傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

告白 6

オフィスを出て仮眠室に寄り、毛布を返してから会社を出た。

「さぁ、何食いたい?なんでも好きなもの言え」
「牛丼でもラーメンでもなんでもいい……。とにかく早くてお腹が満たされれば」
「なんだよ、色気ねぇなぁ」

色気ないは余計だ。
だいたい門倉と食事をするのに色気なんて必要ない。

「眠いもん、早く帰って寝たいの」
「そうだったな。じゃあ……そこの定食屋にでも行くか」

会社のそばにある安くて早くて美味しい定食屋に入り、門倉は豚のしょうが焼き定食、私はアジフライ定食を注文した。

「ビールでも飲むか?」

さすがに今日はお酒は飲めない。

「無理……。お酒なんか飲んだら電車で寝ちゃう。最終の終着駅で起こされるのはイヤ」
「家まで送ってやろうか?」
「それはいい。電車に乗ったら眠らないように立ってる」

門倉と家を行き来したことは一度もない。
禊の後は駅の改札を通ったところで別れるし、お酒を少し飲みすぎて酔っていたらタクシーで帰る。
だからお互いの家は知らない。
知らず知らずのうちに門倉とはそれくらいの距離を保ってきた。
その距離感がちょうど良かったのに、門倉がどんどん私の領域に入って来ようとしている気がする。

少しすると注文していた定食が運ばれてきた。
評判通り、本当に早い。
門倉は箸を手に取って笑みを浮かべた。

「篠宮と飯食うの久しぶりだな」
「うん……そうだね。誰かさんがあからさまに避けるから」
「しょうがねぇだろ。俺にもいろいろあるんだよ」
「いろいろって何よ」

何気なく尋ねると、門倉は付け合わせのキャベツを口に運びながら少し眉をひそめた。

「イヤなこと思い出した」
「イヤなこと……って、何?」

小鉢の小松菜のおひたしを食べようと開いた私の口に、門倉がトマトを押し込んだ。
驚いてむせながらにらみつけると、門倉はおかしそうに笑った。

「おまえと同じだ。俺にも心の傷くらいある」
「心の傷って……」

口の中のトマトをようやく飲み込んで、その言葉の意味を尋ねると、門倉は小さくため息をついた。

「俺がやめとけって言ったら、篠宮はあいつをかばっただろ」
「まぁ……そうだね」
「思い出したんだよ。嫁を怪我させたこととか、『この人は悪くない』だの『寂しいからそばにいてって私が言ったの』だとか言って、浮気相手を必死でかばったこととかさ……」
「うん……」
「嫁のために頑張って働いてたのに、そのせいで寂しい思いさせて挙げ句の果てに浮気されて、『寂しくて耐えられないから離婚してくれ』だもんな。篠宮だって俺と同じ理由で旦那に浮気されて、離婚してくれって言われたんだろ?」

私がうなずくと、門倉は自嘲気味に苦笑いを浮かべた。

「それなのに篠宮はまたあいつとより戻そうとしてるし、俺がやめとけって言ったらあいつをかばうんだもんな。おまえを好きな俺の気持ちはどうでもいいのか?って思ったら、なんかもう何もかもバカらしくなって、篠宮も嫁と一緒なんだなって思った」

そんなこと考えてたんだ。
傷付けるつもりも心の傷をえぐるつもりもなかったけれど、私の言葉はイヤな記憶を呼び起こすにはじゅうぶんなほど、門倉にショックを与えてしまったらしい。
私がよほど深刻な顔をしていたのか、門倉は笑いながら私の額を指でピシッと弾いた。

「痛ぁ……」

それほど痛くはなかったけれど、びっくりして左手で額をさすると、門倉はおかしそうに笑った。

「おい、箸が止まってんぞ。冷めないうちにさっさと食えよ。早く帰って寝るんだろ」
「ああ……うん」




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