俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

這い寄り囁く死の足音

 意識の快復と共に視界が開ける。頭を動かした瞬間、頭部に強烈な痛みが花開き、再び俺の身体を地に伏せさせる。

「……ここは」

 何処だ?

 古ぼけた民家にも思える空間だが、窓の外には無限の闇が広がっている。現実世界にこんな場所があるとすれば地底の底くらいなものだが、さっきまで学校に居た俺がそんな場所に居るのは現実的じゃない。試しに頬を抓ってみる。


 ―――痛くない。


 ならば夢、か。

 しかしここまで意識が明瞭な夢は初めて見た気がする。痛みが実感出来ないのを除けば現実世界と全く変わりない。夢は記憶の整理とも言われているが、こんな民家は俺の記憶に存在しない。基本的に外出はしない方針なので記憶内の風景がどうなるかは大体予想がつくのだが、これだけは心当たりが無い。

 夢の中で行うべきかは分からないが、ここまでの状況を整理すると、手紙でゴミ捨て場に呼び出されたと思ったら急に頭を殴られた。細かい部分は省くとしてそんな感じだ。振り返った瞬間前方から殴られたので犯人の姿は視界に入っている筈だが不思議と思い出せない。頭を強打されて記憶が飛んだか、突然すぎて認識する暇が無かったか。いずれにしても作為的なのは理解出来る。学校の敷地に通り魔が居てたまるか。

 早く目覚めないと雫に心配をかけてしまうので何としてでも夢から目覚めたいのだが、痛みを感じないのでは刺激が与えられない。さりとて只待っているのも退屈なので、俺はこの記憶にない建物を歩き回ろうと決めた。

 家の構造は単純で、一階と二階を木製の階段が繫いでいるのみ。どちらも大きな部屋が一つあるだけ。近代の家にしてはあまりに簡素すぎる。俺が居る場所は二階で、部屋の隅にはベッドが設置されている。その簡素さ故に見通しが良く、ここで周囲を見渡すだけで部屋の状況が確認出来るのは長所か。二階に人がいないと分かったので、一階へ。

 階段の一段目を踏みしめると、嗅いだ事もないきつい臭いが俺を噎せ返らせた。

 強烈な光と音を浴びると人はその場で蹲ってしまうが、俺はその臭いが強すぎてその場にひっくり返ってしまった。階段に腰を打ち付けてしまい悶絶する。痛みはないのに、身体は反射的に腰を抑えていた。




「…………だ…………れ……?」


 


 記憶とは五感全てで感じた情報の事だ。つまり面識さえ有れば記憶に出て来ても不思議ではないのだが、その弱々しくも可憐で、今にも消えてしまいそうなか細い声は聞いた事がない。交流のないクラスメイトという可能性もない。声くらいは覚えている。

 立ち上がろうとしても腰が言う事を聞かない。声は確実に俺の存在を知覚しており、反応がなくとも喋り続けている。

「……村の…………人?」

「村……?」

 村とは何だ。ここは村なのか? しかし俺が住んでいる場所は村ではない。昔にタイムスリップした? 何で?

「ち、違いますけど」

 夢は荒唐無稽と知っているが、それにしても本人を振り回しすぎだ。夢の何処かに俺の知っている要素があればまだ安心出来たのだが、今の所全てが未知。

 そもそもこれは夢なのか?

 夢じゃないなら何なのかは分からない。けれど記憶の整理と呼ぶには知らない記憶ばかりである。

「……………お願いします。助けて…………」

 そろそろ腰の痛みも引いただろうか。感覚がないので分からない。恐る恐る腰を再度持ち上げると、今度は動いた。



 女性は机の上で倒れていた。それも両手足を引き裂かれた状態で。



 猛獣の類にしては精密な傷跡。八割以上を持ってかれた四肢は骨も肉も丸見えで、皮膚はまるでその役目を果たせていない。露わになった四肢からはまるでついさっきの出来事と言わんばかりに鮮血が床に滴っている……というより、ドロドロ流れている。

 人間であれば失血死は免れない状況で、女性は生きている。夢らしい非現実さに拍車を掛けたとも言いたいが、その光景の生々しさに、俺は改めてこれが夢なのかを疑問に思った。

 極め付けに女性の喉は切り開かれ、中に小銭をしこたま入れられ、がま口財布の様相を呈していた。控え目に言っても言葉を発せる状態ではない。なのに女性は喋っている。

「………………助…………」

 俺だって助けたい。でもその凄惨な身体に触れるのを本能がどうしても拒絶してしまう。ロクでもない事に、俺は今にも死んでしまいそうなこの女性を汚いと思っているのだ。

「お願い…………お願…………」

 腹の底から湧き上がってくる不快感を抑えつける。手を伸ばしていく程震えが大きく、激しくなっていく。

 それでも手を伸ばし、女性の身体に触れた―――

 瞬間。





「タスケテよおおおおおおおおおおおおおお!」













「ごもおおおおおお!」

 意識が明滅。恐怖から出た叫び声は、しかし掻き消されてしまった。

「やあおはよう。気持ちよく眠っていたと思えば凄い寝覚だなあ。悪い夢でも見た?」

 そう語りかけてきた声だが、今度こそ聞き覚えがある。七凪雫の声を聞いた瞬間、俺は自分の置かれている状況を把握した。

 声が出せなかったのは、彼女の胸に顔を埋めているからだ。


 そしてあれは……夢?


「……し、雫さん」

「雫で良いよ。恋人なんでしょ? 私達」

「……怖い夢、見ました」

 こんな歳にもなって夢で怖がる日が来るとは思わなかった。いや。夢に年齢制限は無いのだが、最近は夢なんてめっきり見なくなっていたから耐性がなくなっていた。

 雫さんは俺の身体に足を絡め、背中ではなく後頭部腕を回して抱え込んだ。息が苦しい。何も見えない。でも安心する。

「怖かった?」

「怖かったです。雫……もう少しだけ、このままでもいいですか?」

「フフフ。いいよ、君が満足するまでずっとこうしててあげる。家族に怪しまれても知らないよ?」

「…………」

「はいはい。意地悪してごめんよお。服の上で良ければ好きなだけ身体を弄ってもらっていいから。よしよし、怖くなーい、怖くなーい」
















 

 あれが夢だとするなら、何処が現実なのだろう。

 体感二度目の『今日』に俺は疑問を抱いていた。今まで眠っていたとするには普通に学校生活も送ったし、マリアとも会話した。鈍器の様な物で殴られた記憶も痛みも確かに憶えている。あれが夢だったとは到底思えない。

 しかし夢としなければ現実の整合性が取れない。時間が戻ったとでも言うつもりか。

「…………」

 下駄箱にはやはり手紙があった。内容も全く変わらない。夕音が教室に来ず、皆が集まっていて、マリアが俺に注意勧告をしてくる。

 予知夢だとでも言うのだろうか。しかし俺はお化けと予知夢どちらを信じるかと言われたら間違いなく前者だ。お化けの方が居そうな気がする。

「……」

 放課後になった。放課後にゴミ捨て場。しかし最初に向かった時は何かでぶん殴られてしまった。あまり気は進まないが、同じ轍は踏みたくない。俺はゴミ捨て場から少し離れたところで待ち合わせ場所を一望する事にした。

 これなら殴られる心配はない。

「……ん?」

 見慣れた景色の面影に変化が生じたのは前回同様、待機していた時だった。

 金属バットを持った目出し帽の人間がゴミ捨て場に現れたではないか。裏口(非常口でもあるので基本使用禁止)から来ない限りは確実に背後を取られるだろう。非現実性の恩恵に与るのは業腹だが、アイツに俺は殴られた訳だ。

「おいコラ!」

 逆に背後を取ったから蹴りの一つでもかましたくなったものの、それでは正当防衛が成立しない。他の人の耳にも聞こえるくらいの大声で声を掛けると、目出し帽の人間は逆方向に逃げてしまった。

「あ、おい! 待てって!」

 逃してたまるか。俺はバッグを放り捨てて身軽になると、全力で奴を追った。体格差では俺が有利。歩幅の利が覆らない限りは確実に追いつける。






 ―――あの走り方は。



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