俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

038.神無月茜の秘密01

 植物園をとりあえず一周した後に行く当てもなく辺りを散歩していると、今度は市が営業している公民館に付随しているプラネタリウムに行くことになった。


 俺と神無月のどちらも目的意欲なくぶらついていたわけで、目当てのものがないためにただ気軽に入ってみたというわけである。断じて言おう、これは計画したのではないと。


 そうやってプラネタリウムが開始されるまでの時間まで、まるで付属品のような公民館を歩き回ることにした。




「さっすが、公民館は何にもないな、これやってんのか?」


「ホントだね……誰もいないし、管理人さんさえもいなそうだよ」




 「しんっ」とした屋内には無機質な部屋が何個も連なっている。第一会議室、第二と同じような部屋、まるでハチの巣の内部にいるかのようだ。




「この部屋はなんだ?自由閲覧室って書いてあるぞ」




 当然中には人一人すらいない、学校の教室ほどの部屋。入った直後、少しだけ涼しい風が皮膚に伝わる。




「なるほど、これはアレだ。絵画展覧会みたいなものか」




 壁に貼られた、というよりは掲げられた幾つもの絵画がそこにはあった。メインテーマが植物であるのだろうか、ある作品は葉に、また別の作品は花弁に着目したりと、描く人によって個性が幅広く展示されていた。


 また作品自体の描き方もさることながら、多彩に広がっている。ここで一番な作品などなく、全てが総じて素晴らしいという言葉に値しているよう。




 「お、これなんかさっき観た花じゃないか」と俺はサクラソウが描かれている絵を指すと、「本当だね」と上の空で答える神無月。




 すると、痺れを切らしたように神無月は「もう行こうよ」とこの部屋から逃れたい意志を示した。違和感、そういつもとは何かが違うという感じ、それがいままさにここで起きていた。




「さっきから、どうしたんだ?ここに入ってから様子が変だぞ、神無月」


「ギクッ」


「『ギクッ』は普通は言わないぞ、何か隠していることがあるんなら話してくれよ」




 俺はもはや出口に差し掛かった神無月を呼び止め、そして訊くことにした。しかし、そんな必要も無かったのだ。俺が彼女を呼び止めた先、つまり入口付近に掲げられた絵画に視線が移った時だ。


 その絵もやはりさっき観ていた花の一つ、しかも神無月に違和感が生じた原因。




 アカネの花の絵だった。




 俺は興味深く、かつその絵に魅かれるかのように近づくと、




「も、もういいよ、行こうよ?ね、プラネタリウム始まっちゃうよ」


「そこをどいてくれ」




 「NO!!」と手でバツ印を作るので俺はその場を離れずにじっと眺めた。すると神無月は「はああ……」と諦めたような面を浮かべ横にスライドするように避けた。


 タイトル横に彼女の名前が記載されていたのだ。 




「これは、神無月の作品なのか?」




 「うん」と小さく頷くと今度は「そうだよ」と念を押すように言う。




「だ、が……これってさっきの花だよな……」




 俺がそれ以上聞こうとすると、掌で俺の口を押えようとして「それ以上はダメ」と、要は話すなと言われたので仕方なく、俺はそれで留めることにした(というか、口をふさがれて何も言えなかったのだ)。






 プラネタリウム到着。






 市営ということもあり認知度が低いのだろうか。周りの人々、つまるところ、俺と神無月以外の客は1ペアのカップルしかいない。


 「ねえねえ、ここって古臭くない?」とそのうちの彼女の方が言い出すと、「ホントだな、こりゃあ古びて臭そうだ」と入館して早々愚痴を言い出す彼氏。だったら来るなよって話だ。


 そんな俺と生きる場所がそもそも異なっている奴らを見ている中、神無月は俺の横で「うわあ」と声を挙げた。どうやら天井に装飾されている星のイメージを見ているようだ。




「あれ、綺麗だねーー、夏の大三角形ってあれかな?」


「そりゃ作りもんだからな、美しく見えなきゃ客も来ないだろ。それとあれはだ。冬の大三角形だ」




 ポカンと見つめる神無月。どうしてか俺なのか、それとも俺の背後にある何かなのか分からないが、虚空を見つめているようだった。数秒すると、「あっ」と気を取り直したようだ。




「なんだか、やっぱり曲谷だね」


「なんだそりゃ、俺は俺だぞ、この世界に俺は俺しかいないのは当然だろう」


「そんなとこだよ、それが君らしいとこなんだって言ってるの」




 よく俺には分からなかったが、どうやらアイデンティティか何かを語っているのは薄々感じられた。言われなくても自分らしさなんて持っているつもりだったが。今思い返すと一体何だったのだろうか。




ーー第二回目の公演が開場しましたーー




「ほらっ、行こうよ!!」




 アナウンスと共に手を引っ張られた俺、何処かで見たような光景、これはいわゆるデジャブ駅での場面ではないのかと俺は思った。




 

 開場したプラネタリウム内にはやはりさっき入ってきたカップルらしき一組しかいなかった。俺と神無月はその一組から離れるようにシートに座り、アナウンスが流れるまで待とうとした時のことである。


 神無月はどこか思い悩んでいるような表情で、自分の言いたいことをそのまま言った方がいいのか、それとも胸の内で秘めた方が良いのか、迷っているようだった。


 植物園の彼女の名前の花の時から、絵画展まで、彼女は彼女らしくないものに憑りつかれているよう。通常運転ならば、毎度恒例の陽気さを見せつけるような口ぶりで話しかけてくるだろうに、今はそうしない。


 もどかしさという歯車がまた一段と回っているような気がした。だから俺は、




「何か、言いたいことがあるなら……言いな」




 と、理由を乞うように、どうしてそんな表情をしているのか知りたいと伝えた。それでも彼女は未だに話そうとせず、朗らかな笑顔で「ううん、大丈夫だよ」と答える。やはり彼女の口角は吊り上がっていた。


 そして止まらぬ時がやってくるように、それは始まりとともに終わりも訪れた。まるで一瞬で片が付いてしまったかのような時の流れだったが。




 ここからは彼女の始まりでもあったのだ。




「ね、曲谷君」




 暗闇が俺と神無月を包むと同時に神無月は語り始めた。そう、俺だけにしか聞こえない、まるで俺だけの語り役であるかのように。


「なんだ?」と先を進める俺。神無月はまた一つ、深呼吸をしながら口を開いた。




「私、絵を描いているの」




「そうか」と俺は一言述べる。それは彼女にとってどんな意味をとったのか、残念がっているのか、それとも微妙な反応を取られたことで嬉しく感じているのか。




「変……だよね。だって私こんな性格だし、絵を描くようにも見えないでしょ?」




 そのどちらでもないようだった。彼女にとって求めているものは恐らく同意だ。誰かに認めて欲しいというもの。




「周りの人からも言われるんだよね、なんでそんな暗いことしてるのかって。あんたならもっと活発なことやった方がいいとか、才能の使い方が間違っているって」




 ぼそりぼそりと話す姿を見るかぎり、こんな状況暗闇でなければ話してはもらえなかっただろう。いやそれもそうだが、何よりも自分が話そうと話せなかっただろう。


 だから俺はその勇気に評するように、褒めたたえるように答えた。




「別に……変じゃねーーよ」


「やりたいことなんて人それぞれだし、それにあーだこーだ言う資格なんて他人にはねえよ。それがたとえ自分の親だったとしてもな」




 ふっと思い出す自分の過去。そういえば俺も両親とそんなことで喧嘩したような覚えがある。どうして俺の人生を指図されなくちゃならないのか。


 なぜ自分がしたいことをしてはならないのか、人生に選択肢は無限大なのではないかという対立、矛盾。




「でも他人に言われたことを顧みないでいるのはどうかなって思うんだ……」


「私だけ突き進んだら、いつのまにか自分を救ってくれる人がいなくなるんじゃないかって」




 一言、「怖い」という言葉。それが言いたくて言いたくて堪らないのだろう。自分を隠してきた影がそれを阻止するのだ。自分らしさはそれだと、固定観念のように固まったモノに。




「確かに怖いよな、周りに誰もいなくなるってのは。自分しか頼る人がいなくなるってことと同じだし、そうなると俺自身がぶっ倒れたらゲームオーバーだ」




「それなら……」と神無月。




「だからって、そんなことで捨て去るかよ。自分がやりたいことだろ?そんなの自分がやらなくてどうする」




 無言になる彼女の姿、痛々しくそして脆いその姿はどう見ても、いつもの神無月ではないような気がした。それでもこれがなんだと、これだけは確実にそう言える。だから俺はさらに追い打ちをかけるようにしたのだ。




「才能がお前にはないだとか、お前には続かないだとか、そんな他人事で、他人様から言われただけで止めようとするなら、もう止めた方が良い」


「誰かに言われてやるのもそうだ。これをやった方がいいとか、そんな自分が考えたものじゃない理由でやるなら、それはやらない方が正解だ」




 それは非情に、親が子供を引き離すようなことと同じ。彼女なりの自分を得ること、それこそが重要なのだと。




「ならやっぱり、止めた方がいいのかな……」




 それでも俺は、いや俺個人としては、




「そういや俺の意見は言ってなかったな」


「俺は良いと思うぜ、あの絵。何にも違和感なんて無いし、むしろ立派に描けてる方だ」




 それは彼女の、彼女らしさの塊を認めること。それ自体に変わりはなかった。それよりも、自分の作品だと知っている人が、ここにいるだけで、そんな些細なことで良かったのだ。




 神無月はそれ以降暗闇が終わるまで、口も開きはせず、目も合わせることもなかった。


 俺はそんな彼女の顔を伺おうとしても暗闇で見ることは出来なかったが、星の光によって反射した彼女の目から流れるモノ、それが何よりも彼女の真実であった。



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