傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

別離 4

光が亡くなる少し前に小塚が病院へお見舞いに行った時、光はこう言ったそうだ。

『瑞希には知らせないで欲しい。幸せになって欲しいから、もう俺のせいで悲しませたくないんだ』

別れる時に光が『半年でいいから俺だけの瑞希でいてくれる?』と言ったのは、自分の余命がもうあと半年ほどだとわかっていたからなのだろう。
実際の余命は医師からの宣告よりもかなり短かった。

自分が生きている間だけでも、私を他の人には触れさせたくなかったんだな。
だけど光は私が次に進めるように嘘をついて身を引き、病気で余命が短いことも、亡くなったことも、私には知らせようとしなかった。

「シノには知らせるなって光に言われてたんだけどな。でもやっぱり俺はシノには知っていて欲しかったんだ。時々は会いに行ってやって欲しいから」


その週の日曜日、岡見と一緒に光の実家を訪れた。
光と離婚して以来会っていなかったから緊張したけれど、光の母親は涙を浮かべながら私を迎え入れてくれた。
仏壇の前に座ると、遺影には少し若い笑顔の光の姿があった。
見覚えのある写真だ。

「これね、光のお気に入りだったの。瑞希ちゃんと初めて結婚式の衣装合わせした時の写真」

ああ、そうだ。
ウエディングドレスを試着しただけで感極まって、二人して涙ぐんだっけ。

「離婚して家に帰ってきた時はずっと落ち込んでてね……自分がしっかりしてなかったから、瑞希ちゃんを幸せにしてやれなかったって。でも光が亡くなる少し前にまた付き合ってたのよね?」
「はい……」
「すごく喜んでたのよ。あの時はもう病気が見つかった後だったけど……瑞希ちゃんのために病気を治して、今度こそ幸せにしたいんだって。それは叶わなかったけどね……また一緒にいられて幸せだったって、亡くなる前に言ってたわ」

今更ながら光の私に対する深い愛情を知り、胸が痛くて涙が溢れた。
もっとしっかり光と向き合えば良かった。
ちゃんと心から愛せたら良かったのに。
また後悔ばかりが胸に降り積もる。

「時々、会いに来てもいいですか?」
「それは嬉しいけど……瑞希ちゃんはまだ若いんだから、自分のために新しい幸せを見つけていいのよ。光もそれを望んでると思う。ただね……光のこと、忘れないでやって欲しいな。時々は思い出してやってね」

忘れない。
忘れられるわけがない。
光は私が初めて本気で好きになって、大事な初めてのものを全部あげた人なんだから。

優しい光が大好きだった。
愛しそうに私を呼ぶ優しい声が大好きだった。
ずっと一緒にいようって約束をした。
その約束は果たせなかったけれど、初めて私を愛してくれた人が光であることは、この先もずっと変わらない。

『じゃあまたね』

サヨナラした日の光の声が耳の奥に響いた。
光、大好きだったよ。
優しいサヨナラをありがとう。


その日、自宅のベランダで一人、カフェオレのおまけに付いていた線香花火に火をつけた。
季節外れの線香花火は静かに火の花を咲かせ、ゆっくりと燃え尽きた。

『俺、この先ずっと何年経っても瑞希と一緒にいたいよ』

あの日の光の声が空の彼方から聞こえた気がした。



光の実家を訪れてからしばらく経った頃。
久しぶりに門倉と居酒屋に行ってお酒を飲みながら、光が亡くなったことを話した。
門倉は驚き言葉をなくした後、神妙な面持ちで『そうか……』と一言だけ呟いた。

私が光と別れて少し経った頃、『俺と付き合おう』と門倉は言ってくれたけれど、私は光との約束を守るためにそれを断った。
そして今。
門倉は来月一日付けで、また支社に転勤することが決まっている。

「で、おまえはこれからどうすんの?」
「これまで通り頑張るよ」

枝豆を口に放り込みながら答えると、門倉は小さくため息をついた。

「……俺と一緒に来るか?」
「まだ半年経ってないしね。気持ちだけありがたく」
「おまえの禊はまだまだ終わりそうもねぇなぁ……」
「そうだね。光が亡くなってから、またいろいろ後悔したよ。失ってから気付くものが多すぎてイヤになるね」

幸せだったことやつらかったこと、いろんなことがあったけれど、光と過ごした日々を想い出と呼べるまで、私の禊は続くのかも知れない。

「俺がいなくなったら誰と禊するんだ?」
「さぁ……。一人で、かな」
「寂しいな、おい。しょうがねぇな……たまには戻ってきて付き合ってやる」

門倉の言葉に思わず吹き出した。
私の手から枝豆がコロコロと転げ落ちる。

「私の禊に付き合うためだけに、わざわざ神戸から戻ってくるの?」
「……悪いか」

門倉はそっぽを向いて、ばつの悪そうな顔をしている。
ホントに優しいな、門倉は。
光が亡くなったことで、私がまた前に進めなくなるとか、自分がいないと私が寂しい気持ちとかつらいことを吐き出せないと思ってるんだ。
光は半年でいいって言ったけど、私が次の恋に進むには、もう少し時間が必要だと思う。
門倉のことは大事だし、好きだと思うからこそ、気持ちに応えられないままなんのあてもなく待たせるわけにはいかない。


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