俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

掌から落ちて

人には癖というものがある。それは食べ方であったり、歩き方であったり、会話の時であったり、一人一つとは限らないにしても、必ず存在する。俺個人は無いと思っているが、側から見ればきっと何かある。

 彼女の癖に気がついたのは去年の体育祭の時だ。あっちこっちの走り回る彼女が視界に入った時に気づいた。

 それ以上の話はなく、オチもないのでだから何なのだという話だが。世の中何が役に立つか分からない物だ。

「待てよ、夕音! お前何で俺を殴った!」

 目出し帽の人物の正体。それは岬川夕音である。だが本人であったとしてもここで反応はしないだろう。何の為の目出し帽だ。第三者から正体がわからない事に意味がある。彼女はドンドンと俺の知らない場所へ走っていく。

 だが彼女がどれだけ走ろうと俺を引き剥がす事は出来なかった。歩幅の利、体格差の利、根本的な体力の利。まともな追いかけっこならまず追いつける。何処ぞの薬子みたいにパルクールを習得しているなら逆に勝ち目はないが、あんな危なっかしい動きを習得されてたまるか。

 とはいえ曲がり角や信号を使ってくるのは厄介だ。俺はいつから無機物に嫌われだしたのか、信号は俺が差し掛かった時に丁度赤になる。これが非常に面倒臭い。足は止めないのだが、車の隙間をぬって駆け抜けているので後で怒られても全然不思議はない。町で噂の問題児に認定される可能性もあり得る。

 では追うのを止めるかと言われればやめない。ここでやめたらまたいつ襲撃されるかわかったもんじゃない。

 それに学校を休んでまで俺を襲撃しようとしたのには理由がある筈だ。クソみたいな目にしか遭わされていないが、岬川夕音は善寄りの人間だ。それだけは勘違いしちゃいけない。悪は俺だ。

 多くの夢見がちな人間は彼女が善ではないと言うだろうが、ならば聞こう。この世に完璧な人間はいるか?

 失敗せず、間違えず、やる事為すこと全てが正しく、本当の意味で善良な存在は居るか?

 どんな悪人も気まぐれで善行をしてみるように、善人もまた気まぐれに悪行をする。それだけの話だ。一応フォローしておくと、犯人探しは彼らなりの善意なので悪行にはならない。この場合の善悪は飽くまで主観故。

 そんな善良な彼女が明確な殺意でもって俺を襲おうとした理由、気になるだろう。道中、俺と雫が出会った工場跡を見つけた。残念ながら今は立ち入り禁止中だ、警察以外誰も立ち入れない。

 あそこに入るのかと思っていたが、金属バット片手に侵入したらカチコミ仕掛けた様にしか見えない。夕音は普通に通り過ぎた。何処へ行く気なのだろう。


 ―――普通に逃げるんじゃ追いつかれるぞ?


 時間稼ぎにはなるが、稼いだ所でどうにかなる状況ではない。夕音が取れる選択肢は二つ。諦めるか、どうにかして俺を撒くかだ。俺を撒く手段があるならさっさと使わないと息切れを起こすだろう。無いならさっさと諦めて欲しい。俺だって疲れたくないのだ。

「夕音! やり返したりしねえから止まれって!」

 彼女はそれでも止まらなかったが、この程度で止まるなら逃げたりはしない。言うだけ言ってみただけだ。

 子供の頃でさえ無かった全力の鬼ごっこが続いて五分あまり。夕音の姿が建物の中に消えた。

 足を止めて、外観を眺める。


 ……何のつもりだ?


 彼女が逃げ込んだ先は廃病院。立ち入り禁止なのはさておき外周を鉄柵で覆われているので、夕音は自ら逃げ道を絶った形になる。

 逃走の最中に心変わりしたとは考えにくい。自らも侵入してから、念の為近くに置いてあったゴミを崩しておく。取り除けば通れるが、あそこまでヘトヘトになった彼女にそこまでの気力が残っているかどうか。細心の注意を払いながら、俺は病院の内部へ足を踏み出した。

 その、直後。

「うおッ!」

 案の定、夕音は不意打ちする気満々だった。玄関近くの壁に潜み、追従せんとする俺を迎撃してきた。幸いなのは彼女に腕力がなく、遠心力とバットの重さを使っている事。素人目に見ても軌道が丸分かりで、紙一重は無理だが大袈裟に避ければ問題無い。

 叩きつけられた壁に罅が入った。漫画じゃあるまいし、あんな攻撃は身体の何処に当たっても致命傷だ。絶対に躱さなければ。

「フフ、ふふふふふ」

「……?」

 不意に彼女が笑い出したと思えば、答え合わせをするかの様に目出し帽を取った。やはり岬川夕音だ。驚きは微塵もない。

「夕音。何で俺を襲った?」

「襲った? 襲うつもりだったの間違いでしょ? どうして私の目論見が読めたの?」

「一回殴られてる。でなきゃ警戒出来ない」

「そう。そうやって煙に巻くんだ。私知ってるのに。貴方が七凪雫死刑囚を匿ってる事」

 目は口ほどに物を言う。誰にも知られていないと思っていたばかりに俺は目を見開いて何度も瞬かせてしまった。夕音は確信を得た―――否、最初からその反応を見越していたかの如くクスクス笑った。

「私ね、天の声が聞こえるの」

「は? ……急にどうした」

「天の声がね、全部教えてくれたのよ。貴方が七凪雫に三人の名前を教えて、殺したって」

「…何だって?」

 情報量が昨夜と違っている。しかも俺でさえ理屈を把握出来ていない殺し方まで知っている。遂に幻聴を聞きだしたのかと思ったが、天の声は幻ではなかった。

 証拠を見せろと言いたいが、あの場面をそのまま見てきたかの様な言い草に俺は反論出来なかった。一体誰が監視カメラに対して『これはお前の妄想だ』と言えるのだろう。

 それくらい的確なのだ。

「とぼけないでよ、柳馬君。七凪雫に名前を教えた人間は意のままに操られる。貴方もそれを分かってるから教えたんでしょ」

 疑問ではなく、確信。しかしそれを言ってくれて、俺は少しだけ安心した。本当にそのまま見てきた訳ではない様だ。

 ただ、もしそれが本当なら名前を聞かないという条件が彼女にとってどれだけの慈悲だったか分かる。七凪雫にとってはあれこそ『殺さない保証』だったのだ。

「しょ、証拠を出せよ。俺が故意に三人を殺したって証拠を」

「証拠なんて必要ないわ。だって天の声が教えてくれたんですもの。ええ、そう。私は選ばれたの。正義の鉄槌を下す使者に」

 本格的に頭がおかしくなっている。天の声はほぼ正確な情報を彼女に与えたが、だからと言ってそれを頼りにするのは法治国家生まれのやる事ではない。

 説得も対話も不可能となると、俺に出来る事は彼女を撃退するか逃げるかだけ。


 状況を整理しよう。


 廃病院に高校生が二人。岬川夕音の得物は金属バット。対する俺は素手。バッグは学校に置いてきた。というか投げ捨てた。

 中学生の妄想じゃあるまいし、バットを持った人間相手に勝てるとは思っていない。格闘技の心得もないんじゃ尚更だ。

 逃げるにしても待ち伏せを躱す際に院内へ逃げてしまった事で、現在、正面玄関は夕音に占拠された形になっている。

「……柳馬君。私ね、悲しいの」

「あん?」

「私だって馬鹿じゃない。急に聞こえてきた声がどんなに正しくても、貴方を殺そうとは思わなかったよ? ……貴方が」

 夕音の手がバットを強く握りしめた。

「貴方が圭介さえ殺さなかったら!」

「うおッ!」

 乱雑に振り回されたバットを大袈裟に躱す。今更言うべきでもないが天の声とやらが後押ししてくれたせいで彼女は完全に正気を失っていた。

「圭介! 大好きだったのに! 私の圭介!」

「落ち着け! なんだお前、アイツと付き合ってたのかッ?」

「付き合えるもんなら付き合ってるのよぉ!」

 疑問を返しただけのつもりが火に油を注いでしまった。半狂乱でバットを振り回す夕音は見るからに隙だらけだが、そこに付け入る事が可能な程俺に喧嘩の心得はない。俺みたいな素人は実際に命中するよりも早く『命中した未来』を体感して目を瞑ってしまうのだ。大人しく病院の端から階段を駆け上がり、彼女の間合いから逃げる。

「圭介を何で殺したの? ねえ何で?」

「……殺すつもりなんてなかったけど。強いて言うなら、虐めてきたからだな」

「アンタは死んでないからいいじゃん! その程度の事で殺すなんて…………ああ圭介、私の圭介。どうして瑞希と秀冶だけ殺さなかったの?」

「は、はあ?」

「二人だけ死んでくれたら……傷心してる圭介を慰める事ができて、そこから恋人になれたかもしれないのに……」

 前言撤回。

 夕音は元々狂っていた。その異常性が表面化していなかっただけ。彼女だけは善良でも何でもない。

 弱みにつけ込もうとする奴の何処が善か。善良であってたまるか。

「……殺されたくない?」

「……見逃してくれるのか、この状況で」

「七凪雫の居場所を教えてくれるなら、見逃してあげる」



「じゃあ見逃さなくていい」



 考えるより先に言葉は出来上がっていた。俺にはその答えしか用意されていなかった。

 殺意を携えた瞳を据えて、夕音が首を傾げる。

「どうしてかばうの?」

「お前は七凪雫を利用して俺が殺したって思い込んでる。雫の場所を教えたからって俺を見逃してくれるとは思えない。お前にとっちゃ、俺が真犯人なんだからな」

 だからかばう。

 俺だって死にたくない。

 雫にも死んで欲しくない。

 殺したのは彼女だが匿ったのは俺。あの行動を取った瞬間から俺達は運命共同体だ。何を交換条件に出されても、あの優しい死刑囚を裏切ろうとは思わない。

「…………そう」

 夕音の声から、温度が消えた。






「じゃあ、死ねよ」

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