傷痕~想い出に変わるまで~
別離 5
「悪くないけど……門倉の禊は済んだんだから、気を遣わなくていいよ。遠慮なく幸せになんなさい」
「ホントにムカつくな、おまえは。だったら遠慮なんかしねぇ。破産するほど戻ってきて口説き落としてやる」
なんだかすごい宣戦布告を受けてしまった。
こういうところは門倉らしい。
「ふーん。でも私の禊が終わるの待ってたら、門倉はおじいちゃんになっちゃうんじゃない?」
「確かにな。新卒の初々しい新入社員が、今では立派な課長だよ」
ん……?なんのこと?
確かに門倉も私も大学を卒業してすぐに入社して、今では課長だけど、それがどうかしたのかな?
「どういうこと?」
「この際だから教えてやる。俺は新入社員の時からおまえが好きなんだよ」
「えっ?」
「おまえが結婚してたから何も言わなかったけどな。俺もその後結婚したけど離婚したし、こっち戻ってきたらおまえも離婚してたから、ずっと狙ってたんだよ」
それは知らなかった。
私はずっと門倉にロックオンされてたのか。
私は気付かないうちに、まんまと門倉の手の内に捕らえられていたってわけだ。
「狩人みたい。気が長いんだね」
「そうでもねぇ。なんなら今すぐ噛みついてやろうか」
「それはやめて。約束やぶると光に怒られるから。光の最後のお願いだからね。ちゃんと全うしないとあの世で合わせる顔がないよ」
「あの世でって……婆さんか、おまえは……」
門倉は呆れた顔をしてビールを飲み干し、おかわりを注文した。
「俺もあいつにでかい口叩いたからな。中途半端で引き下がるわけにはいかねぇんだ」
なんのことだろう?
門倉が光と個人的に話したことなんてあったのかな?
「それ、なんのこと?」
「おまえが会社で倒れて入院したってあいつに電話した時にな……。本当に篠宮が好きなら傷付けるのはやめてくれって言ったんだ。俺が何言っても篠宮はあんたを選んだんだから、せめて大事にしてやってくれって。幸せにする気がないなら早く身を引いて篠宮を俺に任せてくれ、俺が必ず幸せにするからってさ」
「えっ、そんなこと言ったの?!」
私の知らないところで、門倉は光にそんなことを言ってたのか……。
だから光は……。
「余計なお世話だったか?」
「ううん……。おかげでさ……別れる少し前の光は昔よりも優しかったし、すごく大事にしてくれたよ。ありがとね」
ほんの束の間だったけれど、昔みたいに優しい気持ちで光と一緒に過ごせた。
お互いに素直に気持ちを伝えられたと思うし、光との最後の想い出を優しいものに上書きできたことは、本当に良かったと思う。
「お互いにすごく幸せだった頃に戻ったみたいに、優しい気持ちになれたよ。光のこういうところが大好きだったとか、楽しかったこととか……今はつらかったことより、幸せだったこと思い出すようになった」
「そうか」
「もう会えないって思うと余計にそうなるのかな。ますます次の恋は遠のいたかも」
「えっ」
ジョッキを傾けようとしていた門倉が目を見開き、ものすごい顔をして私の方を向いた。
「遠のいたって……具体的にどれくらいだ」
「んー……。せめて3回忌が終わるくらいまでは、光を偲んで禊続けようかな」
私の言葉に門倉は気が遠くなったのか、信じられないという顔をしている。
「3回忌って……丸2年もか!せめて1周忌までにしろ。おまえも俺も、もう33だぞ?!そんな悠長なこと言ってる場合かよ!」
「うん……そうなんだけどね。ちゃんと大事にできなかった分、もうしばらくは光だけの瑞希でいてあげようかなって。だから門倉は私に構わず新天地で新しい恋を見つけてよ」
門倉は大きなため息をついて勢いよくビールを煽った。
「……おまえ、俺のこと嫌いか?」
「ん?嫌いじゃないよ」
「じゃあ好きか?」
今は光のために門倉に気持ちを伝えるのはやめておこう。
門倉は転勤して私と離れたら、新しい恋人が見つかるかも知れない。
それを咎める権利なんて私にはないし、2年待ってくれというつもりもない。
せめて3回忌が終わるまでは他の人と恋をしないというのは、私の自己満足に過ぎないんだから。
「今は言わない」
「なんだよ。答出てんじゃん。じゃあ2年間俺にもあいつを偲ばせろ。まったく知らない仲じゃないしな。なんてったってライバルだし?」
もし光が生きていたら、門倉と仲良く酒なんか酌み交わすだろうか?
火花がバチバチ飛び散る修羅場になったりなんかして。
「光、門倉に偲ばれて喜ぶかなぁ……」
「バーカ。あいつとおまえを引き合わせたのは俺だっつうの。きっと俺に感謝してるだろ。それにさ、あいつを大事にしたいっておまえの気持ちも、おまえのこと好きなあいつの気持ちも、俺は大事にしたいんだ」
「ん……ありがとう」
月末、門倉は企画一課を去った。
『ちょくちょく戻って来るからな』と私に言い残して。
パーテーションの隙間から見える一課のオフィスに、門倉はもういない。
喫煙室にも、社員食堂にも、いつもの居酒屋にも。
コーヒーを買いに行くと、二十代半ばくらいの若い男性が自販機の補充に来ていた。
光ももうこの世にはいない。
大切な人との別れはいつも寂しい。
だけど今、私の心は穏やかだ。
つらかった過去を何度もくりかえし思い出していた頃のように、悲しさや虚しさが込み上げたりはしない。
大丈夫。
私は前を向いて歩いて行ける。
「ホントにムカつくな、おまえは。だったら遠慮なんかしねぇ。破産するほど戻ってきて口説き落としてやる」
なんだかすごい宣戦布告を受けてしまった。
こういうところは門倉らしい。
「ふーん。でも私の禊が終わるの待ってたら、門倉はおじいちゃんになっちゃうんじゃない?」
「確かにな。新卒の初々しい新入社員が、今では立派な課長だよ」
ん……?なんのこと?
確かに門倉も私も大学を卒業してすぐに入社して、今では課長だけど、それがどうかしたのかな?
「どういうこと?」
「この際だから教えてやる。俺は新入社員の時からおまえが好きなんだよ」
「えっ?」
「おまえが結婚してたから何も言わなかったけどな。俺もその後結婚したけど離婚したし、こっち戻ってきたらおまえも離婚してたから、ずっと狙ってたんだよ」
それは知らなかった。
私はずっと門倉にロックオンされてたのか。
私は気付かないうちに、まんまと門倉の手の内に捕らえられていたってわけだ。
「狩人みたい。気が長いんだね」
「そうでもねぇ。なんなら今すぐ噛みついてやろうか」
「それはやめて。約束やぶると光に怒られるから。光の最後のお願いだからね。ちゃんと全うしないとあの世で合わせる顔がないよ」
「あの世でって……婆さんか、おまえは……」
門倉は呆れた顔をしてビールを飲み干し、おかわりを注文した。
「俺もあいつにでかい口叩いたからな。中途半端で引き下がるわけにはいかねぇんだ」
なんのことだろう?
門倉が光と個人的に話したことなんてあったのかな?
「それ、なんのこと?」
「おまえが会社で倒れて入院したってあいつに電話した時にな……。本当に篠宮が好きなら傷付けるのはやめてくれって言ったんだ。俺が何言っても篠宮はあんたを選んだんだから、せめて大事にしてやってくれって。幸せにする気がないなら早く身を引いて篠宮を俺に任せてくれ、俺が必ず幸せにするからってさ」
「えっ、そんなこと言ったの?!」
私の知らないところで、門倉は光にそんなことを言ってたのか……。
だから光は……。
「余計なお世話だったか?」
「ううん……。おかげでさ……別れる少し前の光は昔よりも優しかったし、すごく大事にしてくれたよ。ありがとね」
ほんの束の間だったけれど、昔みたいに優しい気持ちで光と一緒に過ごせた。
お互いに素直に気持ちを伝えられたと思うし、光との最後の想い出を優しいものに上書きできたことは、本当に良かったと思う。
「お互いにすごく幸せだった頃に戻ったみたいに、優しい気持ちになれたよ。光のこういうところが大好きだったとか、楽しかったこととか……今はつらかったことより、幸せだったこと思い出すようになった」
「そうか」
「もう会えないって思うと余計にそうなるのかな。ますます次の恋は遠のいたかも」
「えっ」
ジョッキを傾けようとしていた門倉が目を見開き、ものすごい顔をして私の方を向いた。
「遠のいたって……具体的にどれくらいだ」
「んー……。せめて3回忌が終わるくらいまでは、光を偲んで禊続けようかな」
私の言葉に門倉は気が遠くなったのか、信じられないという顔をしている。
「3回忌って……丸2年もか!せめて1周忌までにしろ。おまえも俺も、もう33だぞ?!そんな悠長なこと言ってる場合かよ!」
「うん……そうなんだけどね。ちゃんと大事にできなかった分、もうしばらくは光だけの瑞希でいてあげようかなって。だから門倉は私に構わず新天地で新しい恋を見つけてよ」
門倉は大きなため息をついて勢いよくビールを煽った。
「……おまえ、俺のこと嫌いか?」
「ん?嫌いじゃないよ」
「じゃあ好きか?」
今は光のために門倉に気持ちを伝えるのはやめておこう。
門倉は転勤して私と離れたら、新しい恋人が見つかるかも知れない。
それを咎める権利なんて私にはないし、2年待ってくれというつもりもない。
せめて3回忌が終わるまでは他の人と恋をしないというのは、私の自己満足に過ぎないんだから。
「今は言わない」
「なんだよ。答出てんじゃん。じゃあ2年間俺にもあいつを偲ばせろ。まったく知らない仲じゃないしな。なんてったってライバルだし?」
もし光が生きていたら、門倉と仲良く酒なんか酌み交わすだろうか?
火花がバチバチ飛び散る修羅場になったりなんかして。
「光、門倉に偲ばれて喜ぶかなぁ……」
「バーカ。あいつとおまえを引き合わせたのは俺だっつうの。きっと俺に感謝してるだろ。それにさ、あいつを大事にしたいっておまえの気持ちも、おまえのこと好きなあいつの気持ちも、俺は大事にしたいんだ」
「ん……ありがとう」
月末、門倉は企画一課を去った。
『ちょくちょく戻って来るからな』と私に言い残して。
パーテーションの隙間から見える一課のオフィスに、門倉はもういない。
喫煙室にも、社員食堂にも、いつもの居酒屋にも。
コーヒーを買いに行くと、二十代半ばくらいの若い男性が自販機の補充に来ていた。
光ももうこの世にはいない。
大切な人との別れはいつも寂しい。
だけど今、私の心は穏やかだ。
つらかった過去を何度もくりかえし思い出していた頃のように、悲しさや虚しさが込み上げたりはしない。
大丈夫。
私は前を向いて歩いて行ける。
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