俺の彼女は死刑囚
夢幻の気配
レストラン『鉄星』。
週末でしかも昼間という事もあり、中は結構な人間が集まっていた。この時間帯よりも溢れかえるとしたら夜だろうか。とはいえ満席になる程大人気の店ではない。今時そんな店があるとしたら都会の方だ。残念ながらこの木辰市は都会と田舎の中間―――七割田舎が勝ってるので、テレビで特集でも組まれない限りそんな現象はまず起こらない。
そして七凪雫が入店したからと言って誰一人気に掛ける人間はいなかった。もしかしたら胸の大きい美人が入ってきたくらいは認識しているかもしれないが、まさかそれが死刑囚だと誰が思うだろう。
いや、本当に何処から服を調達してきたのか。
窓際の席に不安を抱くのは俺だけで、むしろ外の眺めを見られる事に雫は満足している様子だった。
「誰も気づいてませんね」
「死刑囚が普通の服を着られるとでも? まして入店してくるなんて考えるのは想像力豊かな小説家か、妄想癖に囚われた人間くらいなものさ。それにしても……やはり対面したのは正解だったね」
「何でですか?」
「君の顔が良く見える。君の顔は決して良いとは言えないが、何だろう。ずっと見ていたくなるよ」
「人を素直って褒める割には素直な褒め方しませんよね。喜んで良いんですかそれ」
「素直な人が好きなのは、私自身がひねくれているからさ。しかし素直に褒めて欲しいというのなら、たまにはそうしてみようか。君が好きだよ」
それは素直過ぎる。雫は元々遠回しな表現をしないタイプだと心得ていたが、大衆の目がある所でその素直さは発揮しないでほしかった。何だか公開プロポーズを受けているみたいで顔から火が出そうだ。
手で顔を覆い隠す。それは照れた顔を見せたくないからだと思いきやそれは表向きだ。真の狙いは指の隙間から机の上にドシっと座り込んだ胸を眺める為である。本人が歓迎しているのに隠す意味があるのかと思うかもしれないが、単に見透かされるのが嫌なのだ。そういう変態的な行動はいけないのだと、そう教え込まれているから。
「さあて、何を頼もうか。因みに幾ら持って来てるの?」
「八万円ですけど。これからもデートしていくんで流石にここで全額は使いたくないですね」
「ンフフ、私はそこまで大食いじゃないよお。それに満腹になってしまったらこれからのデートが楽しくなくなるかもしれない。腹八分目で済ませるさ」
雫の視線がメニュー表に落とされる。俺は考えるのが面倒なので以前から良く頼んでいたメニューで済ませるとして、デートプランの続きを考えなくては。風の向くまま気の向くままとは言ったが、考える時間が生まれるなら少しでも割いた方がいい。雫を最大限楽しませるには必要な時間だ。
―――映画とかどうだろうか。
ありだが、近くに映画館がない。今日の日程を映画で締めるつもりならそれでも構わないのだが、流石にどうかと思う。まだまだ行きたい所はたくさんある。映画好きでもない俺がどうしてそれで締めようと思うのか。仮に締めるとしてもそれを考えるのはもう少し後だ。今じゃない。
―――遊園地とか?
近くには無いが、遊園地なら半日以上使っても満足に楽しめるだろう。ただ、週末という関係で確実に混んでいると想定するとちょっと嫌だ。俺は待つのが嫌いだ。待っている間雫の胸を揉み放題とかならまだしも……
いや、仮にそうだとしても大衆の中でそんな事をしてたら漏れなく変態だ。それも触れちゃいけないタイプの奴。雫が歓迎しても俺が歓迎出来ない。変態の二つ名は虚言癖よりも酷いし、何より事実なので言い逃れが出来なくなってしまう。
後、クラスメイトに遭遇したら色々面倒臭い。具体的には雫の説明が。
「特製ハンバーグなんてのもいいかもね。ああそれと日替わりサラダってのも中々……ん? 中身が書かれてないけど、これはどういう事なの?」
「日替わりだから内容は書かれてないんですよ。でもほら、右下の方に注意書きでこのサラダの中から作りますよってあるでしょ?」
「ああ、成程。そういう事。面白いお店だね」
「割と人気なんですよそのメニュー」
―――カラオケは?
歌に自信が無い。却下。
―――演劇。
演目による。
何故、俺は自分で出した提案を深層に潜む俺に否定されなければならないのだろうか。相手が死刑囚だろうがなんだろうがデートなのだから、俺の我が儘を貫いている場合だろうか。彼女が楽しめる様な計画を立てる、それこそが真のデートではないだろうか。
「雫さんって運動とか好きですか?」
「ん? ああ結構好きだよ。あんな服着てたんじゃまともに動けないけどね。だからもしそういう場所に行くんだったら大歓迎。これでも体力には自信があるんだ」
「本当ですかあ?」
半笑い気味に俺が訝ると、雫の双眸が僅かに細められた。
「そこまで言うなら後で見せてあげよう。君は決して私には付いてこれないよ?」
彼女の瞳には微かな期待が込められており、俺はそれを一身に受けるかの如く頷いた。次のデート場所は決まりだ。あそこなら彼女も喜んでくれる。
「オーケー。注文が決まったよ」
「それなら呼び出しましょうか」
ボタンを押して、店員の到着を待つ。思考も含めて手持ち無沙汰になった俺は暫し店内を眺める。雫と会話している間は単なる喧騒でしかなかったが、こうして耳を澄ませると様々な会話が聞こえてくる。
『知ってますか? アカシックレコードに触れる方法。人生を成功に導いた人は皆アカシックレコードに―――』
『って事は僕も成功するんですかッ!? ぜひ聞かせて下さいッ』
聞いてはいけないタイプの会話が聞こえてしまった。止める義理がないので止めないが、これ以上聞いても詐欺師の手口がハッキリするだけなのでシャットアウト。他の声を聴いてみよう。
『このニュースやべえだろ』
『何が?』
『ほら、全裸の女性がゴミ箱の中から発見されたって奴。死体がさ……ゴミ箱と融合してんだってよ』
『は? 怖すぎだろ』
『もしかして路地裏って俺達の想像以上に危険なのかもな。俺、もう日陰が怖えよ。やっぱ歩くなら日なただよな』
……全裸の女性?
反射的に視線が雫へと移る。死刑囚として有名な彼女が真っ当な手段で服を手に入れたとは思えない。聞くのが怖くてスルーしていたが、耳に挟んでしまった以上は好奇心が勝ってしまった。料理を心待ちにする雫に対し、俺はおずおずと尋ねる。
「……雫。その服って―――どうやって手に入れたんですか?」
「ん? ああこれ。あんまり聞かない方が良いと思うけど」
「や、やっぱりその……誰かを?」
それ以上は真実になってしまいそうで言えなかった。俺の恐怖に反して彼女は「ううん」と首を振った。
「まさか。君とデートしようって時に事件起こしたら薬子が飛んでくるじゃないか。裏社会にはね、便利な運び屋……いや、探し物屋が居るんだよ。結構無茶が利く人間がね。その人に頼んだ」
「お金は?」
「彼がこき使われてる所から支払われるらしいからタダだよ。雇用形態として何かおかしい気もするけど、細かい事は気にしてないんだ」
そんな都合の良い人間が居るのか、果たしてその言葉は信用するべきなのか。悩むまでもなく答えはイエスなのだが、それでも一度は選択肢を作ってしまう辺り俺は雫を……なんて駄目な男だ。こんなんだから意思が弱いと言われるのだ。
誰に言われたかは知らない。
「お待たせいたしました。ご注文をお伺いいたします」
店員が到着した。
「んー。美味しいね。ああ本当、病みつきになってしまいそうだ」
「お金取れるレベルですからね。こんなの食べたら俺の料理なんて食べられないんじゃないんですか?」
「舌が肥えても、君の料理だけは特別だよ。食べる度に全身が火照ってきて、人肌が恋しくなって、意識がぼんやりして、目の前の相手がとても愛おしくなって―――」
「俺ヤバい薬食事に入れてますよねッ? んなもん持ってないですから! デマやめてください!」
「ちょっとした冗談なのに」
和やかな雰囲気を保ちつつ、俺も食事を摂る。
『リュウ! お前って食べるの早すぎだろッ。少しは俺達に合わせるとかねえのか?』
『ホントホント。リューマって何でそんなに急いでるの?』
驚いて左右を振り向いたが、そこには誰も居ない。窓越しに『二人』が会話している……という事もない。あの妙な夢と言い、雫と関わってから俺の身に何かが起きている。
「どうかした?」
彼女が何かをしている様子はない。俺を気にしてはいるが、それでも大半の関心は食事に向いている。雫と関わってからというのは飽くまでタイミングの話であり、彼女が関与している可能性は限りなく低いと思う。
ではどうして、思い出したくもない記憶を掘り起こされてしまうのだろう。二人の事は今も親友だと思っているが、何度も何度も蒸し返されるのは……ちょっと。
それは例えるなら殺人罪で捕まった男が出所した後も定期的にその事を蒸し返される様な物だ。たとえ更生しても罪というものは一生残る。頭で理解していても、一々それを蒸し返されるとほとんどの人間は気分を損ねるだろう。
例えとして、罪である必要はないか。自分がしてしまった何気ない失敗を一々掘り返されたらどう思う? どんなくだらない、些細な事柄でも流石に嫌気が差してくるのではないだろうか。
「……雫って俺の昔の話とか知りませんよね?」
「知ってたら君の名前も知っていると思うよ。それに知ってたら名前を聞かないという条件が何の取引材料にもならないじゃないか。不公平だよ」
それはアンフェアを被る側の発言なのだが。しかし公平を重んじるのは良い事だ。そうでなければ取引にならない。
「……気のせいですよね」
「何が」
「ああいや、こっちの話です」
幻聴と断定し、俺は食事を続けた。
―――うるせッ。早く食べたらその分だけ時間が浮いて自由時間が生まれるだろうがッ。
コメント