俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

Law&Dark

 どう思い返してもそんな記憶はない。しかし記憶の操作が事実なら思い出せないのはそのせいであり、実際は……


『七凪雫は何らかの理由で貴方を腑抜けにしようとしている。活躍した記憶が無いのはそのせいです。皆が嘘を吐いている様に見えますか? 仮にそう見えたとして、では私に嘘を吐くメリットはありますか? 貴方は私に協力してくれたいわば友人。私を信じてください向坂君。きっと私は、最後まで貴方の味方です』


 凛原薬子はそう言っていた。自分の記憶すら信用出来なくなった今、最早誰を信じればいいのだろう。雫も薬子も悪い人間には……いや、雫は悪い人間なのだが。俺を裏切るとは思えない。考えたくも無い。

 胸を揉ませてくれる人間に悪い奴は居ない! …………と言いたいが、俺を掌握するつもりと言われたらそれまでだ。しかし掌握する意味とは? 雫はわざわざ己の能力を明かしてまで俺を頼っているのだからあり得ない筈。掌握したいなら能力を明かさず名前を聞けばそれで済む話ではないか。


 ―――あーもう、考えるのやめた!


 記憶に一切の出来事が見当たらないが、それはそれとして薬子の計らいで俺は一躍人気者になってしまった。これに乗らない手はないだろう。記憶を消すべきは虚言癖と弄られ蔑まれていた部分であり、雫の言う通りきっと俺は人格者だったのだ。

「柳馬。一緒に帰ろうぜ~」

「柳馬君、今日暇? 遊びに来ない?」

「柳馬ってよく見たらかっくいーよねー!」

 痴漢魔を撃退したという事で、主に女性からの人気が上がった。虚言癖とされていた頃とは偉い違いだ。格好いいなんて初めて言われた。記憶にない事で褒められても複雑だが、格好いいと言われて嬉しくない男子はそう居ない。

「いやあはははは! それ程でもあるけど……いやー参ったなあ!」

 今の俺ならどんな女子に告白しても成功する気がする。痴漢魔を撃退した話は他クラスにまで及んでおり、クラスのグループチャットでは俺が話題に上りっぱなしらしい。モテる男が辛いとは何の冗談かと今まで思ってきたが、遂に俺もそちら側へクラスチェンジ。気持ちが良く分かった。確かにこれは辛い。

 黄色い悲鳴的な意味で。

「…………騙されないで」

 密やかに声を掛けてきたのはマリアだ。周囲の熱が唯一伝導しておらず、その声は悲し気に落ち着いていた。他のクラスメイトの熱に浮かされていた俺からすれば現実まで首根っこを引っ張られたみたいで良い気はしない。

「え?」

「貴方は貴方だから。じゃあね」

 人気者の筈の俺を置き去りに、彼女はさっさと帰宅してしまった。圭介達の一件から部活動は短縮を余儀なくされているが、帰ったという事は今日は部活が無いのだろうか。『騙されないで』という言葉が引っかかるが、今それを気にするとまた暗い頃に戻ってしまいそうだ。頭の片隅に止めておく程度で終わらせておこう……でも。

 マリアは夕音の時も警告してくれた人だ。今回の件についても何か知っているからああ言ったのかもしれない。雫や薬子とは別に、俺はマリアにだけはある種の信用を置いている。

「ごめんみんな。俺、今日はまた別件があるから!」

 薬子の仕事仲間になると頷いた覚えはないが、こういう状況を切り抜ける時には有用だ。鞄を片手に俺はマリアの後を追う。

「マリア、待ってくれ! 今のって一体どういう……!」

 こういうのを逃げ足とは言わないが、もう姿が見えない。昇降口まで降りても同じだ。歩きの速度ではまず姿が見えないなんて考えにくいのだが途中で走ったのだろうか。俺を避ける理由が無いので、本当に理由があったのかもしれない。

 一応校門まで走ったが彼女の背中が見える事は無かった。骨折り損の何とやらだ。そんな大した距離でもないのにどっと疲れが込み上げてきた。足取りが重いのはそのせいだ。もしくは何者かのトラップにより靴裏に鉛を仕込まれたか。

 そんな重い足をどうにか学校の外へ出した瞬間、何かが頭上を過った。それは俺が上を確認するよりも早く前方に現れ、前転を以て受け身を取り着地した。

「向坂君。一緒に帰りましょう」

「うええ!? く、く、薬子ッ。お前どっから出て来たんだよッ」

「屋上で外を観察していたら貴方の姿が見えたので跳んできました」

「跳んできたってお前…………」

 屋上から校門の外まで直線距離で結んでも六十メートル弱はある。無事で済むかはさておき足元に落ちるだけなら誰でも出来るが、そこまで跳べるといよいよ人間を辞めていると言っていいだろう。コンクリートの破片や草っ葉が制服に付着しているので払ってやる。女性は身だしなみに気を遣うと思っていたのだが、彼女に関しては結構ずぼらだ。受け身を取ったなら土埃くらい払えと。

「貴方は七凪雫に目を付けられている。一人で帰ろうとするなんて自殺行為です。昨日はトラブルがありましたが、今日は大丈夫でしょう。家までお送りします」

 大丈夫と言っても確実に聞き入れてくれないので、問答の前から俺は諦めた。雫が襲うとは思わないが、安全である事に変わりはないのでお言葉に甘える形だ。家の前まで来られたくないが、その理由を雫抜きに説明出来る自信はないので仕方ない。超感覚が作動しない事に賭けるしかない。

「考えてくれましたか? 私の仕事を手伝ってくれるか、という話は」

 そう言えば保留にしたのをたった今思い出した。と言ってもあれは考えを整理したかっただけで俺の返事は最初から決まっている。

「俺、何も手伝えないぜ?」

「建前で構いません。それに痴漢魔を制圧した際に協力したではないですか」

「いやまあそれはそれとして……だって薬子の協力ってなんか捜査するって事だろ? 一般人が何の協力出来るんだよ」

「建前で構わないと言った筈です。元より貴方を保護する為の判断なのですから」

「いやでも……」

「信用出来ませんか?」

「いやそういう訳じゃ……」

 薬子の足が止まった。

「では私の家で住みませんか? お望みならば貴方の家族も連れてきて構いません」

「ではって何の代替案にもなってないだろっ。何でそこまで守りたいんだよ!」

「人命第一なのは当たり前では? 安心してください、何も怖い事などありません。衣服も提供しますし、三食も万が一がないように私が作ります。寝台は私と共有して、入浴も私と同じ時間に行いましょう。朝は貴方の望んだ時間に起こしますし、その他要望があれば承ります。今よりも確実に快適な暮らしを約束します。悪い話では無いと思いますが」

「……俺に血の臭いがついてるからって、他の人が狙われないとも限らないぞ。何でそこまで固執するんだ」

「七凪雫を捕まえる為です」

「だからって決め打ちしすぎだろ。リスクの分散って知らないのか?」

「血の臭いからして、貴方は相当気に入られている。ならば貴方を管理下に置いておけば雫は必ず姿を現す。違いますか?」

 違わないと思う。俺が帰宅し無くなれば彼女は自らを危険に晒してでも取り戻しに来るだろう。夕音が正にそうだった。どうやってか知らないが動物の中にも隠れられるみたいだし、彼女を通さないためには文字通り虫一匹通れない環境を用意する必要がありそうだ。

「……ほ、ほら。家族の件については俺が決める事じゃないからさ」

「ならば今すぐ許可を取りに行きます。誤解を招くとは思いますが、貴方の恋人という事にしていただければ事は円滑に進むと思います」

「ええええ! ちょっとそれは……分かった! 待って、それだけは待ってくれ! 俺から……その、話すからさ。家に来るのはやめてくれ。な?」

「何故断るのですか? 貴方の要求がどんな物であれ、例えば下品で煩悩に溢れた頼みであったとしても承るつもりなのに」

「そういう問題じゃないんだよ! とにかく、ね。家に来るのはやめて。話がややこしくなるから!」

 表情と同じくらい薬子の頭は固かった。この場合は意思と言うべきか。付き合いが浅いせいもあるが相変わらず表情が読めない。

「……分かりました。では代わりにこれを」

 そう言って彼女がポケットから出したのは一枚の紙きれだった。そこには電話番号が書かれており、状況から察するにこの番号は彼女に通じている。

「私がプライベートで使っている携帯の番号です。何か助けが必要な時に連絡してください。三分以内に駆け付けます」

「ファストフードかよ」

 受け取り拒否まですると流石に怪しまれるだろうし、そうでなくても傷つけてしまう可能性が高いので一応受け取っておく。使うかどうかは分からない。雫の手前、使わないというより使えないかもしれない。

「…………用が無い時も、是非」

「え?」

「……何でもありません。どうぞ好きに使って下さい。私なりの誠意です」

 薬子がそっぽを向きながら、照れ臭そうに呟いた。やはり声音に乗る感情だけは分かりやすい。その判別方法はもしかしなくても他の人間だってやっているだろうが、今だけはどうか俺だけの方法として優越感に浸らせてもらいたい。

 ちょっとした意地悪のつもりで彼女のポケットに手を突っ込み、中に入っている手を無理やり握る。薬子の表情は眉一つ動かず、仮面の様に不動だった。しかしながらポケット内の手は恥ずかしそうに俺の手を避けており、それでも握るとすっかり大人しくなってしまった。

 単純に嫌がっているという線は考えにくい。距離を離せばいいだけなのに離さないし、何よりポケットから手を抜こうとしたら今度は彼女の手が引っ張ってくるのだから。

「…………お返しです」

 本当に顔以外にはよく出る女性だ。

 ちょっとした意地悪のつもりだったのに段々俺も恥ずかしくなってきた。

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