俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

061.俺が選べる選択肢はとうに決まっているような気がするのですが……?

 声がかけられた方向へ体を向けると、その姿は俺の目にはもう映ってはいなかった。超能力や異世界で溢れる幻影魔法のような非科学的な原因のためにその姿が消えたわけではない。この世界は解けない問題など無い、そんなことは言ったのは誰だっけかと試行錯誤しているうちにその答えをもうすでに俺は知っていた。


 高校一年の男子生徒、平均身長である俺と同等の背丈の女性は俺の顔の横に頭がある。どうやら俺に正面からしがみ付いてきたらしく、柔らかい皮膚の感覚、心臓の速くなる鼓動、体温とあらゆる情報が制服越しに伝わってくる。


 5秒ほど経過した頃だろうか、俺は思い出したように周りを見渡すと、やはりまずい光景が広がっていることに気付いた。




「ねえ、あれって曲谷だよね?あの問題を起こしたって話の…………」と女子の集団は噂話に浸り、


「おおおおい。また別の女に手を出したぞ!!!!あの曲谷だッ!!」と男子は俺を陥れるように話を盛り始めていく。




 これは相当に問題がある。世界には解決できない問題などあるわけがない、とは言ったが撤回しよう。人の信用など、物理法則にも関係しないあやふやな謎を解明できるわけがない。


 お前が犯人だ!!と刑事ドラマでそんな台詞があったとしても必ずトリックがある、俺はお前が犯人だと思うからお前が犯人だっ!!なんて台詞は山勘正答率100パーセントの人間でしか出来ないのは自明の理。噂話は全て抹消できるとは思えないがこのまま抱きしめられて動かないのも、効かない薬を永遠と飲まされるのと同じぐらいまずい……なのでまずはこのしがみついている腕を離さなければならないが……、ん?




 今さっき俺のことを「先輩」とこの女性は言ったような……。いやまてよ、俺はこの高校に入学してばかりで後輩などいるはずもない。もし、いるとなると中学生ということになるが、この制服は俺と同じ高校の物だ。周囲に似た制服を着ている高校もない、てかそもそも付近に高校など山が丘高校しかないだろうし……ならば、この人は一体?




 刹那、俺の頭に二つの可能性を浮かばせる。


 その一、この女性は俺と同じ一年生(二年生かも)であるが、俺を知り合いの先輩だと勘違いしている。


 その二、どういうことかこの女性は俺のことをどこかで知り合って「先輩」と呼んでいる。




 さて、どちらの回答を繰り出すか、場合によっては問題を悪化しかねない。




 例えば、その一で対応をした場合、




「おお、どうしたんだよ?何かあったのか?」




 ん、名前を呼べないのは辛いが何とか話を合わせられるだろう。これはこれで問題ない。




「ん、あれ?知らない声の人?」




 さらに俺の顔を伺おうと上を見上げる女性は怪訝そうに言う。




「誰ですかあなた?私まったくあなたのこと知らないんですけど?」


「止めてください、勝手に触らないでください変態ッ」




 そして先ほど俺の噂話をしていた女子生徒が110番をかけて俺は警察署に強制連行。一部始終を見ていた男どもは皆一丸となってグルとなり、俺を準強制猥褻罪で逮捕。はいこれにて俺の人生BAD・END、ちゃんちゃん。






 これはダメだああああああ!!


 このケースこそ問題を悪化する運命をたどることになる。全く知らない他人に抱き付いてしまったことにはどちらをとっても変わらないが(俺のせいではないが)、対処する方法によって俺は退学はおろか人生破滅の道へと向かわざるをえなくなる。まぁしかし周りの人間の性格が最悪だった場合の話だ、ここまでされたら俺でさえ反抗して弁護士を用意する。




 ならばその二ではどうだろうか。これは抱き着いてきた謎の生徒が言った事実がある、つまり俺が先輩という存在であることには変わらないのだ。ゆえに探りを入れてみることで相手の反応を見る。なるほど、ここが俺の観察眼の使いどころというわけだ。


 というか、それしか方法がないのではないか?今思えばその一とその二だけと限定されて、その一が使えないんじゃ、二しか残っていないじゃないか。




 激しく鳴る心臓の鼓動を抑えるようにゆっくりと深呼吸をしながら、


「どうしたんだよ?と言いたいところなんだが、まず先に君は誰だ?俺の記憶が確かなら君とは会ったことも話したこともないぞ」と現実の俺は問うことにした。




 どうやらその問いに気付いたらしい彼女は強固な腕をゆっくりと離してくれたようで、俺の体が開放されて安心していたが、それもつかの間、また忙しく俺を慌てさせることを口にした。心底思う、なんて面倒な奴なんだ、と。




「早苗月先生ですよねえ!!ね?」




 これが由井香という異人に遭遇した、最初の機会だったが。どうして、こう問題を起こすことが得意なのかと俺はこの女性に訊かずに自問するのであった。








 突然、廊下で羽交い締めにされた俺は「早苗月」という名前を聞いたことで、とにかくも人気がない場所へ移った。勿論、この自称後輩こと由井香というも一緒にだ。俺が「曲谷」ではなく、「早苗月」というペンネームを知っているところ、問題を抱え込んでいるに違いない。


 ちなみに入学したてホヤホヤの俺に「先輩」と言ったのは出任せだったようで、彼女のネクタイのおかげですぐに謎が晴れた。俺は赤、だが二年は青、三年は緑で由井は青色だったのだ。どうして俺を先輩呼ばわりするのかは未だに疑問だが。




「……で、先輩はどうして俺が『早苗月』だって知っているんですか?」




 人通りが少ない階段で俺は真っ先に詰問した……のだが。


 真剣味が無いといえばいいのか、それとも俺の責任で集中力が掻き消されているとすればいいのか。どちらとしても彼女は俺の問いに真っ向から答えようとはしていない、のは正しい。




 彼女ーー由井香は自分の髪の毛を指先で巻いている。そもそもこの人から俺に介入してきたというのに、どうしてすでにつまらなそうな、退屈な顔をするのか。むしろ、俺の方が早くここから去りたいっての。




「ええーーーー。それって言っていいのかな?ん、でもまあ、ばらしても平気かなぁ」




 「ふわぁぁぁ」っと欠伸をするこの人は、まるでさっき俺に衝突してきた時の人とは別人のようだ。別人、というわけで本人であるはずなのだが、これといって最も初めに俺に話しかけてきた勢いが今はない。だからといって文芸部長のようなただ眠気しかない人にも見えないのが他ならぬ違和感だった。




「実を言うとねえ、キミのことを知ったのは二回ほどあるんだよね。その二回目がこの前文芸部を覗いてた時だったんだぁ、ふにゃぁぁ」


「文芸部?いつの話です?」




 部活動ならこの頃は俺が早苗月である、なんて堂々と正体が明らかになる発言などしていない。言うまでもなく神無月に明かした時は廊下を気にしていたし、あの時も誰も外に居なかったはずだ。それに、部室から廊下側に声や音が漏れることもない。毎回密室であるのは部活動を行う前の確認事項であるのだ。一応、これも水無月の案ではあるが。




 つまり、俺は文芸部を覗くだけで俺が判明するとは思いもしなかったのである。



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