傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

困惑 2

「篠宮課長、書類の確認お願いします」
「はい」

金城くんの作ったオリオン社のイベントの書類に目を通した。
メイン会場の大花壇のイメージ図だ。
大花壇で花時計を作ることになっている。

「うん、よくまとまってる。わかりやすくていいんじゃない?ここに注釈入れとくともっといいよ」
「あ……花時計の件ですね。わかりました」

何を、と言わなくても気付いたのは大きな成長だ。
大花壇を時計の文字盤に見立て、数字が入る場所に同じ花を植える。
これから金城くんはこの書類を持って、早川さんと田村くんと一緒に花の種類や色についての打ち合わせに、オリオン社に行くことになっている。
打ち合わせは順調に進んでいるようだ。


土曜日は社員食堂が休みなので、会社近くの喫煙できる喫茶店に足を運んだ。
サンドイッチとミニサラダのセットで軽い昼食を済ませ、食後は美味しいコーヒーを飲みながらタバコを吸う。
それが私の土曜日の定番。

別の店で昼食を済ませてコーヒーを飲みに来る門倉と会うこともある。
平日は日替りランチもあるけれど土曜はやっていないから、男の門倉には喫茶店の軽食では全然足りないらしい。
だからというわけでもないけれど、土曜日の昼食を一緒に食べることはほとんどない。

平日の昼は約束しているわけでもないのに、社食で会うと門倉は必ずと言っていいほど私の隣に座る。
仕事の後はしょっちゅう居酒屋で禊をしているし、門倉と一緒にいることが多いのは、いろいろ余計なことを言わずに済んでお互い気楽だからなのかな。
気楽で居心地が良すぎるからあまり意識したことはなかったけれど、最近の門倉にはなんとなく違和感がある。

昨日光と一緒に食事をした時にも、また別の違和感があった。
なぜなんだろう?
仕事のことなら自信を持って判断できるのに、恋愛なんて光としかしたことがないから、男女の関係のことには疎いしキャパシティーが低いなと思う。

20代で結婚も離婚も経験して、仕事一筋で恋愛から遠ざかっているうちに30代になった。
若い頃は不器用なりに純粋に『好き』という気持ちだけで突っ走れたけれど、今は何もかもが違いすぎる。

あんな別れ方をしたのに、もう一度付き合ってくれと急に言われてもどうしていいのかわからない。
もしもう一度一緒にいることを選んだら、何もかも過ぎた日の想い出として受け止め、あの頃のように光を好きだと言えるかな。
その道を選ぶことを、門倉は賛成してくれるだろうか。
別に門倉の許可や賛同がいるわけじゃないけれど、私は自分自身のことなのに自分だけの判断で決断を下すことを不安に思っている。

また同じ失敗をくりかえして光を傷付けてしまうのではないかと思うと、正直怖い。
『今の俺を見て』と光は言ったけれど、変わったのは光だけじゃない。
私も変わったと思うし、光が好きなのは昔の私なんだと思う。

光が今の私を見てがっかりするとか、もしかしたら私が今の光を好きにはなれない可能性だってある。
それでもやっぱり『光とはもう付き合えない』と断れないのは、私の中にまだ光への気持ちが残っているからなのかも知れない。

見えるのは後ろばかりで、先はまったく見えない。
私はまた次の一歩を踏み出すことを躊躇して、同じ場所で足踏みをしている。


その日は喫茶店で門倉と会わなかった。
ガッツリ系の定食屋とか丼ものの店でなく、料理に食後のコーヒーが付くような店にでも行ったのか、会社に戻って自販機のコーヒーを飲んだのか。

今日も門倉が来るものだと思って時間も気にせずのんびり雑誌を読んでいたら、うっかり昼休みが終わる時間を過ぎそうになってしまい、会社まで小走りで戻った。
よく考えたら約束もしていないのに、どうして私は門倉が来るものだと思っていたんだろう?



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