プロレスリング・ショー ワン・ナイト・スタンド

まえはらはかせ

ジャンピン・ジャック 

 俺は今、がけっぷちに居る。
 もちろん比喩的表現って奴さ。

 正確には、脚立の上だ。より正確には、15000人の観客が見守る中、高さ8メートルの脚立の上に立っている。
 真夏の太陽並みに明るいスポットライトが当たり、カメラのフラッシュが俺の一挙手一投足をメモリーカードに収めている。
 会場は興奮の坩堝だ。俺の眼下にはリングの上で横たわる男が、俺が繰り出す最後の一撃を待っている。

 脚立のてっぺんで俺は鳥の様に両腕を広げる。甲高い歓声が俺を包み込んだ。
 皆は俺のことをこう呼ぶ。

「──破滅的! 殺人的! そして自殺的! 空飛ぶ狂人、ジャンピング・ジャック!」

 死ぬのが怖くないかのかって、いつもファンが聞いてくる。俺はその度に同じ答えを返す。
「死ぬよりも、ファンの記憶から消えるほうがずっと怖い」

 ハッ、笑わせる、ひどい嘘だ。死ぬほうが怖いに決まってるだろ。
 今だってこの不安定な脚立の上で、本当は足が震えている。
 まるで俺の人生そのものだ。






 昔話をしようか。
 子供の頃の俺はひ弱で、病気がちだった。いつも家のベッドで熱にうなされながら見ていたのは、TVのプロレス番組だ。
 筋肉隆々の大男達が派手に殴りあうのも良いが、それよりも身体の小さなファイターがリングをところ狭しと走り回り、ロープに昇って己の肉体一つを武器に、飛び交うのを見るのが好きだった。

 この世界に入ったのは当然の流れだった。身体を鍛え、道場に入門し、徹底的に受身と飛び技を練習した。
 そのとき判った事がある。俺は実は高所恐怖症だったんだ。
 飛び技で使うコーナーポストの高さは120センチ。俺の身長が180センチだから、コーナーの上に乗った時、マットは約3メートル下にある。
 たかが3メートルと思うかもしれないが、大抵の奴は足がすくむはずだ。ウソじゃない、やってみてくれ。
 その頃からクスリに手を出していた。恐怖がまぎれる、魔法のクスリを。


 さぁ今夜の試合の相手はカクタスマンという名前のベテランレスラーだ。相手にとって不足はない。
 奴の顔面を殴りつけ、動きを止める。パンチの時にマットを踏みつけて大きな音を出すのがコツだ。
 一発、二発、三発。観客が一緒にコールする。五発目のパンチが成功したら合図だ。
 俺はパンチを受けてフラつく相手を尻目に、ロープに向かって全力でダッシュする。丁度いい助走距離は事前に測ってある。
 そして一飛びに最上段のロープに飛び乗り、反動をつけて背後に居るはずの相手に向かって飛び掛る。

「──なんという身体能力! スワンダイブ式のムーンサルトプレスが決まった!」

 普通はいちいちトップロープに昇って繰り出す大技だが、俺にとってはこの程度は朝飯前の繋ぎだ。

 俺はプロレスラーとしては小柄な部類に入る。
 でかくて筋肉マッチョの方が絵面が映えるから、体重100kg未満のクルーザー級はそこまで人気ではない。
 ヒョロガリ野郎は受けが悪いのさ。
 だがチビがバカでかいヘビー級を相手に、パワーではなく技術と度胸を武器に戦うってのは格好いいもんだろ?

「──ジャック・ナイフ! ジャック・ナイフが決まった! 体重が40キロも違うカクタスマン相手に一歩も退かない立ち回り!」
 正面から相手の両腕を抱え込み、そのまま尻餅をつく要領で後ろに倒す。相手はまともに受け身を取れないまま頭からリングに突っ込むわけだ。俺の名を冠した技だ、イカすだろ? 

 だが今日の俺の本命の大技は、場外へ落とした相手への「ウラカン・ラナ」だ。
 トップロープから飛び降りて相手の両肩に飛び乗り、そのまま後ろ向きに倒れこんで相手の足を抱え込む必殺技だ。
 宙を舞う俺以上に、受ける相手にかなりの技術を要する派手な技。
 互いの信頼が大事だが、幸いなことに今夜の相手は熟練だ。まるで夫婦みたいに息が合う。

 この大技が決まれば観客への受けは最高。だが失敗する事も多い。

「──ジャンピング・ジャックが場外の鉄柵に突っ込んだ! コレは痛い自爆です!」

 怪我は日常茶飯事だ。全身のいたるところを骨折したし、内臓が破裂寸前までいった事もある。
 長年酷使した膝も腰もガタガタで、テーピングと強い鎮痛剤なしには歩くことすらできない。
 クスリの量はますます増えた。ドクターストップなんか、ははっ!全部無視だ。俺には通用しない。

 人気が出るほどに試合が怖くなった。失敗して怪我をするのも恐ろしいが、何よりもいつかこの観客たちの声援を受けれなくなるのだと、そう思うと狂いそうなほどだ。
 人気絶頂の中、俺は結婚した。子供も出来たし、業界のトップスターに君臨した。
 順風満帆、人生の絶頂。みんなそう思ってただろうな。
 だが俺にとっては毎日が悪夢だった。スターである事にかかるプレッシャーは俺の心と身体をプレス機のように押しつぶしていた。
 もっと凄い試合を! もっと派手に! もっとヤバく!
 ……俺は疲れていた。良いレスラーで良い夫で、良いパパでなくちゃならない。
 俺にはどれも欠けていた。そう俺には一つもないんだ。


 俺を追いかけるパパラッチどもはネタに困らなかっただろう。
 なんせ俺は毎日酒とクスリにおぼれていた。
 路上でホームレスのようにラリって寝そべっていたり、会ったばかりの女とホテルに入ったりと酷い事ばかりしてきた。
 スキャンダルは暴露され、当然、人気は急下降。
 しかも当時は会社の方針で業界全体をよりクリーンなイメージで売っていこうとしていた矢先だ。
 俺みたいな不良レスラーはお払い箱だったんだ。
 試合は減り、収入も減ったが酒の量は逆に増えた。
 そして女房も俺に愛想をつかして出ていっちまった。

 俺に残ったのは落ちぶれレスラーという不名誉と、毎月の養育費の支払いだけだ。
 まさに崖っぷち。いやとっくに崖から落ちていた。

 歳も取った。長年の酷使とクスリで身体もボロボロだ。
 人気を取り戻せるほどの、以前の様なハードな試合はもうできない。


 じゃぁなんで今俺はこうして大舞台でラダーの上に立ってるのかって?

 それは寒い日だった。俺はいつもの様に酒を飲み続けて、道の端っこで眼を覚ました。
 40ozのビール瓶を抱えて、ポケットに入ってるはずのクスリの袋を探していた。
 往来のど真ん中だってのに、誰も俺の事を気にも留めない。当然だ、酔っ払いの行き倒れになんか誰も興味を持つもんか。
 そこにあの娘が通りかかった。10歳くらいだろうか母親に車椅子を押してもらいっていた。ピンクのドレスを着たお人形みたいな可愛らしい女の子だ。
 ほんの一瞬、俺と目が合ったあの娘は、俺を指さして騒ぎ出した。母親は必至で止めようとしてたよ。まぁ当たり前だよな、俺はあきらかにヤク中の不審者だ。
 
「待ってママ! 止めて!」

 それでも立ち去ろうとする母親に、業を煮やした女の子が甲高い声でヒステリックに叫んで、そしてついには車椅子から立ち上がった。
 俺はあっけに取られてそれを見ていた。母親も、信じられないといった表情だった。

「ねぇあなた、ジャピング・ジャックでしょう?」


 苦い思い出がフラッシュバックする。
「──ジャンピング・ジャックが敗北! 絶対王者がついに陥落しました!」
「ジャンピング・ジャック二度目の逮捕 補導した警察官を暴行……─
「ジャンピング・ジャックの名前で知られる、ジャック・ウィナー氏が離婚を発表……─」

 ジャンピング・ジャック…… 今の俺にとってはもはや聞きたくもない言葉だった。


「……ああ そうだ」

「ほらママ! やっぱりそうだった! こんな所で何しているの?」

「俺は…… そうだな、ちょっと休憩中だ」

「良かった! 少し休んだらまた飛んでくれるんでしょう?」

 ああ、なんてこった。ギプスを付けた、小さな震える足でその娘は必死に立っていた。
 そして薄汚く、ヒゲも剃らないでいた俺を真珠玉みたいなピッカピカの目で見つめるんだ。俺はつい、目を反らしちまった。


「俺はもう飛べない…… 俺が今なんて言われてるか知ってるか? もう飛べないペンギン・ジャックだ」

「そんなことない!  私、あなたの事が大好き! 元気に走って飛び回っているところ、もっと見てみたい!」

 母親もようやく俺に気づいたらしい。女の子の肩をそっと支えて言った。

「はじめまして、ジャックさん この娘はアニーと言います あなたの大ファンで、DVDも全部持ってるんですよ 来週、足の手術をするんです きっとこの出会いは運命でしょう どうか何か励ましてあげてください」

 立派な女性だ。俺は、畜生、俺は何を言っていいかわからなかった。酒とクスリが俺の脳みそまで腐らせちまってたんだ。

「アニー…… 手術が成功するのを祈ってる もしうまくいったらきっと俺の試合を見てくれ ……その時は最高のジャンプを約束する」

 俺は泣いたよ。泣きじゃくった。そして会社に向かった。
 自分を鍛えなおした。かつて以上のハードなトレーニングに耐えた。酒もクスリも全て絶った。
 それはこれまでのどんな事よりとてつもなく辛く、苦しい数ヶ月だった。だけどたった一人残った俺のファンのためだ。死んでもやりぬくと心に決めた。
 社長のフレッドはそんな俺に最後のチャンスをくれた。しかも年に一度の最高の大舞台を。
 人生最大の、もしかしたら最後の、ハードジャンプだ。






 さて話は追いついた。俺は8メートルの高さからリングを、そして大興奮の観客を見ろしていた。
 死ぬかもしれないと足がすくむ。


 俺は飛べるのか?


 ふと見た客席にあの子の姿があった。可愛らしいおさげをした、松葉杖を抱えた女の子。
 遠くてよく見えないがきっとアニーに違いない。俺はそう確信した。絶対にそうだ。
 急に恐怖が無くなった。それどころか今すぐ飛びたくて仕方なかった。見てろよお前ら。


「──破滅的! 殺人的! 自殺的! ジャンピング・ジャックが帰ってきた! すさまじい高さの脚立からダイブを敢行する!! ああーっ!!!」

 津波のような歓声。星の爆発のようなフラッシュ。ああ、俺はやっと克服できた。
 恐怖を、弱さを。あの日、ベッドの上で見たTVに写るスーパースターに、俺はやっとなれたんだ。

「──ジャックがピアサーに激突!! なんと! 凄まじい衝撃でリングが陥没してしまった!! しかしダメージが大きいのか!? ジャックは動けません! その隙にノーマンがピアサーをフォール! カウントスリー!! 三名が入り乱れるトリプル・スレッド・ラダー・マッチはノーマンの勝利で幕を閉じました!」

 試合には負けたが、いい気分だった。
 担架で運ばれる俺を、観客も同僚たちも、スタッフもみな拍手で送ってくれた。
 もちろんあの女の子だってそうに違いない。

 ファンサイトの掲示板にはこう書き込まれてるはずだ。ジャピング・ジャック、華麗なる復活!と。
 今日の試合は永遠に語り継がれる事になる。みんなの記憶に永久に残るのだ。
 俺が死んだあとも。

 ステージから離れ、扉は閉ざされた。スポットライトは消えて、真っ暗になった。
 観客の歓声もサイレンの音も、ずっと遠くに聞こえるだけになった。
 

 俺はジャンピング・ジャック。死ぬよりも、ファンの記憶から消えるほうがずっと怖い。

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