俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

073.二人のクリエイターの末路~早苗月亮&如月桜~ fin.. 

 空気の淀みがさらに濃くなったように日光が雲に遮られ暗くなった室内は、灯は点けておらず暗闇とまでは行かない程度の明るさを保っている。室温は初夏の割には低く、25℃と過ごしやすいのだが、どうやら彼女は別というか今だけ特別枠に含まれるようで、ブランケットを体の上にかぶせながら横になっている。


 水無月は俺が自分を編集者として戻るよう催促しに来たのだと思い込んでいたらしい。ゆえに全く真逆の、予想していた解答とは違う回答が返ってきたために、ブランケットから顔を出して俺の顔を見る彼女の目付きが驚嘆に満ちていた。


 対して俺はソファで寝そべる水無月を横に、木製で出来たヨーロピアンスタイルの椅子に腰を掛けていた。




 数秒間の沈黙が経った後、まるで俺の言葉が受け止められないような口ぶりで答えた。




「でも……それはおかしいわ……私が編集者として来れないようにするため、わざわざ念を押しに来たというの?」


「なら、なぜここに来て……そんな面倒なことをするのよ」


「面倒なこと……か。確かに、俺は面倒事は嫌いだ。回りくどい人間関係なんて猶更まっぴらごめんだな」




 そう、俺は回りくどい関係は大嫌いだ。赤の他人が誰かに好意を寄せたから俺がその二人の愛の架け橋になるだとか、逆にあいつが嫌いだから「嫌いだ」ということを直接言わずに伝えてくれなんて、揉め事に発展しそうな面倒な要件を俺が受け入れるわけがない。




「それに、俺にメリットがないことをして何になるのかって話だしな」


「だったら私も猶更訳が分からないわ。私が編集者にならないようにしたいのなら、このままあなたが好きなような平凡に、普通に生活していればいいのに」




 違う。違和感というか相違感が瞬時に、直感的に分かるような気がした。まるで目の前の赤信号を目視しなくても「危険」だということが感覚的に知るように、俺とこの編集者とでは思い描いている考えというものに乖離があるようだ。




「誤解だな、俺は回りくどいことが嫌いなんだ。面と面を向かって話し合わない奴なんて俺は大嫌いだ」




 突如この編集者は戸惑いを見せた。まるでジェットコースターのように緩急を混じらせて切り替わる表情は俺が編集を頼んでいる時や、神無月を指導している時も見せないものだった。


 プライベートで会うことは今までに無かったからなのか、それが新鮮だと感じてしまうのは。




「口をポカンと開けて何が何だか分からないような態度をしているが、一応言っておく。俺はあんたが編集者として戻ってきて欲しいわけじゃない。俺ではなく戻ってきて欲しいんだ」


「俺が願うものなんて、ただ一つしかねーーよ。それしかな」




 咳を少しだけ散らせる水無月は、それでも、どこか落ち着いているように見えた。対して俺は対を成すように呼吸を少しばかり荒くし、右手で自分の髪を触れる。そんな普段と違う俺の態度に違和感を持ったのか、視認は出来なかったが声が笑っていた。




「らしくないことを言うなんて珍しいこともあるのね」 




 マスクで覆われて薄ら笑いをしているのかどうかも分からないのだが、それでも声だけで少しは上機嫌であることは簡単に読み取れた。




「まあな、俺が戻ってきて欲しいと懇願しても無意味なことは重々承知だからな、だったらあんたから戻ってくれればってことだ」


「相変わらず性格がひね曲がっていること。さすが曲矢君ね」


「ハイハイ、それはそれでありがとさん。そっちも変わらないようで何よりですよ、体の方は危篤状態に見えますが」




 日常茶飯事に繰り返された会話劇がこの場でも見れることに俺はどことなく安心感を覚える。


 文芸部室で話していた光景がフラッシュバックし、冷ややかな水を浴びさせられては「冗談よ」などと本当に冗談なのか分からない応答が繰り広げられる。そんな一種の挨拶と化した俺と水無月との会話。


 単に水無月家に上がり込んでいるからという環境の違いでもなく。


 俺は普段と変わらぬ調子に心のやすらぎ、言葉通りの安心を抱いていた。




 しかし、安寧の裏には不穏が常日頃から存在しているように、平和は長期間にわたって保たれないように、俺の「安心」は再び破滅へと導かれた。衝動的に突発的に、彼女は再び聞き直してしまったのだ。




「それでも私はあなたたちの元に戻らないわ」




 なぜそうなる。




「やっとわだかまりが解消されて全ての問題が万事解決ーーなんて話だったのかしら?それだったら諦めて……帰りなさい」




 本当にこの編集者は分かっていないらしい。ゆえに俺はそのまま抱いている感情を一語一句間違えずに吐いてやった。




「本当に分かってないんだな、これだから水無月桜は面倒なんだ」




 「何を言っているのか」と疑問視する彼女の眼差しを振り払って俺は黙り込み、溜息を放つ。




「まだ編集者のことをバカの一つ覚えのように思い出しては、また嫌な思いをしてーーなんてことをリピートしているのか?そんな変わらない連鎖を繰り返すことは正真正銘の」


 再び溜息を吐き出す、さっきとは吐き出す息の量を多くして。




「馬鹿だ」




 無言でいる水無月はブランケットで顔を覆いつくしていた。




「明嵜さんじゃない、あんたの担当の事も聞いた。二度も編集者を変更させたってこともな」




 それでも声だけはマスク、ブランケットの布を通り越して聞こえてきた。熱で声が出せないのもあるのだろうが、声音である程度分かった、悲痛と悲涙が混ざり合っているのだと。




「あなたには関係の無いことでしょう、私の編集者なんてあなたの作品とは何も関係ない」




 「いや、ある」と話を遮り俺は語りだすと、水無月は何かに取りつかれたように沈黙を続けた。




「俺の作品はあんたが関わらなくては完成しないし、それに何を言おう、俺はアンタの作品のアシスタントだ。関わっていないなんて言わせない」


「それに無責任だぞ、俺の作品に関わって放り投げるなんてことは。もうすでにアンタの文才が俺の作品に染まっているんだ」




 未だ、顔を見せようとしない水無月を俺は椅子に座りながら一瞥すると、口元が震えていた。




「関係ないって言ったけどそれは訂正させてもらうわ、そうね……私は責任は取れないの、売れる作品を生み出せないのかもしれないのだから」




 瞬時、俺は知らず知らずに言葉が紡いでいたらしい。これを言おう、なんて自覚は無かった。




「あんたって本当にこれ以上に無いほどのおせっかいだよな」




 震えていた口元が止まり、代わりに全身が硬直したように微動だにしなくなった。




「編集者を辞めさせたのも、編集者の為を思ってやったこと。決して自分に利益がなくなってしまうなんてことで辞めさせるわけがない。俺から離れたのも同じなんだろ?作者であるという利を詰めた飴を食べさせてばかりいたら俺はダメな作者になるって、そう考えたんだろ?」




 無言でうんともすんとも言わない彼女に俺は納得した。何も言わない、つまり反論しないというのは肯定することと同じ。それでも疑問に思ったことを最後の問いだと言いたげな重い口ぶりで訊いてきた。




「どうして私が辞めさせた理由が違うと分かったの……?」


「クリエイターが創作する理由を語ったのは他でもないアンタだろ?」




 いつだったか、彼女が俺に「なぜあなたは小説を書くのか?」なんて問いかけてきたことがあった。金でも名声でもなく、人の心に届けるという彼女の他ならぬ理由に俺の心は刻み込まれたのだ。




 この人についていかなくてはらないのだ、と。 

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