傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

結実 1

月日は流れて季節は巡り、光が亡くなってから2度目の夏が終わろうとしている。
あの時32歳だった私は34歳になり、短かった髪は腰の少し上辺りまで伸びた。
相変わらず企画二課の課長として仕事に打ち込む毎日だ。

今年の春、早川さんと田村くんが結婚した。
早川さんは二課の主任に、田村くんは一課の課長に昇進して、ますます仕事に励んでいる。
そんな早川さんが来年の早春にお母さんになる。
出産後も仕事を続けるそうだ。


この2年間で門倉と会ったのは3回だけ。
破産するほど戻ってきて口説き落としてやるなんて言っていたけれど、年末年始や夏期休暇でなければこちらに来る暇もないほど、今の職場は忙しいらしい。
この夏の休暇はこちらに来る都合がつかなかったそうで会わなかった。
転勤したばかりの頃は頻繁に届いていたメールも、最近ではあまり来なくなった。
ここ数か月は電話もない。
2年も経てば心変わりしても仕方ない。
誰かいい人でも見つかったのかな。

私は自宅と職場の往復をするだけの毎日で、仕事が終わって夜遅く帰宅した後、リビングのソファーに座って缶ビールを飲む。
話す相手のいない一人の禊は寂しいものだ。
ビールを飲みながら、光のことや門倉のことを考える。

テーブルの上には光の3回忌の案内状。
早いな。
あれからもう2年なんだ。
今でも最後に会った日の光のことを鮮明に思い出す。
私の中で光はいつも、優しい目をして笑っている。


1年前、光の1周忌で藤乃と会った。
藤乃と会ったのは大学卒業以来だったと思う。
法要の後で思い切って声を掛け、近くの喫茶店に入って話をした。

私と付き合う前から光のことが好きだったと藤乃は言った。
私と光が結婚して夫婦関係がうまくいっていなかった時、藤乃は光からいろいろと相談されていたそうだ。

『私から誘ったの。やっぱり好きであきらめられなかったから』

友人の私に対する良心の呵責より、光を奪いたいという気持ちがどんどん強くなって、何度も光を誘惑したと藤乃は言った。
最初のうちは拒んでいた光も、私との夫婦関係がうまくいかないことへの不満やストレスが溜まり、私への当て付けのような気持ちで藤乃の誘いを受け入れたんだそうだ。

『だけど光は、私の向こうにいつも瑞希を求めてたんだと思う。何度も瑞希と呼び間違えられたし、私のことが好きだとは一度も言ってくれなかった』

二人は私たちの暮らしていた部屋で何度も抱き合っていたらしい。

『光はきっと瑞希に止めてもらいたかったの。泣いて怒ってうろたえて、愛してるから行かないでって言って欲しかったんだと思う』

すべてを失ってしまうかも知れないような危険をおかしてまで、私の愛情を確かめたかったんだろうと藤乃は言った。
あっさりと離婚の申し出を受け入れた私に、光は激しく失望していたそうだ。
そして自ら私との関係を壊してしまったことを激しく後悔して、藤乃とも距離を置くようになったらしい。

『結局、私はどんなに頑張っても光に愛してもらえなかった。きっと光は瑞希の代わりにそばにいてくれる人なら誰でも良かったんだ。でもホントは、そんなことしてる自分が許せなくて苦しくて、瑞希に抱きしめてもらいたかったんだと思う』

今となってはもうどうすることもできない過去の話だ。
光がどれだけ私を求めて自分自身の心を傷付けていたのか、改めて知ったような気がした。

喫茶店を出て別れようとした時、藤乃が『ごめんね、瑞希』と呟いた。
藤乃も光を想って私に嫉妬したり、どんなに愛しても愛されないことに悩んだりしたのだと思う。

誰もが愛する人に愛してもらえたら幸せになれるのに。
人を想う気持ちはまっすぐだったり歪んでいたり、曲がっていたりこじれていたり、本当に複雑だ。
何が正しくて何が間違いなのか。
どの道を選べば幸せな未来を歩けるのか?
その答はどこを探せば見つかるんだろう?

変わらない気持ちとか、確かな愛情とか、揺るぎない絆とか、『絶対』と呼べるものなんてない。
大切な人が変わらずそばにいてくれる今日は幸せだと思う。
一緒に過ごせることが当たり前になりすぎて私たちが見失ってしまったものは、きっととても大切なものだったんだろう。
光とはもうそれを一緒に見つけ出すことはできないけれど、次に人生を共にする誰かとは、同じ過ちをくりかえさないようにしようと思う。



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