俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

浸食

 まさか雫に対して不信感を抱いているなんて早々言えるものでもないが。


 流石に今夜の動きは怪し過ぎた。


「何処へ行くんだい?」

 深夜の一時四十五分。七時まで図書室に引き籠っていた事で薬子の追跡を免れたまでは良かったが、一つ屋根の下どころか同じベッドで眠る雫の目までは欺けない。家族の目を欺けても彼女に気付かれては意味が無いのである。

「あ、雫。ちょっと……学校に忘れ物が」

「明日にすれば? 深夜に忍び込むなんて不法侵入だろう」

「廃工場とかに散々入り込んでるから今更ですよッ」

「一応聞くけど、薬子に何か唆された訳じゃないよね」

「今回粘着を避けて来たんで大丈夫です」

 嘘は吐いていない。聞かれた以上に理由も言わない。名前も知らない女性からの頼みだなんて言っても信じてくれるかどうか分からないし、何よりそんなつもりが無かったとしても裏切りのリスクを彼女の脳裏に過らせるというのは、もうそれだけで申し訳が立たない。

 雫はまだ何か言いたげに袖に埋もれた手をもぞもぞ動かしている(俗に萌え袖と呼ばれる状態になっている。可愛い)。

「……帰ってくるよね?」

「この年で家出なんかしませんよ。雫や妹を置いていくのも……何か違いますし」

 薬子の粘着を避けたのは妹こと瑠羽の催促を避ける目的もあった。妹は薬子に憧れており、その薬子に近づけるまたとないチャンスを物にしようと兄妹の特権を使って―――俺におねだりして家に呼ぶように言ってきた。

 俺が一人で帰って来れたなら『今日は忙しくて話しかけられなかった』だのと理由を無限に付けられるが粘着されると言い訳が効かない。その場で願いをかなえてやらないと妹の恨みを買う可能性がある。


 ―――瑠羽、すまん。


 変な争いに巻き込まれた兄貴をどうか赦してほしい。死刑囚は俺を使って逃げ切りたいし、超人高校生は俺を使って死刑囚を捕まえたいのだ。

「大丈夫です。裏切ったりしませんよ。アイツのせいで名前もバレてますし、裏切ったら死ぬんでしょ、俺」

「……いや、そういう意味じゃないんだけど」

「え?」

 雫は続けて何かを言おうとしたが、露骨に言葉を選んでいる様子。物質として存在しない筈の言葉に詰まって仰け反ったり、本気で体調が悪いのか喉を抑えたりし始め、最終的には何も言わずに俺を抱きしめた。

 そこに並外れた膂力は無く。乙女のたおやかな抱擁のみが俺をとらえていた。

「……恥ずかしいからあまり言いたくなかったんだけど。君はいつも私の胸を枕にしてるだろ?」

「あんまり言及されるとこっちが恥ずかしいんですよ」

「ンフフ。恥ずかしがる必要はないよ。君の家族は眠っていて二人きりなんだから。ご主人サマのお役に立てて光栄ですよ……なんてね。で、それなんだけどさ―――実は私も、君を抱きしめないと根付が悪くなってしまった」


 え?


 抱きしめられてさえいなければ彼女の横顔に首を向けて何を言い出したか正気を疑っただろう。まさかそんな……そんな乙女チックな理由とは誰も思わない。何でそんな……依存気味な恋人みたいな事を。

 一応、恋人という建前はあるが。

「君の体温、息づかい、震え、寝言。私自身全く不思議に思っているが、これが無いと……不安なんだ。凄く」

「ふ、不安? ……寝言ってどんな事言ってるんですか」

「私に対する愛」

「―――ッ!!」

 全身の筋肉が強張った。強張ったら確実に誤解を生む様な箇所も強張って、俺はどう取り繕ったものかと悩んだ挙句に笑う事しか出来なかった。耳元で囁かれる彼女の声は麻薬だ。思考が麻痺して恥ずかしさがどうでも良くなってくる。

 ましてそれが微笑み混じりだと、脳を愛撫されているみたいで。

「だから君が居てくれないと私は眠れそうにない。君が裏切らないなんて最初から分かってるし、信じてる。でも出来れば早く帰ってきてほしいな、ご主人サマ?」

「わ、分かりましたからその呼び方やめてくれませんかッ! なんかものすっごい背徳感あるんですよ!」

「背徳なんて、私を匿ってる時点で味わっているだろう?」

「それとこれとは話が……違います!」

 飽くまで個人の意見として。

 ひとしきり俺を揶揄ってから、彼女は密着状態を解除した。

「何をしに行くのか知らないけど気を付けて。待ってるから」

「は、はい。じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 新婚夫婦さながらのやり取りを経て俺は深夜に家を飛び出した。深夜二時と言えばその単純な暗さもさることながら丑三つ時と呼ばれる魔の時間帯でもある。幽霊が現れるとされる不吉な時間帯であり、俺とは切っても切り離せない間柄にあった。だから嫌いだ。

 しかも学校だなんて。七不思議でも調べるつもりなのか。であれば校内に入る筈なので違うとは思うが。


  
















 夜の学校なんて聞くと肝試ししたくなる奴が居るが、余程古い学校でもない限り監視カメラがあるのでやめた方がいいと思う。しかしながら校庭にまで監視カメラを仕掛ける学校は稀だ。何故なら監視カメラとは第三者に入って欲しくない場所にこそ置かれるべき抑止力であり、入られた所でどうという訳でもない校庭には設置する道理が無いのだ。

 お金持ちの学校ならまた違うのかもしれないが、俺の高校はそこまでお金に余裕がある訳じゃない。適当に門を超えてしまえば難なく侵入出来た。

「待ってたよ」

 校庭に不法侵入した俺を出迎えたのは図書室で出会ったモデル体型の美女。自分と分かる様にする為か制服姿のままであり、模範的な絶対領域が暗闇にも拘らず目に眩しい。

「あ、どうも」

「私が言うのも何だけど、よく来たよね。後輩君には警戒心が無いの?」

「いやまあ……お礼ですから。信用も糞もないというか」

「そっ。でも有難う」

 会話が途切れる。

 お願い事は飽くまで『校庭』に来てほしいだけだったので、俺はもう帰っても良いのだが有益とは何だったのだろう。お淑やかな笑みを浮かべてじっとこちらを見つめる(ちょっと怖い)彼女に気まずそうに尋ねた。

「俺に有益って結局何だったんですか?」

「うん、それなんだけど。もう少しだけ待っててくれる? 今に分かると思うから」

「…………?」

 また誰か来るのだろうか。落ち着ける場所に腰を下ろして、目の保養に彼女の全身を見て回る。制服が黒を基調としているので妙に迷彩効果が生まれており、体が闇に紛れて無限に広がっている様にも見える。



 ぴ~ん ぽ~ン パーん ポーン



 それは聞こえる筈のない校内放送の音だった。

「全校~生徒の皆様にお知らせいたシます~。さキさか~りュウまくん。サキさか~りゅうマクん。を~見かけましたら~お近くの家に~おサソイ……サソイ、サソイ、サソイ、さそいさそいさそいさそいさそいさそいそいそいいいいいいいい………」


 ザザザ……



「…………」

 それは恐怖からか、はたまた狙い撃ちされた運の悪さからか言葉が出なかった。何故俺が狙われなければならないのか、それ以前にこの放送は……

 先輩の方を見遣ると、彼女は申し訳なさそうに目を伏せていた。

「後輩君が向坂柳馬で合ってるよね?」

「な、何ですかこの……放送。何で俺が―――何もしてないのにッ」

 異常現象の正体は直ぐに分かった。時間帯としても現実性とのすり合わせを考慮しても間違いない。怪異だ。こんな都市伝説があったかどうかは知らないが、俺は何らかの条件を満たしてしまったらしい。

「……まさか俺を騙したんですか! 一体何の恨みがあって俺に―――!」

「待って、違うから。後輩君を騙したいとかそういう意味じゃなくて、助けて欲しいの!」

 先輩がその言葉を口にしなければどうなっていただろう。狂気に駆られて攻撃していた? あり得ない……とも言い切れないのは正直怖い。

 間近で人が殺される様を見てからというもの、俺の中で殺人に対する敷居の高さが日に日に落ちて行っているのは純然たる事実だった。秘めたる殺人衝動など持ち合わせていないので普段は問題にならないが、非常事態ともなると話は変わってくる。

「……助けてほしいって……?」

 先輩が制服に手を掛けて、胸の下まで服を捲り上げた。唐突に露出趣味に目覚めた訳ではない。俺もそう思ったが、ふざけていられないくらい彼女の腹部は痩せこけていたのだ。服の上からでは想像も出来なかったその痩せ方はスレンダーというよりは貧しく、あばらが浮き出ているではないか。

「……後輩君は今初めて聞いたかもしれないけど、今の放送、日中もずっと流れてるの。ずっと、ずっと。私達の口の中で」

「口の……は? なんて?」

「耳を澄まさなくても聞こえる。ずっとずっと聞こえる。その人の声とは全く関係なく今の内容がずっと……眠れないし、食欲も失せて来るし。頭がおかしくなりそうだったのッ」

「―――あ。もしかして図書室に居たのって誰も居ないから……」

「そうよ。でもそこに後輩君が来てくれた」

 来てくれた?

 確かに今のままでは矛盾が生じる。誰かの口内から放送が聞こえてくるなら何においてもまず追い出すべきだ。だのに彼女はそうしなかった。

「後輩君の口からは声が聞こえなくて……後で名簿を調べたら貴方が向坂柳馬だって分かって……! だから貴方なら何か知ってるかなって思って私はこうして呼び出して―――」

「お、お、落ち着いて下さい! 取り敢えず落ち着いて。じゃないと何を言ってるのか分からなくなりますから!」

 俺が落ち着くべきという意見については無視させていただく。どうせ怖がりで泣き虫でひっくるめたら臆病ですよ。

 先輩は胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。少し落ち着いてくれた。

「……単刀直入に聞くわ。後輩君、何か知ってる?」

「―――全く」

「……そんな」

 慈悲の欠片もない否定に彼女は落胆……否、絶望していた。俺だって出来る事なら助けてやりたいが、如何せん第三者だ。まず何がきっかけで彼女にその声が聞こえる様になったとか、俺がどうして例外なのかとか、全く分かっていない。

 医療の事など何一つ分からない素人が手術をやっても単なる惨殺になる様に、知識が無ければ人は救えない。


 ―――鳳介。お前ならどうした?


 怪異と言えばアイツを思い出す。俺の親友、親友だった男。無類の怖い物好きの彼ならこういう時どうしただろうか。

「……こういう変なのに巻き込まれるのには必ず理由があります。何か心当たりはありませんか?」

「心当たり…………そう言えば、そう。私のポストに手紙が入ってて―――それから、だったと思う」

「ポストにてが…………ん? その中身、見ましたか?」

「ええ。勿論見たわ。確か—――』



 良い子 悪い子 あの子はどこだ


 あの子が欲しい 欲しいのはあの子


 誰かあの子を渡しゃんせ ここは何処の洞穴じゃ


 あの子と共に笛を吹き 翻っても岩の中


 七つ月が刻まれる 丑三つ時の頃合いに


 あの子をワタシにくだしゃんせ



 全ての文面を聞いた時、俺の頭は真っ白になってしまった。どうして気付かなかった。気付くべきだった。仮にもマニアの鳳介と一緒に居たのだ、薬子からそのフレーズが出た時に気付かなければいかなかった。

 ハーメルンの笛吹男なんて物は存在しない。それを名乗る犯罪者なんて日本中探しても見つかる訳が無い。

 だってこれは。












 『カラキリさん』なのだから。



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