俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

味方のミカタのそのまた敵の

 雫と何時間か戯れていたらすっかり時間が経ってしまった。何やら雫と出会ってから小難しい事が色々起きているが、少なくとも雫は俺の味方であり、俺は雫の味方だ。そこだけはハッキリしているし、そこがハッキリしているなら何がどうなろうと関係ない様な気もする。共犯と言って差し支えないこの状態がどう決着しても碌な結末にはならないかもしれないが、元よりそれを承知で俺は彼女の味方をした。

 例えば何か過ちをおかしたとして、最初からそんな真似するなと結果論で物事を語る人間は居るが、俺の場合はその論理が通用してしまう。死刑囚に手を貸したら碌な目に遭わないなんて小学生でもわかる事だ。なのに俺は手を貸した。

 この先俺は何度も躊躇するだろうが、その度に言ってやる。俺は確実に間違えた。間違えると分かっていて間違えた。だから何がどうなっても文句を言ってはならない。

 最初からするな、という話なのだから。

 夕食の時間が迫りつつある事を知った俺は一階に降りた。玄関から少しだけ顔を出すと、もう薬子は居なかった。安心した手前、彼女がまともなら当然かとも思い直す。今も玄関前に居たらそれは只のストーカーだ。

「ねえ、お兄」

「ん?」

 リビングの方から瑠羽が出てきた。その声はいつにも増して気力が漲っており、声がしたから振り返っただけで、俺はその声が本当に妹なのかどうか判別が出来ていなかった。それが家族の発言かと他人は耳を疑うだろうが、ついさっきまで雫と触れ合っていたのも原因の一つかもしれない。

 彼女の声はとても響く。それは高音という意味ではなく、耳から入った音が全身にじんわりと浸透していくような感覚だ。指が悴んでいる時に暖炉の熱源に手をかざすと熱がじわじわと伝わっていく感覚が得られると思うがアレに近い。

 そんな心地良い声でずっと『好き』だの『大好き』だの『愛してる』だの『君だけしかしない』だの言われたら、こんな風にもなる。決して支配されている訳ではないのだが、彼女の声を聴くとその通りに身体が動くようになってしまった。

 気持ち悪い言い方をすれば全身に雫成分を過剰摂取したというべきか。瑠羽の声が判別出来なくなるのも無理からぬと納得してくれただろうか。

「お兄さ、薬子さんと友達なの?」

「友達っていうか……まあ知り合いって程他人行儀でも……うん。まあ友達だな。それがどうかしたのか」

 瑠羽が唇を噛んだ。その表情はいつになく真剣であり、一体何を言い出すのだろうと俺も身構えてしまう。何を言われても驚かない。死刑囚を匿っている事を知っていると言われたら驚くというか、今すぐ雫に土下座しに行くが(雫は俺に手出しをしないだけで家族に手を出さないとは限らない)。

 そんな俺のもしもを具現化する様に、瑠羽はその場で土下座した。



「一生のお願い。今度薬子さんお家に呼んで」



 これが憎らしい相手ならまだ優越感に浸れたのだが、初めて土下座される相手が妹とは俺もつくづく不幸な男だ。俺は慌てて彼女に頭を挙げさせると、両肩に手を置いて言い聞かせる。

「いいか、瑠羽。土下座ってのはな、最初の一回が最大の効果を発揮するんだ。繰り返せばその力は薄くなる。何が言いたいかって言うとだな、そんなしょうもない事で土下座するなっていうのと、そんな事で一生のお願いをされたら逆にお兄ちゃんは悲しい」

「だって、薬子さんと仲良くなりたいし……」

「俺を仲介に仲良くなりたいってだけなら気軽に頼んでくれ。割と本気で傷ついたぞ。そんな事で一生のお願いしなきゃ言う事聞かないくらい俺はケチだったのかって」

 虚言癖でケチとかいよいよ救えない男だ。いや、前者は言いがかりというか、俺が立ち回りを間違えた結果の産物なのだが。瑠羽は「そんなつもりはなかったんだけど」と心外そうに俯いてしまい、むしろ俺が傷つけてしまった。腐っても兄弟、もしくは同じ穴の貉という訳か。

「俺こそそんなつもりは無い、ごめんな。でも軽率に一生なんて言葉を使わないでくれ。お前は妹なんだからどんどん俺を頼ってくれていいんだぞ?」

「……お父さんとお母さんに怒られるのが嫌だから」

「は?」

「お兄って嘘つきでしょ? だからこういうお願いとかすると、後で二人に『アイツは嘘つきだから有言不実行。頼るなら俺にしろ』とか『嘘と現実の区別もつかない子なんて頼りない』とか説教されるの……嫌だから」

 判明して欲しくなかった事実に一番顔を曇らせたいのは俺だ。妹の手前平静を装うが、陰でそんな事を言われていたとはショックだ。俺が『虚言癖』という嘘が瑠羽を追い詰めていたなんて。極論俺が気にしなければ別にいいかという前提が崩れ去ってしまった。両親も悪気は多分ないのだろうが、俺を気軽に頼るという発想が欠けるくらい言ったのなら大いに問題だ。

「ん? でも待てよ。お前パルクールやりたがってた時二人共気にしてなかっただろ。その話本当か?」

「…………」

 沈黙してしまった。言及を続けたいがこの状況で妹の言葉を疑うのはどうかと思う。一先ず信用する事にして、話を続ける。

「……なんか段々誇張されてるけど、俺が嘘つきとされたのはイジメの話が原因だ。発言何もかもが嘘って訳じゃない。それにイジメの主犯は死んじまったしな。二人についてはまあ……俺が釘を刺した所でどうにかなりそうもないからな。すまん、それは助けられん。けどこういう頼みなら聞いてやれるからさ、もっと頼ってくれよ」

「……うん。分かった」

 瑠羽の手前格好つけてしまったが、薬子を家に呼ぶ事がどんなに自殺行為なのかは言うまでもないだろう。雫も薬子も謎の感覚で互いを認識してる。鉄の匂いだか血の匂いだか知らないが、同じ家に居たら普通に気が付かれてしまいそうだ。

「お兄」

「ん?」

「……ごめん。ありがと」

「謝るなよ。兄妹だろ」

 自殺行為になると分かっていて、俺はまたも判断を間違えた。間違えていると分かった上で進んだ。では何故進んだのかというのも決まっているだろう。

 雫は俺に優しくしてくれたから。

 瑠羽は俺の妹だから。

 それ以上の理由なんてない。損得勘定が出来ない人間にはこれっぽっちの理由でも十分に動機となるのだ。



「あ、いつ呼ぶかはちょっと分からないぞ。アッチの事情とかもあるからな」





 














 眠い。

 即座に二度寝を決め込んだが携帯の着信がそれを阻害した。鬱陶しい。五分ばかり無視していたらようやく切れたが、直後にまた掛かってきた。いたずら電話にしては手が込み入っているので、これは間違いなく知り合いからの電話だろう。

 ……が、やはり眠いので無視。しかしながら携帯が怒鳴り込んでくる夢を見てしまい、私は夢に逃げる事も出来なくなってしまった。

「……もしもし」


『もしもし。私です。七凪雫の次のターゲットが分かりました』


 電話の相手は予想通りだった。ここまで粘り強く電話してくる人間を今の所彼女しか知らない。寝ぼけた頭でも考えられる雑な推理だったが的中したらしい。

「……ああ、そう。で、誰?」


『向坂柳馬という学生です。過去を洗いましたが天玖村との関連は見受けられませんでした。コンタクトを取りましたが、彼は何か私を警戒しているみたいです』


「警戒? ちょっとよく分からないな。何の為に君をメディア出演させたと思ってるの。世間はヒーローを求めてる。あの七凪雫を捕まえた実績は誰にも嘘とは言わせない。そんなヒーローを警戒してるなんてよっぽど人間不信な子だろうね」


『七凪雫との接点も見受けられませんでした。ではどこで彼はターゲットにされたのでしょうか』


「攻めあぐねてるなら力を貸そうか? まあ、力を貸してるのは君だけどさ」

 七凪雫の捜査ともなると大人数を動員してでもという声もあったがそれは逆効果だ。民衆の不安を煽る形にもなるし、何より警察名簿から名前を消す手間が尋常ではない。しかも消す前から名前を知られていれば全くの無意味と、色々な意味で七凪雫は厄介だ。だから証拠を握っていても、現在その捜査は彼女に一任されている。

 と言っても碌な証拠なんてないのだが。

 死体にしてはあまりに証拠が無さ過ぎる。絞殺死体一つとっても普通であれば分析出来る事が両手で数えきれない程あるのに、七凪雫が殺したと思わしき死体にはそれがない。『死んだ』という事実だけの残った死体……なんて言ってもピンと来ないか。雫が殺した事しか分からないと言えば語弊なく伝わるか。


『その為に電話をしました。今後は捜査に加わってくれると助かります』


「仕事はどうせ夏しかないから構わないけれど。ぶっちゃけ僕は警察じゃないからさあ~、違法捜査みたいな事やっても尻ぬぐいはそっちでしてくれよ?」


『そのつもりです』


 電話が一方的に切られた。相変わらず色気の欠片も無い電話だった。




「七凪雫は殺されなければならない……まあ、それが世界の為ってもんだよね♪」

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