俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

死刑囚、釈放

「デート!」
 週末を意識したのは生まれて初めてだ。意識する人間というものは何かしら予定がある人間であり、残念ながら俺には予定が無かった。部活は強制入部なのだがしらばっくれていたらそのままでも許されてしまった。そして友達は居るが、プライベートで遊ぶほどの仲は居ないのでやはり予定はない。なかった。
 
 そう、無かった。今週末に限ってはあるのだ。

 それは七凪雫とのデートだ。
 待ち合わせ場所も行く場所も決まっていない。風の向くまま気の向くまま。一日中デートする。一緒に暮らしてるのだから待ち合わせは不要だろうという声もあるだろう。俺もそう考えていたのだが、雫の姿が起床した時から見当たらない。服は着替えると言ったし調達しに行ったのだろう……どう調達してくるのかは考えたくない。何となく嫌な予感がするから。
「ん?」
設置当初から碌に使われていない(俺はベッドで宿題をするタイプだ)勉強机の上に書置きがあった。『準備が出来たら家の外に出て。待ってるよ』と書かれている。恐ろしくなって窓から外を見たが、彼女の姿は何処にも無かった。
 流石に朝とはいえ死刑囚が大っぴらに外を出歩くなんて馬鹿はやらないか。しかしわざわざ準備について明言している所を見ると、準備をしてこいという事か。生まれてこの方デートなんてした事がないのでお洒落といわれても何をすれば良いかさっぱり分からない。香水なんて無いし、高い服にも興味が無かったから一着も所有していない。

 ―――まあ、もういいか。

 無い物は仕方がない。普段着の上にジャケットを羽織る程度の工夫はするが、それ以外は無理だ。全く以て知識がない。念の為に鏡など見ておきたかったが、お洒落とは無縁の生活を送ってきた俺が自らの見てくれを再確認とは随分と調子に乗ったものだ。付け焼刃の知識さえなく、結局は普段着に落ち着いてしまった男なんぞ鏡は映してくれないだろう。
 そも、デートとは恋人同士が普段とは違う互いを見せ合う場所だ。だからデートしてた頃は優しかったのに……というすれ違いも生まれるし、そこから発展してトラブルも生まれる。だのに俺と来たら普段着で行くのだから救えない。そんなもの、雫は飽きるくらい見ている。
 でもこうするしか方法が無い。考えるより先に行動するべきだ。言い訳なら後で幾らでも出来る。取り敢えず行こう。行くしかない。行くべきだ。

 足が動かない。

 緊張とは違う。出来るだけ着飾りたいのにそれが出来ない自分が情けなくて仕方ないのだ。でも行く。デートに行きたいから。
 時刻は朝の九時。休日という事もあり両親も妹もまだ眠っている時間だ。行先も告げずに外出したら心配される? 瑠羽ならそうかもしれないが、俺を心配してくれる様な両親でないとは普段の様子から分かる筈だ。
 扉を開けて安全確認をするみたいに左右を見遣る。雫の姿は見えなかった。



「やあ、待ってたよ」



 その声は二度三度と確認した筈の方向―――右から聞こえた。死刑囚とのデートにいっそ挙動不審になっていた俺にその声は刺激が強すぎたが、彼女の姿を視界に映した瞬間、俺の心臓が止まった。そこには死刑囚の七凪雫ではなく、女神の七凪雫が立っていた。
 膝丈の黒いスカートにノースリーブの白いブラウス。いつもの拘束衣を何処かへ置き去りに、彼女は死刑囚からとてつもない美人へとジョブチェンジを果たした。こんな綺麗な女性を見て一体誰があの凶悪殺人犯だと思うだろう。俺は路上でスカウトされるタイプの美人としか思えない。
「……え、誰ですか?」
「ンフフ。どう、びっくりしたでしょう? これならアイツ以外には見抜かれない。君の存在もカモフラージュになってくれるだろう」
「俺の存在が?」
「あの死刑囚に協力者が居るなんて思わないだろう? 君と並んで歩いていたら他人の空似で、むしろ何の変哲もない一般人が死刑囚と似てるなんて失礼な考えだと自戒する筈さあ」
 会話は成立しているが、俺の思考は八割方会話に向いていない。まだ彼女の容姿を堪能する事に全力を注いでいる。拘束衣の上からでもスタイルの良さは十分に分かったが、普通の服を着るとやはり飛び抜けている。季節的には薄着で構わない時期なのも追い風だろうか、俺の想像以上に彼女は巨乳だった。
 目を凝らして良く見ると下着が僅かに透けている。眼福という言葉はこの時の為だけに作られたと言われても今の俺なら納得だ。
「久しぶりの外、なのかな。さあ行こうか、ご主人サマ。行先は任せますよお?」
 後ろ手に隠し持っていた茶色のハンチング帽を被り、雫が手を差し伸べた。おずおずと手を差し伸べると、手繰る様に雫が身体を近づけた。
 まだ何もしていないのに凄まじい背徳感だ。法の裁きを受けるべき人間を匿いながら二人きりのデート……夢みたいな話ではないか。相手が二度とは見かけない美人なら猶更の事。俺は思い切って彼女の指を絡ませ、恋人繫ぎを試みた。雫は喜んで応じてくれた。
「こういうの、ちょっと恥ずかしいね。私はお天道様の下を歩ける人間じゃないのに、君の恋人として歩いてる。凄く不思議で…………嬉しい」
「お、俺もです。雫とこんな……凄く、ドキドキします」
 薬子に揶揄ってやるのとは訳が違う。あれは俺にその気がないからどうあっても恥ずかしいだけで終わるが、雫は俺にとって意中の相手。それと、まるで両想いであるかの様になってしまったこの状況は嬉しいを通り越して感動している。生きていて良かった。イジメに屈しなくて良かった。人生全ての不幸がここで報われたとさえ感じている。
「今日一日は私が犯罪者だという事実はどうか忘れてくれ。ああそれと、行先は任せるけどエッチな場所は駄目だよ? 君が犯罪者になってしまうからねえ」
「い、行きませんよ!」
「ンフフ。ならいいけど。じゃあ何処へ行こうか。実を言えば私はあまり世間を知らなくてね。案内の意味も込めてどうか色々な場所へ連れて行ってほしいな」

 …………何でもいいと言われるとかえって答えに困る場合がある。膨大な選択肢から己の基準で絞り込めない人間は少なからずいるのだ。レールを用意してくれた雫には感謝しかない。町案内という名目があるなら十分絞り込める。
「…………じゃあ一番近い所から行きましょうか」
 
 
 









 デートで行くには少々狭すぎるかもしれないが、ゲームセンターは中々どうして娯楽施設として優秀な所がある。
 クレーンゲーム、ホッケー、アーケードゲーム、ダーツ、もぐら叩き、ピンボール、音ゲー。様々な種類のゲームは訪れた人間を決して飽きさせないだろう。雫は目を輝かせて店内に入っていった。
「ここがゲームセンターか。色々なゲームがあるんだねえ!」
「気に入りましたか?」
「ああ、勿論。何せ初めて来た場所だからね。いや勿論、情報としては知ってたけどさ」
 朝九時とはいえ週末だ。特に子供の姿が散見され大人は少数だが、雫に比肩する美人は一人として見受けられない。中学生くらいの男子達の視線が妙に気になる。それは俺だけの錯覚であり、当の本人は目についたゲーム全てに興味津々で視線など全く気にも留めていなかった。
「おー。エアホッケーですか」
「やってみたいなあ」
「じゃあやりましょう」
 お金を入れてホッケー台を起動させる。ゲームセンターに来るのは初めてとの話だが、ハンコみたいな奴(球を打つあれの名前が分からない)を持ったその手は自信に満ち溢れていた。この手の反射神経がモノを言うゲームには自信がある。とてもとても大会などで戦えるレベルではないが素人相手ならまず負けない筈だ。
 そうは思いつつも、相手はあの七凪雫。油断は禁物だ。
「ルールの説明は」
「要らないよ」

「では―――いざ尋常に勝負!」

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