俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

蟲の糸

 滅多に大声なんて出さない瑠羽の叫び声。それは団結力皆無な向坂家にとって唯一結束材料となり得るものだった。さながらそれは開戦の狼煙。家族の誰にとっても大切な存在である瑠羽だからこそ為せる業であった。

「どうした!」

「何があったのッ?」

「なんだなんだどうしたどうした」

 俺も含めて家族全員が玄関に集まると、瑠羽は這いつくばりながら俺の足元にしがみついた。腰を抜かすという表現は時として嘘っぽく扱われがちだが、彼女は何処からどう見ても完全に腰を抜かしている。

「おおおおお兄…………! ああああああれれれ……」

「瑠羽。落ち着け。な? 何があったんだよ」

「うえ…………おいおい柳馬。見てみろよあれ」

「あ?」

 父親に促されて玄関に視線をやると、そこはこの世の地獄が顕現したが如き大量の虫がうごめいていた。毛虫に始まりゲジゲジ、ムカデ、ゴキブリ。実害に拘らず詰め合わせされた不快感の塊は四方に散らばり、内一匹は玄関を乗り越えようとしていた。

「どわあああああ!」

 虫には申し訳ないが、家の中に入られてしまうと瑠羽が発狂しかねない。寸分の狂いも無く外に蹴っ飛ばすと、扉を閉めて籠城作戦を決行した。ゴキブリはともかくムカデなんて入られたら誰かが噛まれてしまうかもしれない。これは最終的な強硬手段であり、誰が一番悪いのかと言われたらそれはうちの玄関に虫の塊を投げつけた奴だ。

「…………なんか俺も外出たくねえな。 大丈夫か瑠羽」

 妹は両親に囲われて慰められているがその瞳に光は無い。体育座りで俯いたままじっとしている。部屋の隅っこにでも移動させれば中々様になるだろう。妹に対するいじめなのでそんな事はしないが。

「瑠羽」

 顎に手を入れて力ずくにでも視線を合わせる。光の失われた瞳が俺と対峙した瞬間一筋の火を灯した。

「……お兄。虫は」

「外に行った。何があったんだ?」

「……夢で郵便物が届いたの。でもそれが何かリアルで……起きて確認したらほんとに手紙が入ってて、一緒に虫が入ってた」

「悪質な悪戯だな。しかも瑠羽にやるとはけしからん」

「柳馬ならどうでもいいのにね」

「まあお前は嘘つきだから正直こんな事をされても文句は言えないぞ。それに男なんだからお前に虫が届いても怖がったりするなよ」

「虫嫌いに性別は関係ないだろ。っつーか俺ならどうでもいいって親の言う事じゃねえぞ。少しは心配しろや」

「そんな年で甘えられても気持ち悪いぞ」

「高校生でしょ?」

 含み笑いに二人は俺を叱咤する。反射的に言い返してしまったが死んでも甘える事なんて無いだろう。どうせ甘えるなら雫に甘える。彼女ならきっと『男だから』とか『兄だから』等の理屈無しに甘えさせてくれるだろう。

 二人が興味を失くして散っていく。悪戯以上に結論を広げられないのだから無理もない。俺は彼女の背中を擦りながら、精神の落ち着いた頃合いを見計らってもう一度尋ねた。

「瑠羽。その郵便物、開けたか?」

「う、ううん。虫、怖かったから」

「そうか。なら良かった。その郵便物は俺が貰っておく。いいな?」

 本人の許可も得られたので、俺は不落の要塞から外出。素早くポストの中の物を取って瞬く間に翻った。完全に落ち着いた妹は既にリビングで朝食を摂っている。俺も向かわなければ怪しまれかねないが、その前に確認しておきたい事がある。

 部屋に戻ると、『木辰百物語』を熟読する雫の姿があった。

「やあお帰り。朝食は食べなくて良いの?」

「そんなの後です。良いからそれを貸してください」

 俺だけで情報を完結させても事態が悪化するだけだ。深春先輩にもこのノートを渡して『カラキリさん』についての理解度を深めてもらわなくてはいけない。口頭で説明すると、どうしても説明しにくいというか理解してもらえない部分も生まれてくるだろうから。

 鞄に親友の遺産を突っ込んで、ふと仮面の存在を思い出した。結局あの少女は何のためにこんなものを渡してきたのだろうか。何かとても辛い事があったらかぶれ……曰く付きの可能性が高いものの、そもそも『曰く付き』という言葉自体がマイナスなので有益を齎すとは考えにくい。

「どうかしたの?」

「いや、何でもないです。じゃあ行ってきます」















「おはようございます、向坂君」

「どわあッ!」

 本日二度目の驚声。虫の時は不快感から来る驚きだったが、今度は不意による驚きだ。種類が違ったとしても削られる体力に変わりはないので心臓に悪い。登校すらしていない癖にと思うかもしれないが疲れた。帰りたい。

「今日も無事に生きている様で何よりです」

「近い内って言うけど、正確な日数は分からないのか?」

「分かりません。しかし……また匂いが強くなっています。鼻が曲がりそうです。まるでずっと傍にいるかの様な……」

 流石の勘の鋭さに俺は背中にひやりとした感触を覚えた。冷や汗ではない。刃物だ。俺の隠しているものが明らかとなった瞬間刺されるだろうという確信。まさか本当に隣に居るとは思っていない様だが、猶更俺の部屋に入れる訳にはいかなくなった。

 ここまで鋭いと、霊能者よろしく家に入ったと同時に俺が普段から雫にぱふぱふされながら眠っていると気付いてしまいそうだ。いやだって仕方ない。気持ちいいし。快眠を目指すのは人として当然というか、わざわざ睡眠の質を悪くするマゾが何処にいるのかという話だ

 そもそもマゾとは痛みを快感とする性癖の事だが、睡眠の質の悪さにあるのは痛みではなく漫然とした不快感のみだ。好む人間がいるとすればそいつは恐らく何らかの機能がおかしくなっているので病院へ行った方がいい。『二日目まで眠かったけど三日目から一切眠気が消えた』みたいなノリになっている可能性が高いからだ。

「所でさ、お前は信じるか? 怪異とかと都市伝説とか、そういう非現実的な話」

「藪から棒にどうしましたか? ……そうですね。一般論として信じる訳にはいかないのですが、七凪雫の力を知っているので、そういう話もあり得なくはないだろうとは思っています。勿論、日常を犯さない範囲ですが」

 言われてみればその通りで、雫の力は非現実とか非科学とかそういう次元を遥かに超えている。今後の文明の為にも雫は死刑にするのではなくどこぞの研究機関に回した方が良いのではとさえ思う程だ。裏切る予兆ではない。彼女を裏切るくらいなら独占して世間の誰にも見つからない様にした方がマシだ。


 ―――信じられるか否かの『事実』と信じたいか否かの『感情』は別だ。


 何度でも言おう。雫の事は大好きだが、それとこれとは話が違うのである。

「興味がございますか? でしたら知り合いを紹介いたしますよ」

「大嫌いですから大丈夫だ。それにお前の知り合いなんて警察関係者か何か物凄く年食ったおっさんくらいだろ。おばさんの可能性もあるけどさ、やだよ俺は。そこまでコミュニケーション能力が高い訳じゃないし」

「依頼という形で連絡を取れば問題は無いと思われますが」

 俺だけで解決しなければ話がややこしくなる。『カラキリさん』程度と言えば大いに語弊が生じる(目の当りにしたら多分その場で漏らす)のだが、俺は今まで鳳介の隣で様々な怪異を目の当たりにしてきたのだ。その度に綾子にしがみついたり鳳介の後ろに隠れたりと情けない様を見せたが、もう二人は居ないし、深春先輩が頼って来たのは他ならぬ俺だ。

 俺がやらなければ誰がやる。

 幸い、『カラキリさん』の情報はノートにある。全く未知の何かを相手にするならまだしも、今は力を借りる時ではない。

「……何故にそんな事を尋ねて来たのかは存じませんが、一つアドバイスを……と言っても私はその道の素人ですが」

「なんだ?」

「非科学的と言っても、それは科学や物理法則の類に則していないだけで、必ずそこには法則があります。七凪雫の名前による支配は、名前を知られなければ効力を発揮しません。それと同じです」

「ほんとに素人意見じゃねえか」

 どうにか雫についての言及は躱せた。ここから強引に話の筋を変えれば不自然さが生まれるので彼女はしないだろう。今後一々機会を窺うのも面倒なのでついでにあの話も決着させておくとしようか。

「薬子、お前って次の連休予定あるか?」

「七凪雫の捜索任務が」

「それはいつもだろうが。その他の予定だよ」

「ありませんが、デートのお誘いですか?」

 大体合っている。相方は俺ではないが。

「いやね、うちの妹の瑠羽がお前と仲良くなりたいって言うからさ、連休にデート……って言わないけれど、遊びに連れてってくれないか?」

 我ながら名案だ。二人を外出させれば雫も羽を伸ばせるし、何より俺の部屋に入られる心配がなくなる。冴えに冴えわたった俺の頭脳は留まるところを知らず、学校の成績では最早判断のつかぬ領域へぶっ飛んでいる。

 誰に褒められているでもないのに得意気に胸を張る俺の姿を知る者は居ない。

「そういう事なら、謹んでお受けいたします」

「慎まなくていいぞ、別に目上じゃないし。気軽に受けてくれ」

 さて、今朝の出来事に対するフォローを入れたつもりだが、瑠羽は喜んでくれるだろうか。

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