俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

コウナイ放送

 雫が俺を殺す筈がない。

 しかし一方で薬子から見れば断る理由がない。例えばわざわざ警察が守ってくれると知ってそれを断る人間が何処にいるだろう。そんな状況で断る奴は筋金入りの警察嫌いであり、残念ながら雫の敵という事を踏まえても彼女の事はそこまで嫌いではない。

 自慢ではないが、その辺りの分別はつけているのだ。

 理由なく断るなど悪趣味もとい自殺行為であり、自ら死にに行こうとする俺を薬子は猶更放っておかないだろう。仕方なしに俺は彼女の誘いに乗った。或はこれこそ彼女が求めていた行動かもしれない。雫曰く自分を捕まえる為に手段を選ばないらしいから、『匂い』がべっとりと残った俺にくっつくのは妥当な判断だ。


 そもそも俺はどちらの発言を信じれば良いのか。


 第三者にも是非首を突っ込んでもらって客観的な意見を聞きたいが、こんな馬鹿らしい阿呆らしい話に誰が首を突っ込みたがるだろう。俺は二人を信じているし、信じていないとも言える。今の所は雫に偏っているが。


 ―――頭がおかしくなりそうだ。


 二人は都合の良い言葉を吐く。薬子は俺に正しきを説き、雫は愛を囁く。そのどれもが真実かもしれないし偽りかもしれない。善と悪と倫理と道徳と現実の狭間で苦しんでいるのは俺だけで、二人にとっては都合の良い道具なのかもしれない。

 肉体的な寂しさは雫が慰めてくれる。しかしながら心の寂しさばかりはどうにもならない。イジメを傍観していた奴等—――輝則とは比較的仲が良い方だが、心を許せるかと言われるとあり得ない。それが男子にしても女子にしても一緒だ。トラウマとは即ち人格の負傷。一度傷を負った人格は心境をそのままに保存される。

 例えば虐待されていた人間は手を挙げる動作を見るや咄嗟に防御行動を取ってしまう。それは動作をトリガーに負傷した人格が表面に出て来てしまうからだ。

 死刑囚という立場を踏まえても雫の味方をするのはそんな状況から助けてくれたからでもある。因みに俺のトラウマはイジメと都市伝説。

 後者は時薬にてマシになったが、一時期はその類の言葉を聞くだけで発狂していたものだ。


「それじゃあこれにてHRは終了だ。寄り道は構わないが、あんまり人気のない所には行くなよ。犯罪に巻き込まれても知らねえからな」


 ぶっきらぼうな担任のの言葉と共に放課後が訪れた。俺との確執が無くなった(無い事にしたというのが正確)クラスメイトは―――仮に残っていてもそうしただろうが―――心置きなく各自の生活サイクルに則って活動を始めた。部活に行きたい奴はさっさと行くし、行きたくない奴は仮病の演技を磨くべくネットでバレない嘘について検索している。

 捜査に協力すると言ってしまった以上は俺も薬子の下へ……そう言いたい所だが、彼女は建前でも構わないと言っていた。考えるまでもなく警察の捜査に素人がでしゃばる隙間なんてないので遠慮なくそうさせてもらう。ああ、そう。

 俺はバックレる。

 普通に帰ると確実に粘着されてしまうので、クラスから全員が居なくなった頃を見計らって俺はいつもは……というより、こんな事にならなければ卒業するまで足を運ばないであろう場所へ赴いた。




 その場所とは何を隠そう図書室の事だ。





 人によってはかなり思い出深い場所になるのではないだろうか。小学校の頃に遊べる絵本で友達とワイワイ騒いだとか、中学校で漫画・児童文学・ライトノベル・純文学を漁ったとか。或は高校生でも同じ?

 残念ながら俺の学校は渡り廊下を通って学習棟と呼ばれる建物の三階にあるので、あまり足を運ぶ人間はいない。全くいないとは言わないが、本当にめっきり見なくなってしまった。クラスとの距離が相当あるものだから図書委員なんて誰もやりたがらない。人混みを避けて何処か落ち着いた場所をと願うならここは最高の場所なのだ。

 唯一気にするべきは私語の禁止なのだが、独り言なんてよっぽどの事が無い限り出ないので無問題、それに咎める人間が居ない。図書委員は仕事を図書室使用者に丸投げしており、一年の内八割はまるで仕事をしなかったりする。


 ―――誰か教えてくれよ。


 答えが欲しい。攻略本が何処かで売っていないものだろか。税込み一二六〇円くらいで買いたい。どっちを信じればハッピーエンドだ。どっちもバッドエンドなのか。それともどちらも信じる所にトゥルーエンドが…………

 現実はそう上手くいかない。でもほんの少しだけでも良い。事態を好転させる情報が欲しい。既に脳みそはキャパオーバーにつき暴走している。何が何だかサッパリ分からない。何が嘘で誰が本当の事を言っていてどれが真実なのか何なのか。嘘発見器を誰か自由研究の一環で作ってくれないか。


 ―――ふう。


 落ち着け。流石に荒唐無稽すぎる。一度思考をまっさらにして落ち着けば雑念など振り切れる。ありもしない仮定の話などして何が面白いのか。俺がここへ足を運んだのは落ち着くためであり薬子に粘着されない為だ。

 誰も居ないと思われる図書室で一人机に突っ伏していると、何処かから本を閉じる音が聞こえた。「…………ここは昼寝する場所じゃありませんよ。後輩君」

 注意されてしまった。まさか仕事をしている図書委員がいるとは夢にも思わず顔を起こした。

 俺の顔を覗き込んでいたのは長身の美女。深窓の令嬢も斯くやと思われる浮世離れした雰囲気は高校生にあるまじきミステリアスさを纏わせている。テレビで囃される―――或いは女子の憧れとも言えるモデル体型とは彼女の様な体型を言うのだろう。股下なんて一体何センチあるのやら。俺の腕より長いのではないか。

 補足しておくが俺の腕は特別長くも何ともない。この比較は実は大雑把極まれりなものだったりする。

「……図書委員?」

「…………どうしてここへ来たの?」

「え、理由が要るんですか?」

「後輩君、ここに来たのは初めてでしょう? 私はいつも居るから分かるの。本が好きになったって訳じゃなさそうだし」

「あー、まあ…………ちょっと一人になりたくて」

 嘘は言っていない。帰ろうとすると粘着される恐れがあるからここに来た。他の場所はそこらのクラスメイトに尋問されたら居場所が割れそうなので、実質的な選択肢はここしかない。後は女子が入れない聖域こと男子トイレの中とか。

「……眠いの?」

「いや、うーん寝てる様に見えたかもしれませんけど、俺にも色々考える事があってですね……迷惑は掛けないのでここに居させてもらっても構いませんか?」

 何せ味方がいない。この状況を受け止め次なる行動を最善に導くためには時間が必要だ。二人のどちらに肩入れするのが正しいのか、俺はこの危機的状況に流されているだけではないのか。絶対に迷惑を掛けないと誓っても良い。血の誓約書に拇印を押すのも厭わない。

 女性は対面の椅子に座ると、俺の手をさり気なく握った。

「え、あ…………」

 雫と同衾しているせいですっかり警戒心が薄まっていた。慌てて手を引っ込めたい所だがそれだと拒絶しているみたいで何か申し訳ない。誰だって見ず知らずの人間に『嫌い!』とは言いたくないだろう。その人が何かやらかしたのならまだしも。

「いいわよ。代わりに私のお願いを一つだけ聞いてくれない?」

「…………で、出来る物なら」

「今日の夜。校庭に来てくれない?」

「こ、ここの?」

「ここの」

 何とも意味の分からないお願いに俺は女性を―――多分、先輩を訝った。それとこれと何の関係があるのだろう。事情を問い質しても良いが、それをするとあちらにも深い詮索をする権利が与えられてしまう。

 死刑囚と超人の板挟みにあって精神状態がどうにかなりそうなんて言っても信じてもらえないだろうし、何より事情を話すという事は雫に対する裏切りに繋がる。それだけは出来ない。

「分かりました。何時に行けば良いんですか?」

「深夜の二時。後輩君にとってもきっと有益だと思うから、絶対に来てね。じゃあ、私はそっちで本を読んでるから」 

 俺の手を包み込む温かさが離れていき、半ば反射的に指が名残惜しそうに動いた。俺にとっても有益という言葉が引っかかるが、一先ずの難は逃れたので良しとしよう。薬子がこちらに来る気配も足音も聞こえない。




 ―――俺は。



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