を身に纏った彼女(のふりをした編集者)。隣で歩く俺からあからさまに目線を外しているが、俺の言動に対して違和感というか見逃せないーーここでは聞き逃せないだが、何かがあったに違いない。
ま、もっとも他人が考えていることなんて何もせずに理解することなど俺にも到底不可能であるからして。そもそもそれを可能にする人間などいるのか、と思案しつつ隣にいたのだったと思い返した。
それでも俺には、メンタリストでも、超能力者でもない俺には彼女の見逃せない何かに気付くことが出来た。
繋いでいる掌に力が込められていることがもっともな解答だと、言っておくべきか。とにかく握られている俺の手が痛いと自覚していることが、見当が付いた最大の理由だ。だから俺は少量の申し訳なさと、大部分の謙遜を含蓄させて、言った。言ってやった。
「あーー悪い。桜な」
「気付くのが遅いのよ、あと0,1秒遅かったら飛び回る羽虫をはたき落としかねなかったわ」
恐怖の塊みたいな行為だな。
「それはリアルの方ですかね……それとも比喩……」
「比喩に決まっているじゃない、ここでもしリアルを叩いてしまったら私の顔が無くなるわ」
今こうやって恋人のフリをしているのは隣にいる編集者こと水無月桜の思案の為だ。自分が描く小説に実体験を取り入れるのはよくあること、むしろ取り入れる方が一般的だと言っても過言ではない。
想像でいくら書いたとしても味や匂いや光景を眺めた時の感動には限界がある。だからこそ、俺の右手は彼女と繋がったままなのだ、肌と肌の触れ合いを実感し言葉に掘り起こすために。
熱く、燃えるような掌と甲。人混みに紛れているのが余計に血液を沸騰させるかのようだ……いや違うな、この場合は体と体が密着しているからだろう。肩と肩、腕と腕が接着剤で固められたように離れないようで、俺の心臓は不覚ながら暴れだしていた。
「…………今日は……いえ今まで、その……ありがとう」
一言、人混みに紛れながらぽつりと溢した言葉。もう珍しくもなくなったその言葉に、俺は案の定、新鮮さを感じなかった。
「別に構わない、それにどうせ桜に招待されなかったら家でゴロゴロしていたしな、軽い運動にもなった」
「その話だけじゃないわよ、今までと言ったのが聞こえなかったしら」
それはつまり俺がアシスタントとして彼女の小説をサポートしなくてはならないことなのだろうか、あるいは編集者としての居場所に戻してくれたお礼なのだろうか。
しかし答えはどちらとも違っていた。
「新聞記事の話よ、あなたが一番最初に関わろうとした時に言ったじゃない。『この件とあちらの件は別物、けれど繋がっている複雑な関係』って」
「あなたの本が出版されるか否かは、新聞記事を作成出来るか否かで決まっていたの。これは私の母がそうすでに決めていたから」
「どういうことだ……?あの理事長が、高校の上層部の人間がどうして俺なんかの小説に関わることになるんだ?」
俺は驚きを隠し得なかった。それは高校の、桜の肉親である水無月雅美が俺と間接的に関わっていたという事実よりも、あまりの計画性とその運び様に呆気を取られるしかなかったからだ。
何を言おう、それはつまり俺が文芸部に入部することも、神無月茜が新聞部へと入部することも想定内であることに変わりはないのだから。
「私の母は……実は、編集長でもあるの、隠れながらね。表は高校の理事、裏では出版業界の一塁って二つの顔が」
「母は選考基準として『新聞』を利用したにすぎないの。あれを完成させなければあなたの本の出版も打ち切りの可能性もあったわ……一度も出版していないのに打ち切り、というのはどうかと思うけれど」
怖すぎる、水無月雅美という桜の母親はどこまで知っていて、どこまで知らないのか。いや知らないことなどもうすでに無いのかもしれないが。
だが、今俺が考えていることは別だった。
「それは恐ろしいことだな。もしあの時、そんな面倒事なんて引き受けません、って何もかも拒絶していたら今の俺はいないわけだ、ま、当たり前だが」
「そうね」
「なら逆にありがたく感謝するよ。そんな試練を俺に与えてくれて、とな」
歩みを進める俺の目線の先、視界に真っ先に入ろうとする彼女、まるで冗談でも言っているのかと思ったのか。
「あなた、迷惑だと思わなかったの……面倒事は最低限引き受けないことがあなたの……」
早口で話す珍しい姿に俺は少々微笑を溢すとどうやら彼女は気にくわなかったようだ。
「何よ、私は変なこと言ってないわよ。むしろおかしいのはあなたなのだから」
だからというか、つまりというか、要するに俺は彼女の慌てて喋りだす口調と、普段着慣れない着物姿に新鮮さを感じていたのだろう。
「よく考えてみろよ。もし桜の母親が俺に無理難題……そうだな、テストでオール100点を取れ、なんて到底不可能な試練を与えてきたら、俺だってやる気ゼロだ。どうやっても無理なんだからな」
「それに、よかった」
「何が」と水無月は下唇を噛み締めながら問いを突き詰めてくるのでさらりと今度は俺が受け流すように答える。
「今まで俺がしてきた、成してきたことが無駄じゃなかったってことを知れてさ」
「こうやって今ひとたび思い返してみると、行動理念が思いつかなかったもんで」
「ありがとな、桜」
まるで返事をそのまま返すように、言葉は同じように聞こえても、内包する意味は別だと主張するように俺は口を噤んでいる彼女へと、その言葉、いや礼を言う。
ポジティブ思考のようで現実的でもないし、論より証拠というよりか、証拠があっても論がそれについていけないように、俺の脳内は無茶苦茶になっている。理由があるから感情も付いてくるわけではないといったように、自分が何を考えているのかなんて自分自身のことなのにはっきりとしない。
行動理念に靄がかけられた、というのが今の俺の心情についての最適解であろう。
対して言われた本人は礼を返されたのが予想外だったのか、どこか恥ずかしさを隠すように、赤く火照らした頬を見せないように、視線を俺から逸らしていた。
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